今回のお参りは第二十七番札所、竹林山・神峯寺です。
お寺の名前が示す通り、かつて神が降り立ったという伝説のあるこの地。
そんな、神への信仰が盛んだったこの場所に、行基さまが十一面観音像を
祀られたのが、こちらのお寺の始まりです。
***********
海岸沿いから、山へと分け入って行くルートの参道は非常に細く、バスは
通る事が出来ないため、地元のタクシーにお世話になる必要があります
その様な難所とも言える山道を登ると、ひんやりと気持ちのよい空気と、
絶景の太平洋を望む事が出来ます
時代を感じさせる山門に対し、近年修復されたばかりの仁王像は、大変に
鮮やかです。
***********
ここで、こうゆうさんの一口メモ
仁王さまの背後の衣が、縦に立っているのは何故か?
実は、お寺の山門で拝見できる仁王さまのお姿は、天から飛び降りて来た
正にその瞬間を表現している、との事。
『立っている』と見える衣、本当は『たなびいている』状態なのです
仏像は勿論、静止しています。
でも実際の仏さまは様々なお役目を持ち、常にお働きになっている・・・
そんな風に思いを馳せる事が大事だと思います。
***********
こちらの神峯寺は、土佐の国の『関所寺』として、お参りする一人一人を
チェックするという重要な機能がありましたですが、もう一つ大事なのは
心のチェックポイントとしての札所、と言う事。
それまでの行動や心持ちを改めて、しっかりと心の底から懺悔した後に、
次の修行へと向かうことが大事でしょう。
***********
鐘楼堂の奥に湧く霊水は、土佐の名水としても知られる『神峯の水』。
口当たりの柔かい、功徳のあるお水です
夢の中でお大師さまに導かれ、ここに辿り着いた女性が霊水を口にすると
重い病が治った、という言い伝えがあるそうです。
各札所には、いわれのある湧き水などが多くありますので、お遍路の際は
『お水』をテーマに巡るのも良いかもしれません。
御家族へのお土産に持ち帰っても、喜ばれることでしょう
***********
さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『真っ縦』と呼ばれる、傾斜角45度の急な山道を登り終えた!!
・・・と思ったら、更に上へと続く、155段の石段
しかも、あまり整備されていない階段なので、歩きにくい。
思わず愚痴の出るごんたに対し、歩きにくい石段の意味を説くたけやん。
人間には『慣れ』というものがあります。
整備された、規則正しい石段に慣れると、無意識ですいすい登れます
でも、ついさっきまで、急な坂道を歩いてきた足には、気付かないうちに
かなりの疲労が溜まっています。
そんな中で『慣れ』に任せ、ヒョイヒョイと何も考えずに登っていると、
疲れで足をもつれさせたり、石段を踏み外した挙句に転げ落ちて大怪我、
運が悪ければ、命まで・・・と言う様な事にもなりかねません。
「歩きにくい」と感じたなら、注意を払いながら登るのが人間です
せっかくのお参り、悲しい事故が起こる事のない様に、との心遣いから、
『敢えて』歩きにくい石段にしてあるのです。
真意を汲み取る事なく、少しの事に不平ばかり並べ立てる人がいますが、
そこに『信仰』はありません。
***********
お寺の石柱に『真言宗・豊山(ぶざん)派』の文字を目に留めた杉本さん
真言宗には古義・新義という二つの大きな流派があります。
かつて高野山が乱れた時代、真言宗を立て直すために改革を行ったのが、
覚鑁(かくばん)さま。
この教えの流れを汲む流派をまとめて『新義派』と呼んでおり、その中に
豊山派・智山派などが含まれます。
一方の『古義派』には高野山真言宗や東寺真言宗、御室派等がありますが
教義自体は、どちらも同じです。
***********
最後は、出演者お三方そろっての、手ぬぐい談義
お遍路に出ると、お参りの前など、手を洗う事が多くなります
杉本さんは、幼稚園の子供が、安全ピンでハンカチを服に留めている事の
機能性・実用性を再認識したようです。
お坊さんは、腰を絞る縄に、手ぬぐいを引っ掛けておくスタイル。
これだと、手をすぐに拭く事が出来ますし、ポケットに入れるのに比べて
乾きが圧倒的に早い・・・という、一石二鳥
名前の由来である『手を拭う』という役目は勿論の事、ものを包んだり、
防寒(頬被り)といった優れた機能も持つ、我らの日本手ぬぐい。
特に女性の場合は、手ぬぐいで顔を隠す事で、男性に邪な心が起こるのを
防ぐ役目も果たしていたようです
暑くて紫外線の強い季節は、日焼け防止にも活躍する『日本てぬぐい』。
古来からの伝統を見直すと共に、時代に合った使い方を考えてみるのも、
意義深い事かもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
お寺の名前が示す通り、かつて神が降り立ったという伝説のあるこの地。
そんな、神への信仰が盛んだったこの場所に、行基さまが十一面観音像を
祀られたのが、こちらのお寺の始まりです。
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海岸沿いから、山へと分け入って行くルートの参道は非常に細く、バスは
通る事が出来ないため、地元のタクシーにお世話になる必要があります
その様な難所とも言える山道を登ると、ひんやりと気持ちのよい空気と、
絶景の太平洋を望む事が出来ます
時代を感じさせる山門に対し、近年修復されたばかりの仁王像は、大変に
鮮やかです。
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ここで、こうゆうさんの一口メモ
仁王さまの背後の衣が、縦に立っているのは何故か?
