今回のお参りは第二十九番札所、摩尼山・国分寺です。
平野部に位置するお寺の門前には、二期作の行われている水田が広がり、
『米どころ』である事が実感できます
歴史ある大きな山門には、カッと目を見開いた、迫力満点の仁王さま。
また、お寺の周囲の垣も、かなりの樹齢と思われる古い椿などで構成され
こちらも歴史を感じさせてくれます。
***********
山門から見える本堂の屋根は、大変珍しい茅葺き。
維持が大変ですが、昔ながらの形が残された、貴重なものです。
(この件については、後ほど、重大な事実が発覚します・・・。)
境内に一歩足を踏み入れると、涼やかで引き締まった空気に包まれます。
お参りの作法は、まず本堂、続いて大師堂という順番が本来の形ですが、
先にお勤めをしている参拝者がいらっしゃるにも関らず、後から来た者が
被せるようにお参りするのは、無作法です
その様な場合、本来の順番とは異なりますが、お大師堂が空いているなら
そちらからお参りをされたとしても、思いやりの心から出た行動ですから、
間違いではありません
***********
さて、本堂に到着しますと・・・
冒頭で『茅葺き』と紹介した屋根が、実は『桧皮葺き』である事が判明
しかしこれは、年間に決められた量しか使えないといった、茅葺き以上に
貴重なもので、その重厚さ、迫力は圧巻です
***********
境内で一行の目を引いた『酒断地蔵』さま
お地蔵さまは、我々の身代わりに苦難を引き受けて下さる仏さまですが、
願掛けをする本人も、何かしらの目標・制限を自らに課すのが通例です。
酒を断つためにお参りをした方がいたのか・・・
願掛けに際し、酒を断つという誓いを自らに課した方がいたのか・・・
酒断地蔵さまのいわれは不明です。
ただ、『断』という字は、「たつ」・「ことわる」という読み方の他に、
「言い訳無用」という意味が含まれています。
後ろ向きの気持ちで、あれこれと失敗の理由や言い訳を探すのではなく、
きっちりとけじめをつけて、前へと進む姿勢が重要でしょう
***********
杉本さんが境内で気になったのが、『開山堂』
これは文字通り、お寺を開山された方をお祀りするお堂で、禅宗の寺院に
よく見られるそうです。
因みに、国分寺の開祖は行基菩薩さま。
弘法大師空海さまよりも前の時代に活躍されたお坊さんで、恐らく日本で
最も多くのお寺を開かれた方です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
たけやんが、国分寺にまつわるエピソードを、ごんたに説明しています。
国の安泰を願い、聖武天皇の命で全国に建立された国分寺。
ここ、土佐国分寺の近くには、土佐の国庁があって、歌人としても有名な
紀貫之が赴任していましたが、任期を終えて、京の都へと帰る二ヶ月前、
お気の毒な事に、七歳になる娘さんを亡くしています。
その時の悲しみを歌に詠んでいる貫之ですが、帰り着いた京の我が家は、
荒れ放題。
この家で生まれた娘さんが既に亡いという事も相まって、この世の無常、
変わらぬものなど何一つない、という事を強く感じられたようです。
お大師さまも、やはり最愛の弟子・智泉さまを若くして亡くされており、
その時の悲しみを、切々と綴っておられます。
あまりにも悲痛なお大師さまの言葉に、ごんたは
「何があっても、生き抜かねば・・・」
という思いを強くしたようです。
愛する者を失えば、悲しみがあるのは当然の事です
でも、いつまでも悲しんでばかり、悔やんでばかりいては、残された者、
旅立った者双方にとって、良い事ではありません。
死に行くその日まで、悔いなく過ごす様、悲しみの淵に沈む者のために、
そして御自身のためにも、お大師さまは教えを説いておられるのです。
***********
行基菩薩さまは、社会事業・福祉に力を注がれた方で、弘法大師さまも、
行基さまに憧れて、全国各地を行脚されました
でも、その根幹には『信仰』という基本があって、まずは拝む姿があり、
その場でなされた様々な助言が、社会事業として具体化したのです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
平野部に位置するお寺の門前には、二期作の行われている水田が広がり、
『米どころ』である事が実感できます
歴史ある大きな山門には、カッと目を見開いた、迫力満点の仁王さま。
また、お寺の周囲の垣も、かなりの樹齢と思われる古い椿などで構成され
