今回のお参りは第二十八番札所、法界山・大日寺です。
小高い山にあるこちらのお寺で、ぜひ味わって頂きたいのが、山門。
そこから見上げると、さまざまな大きさの自然石で組まれた石段の先に、
本堂の屋根が少しだけ見えており、
「登った先には、どの様な空間が広がっているのだろう?」
と、心が湧き立つような感覚が味わえるそうです。
***********
前回の神峯寺と同様、こちらのお寺も『関所寺』の役目があったそうで、
お遍路に紛れて、犯した罪から逃れようとする者をチェックするという、
重要な役割を果たしていました。
一方、現代のお遍路も、重大な問題をはらんでいます。
経済的な裕福さに反し、人間関係などによる精神的な問題を抱える人々が
お遍路を『現実逃避の場』として考える事が多くなりました。
歩く先々で触れ合う人々の暖かさ、人情
それを味わうため、お遍路を『ゴール地点』と考える人が増えています。
しかし、お遍路はあくまでも『修行の場』です。
各地を巡る中で学んだことを、現実の生活に戻った場面で活かしてこそ、
修行は完結し、そこで初めて、お遍路が意義あるものになるのです。
***********
白い砂が敷き詰められた境内は、昔の雰囲気を残す、素晴らしい造り。
それぞれの建物を見ても、あらゆる建築様式を味わう事が出来ます。
こちらの建物、縁の柱と基礎の間に、石が挟まれています。
実は、基礎のコンクリートと木は相性が悪いため、柱の腐食を防ぐ目的で
こういった工法が取り入れられているのだそうです。
建物の下には空間があり、猫等が入らぬ様、格子がはめ込まれています。
これは、地面と建物を離し、風通しをよくする事によって、建物の寿命を
伸ばすための工夫です。
***********
古来、お寺のお参りとは、上まで登って行くのではなく、下からそっと、
奥ゆかしく、お参りさせて頂くものでした。
古の空気が、そのまま流れているかのようなこちらのお寺へやって来ると
「上がらせて頂くのは、勿体無い。」
・・・と、こうゆうさんは思われるそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
二十八番札所・大日寺の奥の院には、お大師さまが爪で彫られたという、
『爪彫り薬師』が祀られています。
行く先々で、お大師さま自ら彫られたり、刻まれた仏像が残っている事に
感心するごんた
すると、お大師さまに限らず、出家したお坊さんは本来、仏画や彫刻など
多くの仏さまを作られるのがお役目で、事実、現代からごく近い時代にも
全国を行脚して、たくさんの仏像を残されたお坊さんがいらっしゃる事を
ごんたに教えるたけやん。
そこでごんた、どうして、そんなに多くの仏さまを残す必要があるのか
・・・という疑問が湧いて来ました。
すると逆に、ごんたに質問するたけやん。
「お前は何故、爪彫り薬師を見たいと思うんや?」
「そら、有り難いからや。」・・・というごんた。
それがつまり、多くの仏像がつくられる答えなのでした
人を助け、救いがある事を知らしめる場所であるお寺。
そのような『有り難い場所』が数多く存在すれば、それだけ多くの人々が
救われるのです。
***********
寺院建築の見所に、屋根の、芸術的なまでの『反り』が挙げられますが、
一般住宅の屋根に当然の様に備わっている『ある物』が、寺院の屋根には
ありません。
その『ある物』とは・・・『雨樋』
実は、雨樋という物は、随分と時代が下ってから登場したものなのです。
また、一般住宅に比べて、寺院の屋根は面積が広いため、少々の雨樋では
雨を受けきる事が出来ないだけでなく、溢れた大量の雨水が跳ね返って、
建物の木材を傷める恐れがあるのです。
では、お寺の屋根に降った雨水は、どの様に処理されているのでしょう
昔ながらの建築様式に則ったお寺の建物には、屋根の端の真下の地面に、
砂利を敷き詰めた、俗に『雨走り』と呼ばれる幅50cm程度の
溝があって、
雨水は、屋根からこの雨走りに直接落ちる仕組みになっています。
雨の朝、お堂に入らせて頂く時に、雨走りに落ちる『シャァーッ』という
心を落ち着かせてくれる音色を味わう事が出来るのは、住職の特権・・・
とおっしゃるのは、こうゆうさんです
***********
奥の院には、首から上の病気に効能があるとされる『爪彫り地蔵』さまが
祀られており、その横には、絶え間なく霊水が湧き出ています
穴の開いた自然石に、願事の書かれたものが数多く奉納されていますが、
この『穴の開いた』という事実は、『通ずる』という意味でもあるため、
仏教では重んじられます。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
小高い山にあるこちらのお寺で、ぜひ味わって頂きたいのが、山門。
そこから見上げると、さまざまな大きさの自然石で組まれた石段の先に、
本堂の屋根が少しだけ見えており、
「登った先には、どの様な空間が広がっているのだろう?」
