早朝の5時30分、高野山・奥の院
玉川のせせらぎを耳にしながら、御廟へと続く無明の橋のたもとに立つ、
きくへんろ。の一行。
1200年前から今日に至るまで、一度も途切れる事なく毎日続けられている
御供所からお大師さまの元へ食事を届ける様子を、拝ませて頂きます
運ぶお坊さん方にはそれぞれ身長差があり、地面には段差もありますが、
お食事の納められたお輿は、常に水平に保たれています
和紙のマスクと白い手袋を着用したお坊さんが、家庭でするのと同様に、
ごく当たり前にお給仕をして、お大師さまへお出しします。
無駄のない一つ一つの動作に、感心しきりの杉本さん
こうゆうさんと米裕さんは、この様子を見ると、お寺の住職という立場は
御本尊さまのお手伝いをさせて頂く役目なのだと、改めて初心に帰る事が
出来るのだそうです。
***********
次に一行は、密厳堂へ向かいます。
ここは、鎌倉後期に活躍された、高野山中興の祖・覚鑁上人さまのお墓で
参道で多く目にするお墓とは異なり、その名の通りお堂になっています。
この覚鑁上人さま、緩んだ綱紀を引き締めるという、大変に骨の折れる、
大きな使命を担われただけあって、非常にに厳しい方でしたが、それ故に
改革を嫌う反対勢力により、高野山を追われる事になってしまいました。
根来寺へと移った覚鑁さまは、その地で新義真言宗の礎を築かれました。
因みに、中の橋あたりから続く坂道は『覚鑁坂』と呼ばれ、そこで転ぶと
3年以内に亡くなる・・・と言われているそうです
更に、覚鑁坂の途中にある、上智善尼さまのお墓。
その墓石に耳を当てると、地獄の音が聞こえる・・・とか。
これらの恐ろしい伝説の数々は、
「気を緩めると、大変な事になるぞ!」
・・・という、高野山の綱紀粛正に心血を注がれた覚鑁上人さまからの、
我々に向けられたメッセージなのかもしれません。
***********
中の橋、汗かき地蔵さまの横には、『姿見の井戸』があります。
この井戸に姿の映らないものは、覚鑁坂で転んだ人と同じく、3年以内に
亡くなる・・・という伝説があります。
恐る恐る井戸を覗き込んだ杉本さん。
水面に映った自分の顔を見て、ホッとした様子
尚、お四国の札所にも、同じような言い伝えの残る井戸がありましたが、
どうやら、この高野山の井戸がルーツのようです。
***********
高野山の参道は、一の橋、中の橋、無明の橋を渡って進んで行きますが、
橋の下を流れる川には、結界の役目もあります。
「橋を渡る際には、杖を突いてはいけない」
一夜の宿を断られた空海さまが、橋の下でお休みになったという逸話から
あらゆるものへの配慮が必要という事で、お遍路の作法となりました。
四国一番札所でも、こうゆうさんが御説明下さった事です。
ただ、川とは、不浄なものを洗い流す場所でもあります。
一方、金剛杖とは、お大師さまの分身であり、元々が清浄な存在。
ならば、
俗世間の垢にまみれた我らの汚れを落とす場所に、お大師さまに
わざわざお付き合い頂くのは申し訳ない・・・
とも解釈出来るというのが
最近のこうゆうさんの考えだそうです。
***********
旅の終わりに一行がやって来たのは、高野山の麓の九度山町。
高野山への参道の町石道は、この地が出発点です。
高野山が女人禁制だったため、お大師さまのお母さまはこちらの慈尊院に
住まわれ、お大師さまは月に何度も山を下りて、高齢となったお母さまを
見舞われた逸話から、『九度(=数の多い事)山』の地名になりました。
慈尊院は安産や育児に御利益があり、特に女性の信仰を集めています。
***********
さて。
4年の月日をかけ、四国八十八箇所と高野山をじっくりと御紹介してきた
この番組も、遂に最終回。
最後に、出演者の皆さんから一言ずつ、感想とメッセージです
米裕さん。
「これまで、お遍路には何度も出ていたけれど、それぞれの札所について
隈無く調べたのは、初めての事でした。本当の信仰のあり方というものを
知る事が出来ました。」
杉本さん。
「最初は『八十八箇所を巡るだけで、何かイイ事が起こるのかな?』と、
漠然と思っていたけれど、そうではなくて、お参りの際に経験した事が、
