今回は、いつもと少し趣向を変えて、前回放送の浄瑠璃寺の駐車場から、
徒歩で、目的地である第四十七番札所、熊野山・八坂寺へと向かう一行
この周辺は札所が密集している地域で、田園風景を楽しみながら行くのも
よいかもしれません。
***********
途中、他の歩き遍路の方とも会いますが、収録しながら歩く3
人のようにしゃべりながら行く人はいません。
通常、罪障消滅を願って行うお遍路は、陀羅尼を唱えながら行くもので、
おしゃべりしたり、キョロキョロしながら歩くものではありません。
・・・などと言いながら行っている内に、道に迷ってしまった一行
(笑)
***********
歩いていると、視覚・聴覚から色々な情報が入って来ます。
鳥の声に、時には癒され、時には励まされ。
また、野に咲く花に季節を感じ。
道中、民家の庭先に梅が咲いていました。
梅の徳分を表現したのが、『花兄』という呼び名です。
厳しい冬を乗り越え、ようやく巡って来た春。
どの花よりも先に咲いて、他の花が開くのを待っている、その姿。
仄かな香りながら、遠くまで漂い、我々を導いてくれる。
昼も夜も分け隔てなく、美しい香りを放ち続ける。
・・・そんな、控えめでありながらも、しっかりとした性格を、昔の人は
『兄』と表現したのでしょう。
***********
八坂寺の『八』から連想されるのが、前回も登場した衛門三郎です。
一夜の宿と食事をお願いした空海さまを口汚く罵り、鉄鉢を八つに割ると
ほどなくして八人の子供を相次いで亡くしたという衛門三郎。
真偽については色々言われていますが、人間として一番やってはならない
『身なりで他人を判断する』という事に対する戒めを、後世に伝えるため
多少大袈裟になっている部分はあるかもしれません。
***********
八坂寺に到着した一行。
道中で地元のおばちゃんとの話に熱中するあまり、おいてけぼりになった
米裕さんも、山門前でようやく合流
この山門は、小川にかかる橋の上にあって、しかもお飾りがあるという、
大変に特徴のあるものです。
実は、こちらのお寺には役行者の影響があり、熊野権現さんをお迎えした
修験道が色濃く反映したお寺で、神社のような雰囲気も漂っています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、炎に包まれたお坊さんの写真を見て、
「火あぶりの刑や!」
・・・と大騒ぎしていますが、実はこれ、火渡りの行を写したものです。
屋外で採燈護摩を行った後、火が残った中を歩く修行です。
「心頭滅却すれば火もまた凉し。」
・・・という言葉を説明するたけやんですが、ごんたは
「武士は食わねど高楊枝。」
・・・と混同しているようです。
一般の人なら無理な事も、修行を積んだお坊さんなら、怪我することなく
行う事が出来るのです。
他にも、煮えたぎった熱湯を、頭から次々に被る『湯加持』という修行も
あるそうですが、ごんたが連想したのは、石川五右衛門だった様で
す(笑)
***********
次は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
滋賀からいらした御夫婦、奥さんのお腹には赤ちゃんがいるそうです
御主人は、かつてバスの運転手をされていたそうで、愛媛県周辺も仕事で
訪れた事があり、土地の人の人情に惹かれ、今回お参りしたそうです。
観光も兼ねての今回のお遍路。
地元の滋賀県と比べ、伊予の国は、やはり温暖だそうです。
***********
今回のお参りは八坂寺でしたが、先にも登場した衛門三郎の、亡くなった
八人の子供達にまつわる場所について、一言。
人が亡くなり、葬られた場所に祀られる『塚』。
八人の子供達が葬られた地という事で、松山市には『八塚』という地名が
今もあるそうです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
徒歩で、目的地である第四十七番札所、熊野山・八坂寺へと向かう一行
この周辺は札所が密集している地域で、田園風景を楽しみながら行くのも
よいかもしれません。
***********
途中、他の歩き遍路の方とも会いますが、収録しながら歩く3
人のようにしゃべりながら行く人はいません。