こちらも歴史を感じさせてくれます。
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山門から見える本堂の屋根は、大変珍しい茅葺き。
維持が大変ですが、昔ながらの形が残された、貴重なものです。
(この件については、後ほど、重大な事実が発覚します・・・。)
境内に一歩足を踏み入れると、涼やかで引き締まった空気に包まれます。
お参りの作法は、まず本堂、続いて大師堂という順番が本来の形ですが、
先にお勤めをしている参拝者がいらっしゃるにも関らず、後から来た者が
被せるようにお参りするのは、無作法です
その様な場合、本来の順番とは異なりますが、お大師堂が空いているなら
そちらからお参りをされたとしても、思いやりの心から出た行動ですから、
間違いではありません
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さて、本堂に到着しますと・・・
冒頭で『茅葺き』と紹介した屋根が、実は『桧皮葺き』である事が判明
しかしこれは、年間に決められた量しか使えないといった、茅葺き以上に
貴重なもので、その重厚さ、迫力は圧巻です
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境内で一行の目を引いた『酒断地蔵』さま
お地蔵さまは、我々の身代わりに苦難を引き受けて下さる仏さまですが、
願掛けをする本人も、何かしらの目標・制限を自らに課すのが通例です。
酒を断つためにお参りをした方がいたのか・・・
願掛けに際し、酒を断つという誓いを自らに課した方がいたのか・・・
酒断地蔵さまのいわれは不明です。
ただ、『断』という字は、「たつ」・「ことわる」という読み方の他に、
「言い訳無用」という意味が含まれています。
後ろ向きの気持ちで、あれこれと失敗の理由や言い訳を探すのではなく、
きっちりとけじめをつけて、前へと進む姿勢が重要でしょう
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杉本さんが境内で気になったのが、『開山堂』
これは文字通り、お寺を開山された方をお祀りするお堂で、禅宗の寺院に
よく見られるそうです。
因みに、国分寺の開祖は行基菩薩さま。
弘法大師空海さまよりも前の時代に活躍されたお坊さんで、恐らく日本で
最も多くのお寺を開かれた方です。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
たけやんが、国分寺にまつわるエピソードを、ごんたに説明しています。
国の安泰を願い、聖武天皇の命で全国に建立された国分寺。
ここ、土佐国分寺の近くには、土佐の国庁があって、歌人としても有名な
紀貫之が赴任していましたが、任期を終えて、京の都へと帰る二ヶ月前、
お気の毒な事に、七歳になる娘さんを亡くしています。
その時の悲しみを歌に詠んでいる貫之ですが、帰り着いた京の我が家は、
荒れ放題。
この家で生まれた娘さんが既に亡いという事も相まって、この世の無常、
変わらぬものなど何一つない、という事を強く感じられたようです。
お大師さまも、やはり最愛の弟子・智泉さまを若くして亡くされており、
その時の悲しみを、切々と綴っておられます。
あまりにも悲痛なお大師さまの言葉に、ごんたは
「何があっても、生き抜かねば・・・」
という思いを強くしたようです。
愛する者を失えば、悲しみがあるのは当然の事です
でも、いつまでも悲しんでばかり、悔やんでばかりいては、残された者、
旅立った者双方にとって、良い事ではありません。
死に行くその日まで、悔いなく過ごす様、悲しみの淵に沈む者のために、
そして御自身のためにも、お大師さまは教えを説いておられるのです。
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行基菩薩さまは、社会事業・福祉に力を注がれた方で、弘法大師さまも、
行基さまに憧れて、全国各地を行脚されました
でも、その根幹には『信仰』という基本があって、まずは拝む姿があり、
その場でなされた様々な助言が、社会事業として具体化したのです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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