普段の生活の中に生かせるものだという事が分かりました。」
こうゆうさん。
「これまでお付き合い頂き、有り難うございました。これからの皆さんの
旅のきっかけになればと思います。」
***********
・・・という訳で、最終回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
玉川のせせらぎを耳にしながら、御廟へと続く無明の橋のたもとに立つ、
きくへんろ。の一行。
1200年前から今日に至るまで、一度も途切れる事なく毎日続けられている
御供所からお大師さまの元へ食事を届ける様子を、拝ませて頂きます
運ぶお坊さん方にはそれぞれ身長差があり、地面には段差もありますが、
お食事の納められたお輿は、常に水平に保たれています
和紙のマスクと白い手袋を着用したお坊さんが、家庭でするのと同様に、
ごく当たり前にお給仕をして、お大師さまへお出しします。
無駄のない一つ一つの動作に、感心しきりの杉本さん
こうゆうさんと米裕さんは、この様子を見ると、お寺の住職という立場は
御本尊さまのお手伝いをさせて頂く役目なのだと、改めて初心に帰る事が
出来るのだそうです。
***********
次に一行は、密厳堂へ向かいます。
ここは、鎌倉後期に活躍された、高野山中興の祖・覚鑁上人さまのお墓で
参道で多く目にするお墓とは異なり、その名の通りお堂になっています。
この覚鑁上人さま、緩んだ綱紀を引き締めるという、大変に骨の折れる、
大きな使命を担われただけあって、非常にに厳しい方でしたが、それ故に
改革を嫌う反対勢力により、高野山を追われる事になってしまいました。
根来寺へと移った覚鑁さまは、その地で新義真言宗の礎を築かれました。
因みに、中の橋あたりから続く坂道は『覚鑁坂』と呼ばれ、そこで転ぶと
3年以内に亡くなる・・・と言われているそうです
更に、覚鑁坂の途中にある、上智善尼さまのお墓。
その墓石に耳を当てると、地獄の音が聞こえる・・・とか。
これらの恐ろしい伝説の数々は、
「気を緩めると、大変な事になるぞ!」
・・・という、高野山の綱紀粛正に心血を注がれた覚鑁上人さまからの、
我々に向けられたメッセージなのかもしれません。
***********
中の橋、汗かき地蔵さまの横には、『姿見の井戸』があります。
この井戸に姿の映らないものは、覚鑁坂で転んだ人と同じく、3年以内に
亡くなる・・・という伝説があります。
恐る恐る井戸を覗き込んだ杉本さん。
水面に映った自分の顔を見て、ホッとした様子
尚、お四国の札所にも、同じような言い伝えの残る井戸がありましたが、
どうやら、この高野山の井戸がルーツのようです。
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高野山の参道は、一の橋、中の橋、無明の橋を渡って進んで行きますが、
橋の下を流れる川には、結界の役目もあります。
「橋を渡る際には、杖を突いてはいけない」
一夜の宿を断られた空海さまが、橋の下でお休みになったという逸話から
あらゆるものへの配慮が必要という事で、お遍路の作法となりました。
四国一番札所でも、こうゆうさんが御説明下さった事です。
ただ、川とは、不浄なものを洗い流す場所でもあります。
一方、金剛杖とは、お大師さまの分身であり、元々が清浄な存在。
ならば、
俗世間の垢にまみれた我らの汚れを落とす場所に、お大師さまに
わざわざお付き合い頂くのは申し訳ない・・・
とも解釈出来るというのが
最近のこうゆうさんの考えだそうです。
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旅の終わりに一行がやって来たのは、高野山の麓の九度山町。
高野山への参道の町石道は、この地が出発点です。
高野山が女人禁制だったため、お大師さまのお母さまはこちらの慈尊院に
住まわれ、お大師さまは月に何度も山を下りて、高齢となったお母さまを
見舞われた逸話から、『九度(=数の多い事)山』の地名になりました。
慈尊院は安産や育児に御利益があり、特に女性の信仰を集めています。
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さて。