通常、罪障消滅を願って行うお遍路は、陀羅尼を唱えながら行くもので、
おしゃべりしたり、キョロキョロしながら歩くものではありません。
・・・などと言いながら行っている内に、道に迷ってしまった一行
(笑)
***********
歩いていると、視覚・聴覚から色々な情報が入って来ます。
鳥の声に、時には癒され、時には励まされ。
また、野に咲く花に季節を感じ。
道中、民家の庭先に梅が咲いていました。
梅の徳分を表現したのが、『花兄』という呼び名です。
厳しい冬を乗り越え、ようやく巡って来た春。
どの花よりも先に咲いて、他の花が開くのを待っている、その姿。
仄かな香りながら、遠くまで漂い、我々を導いてくれる。
昼も夜も分け隔てなく、美しい香りを放ち続ける。
・・・そんな、控えめでありながらも、しっかりとした性格を、昔の人は
『兄』と表現したのでしょう。
***********
八坂寺の『八』から連想されるのが、前回も登場した衛門三郎です。
一夜の宿と食事をお願いした空海さまを口汚く罵り、鉄鉢を八つに割ると
ほどなくして八人の子供を相次いで亡くしたという衛門三郎。
真偽については色々言われていますが、人間として一番やってはならない
『身なりで他人を判断する』という事に対する戒めを、後世に伝えるため
多少大袈裟になっている部分はあるかもしれません。
***********
八坂寺に到着した一行。
道中で地元のおばちゃんとの話に熱中するあまり、おいてけぼりになった
米裕さんも、山門前でようやく合流
この山門は、小川にかかる橋の上にあって、しかもお飾りがあるという、
大変に特徴のあるものです。
実は、こちらのお寺には役行者の影響があり、熊野権現さんをお迎えした
修験道が色濃く反映したお寺で、神社のような雰囲気も漂っています。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、炎に包まれたお坊さんの写真を見て、
「火あぶりの刑や!」
・・・と大騒ぎしていますが、実はこれ、火渡りの行を写したものです。
屋外で採燈護摩を行った後、火が残った中を歩く修行です。
「心頭滅却すれば火もまた凉し。」
・・・という言葉を説明するたけやんですが、ごんたは
「武士は食わねど高楊枝。」
・・・と混同しているようです。
一般の人なら無理な事も、修行を積んだお坊さんなら、怪我することなく
行う事が出来るのです。
他にも、煮えたぎった熱湯を、頭から次々に被る『湯加持』という修行も
あるそうですが、ごんたが連想したのは、石川五右衛門だった様で
す(笑)
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次は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
滋賀からいらした御夫婦、奥さんのお腹には赤ちゃんがいるそうです
御主人は、かつてバスの運転手をされていたそうで、愛媛県周辺も仕事で
訪れた事があり、土地の人の人情に惹かれ、今回お参りしたそうです。
観光も兼ねての今回のお遍路。
地元の滋賀県と比べ、伊予の国は、やはり温暖だそうです。
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今回のお参りは八坂寺でしたが、先にも登場した衛門三郎の、亡くなった
八人の子供達にまつわる場所について、一言。
人が亡くなり、葬られた場所に祀られる『塚』。
八人の子供達が葬られた地という事で、松山市には『八塚』という地名が
今もあるそうです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回のお参りは第四十六番札所、医王山・浄瑠璃寺です。
こちらのお寺、院号は『養珠院』。
『珠』とは、仏さまの持つ宝を凝縮した『宝珠』を意味していますので、
「珠を磨き、養え」という、密教の根本を表した、有り難いお名前です。
山号に『医王』とくれば、御本尊はお薬師さま。
正式には『薬師瑠璃光如来』とおっしゃいます。
科学の発達した現代にあっても、お薬師さまのお名前である『瑠璃』色は
人間の手では作る事が出来ない、有り難く貴重なものです。
かつて、室戸の地で、早朝に座禅・瞑想していたこうゆうさん。