と、心が湧き立つような感覚が味わえるそうです。
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前回の神峯寺と同様、こちらのお寺も『関所寺』の役目があったそうで、
お遍路に紛れて、犯した罪から逃れようとする者をチェックするという、
重要な役割を果たしていました。
一方、現代のお遍路も、重大な問題をはらんでいます。
経済的な裕福さに反し、人間関係などによる精神的な問題を抱える人々が
お遍路を『現実逃避の場』として考える事が多くなりました。
歩く先々で触れ合う人々の暖かさ、人情
それを味わうため、お遍路を『ゴール地点』と考える人が増えています。
しかし、お遍路はあくまでも『修行の場』です。
各地を巡る中で学んだことを、現実の生活に戻った場面で活かしてこそ、
修行は完結し、そこで初めて、お遍路が意義あるものになるのです。
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白い砂が敷き詰められた境内は、昔の雰囲気を残す、素晴らしい造り。
それぞれの建物を見ても、あらゆる建築様式を味わう事が出来ます。
こちらの建物、縁の柱と基礎の間に、石が挟まれています。
実は、基礎のコンクリートと木は相性が悪いため、柱の腐食を防ぐ目的で
こういった工法が取り入れられているのだそうです。
建物の下には空間があり、猫等が入らぬ様、格子がはめ込まれています。
これは、地面と建物を離し、風通しをよくする事によって、建物の寿命を
伸ばすための工夫です。
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古来、お寺のお参りとは、上まで登って行くのではなく、下からそっと、
奥ゆかしく、お参りさせて頂くものでした。
古の空気が、そのまま流れているかのようなこちらのお寺へやって来ると
「上がらせて頂くのは、勿体無い。」
・・・と、こうゆうさんは思われるそうです。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
二十八番札所・大日寺の奥の院には、お大師さまが爪で彫られたという、
『爪彫り薬師』が祀られています。
行く先々で、お大師さま自ら彫られたり、刻まれた仏像が残っている事に
感心するごんた
すると、お大師さまに限らず、出家したお坊さんは本来、仏画や彫刻など
多くの仏さまを作られるのがお役目で、事実、現代からごく近い時代にも
全国を行脚して、たくさんの仏像を残されたお坊さんがいらっしゃる事を
ごんたに教えるたけやん。
そこでごんた、どうして、そんなに多くの仏さまを残す必要があるのか
・・・という疑問が湧いて来ました。
すると逆に、ごんたに質問するたけやん。
「お前は何故、爪彫り薬師を見たいと思うんや?」
「そら、有り難いからや。」・・・というごんた。
それがつまり、多くの仏像がつくられる答えなのでした
人を助け、救いがある事を知らしめる場所であるお寺。
そのような『有り難い場所』が数多く存在すれば、それだけ多くの人々が
救われるのです。
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寺院建築の見所に、屋根の、芸術的なまでの『反り』が挙げられますが、
一般住宅の屋根に当然の様に備わっている『ある物』が、寺院の屋根には
ありません。
その『ある物』とは・・・『雨樋』
実は、雨樋という物は、随分と時代が下ってから登場したものなのです。
また、一般住宅に比べて、寺院の屋根は面積が広いため、少々の雨樋では
雨を受けきる事が出来ないだけでなく、溢れた大量の雨水が跳ね返って、
建物の木材を傷める恐れがあるのです。
では、お寺の屋根に降った雨水は、どの様に処理されているのでしょう
昔ながらの建築様式に則ったお寺の建物には、屋根の端の真下の地面に、
砂利を敷き詰めた、俗に『雨走り』と呼ばれる幅50cm程度の
溝があって、
雨水は、屋根からこの雨走りに直接落ちる仕組みになっています。
雨の朝、お堂に入らせて頂く時に、雨走りに落ちる『シャァーッ』という
心を落ち着かせてくれる音色を味わう事が出来るのは、住職の特権・・・
とおっしゃるのは、こうゆうさんです
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奥の院には、首から上の病気に効能があるとされる『爪彫り地蔵』さまが
祀られており、その横には、絶え間なく霊水が湧き出ています
穴の開いた自然石に、願事の書かれたものが数多く奉納されていますが、
この『穴の開いた』という事実は、『通ずる』という意味でもあるため、
仏教では重んじられます。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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