4年の月日をかけ、四国八十八箇所と高野山をじっくりと御紹介してきた
この番組も、遂に最終回。
最後に、出演者の皆さんから一言ずつ、感想とメッセージです
米裕さん。
「これまで、お遍路には何度も出ていたけれど、それぞれの札所について
隈無く調べたのは、初めての事でした。本当の信仰のあり方というものを
知る事が出来ました。」
杉本さん。
「最初は『八十八箇所を巡るだけで、何かイイ事が起こるのかな?』と、
漠然と思っていたけれど、そうではなくて、お参りの際に経験した事が、
普段の生活の中に生かせるものだという事が分かりました。」
こうゆうさん。
「これまでお付き合い頂き、有り難うございました。これからの皆さんの
旅のきっかけになればと思います。」
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・・・という訳で、最終回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
高野山編・第5弾。
今回は、一行がお世話になる宿坊、西室院からのレポート。
ホテルや旅館と異なり、お出迎えして下さったのは、小僧さんでした。
お寺の、しかも夜という事もあって、日常生活では絶対に味わう事のない
本物の静寂が、辺りを包んでいます。
道路や交通網の発達で、近頃は高野山で宿泊する参拝者は減りましたが、
伝統にのっとったきめ細かいサービスが噂になり、外国からの観光客や、
歴史好きの若い女性の宿泊客が、次第に増えつつあるそうです。
高野山にある100箇所以上の寺院の内、現在50余りのお寺が、宿坊として
一般の宿泊客を受け入れて下さいます。
***********
四国のロケは全て日帰りだったので、宿泊の作法が気になった杉本さん、
こうゆうさんに尋ねたところ、遍路宿の玄関にはバケツとタオルがあり、
それで金剛杖をきれいにするそうです。
金剛杖とは、弘法大師空海さまの分身。
つまり、お大師さまのおみ足を洗わせて頂く、という事でもあります。
そして、洗った金剛杖を床の間に立てるのですが、これは言うまでもなく
お大師さまにお休み頂く事を意味し、宿によっては、そのための座布団が
用意されている場合もあります。
それら一連の事が終わってはじめて、お遍路さんは休息出来るのです。
歩き遍路で、心身共にクタクタの中、宿に着けばすぐにでも寛ぎたいのを
敢えて抑えて、こうした作法を繰り返す事で、自らを鍛え上げて行けば、
たとえ極限状態にあっても、周りに気遣いの出来る人間となるでしょう。
宿坊にあっても、動作の全てが修行の一環。
「どこかで、お大師さまが見ていらっしゃる」
…という意識を持ちながら、一つ一つ行動する事が重要です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
和泉国は横山村から、はるばる紀伊の国へとやって来た、14 歳のお照。
高野山が女人禁制と知り、宿の一室で泣き崩れます
心配した宿屋の主人が事情を尋ねると、身寄りのない彼女を育ててくれた
亡き養父母のために、灯籠をお供えしたいとの事。
『ある長者が一万基の灯籠を高野山に奉納する』という噂を聞いたお照は
亡き人の菩提を弔うには何よりと考え、女の命とも言うべき黒髪を切って
お金を工面し、お大師さまに奉納しようと思っていたのだそうです。
その話を隣の部屋で聞き、心を打たれた、円蔵房というお坊さん。
前夜、夢枕に立った高野山中興の祖・祈親上人の声に従いやって来たのは
この娘を助けるためだったのだと悟り、力添えをする事を決意します。
3月21日。
高野山奥の院、新灯籠建立供養。
施主の薮坂長者は、一族を引き連れて参詣し、灯りの点る一万基の灯籠に
満足気な様子でしたが、その中に、見知らぬ小さな灯籠を見つけました。
円蔵房を呼びつけて事情を聞いた薮坂長者は、その貧弱で小さな灯籠が、
施主である自分の供えた灯籠よりも高い場所にある事が気に入らぬ様子。
取り除く様に命じても、従う者は誰もいません。
激怒した薮坂長者、自らその小さな灯籠を消そうと進み出た、その瞬間!!
