忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2025/05/14 19:07 |
【20番】霊鷲山・鶴林寺 《きくへんアルバム》
第二十番札所、霊鷲山・鶴林寺のアルバムです

080209_01.jpg
「おつるさん」と呼ばれ、親しまれている鶴林寺。
こちらは大師堂です。
この日は霧が深く、幽玄な雰囲気を味わうことができました

080209_02.jpg
三重塔もまた幽玄です。

080209_03.jpg
山門を入ってすぐ右にある、地蔵尊を祀ってある六角堂。

080209_04.jpg
本尊御降臨の杉の木です。
PR

2008/02/09 17:34 | Comments(0) | TrackBack() | きくへんアルバム
【20番】霊鷲山・鶴林寺 《放送内容》
今回のお参りは第二十番札所、霊鷲山・鶴林寺です。

雨の中での取材となった今回、山深い場所に位置するこちらのお寺には、
周囲に雲が立ち込め、幽玄な雰囲気を醸し出しています。

***********

山号の霊鷲山(りょうじゅさん)は、かつてお釈迦さまがよく説法された
天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)に形が似ている事に由来するそうです。

院号を『宝珠院』と証する事実から、御本尊は宝珠を持った仏さま、即ち
地蔵菩薩さまである事が分かります。

通常、お寺の山門には仁王さまがいらっしゃいますが、こちらのお寺では
その名前の通り、2羽の鶴が参拝者を出迎えてくれます。

お大師さまが修行中にこの地を訪れた際、杉の梢から光明が放たれており
見れば2羽の鶴が、金色に輝くお地蔵さまをお守りしていた
との事。

これを御覧になったお大師さまは、一刀三礼で地蔵菩薩像を彫り上げて、
金色のお地蔵さまを胎内に納めて、御本尊とされたそうです。

尚、本尊御降臨の杉の木は、本堂の裏に現存しているそうです。

***********

こちらのお寺には、お地蔵さまのお役目である『代受苦』を端的に示す、
一つの伝説が残されています。

-----------

昔、一人の猟師が、猪を追って矢を放ったところ、矢を受けたその猪は、
鶴林寺へと逃げ込み、本堂の前で姿を消しました。

猟師が周囲を捜しても、猪の姿はどこにもなく、代わりに見つけたのが、
胸に矢を受けて血を流す、御本尊のお地蔵さまでした。

自らの罪深さを深く懺悔したというその猟師のお墓は、『猟師塚』として
今も残っています。

-----------

見て分かる通り、お地蔵さまは『僧形』、即ちお坊さんのお姿です。
これは、我々により近い場所に降り立ち、衆生の苦しみを代りに受ける、
というお働きを表したものです。

野辺に多くおまつりされ、大勢の人々から信仰され、慕われているのも、
そのお役目を考えれば、納得出来ます。

猪の苦しみを除くと共に、猟師に信仰の目を開かせたお地蔵さまのお姿は
先に述べた通り僧形、つまり、厳しい戒律の下に身を置く立場です。

ですから、代りに苦しみを受けて頂く立場である我々も、自らの罪深さを
十分に自覚して、自身を戒める心構え
が必要です。

***********

本堂の奥には、古い三重塔があります。

塔と言えば、その立派な外見に目を奪われがちですが、本当に重要なのは
建物によって守られている、中央の『芯柱』です。

これは『仏塔』であり、その高さが高いほど、仏さまのみ教え・御威光
より遠くから感じる事が出来るものとされています。

その大きさから「どこにいても、仏さまが見守って下さっている」という
安心感を得る事が出来ます。

そんな三重塔を、ぜひ間近でじっくり鑑賞し、有り難い仏さまの御威光を
肌で感じて頂きたい、とおっしゃるこうゆうさん

***********

さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記
険しい山道を、ごんたとたけやんは、やっとの思いで上って来ました。

たけやん、お寺の名前になっている『鶴林』という言葉についての薀蓄を
ごんたに語って聞かせております。

-----------

お釈迦さまが入滅なさる時に身を横たえられた沙羅双樹は、供養する様に
お釈迦さまの上に花を舞い散らせ、木全体も真っ白な花を満開に咲かせて
その様は、あたかも白い鶴が羽を広げたかのようだった・・・

この様を指して、『鶴林』と言う。

-----------

「だから、鶴林寺の御本尊は、元々はお釈迦さまだったのでは?」
・・・というのが、たけやんの推測です。

現在の御本尊は、猟師の伊三太に信仰の目を開かせた『矢負地蔵』さま

御本尊自ら矢を受けられた理由は、傷を負った大猪を助けるためなのか、
伊三太が殺生禁断の掟を破った事を諌めるためか、それとも殺生自体か、
それまでの因縁を分からせるためか・・・。

