今回のお参りは第二十番札所、霊鷲山・鶴林寺です。
雨の中での取材となった今回、山深い場所に位置するこちらのお寺には、
周囲に雲が立ち込め、幽玄な雰囲気を醸し出しています。
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山号の霊鷲山(りょうじゅさん)は、かつてお釈迦さまがよく説法された
天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)に形が似ている事に由来するそうです。
院号を『宝珠院』と証する事実から、御本尊は宝珠を持った仏さま、即ち
地蔵菩薩さまである事が分かります。
通常、お寺の山門には仁王さまがいらっしゃいますが、こちらのお寺では
その名前の通り、2羽の鶴が参拝者を出迎えてくれます。
お大師さまが修行中にこの地を訪れた際、杉の梢から光明が放たれており
見れば2羽の鶴が、金色に輝くお地蔵さまをお守りしていたとの事。
これを御覧になったお大師さまは、一刀三礼で地蔵菩薩像を彫り上げて、
金色のお地蔵さまを胎内に納めて、御本尊とされたそうです。
尚、本尊御降臨の杉の木は、本堂の裏に現存しているそうです。
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こちらのお寺には、お地蔵さまのお役目である『代受苦』を端的に示す、
一つの伝説が残されています。
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昔、一人の猟師が、猪を追って矢を放ったところ、矢を受けたその猪は、
鶴林寺へと逃げ込み、本堂の前で姿を消しました。
猟師が周囲を捜しても、猪の姿はどこにもなく、代わりに見つけたのが、
胸に矢を受けて血を流す、御本尊のお地蔵さまでした。
自らの罪深さを深く懺悔したというその猟師のお墓は、『猟師塚』として
今も残っています。
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見て分かる通り、お地蔵さまは『僧形』、即ちお坊さんのお姿です。
これは、我々により近い場所に降り立ち、衆生の苦しみを代りに受ける、
というお働きを表したものです。
野辺に多くおまつりされ、大勢の人々から信仰され、慕われているのも、
そのお役目を考えれば、納得出来ます。
猪の苦しみを除くと共に、猟師に信仰の目を開かせたお地蔵さまのお姿は
先に述べた通り僧形、つまり、厳しい戒律の下に身を置く立場です。
ですから、代りに苦しみを受けて頂く立場である我々も、自らの罪深さを
十分に自覚して、自身を戒める心構えが必要です。
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本堂の奥には、古い三重塔があります。
塔と言えば、その立派な外見に目を奪われがちですが、本当に重要なのは
建物によって守られている、中央の『芯柱』です。
これは『仏塔』であり、その高さが高いほど、仏さまのみ教え・御威光を
より遠くから感じる事が出来るものとされています。
その大きさから「どこにいても、仏さまが見守って下さっている」という
安心感を得る事が出来ます。
そんな三重塔を、ぜひ間近でじっくり鑑賞し、有り難い仏さまの御威光を
肌で感じて頂きたい、とおっしゃるこうゆうさん
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
険しい山道を、ごんたとたけやんは、やっとの思いで上って来ました。
たけやん、お寺の名前になっている『鶴林』という言葉についての薀蓄を
ごんたに語って聞かせております。
-----------
お釈迦さまが入滅なさる時に身を横たえられた沙羅双樹は、供養する様に
お釈迦さまの上に花を舞い散らせ、木全体も真っ白な花を満開に咲かせて
その様は、あたかも白い鶴が羽を広げたかのようだった・・・
この様を指して、『鶴林』と言う。
-----------
「だから、鶴林寺の御本尊は、元々はお釈迦さまだったのでは?」
・・・というのが、たけやんの推測です。
現在の御本尊は、猟師の伊三太に信仰の目を開かせた『矢負地蔵』さま
御本尊自ら矢を受けられた理由は、傷を負った大猪を助けるためなのか、
伊三太が殺生禁断の掟を破った事を諌めるためか、それとも殺生自体か、
それまでの因縁を分からせるためか・・・。
一つ言えるのは、伊三太が仏道へ進むべき時が来ていた、という事です。
***********
さて、ここで杉本さんからの質問
「お寺の名前は、どのようにつけられるのですか?」
対する、こうゆうさんの回答
仏教用語や経典、お釈迦さまのお言葉から。
伝記や伝承、縁起から。
その土地の名前から。
市町村の合併などで、土地の古い名前が次々に消えているという実情は、
本当に嘆かわしく、残念な事です
ですから、お寺の名前などから、その土地の歴史や伝承を勉強する事は、
これまで以上に大事なことになりそうです。
***********
番組の最後に、米裕さんが鶴林寺での思い出をお話し下さいました。
十年ほど前、米裕さんはこちらのお寺に宿泊された時の事。
夜、物音に気付き窓から外を見ると、納経所で宿をとる、歩き遍路の方が
いらしたそうです(現在は不可)。
宿に招き入れるのは修行の妨げになると考えた米裕さん、御自身の毛布を
お遍路さんにお貸ししたそうです。
これぞまさしく『菩薩行』!!