一陣の風が吹き、灯籠堂の灯りは一瞬にして消え去りました。
…祈親上人の奉納した灯籠と、お照の献じた小さな灯籠の2つ
を除いて。
信仰とは、権力でも、お金の力でも出来るものではありません。
お大師さまは、真の心こそ受け給うのです
***********
宿坊の朝も、これまた静寂の中から始まります
部屋にはテレビも備え付けられてはいますが、折角の機会です。
携帯電話の電波も入らない場所、下界の情報は全てシャットアウトして、
他では決して味わう事の出来ない、この静けさを楽しみたいものです。
7時からのお勤めに参加した一行、先祖供養とこれからの安全を祈願し、
御住職から法話を頂きました。
100を超えるお寺が密集する、聖地・高野山。
その全てのお寺が、同じ時刻に、一斉にお勤めをしています。
「朝、散歩していたら、仏さまのお声が聞こえる」
…と言った人もいるそうです。
日帰りと、一泊。
時間にすれば、たった一日の差です。
しかし、高野山の夜、そして朝を味わうという事は、その僅かな差よりも
もっと深くて豊かな体験を、必ずもたらしてくれるでしょう
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
次回は、いよいよ最終回です。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回は、一行がお世話になる宿坊、西室院からのレポート。
ホテルや旅館と異なり、お出迎えして下さったのは、小僧さんでした。
お寺の、しかも夜という事もあって、日常生活では絶対に味わう事のない
本物の静寂が、辺りを包んでいます。
道路や交通網の発達で、近頃は高野山で宿泊する参拝者は減りましたが、
伝統にのっとったきめ細かいサービスが噂になり、外国からの観光客や、
歴史好きの若い女性の宿泊客が、次第に増えつつあるそうです。
高野山にある100箇所以上の寺院の内、現在50余りのお寺が、宿坊として
一般の宿泊客を受け入れて下さいます。
***********
四国のロケは全て日帰りだったので、宿泊の作法が気になった杉本さん、
こうゆうさんに尋ねたところ、遍路宿の玄関にはバケツとタオルがあり、
それで金剛杖をきれいにするそうです。
金剛杖とは、弘法大師空海さまの分身。
つまり、お大師さまのおみ足を洗わせて頂く、という事でもあります。
そして、洗った金剛杖を床の間に立てるのですが、これは言うまでもなく
お大師さまにお休み頂く事を意味し、宿によっては、そのための座布団が
用意されている場合もあります。
それら一連の事が終わってはじめて、お遍路さんは休息出来るのです。
歩き遍路で、心身共にクタクタの中、宿に着けばすぐにでも寛ぎたいのを
敢えて抑えて、こうした作法を繰り返す事で、自らを鍛え上げて行けば、
たとえ極限状態にあっても、周りに気遣いの出来る人間となるでしょう。
宿坊にあっても、動作の全てが修行の一環。
「どこかで、お大師さまが見ていらっしゃる」
…という意識を持ちながら、一つ一つ行動する事が重要です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
和泉国は横山村から、はるばる紀伊の国へとやって来た、14 歳のお照。
高野山が女人禁制と知り、宿の一室で泣き崩れます
心配した宿屋の主人が事情を尋ねると、身寄りのない彼女を育ててくれた
亡き養父母のために、灯籠をお供えしたいとの事。
『ある長者が一万基の灯籠を高野山に奉納する』という噂を聞いたお照は
亡き人の菩提を弔うには何よりと考え、女の命とも言うべき黒髪を切って
お金を工面し、お大師さまに奉納しようと思っていたのだそうです。