実は、お寺の山門で拝見できる仁王さまのお姿は、天から飛び降りて来た
正にその瞬間を表現している、との事。
『立っている』と見える衣、本当は『たなびいている』状態なのです
仏像は勿論、静止しています。
でも実際の仏さまは様々なお役目を持ち、常にお働きになっている・・・
そんな風に思いを馳せる事が大事だと思います。
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こちらの神峯寺は、土佐の国の『関所寺』として、お参りする一人一人を
チェックするという重要な機能がありましたですが、もう一つ大事なのは
心のチェックポイントとしての札所、と言う事。
それまでの行動や心持ちを改めて、しっかりと心の底から懺悔した後に、
次の修行へと向かうことが大事でしょう。
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鐘楼堂の奥に湧く霊水は、土佐の名水としても知られる『神峯の水』。
口当たりの柔かい、功徳のあるお水です
夢の中でお大師さまに導かれ、ここに辿り着いた女性が霊水を口にすると
重い病が治った、という言い伝えがあるそうです。
各札所には、いわれのある湧き水などが多くありますので、お遍路の際は
『お水』をテーマに巡るのも良いかもしれません。
御家族へのお土産に持ち帰っても、喜ばれることでしょう
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さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『真っ縦』と呼ばれる、傾斜角45度の急な山道を登り終えた!!
・・・と思ったら、更に上へと続く、155段の石段
しかも、あまり整備されていない階段なので、歩きにくい。
思わず愚痴の出るごんたに対し、歩きにくい石段の意味を説くたけやん。
人間には『慣れ』というものがあります。
整備された、規則正しい石段に慣れると、無意識ですいすい登れます
でも、ついさっきまで、急な坂道を歩いてきた足には、気付かないうちに
かなりの疲労が溜まっています。
そんな中で『慣れ』に任せ、ヒョイヒョイと何も考えずに登っていると、
疲れで足をもつれさせたり、石段を踏み外した挙句に転げ落ちて大怪我、
運が悪ければ、命まで・・・と言う様な事にもなりかねません。
「歩きにくい」と感じたなら、注意を払いながら登るのが人間です
せっかくのお参り、悲しい事故が起こる事のない様に、との心遣いから、
『敢えて』歩きにくい石段にしてあるのです。
真意を汲み取る事なく、少しの事に不平ばかり並べ立てる人がいますが、
そこに『信仰』はありません。
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お寺の石柱に『真言宗・豊山(ぶざん)派』の文字を目に留めた杉本さん
真言宗には古義・新義という二つの大きな流派があります。
かつて高野山が乱れた時代、真言宗を立て直すために改革を行ったのが、
覚鑁(かくばん)さま。
この教えの流れを汲む流派をまとめて『新義派』と呼んでおり、その中に
豊山派・智山派などが含まれます。
一方の『古義派』には高野山真言宗や東寺真言宗、御室派等がありますが
教義自体は、どちらも同じです。
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最後は、出演者お三方そろっての、手ぬぐい談義
お遍路に出ると、お参りの前など、手を洗う事が多くなります
杉本さんは、幼稚園の子供が、安全ピンでハンカチを服に留めている事の
機能性・実用性を再認識したようです。
お坊さんは、腰を絞る縄に、手ぬぐいを引っ掛けておくスタイル。
これだと、手をすぐに拭く事が出来ますし、ポケットに入れるのに比べて
乾きが圧倒的に早い・・・という、一石二鳥
名前の由来である『手を拭う』という役目は勿論の事、ものを包んだり、
防寒(頬被り)といった優れた機能も持つ、我らの日本手ぬぐい。
特に女性の場合は、手ぬぐいで顔を隠す事で、男性に邪な心が起こるのを
防ぐ役目も果たしていたようです
暑くて紫外線の強い季節は、日焼け防止にも活躍する『日本てぬぐい』。
古来からの伝統を見直すと共に、時代に合った使い方を考えてみるのも、
意義深い事かもしれません。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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