夜が明ける寸前、空と海の青が一つになる瞬間を目の当たりにされた時、
夜と昼の境目に表れ出る色が、瑠璃色なのでは?と思われたそうです
お薬師さまの住まわれる地は、東方瑠璃光浄土。
そして、そのお薬師さまの両脇には、日光・月光の両菩薩さま。
・・・そこに答えはあるようです。
***********
境内には、正岡子規の句碑があります。
『永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺』
衛門三郎とは、かつて、この地で勢力を振るった豪族です。
隆盛を極めていた絶頂期、巡錫中の空海さまに対する無礼が仏罰を呼び、
次々と不幸に見舞われた事から、後に改心。
空海さまに謝罪したい一心で、四国中を歩き、空海さまを追った足跡が、
現在のお遍路の基礎となりました。
『永き日』。
その意味する事とは、何なのでしょう。
衛門三郎がお遍路を始めた、遥か遠い日の事か。
その日から今日までの永きにわたり、お遍路が受け継がれている事か。
それとも、これから未来永劫、お遍路が続いてゆく事か。
過去から未来へ。
思いを巡らせるのも、なかなか味わい深いものがあります。
衛門三郎のエピソードは、十二番・焼山寺の記事を御参照下さい。
http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/47/
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
男が二人、話し込んでいます。
どうやら、村の『三坂峠』という難所の事で、困っている様子
なんでも、隣村からせっかく鍋を買ってきても、この場所を通りかかると
誰もがその鍋を落として、割ってしまうとの事。
村にある唯一の鍋は、今年70歳になるオタキ婆さんが、22歳の頃に、
辛うじて割らずに持ち帰る事に成功したものですが、その年代物の鍋に、
穴が開きかけているそうです。
峠道、頭上には岩の出っ張り、そして足元は湧き水と苔。
上に注意していると、足を滑らせて転んでしまう。
足元に気をつけていると、岩に頭をぶつけて、やっぱり転んでしまう。
オタキ婆さんの家に嫁いで25年になる奥さん、隣村で買った大事な鍋を
一度として無事に持ち帰った事がなく、大層悔しい思いをしている様子。
「あの出っ張りをなんとかしてくれた者には、我が娘を嫁にやる。」
・・・そんな奥さんの言葉を聞いた男衆、峠の岩を動かそうとしますが、
硬くて大きなその岩は、ビクともしません。
そんな所を通り掛った、一人のお坊さん。
岩を指差し、何事かを唱えたところ、岩は真っ二つに割れたそうです
第四十六番札所の境内には、その時に砕けた岩の半分が残っていますが、
運ぶ時についたモッコの網目から『網掛石』と呼ばれています。
岩を砕いたお坊さんは、皆さん御想像の通り、空海さま。
でも、当然ながら、娘さんを嫁にはもらいませんでした
***********
こちらのお寺、境内には仏足石や説法石など、見所が色々とありますが、
中でも有名なのが、伊吹柏槇(イブキビャクシン)。
別名を『籾大師』という、この老巨木。
お大師さまのお手植えと伝えられています。
空海さまには、お加持をして植物を元気にしたという伝説がありますが、
分かり易い形で、仏さまのみ教えを広めようとされたのでしょう。
***********
浄瑠璃寺の開基は、行基菩薩さまです。
当時は東大寺の開眼供養の頃で、その功徳が地方にも行き渡るようにと、
各地を巡錫し、お寺を建立なさったのだそうです。
大きな事業を行うに当たっては、寄付を募るために各地を奔走する事が、
現代では当たり前になっています。
遠い古代の考え方。
見直したいものです
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
こちらのお寺、院号は『養珠院』。
『珠』とは、仏さまの持つ宝を凝縮した『宝珠』を意味していますので、
「珠を磨き、養え」という、密教の根本を表した、有り難いお名前です。
山号に『医王』とくれば、御本尊はお薬師さま。
正式には『薬師瑠璃光如来』とおっしゃいます。
科学の発達した現代にあっても、お薬師さまのお名前である『瑠璃』色は