一つ言えるのは、伊三太が仏道へ進むべき時が来ていた、という事です。

***********

さて、ここで杉本さんからの質問
「お寺の名前は、どのようにつけられるのですか?」

対する、こうゆうさんの回答

 仏教用語や経典、お釈迦さまのお言葉から。
 伝記や伝承、縁起から。
 その土地の名前から。

市町村の合併などで、土地の古い名前が次々に消えているという実情は、
本当に嘆かわしく、残念な事です

ですから、お寺の名前などから、その土地の歴史や伝承を勉強する事は、
これまで以上に大事なことになりそうです。

***********

番組の最後に、米裕さんが鶴林寺での思い出をお話し下さいました。

十年ほど前、米裕さんはこちらのお寺に宿泊された時の事。
夜、物音に気付き窓から外を見ると納経所で宿をとる、歩き遍路の方
いらしたそうです(現在は不可)。

宿に招き入れるのは修行の妨げになると考えた米裕さん、御自身の毛布を
お遍路さんにお貸しした
そうです。

これぞまさしく『菩薩行』!!
・・・結果、米裕さんは風邪をひかれたそうですが(笑)

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2008/02/04 21:43 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【19番】橋池山・立江寺 《きくへんアルバム》
第十九番札所、橋池山・立江寺のアルバムです

080126_01.jpg
太鼓橋と仁王門です。
この太鼓橋が山号の由来になったとかならないとか。。。

080126_02.jpg
鐘楼堂です。

080126_03.jpg
大師様像です。

080126_04.jpg
鳩に豆をやるおじいちゃん。
地元の方々に愛されている立江寺。
ほのぼのした光景ですね

2008/01/26 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | きくへんアルバム
【19番】橋池山・立江寺 《放送内容》
今回のお参りは第十九番札所、橋池山・立江寺です。

山門前にある小さな太鼓橋が山号の由来かとも思われますが、詳しい事は
伝わっていません。
周囲には、生活感のある、小さな門前町が広がっています。

***********

さまざまな焼き色の瓦で、歴史を感じさせてくれる山門には、大わらじ
奉納されていますが、ここには特別な思い出があると言うこうゆうさん。

数年前、こうゆうさんは、ジャイアント馬場さんの奥様とこちらを訪れ、
亡くなった馬場さんの供養を兼ねてお参りをされたそうですが、その時に
山門の大わらじを見た馬場さんの奥様が、号泣し始めたそうです

幼少期は、その体格ゆえに、色々と辛い思いをされた馬場さん。
特に昔は『大きい足』を嫌う傾向がありましたが、ある日、この立江寺へ
馬場さんの幸せと健康を祈るためお参りされたお母様が、大わらじを見て
「お前より大きい足の人がいて、良かったなあ・・・とおっしゃった、
とのこと。

大わらじを目にした奥様は、そんなエピソードを話してくれた亡き義母、
そして御主人を思い出し、懐かしさと寂しさがこみ上げて来たのでした

***********

静かな境内のそれぞれの建物は、立派な多宝塔を始めとして、古いながら
よく手入れが行き届いています。

お寺は、過ちを犯した者が懺悔のためにお参りするのみでなく、犯罪人が
追っ手から逃れるため、僧侶の姿を借りて身を隠す
、といったような事も
かつては行われたようです。

こちらのお寺は、そんな罪人を見つけ出すために、人相や出所を確認する
『四国総関所』の機能も果たしていた、こちらの立江寺。

そのせいか、山門をくぐると背筋が伸びる思いだった・・・
というのが、杉本さんの感想です

***********

さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
今回は、立江寺の『黒髪堂』にまつわるお話です。

寿命あるもの全てを救う、というお働きの地蔵菩薩さま
魂が正しい方を向いていれば優しく微笑み、間違っていれば、道を正して
下さいます

ここ立江寺の御本尊である地蔵大菩薩さまは、その昔、少々手荒い方法
人を導いた事があるそうです。

大阪の芸子・お京は、要助という男と夫婦となって、故郷の石州浜田へと
帰りますが、やがて田舎の退屈な暮らしに飽きて、鍛冶屋長蔵という男と
深い仲になります

ある日、長蔵との仲を要助に知られたお京は、夫を殺めてしまいます

罪を逃れるため海を渡り、お遍路として立江寺へやって来たお京と長蔵。
賽銭を失敬しようとした正にその時、次第に近づいて来る錫杖の音に驚き
身を隠そうとした所、打ち鳴らしの『鰐口』の緒にお京の黒髪が巻きつき
そのまま吊り上げられてしまいました。

苦痛にもがくお京と、狼狽する長蔵の元に来たのは、立江寺の住職。
お京の過去を見抜き、御本尊の「道が違う、改心させよ」というお言葉を
二人に伝えました。

お京が懺悔すると、黒髪は頭皮もろ共抜け、お京は地面へと落ちました。

以後二人は改心して庵を結び、要助の供養とお地蔵さまへの信仰の日々を
送ったそうです。

『肉付鐘の緒』は黒髪堂にまつられ、現在でも目にする事が出来ます。

***********

平日のお昼頃という事で、境内は非常に静かですが、仕事の合間の男性や
お婆さん、主婦など、地元の方のお参りを多く見かけます。

その地に根ざした、地蔵菩薩さまへの厚い信仰を窺い知る事が出来ます。

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2008/01/24 00:55 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【18番】 母養山・恩山寺 《きくへんアルバム》
第十八番札所、母養山・恩山寺のアルバムです

080112_01.jpg
「びらんじゅ」を眺める3人。

080112_02.jpg
お大師様像。
どっしりと力強いお姿です

080112_03.jpg
石柱の文字にかたつむり発見

080112_04.jpg
今日も無事お参りを終えることができました。
お疲れ様でした

2008/01/12 17:35 | Comments(0) | TrackBack() | きくへんアルバム

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]