その話を隣の部屋で聞き、心を打たれた、円蔵房というお坊さん。
前夜、夢枕に立った高野山中興の祖・祈親上人の声に従いやって来たのは
この娘を助けるためだったのだと悟り、力添えをする事を決意します。
3月21日。
高野山奥の院、新灯籠建立供養。
施主の薮坂長者は、一族を引き連れて参詣し、灯りの点る一万基の灯籠に
満足気な様子でしたが、その中に、見知らぬ小さな灯籠を見つけました。
円蔵房を呼びつけて事情を聞いた薮坂長者は、その貧弱で小さな灯籠が、
施主である自分の供えた灯籠よりも高い場所にある事が気に入らぬ様子。
取り除く様に命じても、従う者は誰もいません。
激怒した薮坂長者、自らその小さな灯籠を消そうと進み出た、その瞬間!!
一陣の風が吹き、灯籠堂の灯りは一瞬にして消え去りました。
…祈親上人の奉納した灯籠と、お照の献じた小さな灯籠の2つ
を除いて。
信仰とは、権力でも、お金の力でも出来るものではありません。
お大師さまは、真の心こそ受け給うのです
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宿坊の朝も、これまた静寂の中から始まります
部屋にはテレビも備え付けられてはいますが、折角の機会です。
携帯電話の電波も入らない場所、下界の情報は全てシャットアウトして、
他では決して味わう事の出来ない、この静けさを楽しみたいものです。
7時からのお勤めに参加した一行、先祖供養とこれからの安全を祈願し、
御住職から法話を頂きました。
100を超えるお寺が密集する、聖地・高野山。
その全てのお寺が、同じ時刻に、一斉にお勤めをしています。
「朝、散歩していたら、仏さまのお声が聞こえる」
…と言った人もいるそうです。
日帰りと、一泊。
時間にすれば、たった一日の差です。
しかし、高野山の夜、そして朝を味わうという事は、その僅かな差よりも
もっと深くて豊かな体験を、必ずもたらしてくれるでしょう
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
次回は、いよいよ最終回です。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
高野山編・第4弾の今回は、参拝者や観光客があまり立ち寄る事がない、
隠れた名店や、珍しい買い物スポットの御紹介です。
***********
まず、こうゆうさんが取り上げられたのが『高野槙(こうやまき)』。
その語感、そして土産物にもなるという事から、巻き寿司か何かのような
食べ物を想像しますが、これは、高野山で見られる常緑樹の名前です。
少し前に、皇室に献上された事から有名になりましたが、青々とした葉と
その香りは、高野山をそのまま持ち帰ったような清々しさが味わえます
***********
米裕さんが案内して下さるのは『高野山大師堂』という、お香の専門店
お香に線香、塗香から香木の原木まで、豊富な品揃えに圧倒されます。
米裕さんのお薦めは『伽羅(きゃら)』というお香ですが、これは
10gが54,600円という、『超』のつく高級品です。
お店ではお香の『きき比べ』をさせて頂けますので、実際に香りを嗅いで
お気に入りの品を選ぶ事が出来ます。
***********
次も米裕さんお薦めのお店、『石橋法衣衣料店』。
お坊さんの衣を、オーダーメイドで作って頂けるお店です。
近頃は、作務衣のカラーバリエーションも豊かになりましたが、これは、
本来の用途である修行用の他、お洒落着として一般の愛用者が増えた事が
原因であるようです。
若いお坊さんがやって来て、次第に成長して行く姿を見るのが、御主人の
