今回のお参りは第三十九番札所、赤亀山・延光寺です。
『修行の道場』土佐の国も、この札所が最後。
その名の通り、長く、そして厳しい道程でした。
***********
山あいの静かな盆地に整備されたこちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、
御本尊は薬師如来さまです。
仏教が日本に伝来した当時、『病気を治して下さる』といったお働きが、
庶民にとって最も身近で分かり易かった事もあり、お薬師さまへの信仰が
一般民衆の間に広がりました。
ですから、お薬師さまが本尊のお寺は、歴史の古い所が多いのです。
***********
こちらのお寺には、『赤い亀が梵鐘を背負って海からやって来た』という
言い伝えが残っています。
龍・鳳凰・麒麟と並んで、『亀』は吉祥の動物です。
「亀がやって来る土地」・・・
それは即ち、神仏の住まわれる、尊い場所である事を意味しています。
また『海からやって来た』という伝説が意味するものは、未知の場所から
新しく尊いみ教えが伝来した、という事実です。
響き渡る、梵鐘の音
それは、「ここに仏の教えあり」という幸せ、安心感でもあります
***********
四国各地に、お大師さまと水にまつわる伝説が数多く残されていますが、
こちらにも、お大師さまが錫杖で突かれた場所から水が湧き出た、という
『目洗いの井戸』が現存しています。
その名の通り、眼病に効能があるそうですが、仏教の根本に立ち返れば、
我々は『邪見を除く』・・・即ち、『心眼を開く』ことを目指さなければ
なりません。
五体満足な人間にとっては何の変哲もない、ただ『見える』という事も、
目の不自由な人からすれば、大変に有り難く、尊い事だと分かります
我々も、邪見を除いた、汚れない素直な気持ちでこの世界に接したならば
日常の何気ない出来事に、感動と感謝の気持ちが湧き上がるはずです
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
大きな亀の像に感動したごんた。
延光寺の亀と梵鐘の伝説は、浦島太郎と関係がある、と推測しています
竜宮城へ行った浦島太郎、帰り際に、お土産として梵鐘を頂いたものの、
そんな重いものを持って陸へ上がる事は出来ないので、亀に運んでもらい
自らはイルカに乗って岸へと辿り着き、延光寺の住職になった・・・
なんとも、独創的な学説です(笑)
たけやんは、商売人の捕まえた亀をお金で買って、川へ放す・・・という
『放し亀』を思い出しました。
囚われの身である亀を助け、逃がす事で功徳を積む、という風習ですが、
亀、特に助けてもらえなかった者の立場からすれば、『功徳』どころか、
助けてくれなかった人間を恨んでいるかもしれません
誰からも認められる形で功徳を積む・・・本当に難しい事です。
***********
各札所にある納経所。
お参りの方への対応の仕方も、様々です。
にこやかに対応して下さる方もあれば、怒る人や、無表情な人・・・
中には、納経所の方の、つっけんどんな対応に遭って、
「けしからん!!」
・・・と、立腹する参拝者もいます。
しかし我々は、お参りを『させて頂いている』立場。
決して、『お客様』ではないのです。
ひょっとしたら、自分に不足している部分を、仏さまが『戒め』として、
我々の眼前にお示し下さっているのかもしれません。
「教えて頂いている。」
「修行させて頂いている。」
・・・そう思って、我が身を省みる事が、本来の姿勢でしょう。
因みに、こうゆうさん思い出の納経所は、お婆ちゃんがテレビを観ながら
対応して下さる所だったそうですが、そのお婆ちゃんが筆を動かすのが、
テレビドラマの合間のCMの時間だけだったそうです(笑)
さて、土佐の国での修行は、ここまで。
次からは、いよいよ『菩提の道場』、伊予の国です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
『修行の道場』土佐の国も、この札所が最後。
その名の通り、長く、そして厳しい道程でした。
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山あいの静かな盆地に整備されたこちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、
御本尊は薬師如来さまです。
仏教が日本に伝来した当時、『病気を治して下さる』といったお働きが、
庶民にとって最も身近で分かり易かった事もあり、お薬師さまへの信仰が
一般民衆の間に広がりました。
ですから、お薬師さまが本尊のお寺は、歴史の古い所が多いのです。
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こちらのお寺には、『赤い亀が梵鐘を背負って海からやって来た』という
言い伝えが残っています。
龍・鳳凰・麒麟と並んで、『亀』は吉祥の動物です。
「亀がやって来る土地」・・・
それは即ち、神仏の住まわれる、尊い場所である事を意味しています。
また『海からやって来た』という伝説が意味するものは、未知の場所から
新しく尊いみ教えが伝来した、という事実です。
響き渡る、梵鐘の音
それは、「ここに仏の教えあり」という幸せ、安心感でもあります
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四国各地に、お大師さまと水にまつわる伝説が数多く残されていますが、
こちらにも、お大師さまが錫杖で突かれた場所から水が湧き出た、という
『目洗いの井戸』が現存しています。
その名の通り、眼病に効能があるそうですが、仏教の根本に立ち返れば、
我々は『邪見を除く』・・・即ち、『心眼を開く』ことを目指さなければ
なりません。
五体満足な人間にとっては何の変哲もない、ただ『見える』という事も、
目の不自由な人からすれば、大変に有り難く、尊い事だと分かります
我々も、邪見を除いた、汚れない素直な気持ちでこの世界に接したならば
日常の何気ない出来事に、感動と感謝の気持ちが湧き上がるはずです
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
大きな亀の像に感動したごんた。
延光寺の亀と梵鐘の伝説は、浦島太郎と関係がある、と推測しています
竜宮城へ行った浦島太郎、帰り際に、お土産として梵鐘を頂いたものの、
そんな重いものを持って陸へ上がる事は出来ないので、亀に運んでもらい
自らはイルカに乗って岸へと辿り着き、延光寺の住職になった・・・
なんとも、独創的な学説です(笑)
たけやんは、商売人の捕まえた亀をお金で買って、川へ放す・・・という
『放し亀』を思い出しました。
囚われの身である亀を助け、逃がす事で功徳を積む、という風習ですが、
亀、特に助けてもらえなかった者の立場からすれば、『功徳』どころか、
助けてくれなかった人間を恨んでいるかもしれません
誰からも認められる形で功徳を積む・・・本当に難しい事です。
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各札所にある納経所。
お参りの方への対応の仕方も、様々です。
にこやかに対応して下さる方もあれば、怒る人や、無表情な人・・・
中には、納経所の方の、つっけんどんな対応に遭って、
「けしからん!!」
・・・と、立腹する参拝者もいます。
しかし我々は、お参りを『させて頂いている』立場。
決して、『お客様』ではないのです。
ひょっとしたら、自分に不足している部分を、仏さまが『戒め』として、
我々の眼前にお示し下さっているのかもしれません。
「教えて頂いている。」
「修行させて頂いている。」
・・・そう思って、我が身を省みる事が、本来の姿勢でしょう。
因みに、こうゆうさん思い出の納経所は、お婆ちゃんがテレビを観ながら
対応して下さる所だったそうですが、そのお婆ちゃんが筆を動かすのが、
テレビドラマの合間のCMの時間だけだったそうです(笑)
さて、土佐の国での修行は、ここまで。
次からは、いよいよ『菩提の道場』、伊予の国です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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インターネットで、こんな番組が聴けるとは思いませんでした。
お遍路はやったことがありませんが、お寺などが好きなんです。
お遍路で回ったお寺の説明だったり、とても楽しかったです。