人間の手では作る事が出来ない、有り難く貴重なものです。
かつて、室戸の地で、早朝に座禅・瞑想していたこうゆうさん。
夜が明ける寸前、空と海の青が一つになる瞬間を目の当たりにされた時、
夜と昼の境目に表れ出る色が、瑠璃色なのでは?と思われたそうです
お薬師さまの住まわれる地は、東方瑠璃光浄土。
そして、そのお薬師さまの両脇には、日光・月光の両菩薩さま。
・・・そこに答えはあるようです。
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境内には、正岡子規の句碑があります。
『永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺』
衛門三郎とは、かつて、この地で勢力を振るった豪族です。
隆盛を極めていた絶頂期、巡錫中の空海さまに対する無礼が仏罰を呼び、
次々と不幸に見舞われた事から、後に改心。
空海さまに謝罪したい一心で、四国中を歩き、空海さまを追った足跡が、
現在のお遍路の基礎となりました。
『永き日』。
その意味する事とは、何なのでしょう。
衛門三郎がお遍路を始めた、遥か遠い日の事か。
その日から今日までの永きにわたり、お遍路が受け継がれている事か。
それとも、これから未来永劫、お遍路が続いてゆく事か。
過去から未来へ。
思いを巡らせるのも、なかなか味わい深いものがあります。
衛門三郎のエピソードは、十二番・焼山寺の記事を御参照下さい。
http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/47/
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
男が二人、話し込んでいます。
どうやら、村の『三坂峠』という難所の事で、困っている様子
なんでも、隣村からせっかく鍋を買ってきても、この場所を通りかかると
誰もがその鍋を落として、割ってしまうとの事。
村にある唯一の鍋は、今年70歳になるオタキ婆さんが、22歳の頃に、
辛うじて割らずに持ち帰る事に成功したものですが、その年代物の鍋に、
穴が開きかけているそうです。
峠道、頭上には岩の出っ張り、そして足元は湧き水と苔。
上に注意していると、足を滑らせて転んでしまう。
足元に気をつけていると、岩に頭をぶつけて、やっぱり転んでしまう。
オタキ婆さんの家に嫁いで25年になる奥さん、隣村で買った大事な鍋を
一度として無事に持ち帰った事がなく、大層悔しい思いをしている様子。
「あの出っ張りをなんとかしてくれた者には、我が娘を嫁にやる。」
・・・そんな奥さんの言葉を聞いた男衆、峠の岩を動かそうとしますが、
硬くて大きなその岩は、ビクともしません。
そんな所を通り掛った、一人のお坊さん。
岩を指差し、何事かを唱えたところ、岩は真っ二つに割れたそうです
第四十六番札所の境内には、その時に砕けた岩の半分が残っていますが、
運ぶ時についたモッコの網目から『網掛石』と呼ばれています。
岩を砕いたお坊さんは、皆さん御想像の通り、空海さま。
でも、当然ながら、娘さんを嫁にはもらいませんでした
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こちらのお寺、境内には仏足石や説法石など、見所が色々とありますが、
中でも有名なのが、伊吹柏槇(イブキビャクシン)。
別名を『籾大師』という、この老巨木。
お大師さまのお手植えと伝えられています。
空海さまには、お加持をして植物を元気にしたという伝説がありますが、
分かり易い形で、仏さまのみ教えを広めようとされたのでしょう。
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浄瑠璃寺の開基は、行基菩薩さまです。
当時は東大寺の開眼供養の頃で、その功徳が地方にも行き渡るようにと、
各地を巡錫し、お寺を建立なさったのだそうです。
大きな事業を行うに当たっては、寄付を募るために各地を奔走する事が、
現代では当たり前になっています。
遠い古代の考え方。
見直したいものです
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!