楽しみですが、長年お店をやっていると「顔は分かるが、名前が・・・」
という事も、最近は増えて来たそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
平安後期。
筑前の刈萱荘(かるかやしょう)博多に、加藤左衛門尉藤原の繁氏という
若い領主がいました。
正妻の桂子御前と側室の千里御前に囲まれ、優雅な暮らしぶりの繁氏。
表面上は平穏な生活でしたが、若く美しい側室に嫉妬の念を募らせていた
桂子御前は、やがて千里の殺害を企てます
危うく難を逃れた千里は、加藤家から去りますが、人の命も奪ってしまう
嫉妬・憎しみの心に嫌気のさした繁氏は、周囲の誰に告げる事もないまま
高野山で出家、円空と名を改めて修行に励み、やがて人々から刈萱道心と
呼ばれるようになりました。
一方、加藤家を出る時、既に繁氏の子を身籠っていた千里は、逃れた先で
男の子を出産、石童丸と名付けました。
やがて石童丸は成長し、高野山の刈萱道心の噂を耳にします。
その名前、筑前の刈萱荘に因んでいる事は、想像に難くありません。
父・繁氏を求めて高野山へ向かう石童丸と、母の千里。
しかし、当時の高野山は女人禁制、母を麓の宿に残し、一人山へと向かう
幼い石童丸。
伝え聞いた父の特徴を頼りに、高野山の中を何日も歩き回る石童丸ですが
なかなか巡り合う事は出来ません。
そして、ある日の事。
奥の院、無明の橋ですれ違ったお坊さんに、刈萱道心の消息を尋ねると、
道端の墓石を指して、それが刈萱道心の墓である事を告げられます。
実は、そのお坊さんこそが刈萱道心、即ち石童丸の父親・繁氏なのですが
修行中の身ゆえ、自分が父親であると名乗る事はありませんでした。
墓の前で泣き崩れる石童丸に、早く母の元へ帰るよう諭す繁氏。
失意の内に山を下りる石童丸に追い打ちをかけるように、母親の千里は、
長旅の疲れから来る病のため、麓の宿で既に亡くなっていました。
天涯孤独の身となった石童丸は再び高野山へと向かい、無明の橋で会った
あのお坊さんを頼って、仏の道へと進みます。
こうして石童丸は、実の父親である円空(繁氏)の弟子・道念となって、
その後30年間、師弟として共に修行に励みました。
しかし、繁氏は生涯、自らが父親であるという事実を、石童丸に向かって
告げる事はなかったそうです。
その後、繁氏は信州の善光寺へと赴き、地蔵菩薩を刻んだ後に、その地で
亡くなります。
やがて石童丸も信州へと移り、自らも地蔵菩薩を刻みました。
それらの仏像は『親子地蔵』として、今も人々の信仰を集めています。
***********
最後に紹介して頂くお店が、『珠数屋佳兵衛』。
その名の通り、数珠も扱っていますが、その他にも工芸品から食べ物まで
何でも揃っている土産物屋さんです。
数珠は色にも素材にも決まりがなく、無限に近いバリエーションがあり、
いざ買うとなると、頭を悩ませなければならないものです。
杉本さんは、法要でカラフルな数珠を使う事にためらいがある様ですが、
そこが慶びの場であれば問題ない、というのが米裕さんの助言でした。
***********
今回訪れた、それぞれのお店。
店員さんとのやりとり一つ一つが人情味に溢れ、出逢うお客さん皆に対し
暖かい目を向けて下さっている事を実感した杉本さん。
こうゆうさんが初めて修行に入った頃から、何一つ変わっていないという
これらのお店。
新しいものはありませんが、同じ物ならば確実に手に入れられるという、
何物にも代え難い、安心感があります。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!