・・・結果、米裕さんは風邪をひかれたそうですが(笑)
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
雨の中での取材となった今回、山深い場所に位置するこちらのお寺には、
周囲に雲が立ち込め、幽玄な雰囲気を醸し出しています。
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山号の霊鷲山(りょうじゅさん)は、かつてお釈迦さまがよく説法された
天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)に形が似ている事に由来するそうです。
院号を『宝珠院』と証する事実から、御本尊は宝珠を持った仏さま、即ち
地蔵菩薩さまである事が分かります。
通常、お寺の山門には仁王さまがいらっしゃいますが、こちらのお寺では
その名前の通り、2羽の鶴が参拝者を出迎えてくれます。
お大師さまが修行中にこの地を訪れた際、杉の梢から光明が放たれており
見れば2羽の鶴が、金色に輝くお地蔵さまをお守りしていたとの事。
これを御覧になったお大師さまは、一刀三礼で地蔵菩薩像を彫り上げて、
金色のお地蔵さまを胎内に納めて、御本尊とされたそうです。
尚、本尊御降臨の杉の木は、本堂の裏に現存しているそうです。
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こちらのお寺には、お地蔵さまのお役目である『代受苦』を端的に示す、
一つの伝説が残されています。
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昔、一人の猟師が、猪を追って矢を放ったところ、矢を受けたその猪は、
鶴林寺へと逃げ込み、本堂の前で姿を消しました。
猟師が周囲を捜しても、猪の姿はどこにもなく、代わりに見つけたのが、
胸に矢を受けて血を流す、御本尊のお地蔵さまでした。
自らの罪深さを深く懺悔したというその猟師のお墓は、『猟師塚』として
今も残っています。
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見て分かる通り、お地蔵さまは『僧形』、即ちお坊さんのお姿です。
これは、我々により近い場所に降り立ち、衆生の苦しみを代りに受ける、
というお働きを表したものです。
野辺に多くおまつりされ、大勢の人々から信仰され、慕われているのも、
そのお役目を考えれば、納得出来ます。
猪の苦しみを除くと共に、猟師に信仰の目を開かせたお地蔵さまのお姿は
先に述べた通り僧形、つまり、厳しい戒律の下に身を置く立場です。
ですから、代りに苦しみを受けて頂く立場である我々も、自らの罪深さを
十分に自覚して、自身を戒める心構えが必要です。
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本堂の奥には、古い三重塔があります。
塔と言えば、その立派な外見に目を奪われがちですが、本当に重要なのは
建物によって守られている、中央の『芯柱』です。
これは『仏塔』であり、その高さが高いほど、仏さまのみ教え・御威光を
より遠くから感じる事が出来るものとされています。
その大きさから「どこにいても、仏さまが見守って下さっている」という
安心感を得る事が出来ます。
そんな三重塔を、ぜひ間近でじっくり鑑賞し、有り難い仏さまの御威光を
肌で感じて頂きたい、とおっしゃるこうゆうさん
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さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
険しい山道を、ごんたとたけやんは、やっとの思いで上って来ました。
たけやん、お寺の名前になっている『鶴林』という言葉についての薀蓄を
ごんたに語って聞かせております。
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お釈迦さまが入滅なさる時に身を横たえられた沙羅双樹は、供養する様に
お釈迦さまの上に花を舞い散らせ、木全体も真っ白な花を満開に咲かせて
その様は、あたかも白い鶴が羽を広げたかのようだった・・・
この様を指して、『鶴林』と言う。
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「だから、鶴林寺の御本尊は、元々はお釈迦さまだったのでは?」
・・・というのが、たけやんの推測です。
現在の御本尊は、猟師の伊三太に信仰の目を開かせた『矢負地蔵』さま
御本尊自ら矢を受けられた理由は、傷を負った大猪を助けるためなのか、
伊三太が殺生禁断の掟を破った事を諌めるためか、それとも殺生自体か、
それまでの因縁を分からせるためか・・・。
一つ言えるのは、伊三太が仏道へ進むべき時が来ていた、という事です。
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さて、ここで杉本さんからの質問
「お寺の名前は、どのようにつけられるのですか?」
対する、こうゆうさんの回答
仏教用語や経典、お釈迦さまのお言葉から。
伝記や伝承、縁起から。
その土地の名前から。
市町村の合併などで、土地の古い名前が次々に消えているという実情は、
本当に嘆かわしく、残念な事です
ですから、お寺の名前などから、その土地の歴史や伝承を勉強する事は、
これまで以上に大事なことになりそうです。
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番組の最後に、米裕さんが鶴林寺での思い出をお話し下さいました。
十年ほど前、米裕さんはこちらのお寺に宿泊された時の事。
夜、物音に気付き窓から外を見ると、納経所で宿をとる、歩き遍路の方が
いらしたそうです(現在は不可)。
宿に招き入れるのは修行の妨げになると考えた米裕さん、御自身の毛布を
お遍路さんにお貸ししたそうです。
これぞまさしく『菩薩行』!!
・・・結果、米裕さんは風邪をひかれたそうですが(笑)
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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