今回のお参りは第二十二番札所、白水山・平等寺です。
仏教で大事にされている『五色』・・・白・黄・赤・青・黒という五色が
最も似合う山門、というのが、こうゆうさんの印象。
お大師さまがこの地で修行なさっていた当時、空にたなびく五色の雲に、
金色の梵字が浮かび上がり、それが薬師如来のお姿に変じたそうです。
***********
寺号に含まれている『平等』という言葉。
我々は『全てが同列・同質』という意味に捉えがちです。
しかし仏教的には、それぞれ個性の異なるものが、互いを重んじながら、
高め合う、という事だそうです。
お寺に掲げられた『五色』の幕が、その象徴。
本堂の向こうに広がる風景を見ると、自然に生育した様々な種類の木が、
全体としては見事に統一され、素晴らしい眺めとなっています。
***********
山門から階段を50メートルほど上った所に、『弘法の霊水』と呼ばれる
井戸があります。
修行に際し、お大師さまが清らかな水を求められて錫杖で地面を掘ると、
乳白色の水が湧き出た、との事。
『白水山』という山号は、この故事によるものと思われます。
(別の説もあるようですが・・・詳しくは『凸凹同行記』にて。)
功徳があり、体に良いお水を頂いたお大師さまは、百日の行を修められ、
御本尊の薬師如来像を彫り上げたそうです。
***********
さてここで、こうゆうさんの一口メモ
井戸の定義とは?
1.きれいな水が湧き出ている事。
2.たくさん湧き出ている事。
3.常に湧き出ている事。
蛇口をひねれば、きれいな水を好きなだけ使える生活に慣れている身では
あまり意識しませんが、人々が『利用』し、役割を果たすに足りる井戸は
これらの条件を満たしていなければなりません。
してみれば、井戸の貴重さが理解出来るかと思います。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
平等寺の門前で鳴門金時を頬張りながら、薩摩芋についての細かい知識を
重箱の隅をつつくが如く披露するごんたに、少々呆れ顔のたけやん
お返しに(?)山号の『白水山』という呼び名の由来を聞かせます。
お大師さまが掘り当てた井戸の水が、白く濁っていた、という話ですが、
三百年ほど前の記録では、清らかに澄んだ泉が湧き出ていた、との事。
この『泉』という文字を分解して山号の『白水』とした・・・という説。
使う人の心が清らであれば、澄んだ水が湧き出て、汚れた人が使うなら、
白く濁った水が・・・
「お大師さまの掘り当てた白い水の話は、汚れた人のデッチ上げか?」
ヒネクレて、偏った考えのごんたに、ウンザリのたけやん。
その事を指摘されたごんた、スネて、一人でお寺へと向かいます
・・・が、閣魔堂の十王に睨まれて、泣きながら帰ってきてしまいます
実は、先ほどの鳴門金時の料金を、一本分ごまかしていたごんた
そのような悪事を働いたなら、閻魔さまに見抜かれて餓鬼道に落とされ、
始終腹を空かせていなければならないと聞き、お店へ戻って行きますが、
キチンとお代を払うのかと思いきや・・・
「餓鬼道へ落ちた時のため、今の内に鳴門金時を食いだめしておく」
・・・という事だそうです。
***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ
干し柿や鮎など、季節毎の食べ物を、車で移動販売をしているお母さん
年中無休でお店を開き、全国からの様々な参拝者と出会ったそうですが、
印象に残ったお遍路さんは、三味線を弾く東北地方の方、との事。
商売をしていると、色々な出会いがあるのが楽しみだそうです
***********
お薬師さまは、病気平癒がお役目ですが、それぞれのお寺の御本尊により
眼病やのど、肺、等々・・・『得意分野』が異なるそうです。
因みに平等寺では『足腰に効くお守り』が扱われていますので、御本尊の
得意とされる方面は、そちら・・・という事になります。
実際、霊水を頂いて足が治り、その後のお参りを無事修めたというお話も
伝わっており、その事を裏付けるように、『お駕籠』など、現代で言えば
車椅子に当る道具などが数多く奉納されています。
次の二十三番札所を修めれば、阿波の国ともお別れ。
遂に修行の道場、土佐の国へと向かいますが、その前にこちらの平等寺で
足腰を手入れし、体を整えて、いざ出発!!
各札所を独立した『点』で見るのではなく、この様に四国全体を見渡し、
ストーリー立てて理解すれば、お遍路をより深く理解出来ます
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
仏教で大事にされている『五色』・・・白・黄・赤・青・黒という五色が
最も似合う山門、というのが、こうゆうさんの印象。
お大師さまがこの地で修行なさっていた当時、空にたなびく五色の雲に、
金色の梵字が浮かび上がり、それが薬師如来のお姿に変じたそうです。
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寺号に含まれている『平等』という言葉。
我々は『全てが同列・同質』という意味に捉えがちです。
しかし仏教的には、それぞれ個性の異なるものが、互いを重んじながら、
高め合う、という事だそうです。
お寺に掲げられた『五色』の幕が、その象徴。
本堂の向こうに広がる風景を見ると、自然に生育した様々な種類の木が、
全体としては見事に統一され、素晴らしい眺めとなっています。
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山門から階段を50メートルほど上った所に、『弘法の霊水』と呼ばれる
井戸があります。
修行に際し、お大師さまが清らかな水を求められて錫杖で地面を掘ると、
乳白色の水が湧き出た、との事。
『白水山』という山号は、この故事によるものと思われます。
(別の説もあるようですが・・・詳しくは『凸凹同行記』にて。)
功徳があり、体に良いお水を頂いたお大師さまは、百日の行を修められ、
御本尊の薬師如来像を彫り上げたそうです。
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さてここで、こうゆうさんの一口メモ
井戸の定義とは?
1.きれいな水が湧き出ている事。
2.たくさん湧き出ている事。
3.常に湧き出ている事。
蛇口をひねれば、きれいな水を好きなだけ使える生活に慣れている身では
あまり意識しませんが、人々が『利用』し、役割を果たすに足りる井戸は
これらの条件を満たしていなければなりません。
してみれば、井戸の貴重さが理解出来るかと思います。
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さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
平等寺の門前で鳴門金時を頬張りながら、薩摩芋についての細かい知識を
重箱の隅をつつくが如く披露するごんたに、少々呆れ顔のたけやん
お返しに(?)山号の『白水山』という呼び名の由来を聞かせます。
お大師さまが掘り当てた井戸の水が、白く濁っていた、という話ですが、
三百年ほど前の記録では、清らかに澄んだ泉が湧き出ていた、との事。
この『泉』という文字を分解して山号の『白水』とした・・・という説。
使う人の心が清らであれば、澄んだ水が湧き出て、汚れた人が使うなら、
白く濁った水が・・・
「お大師さまの掘り当てた白い水の話は、汚れた人のデッチ上げか?」
ヒネクレて、偏った考えのごんたに、ウンザリのたけやん。
その事を指摘されたごんた、スネて、一人でお寺へと向かいます
・・・が、閣魔堂の十王に睨まれて、泣きながら帰ってきてしまいます
実は、先ほどの鳴門金時の料金を、一本分ごまかしていたごんた
そのような悪事を働いたなら、閻魔さまに見抜かれて餓鬼道に落とされ、
始終腹を空かせていなければならないと聞き、お店へ戻って行きますが、
キチンとお代を払うのかと思いきや・・・
「餓鬼道へ落ちた時のため、今の内に鳴門金時を食いだめしておく」
・・・という事だそうです。
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続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ
干し柿や鮎など、季節毎の食べ物を、車で移動販売をしているお母さん
年中無休でお店を開き、全国からの様々な参拝者と出会ったそうですが、
印象に残ったお遍路さんは、三味線を弾く東北地方の方、との事。
商売をしていると、色々な出会いがあるのが楽しみだそうです
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お薬師さまは、病気平癒がお役目ですが、それぞれのお寺の御本尊により
眼病やのど、肺、等々・・・『得意分野』が異なるそうです。
因みに平等寺では『足腰に効くお守り』が扱われていますので、御本尊の
得意とされる方面は、そちら・・・という事になります。
実際、霊水を頂いて足が治り、その後のお参りを無事修めたというお話も
伝わっており、その事を裏付けるように、『お駕籠』など、現代で言えば
車椅子に当る道具などが数多く奉納されています。
次の二十三番札所を修めれば、阿波の国ともお別れ。
遂に修行の道場、土佐の国へと向かいますが、その前にこちらの平等寺で
足腰を手入れし、体を整えて、いざ出発!!
各札所を独立した『点』で見るのではなく、この様に四国全体を見渡し、
ストーリー立てて理解すれば、お遍路をより深く理解出来ます
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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