今回のお参りは第四十番札所、平城山・観自在寺です。
『発心の道場』(阿波)・『修行の道場』(土佐)を修め、
ここからいよいよ
『菩提の道場』、伊予の国です。
仏道を歩む気持ちを起こし、一歩踏み出す『発心』。
難行・苦行の長い道を、ひたすら突き進む『修行』。
・・・では、『菩提』とは?
通常、『修行』を終える事がゴール地点
修行が完成する事は、人間が本来生まれながらにして持っている菩提心、
即ち仏の心が完成する事をも意味します。
しかし、少し物事が出来始めた途端、人間には『慣れ』『慢心』といった
厄介なものが生じます
土佐の国まで修め、修行を完成させているのなら、その方は既に『仏』。
ならば以後は『人』ではなく、『仏』として歩むわけです。
仏が、仏としてもう一度修行に励み、更なる徳を積んで磨きをかける。
慣れや慢心に流れそうになるのを、もう一度引き締め直す道程です。
***********
平城天皇の頃、弘法大師・空海さまが開かれたこちらのお寺、御本尊は、
お大師さま自ら彫られたと言われる、薬師如来さまです。
平地の町中に位置するこちらは、歴史のあるお寺ながら、境内は近代的に
整備されています
山門両脇の石柱、右側の文字は『大師値遇』。
左には『随縁往来』と刻まれています。
お大師さまにお会いさせて頂くに値する魂。
仏道を進んで行く事を発心してこその歩み。
・・・そう感じながら、歩んで参りましょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
こちらの観自在寺は、一番札所の霊山寺から最も遠い札所である事から、
『裏関所』の異名がある、というたけやんの説明ですが・・・
そんな事より、ごんたにとっては、土佐で鰹のタタキを食べ損なった事が
大きな痛手のようです(笑)
土佐といえば、かつては鯨料理も盛んでした。
そんな文化がある一方で行われたのが、『鯨供養』
捕獲され、人間のために役立ってくれた鯨。
無駄なく、全てを有効に使わせて頂く人間。
自然の恵みへの『感謝の心』があってこそ、『供養』という文化・風習が
生まれるのです
多くの国々が、『野蛮』とか『可哀想』といった理由で捕鯨国を非難し、
反対の態度をとっています
その反対国、かつては鯨を乱獲し、食肉を除く大量の部位を廃棄していて
資源を無駄に浪費していたのです。
現在の捕鯨国が、かつて自身が繰り返した愚行を、今も続けている・・・
反対国は、そう思い込んでいるのでしょう。
たけやん、捕鯨反対国の御都合主義に、大変御立腹でありました。
***********
こちらには『弘法大師宝印御守』という、手拭いサイズの布があります。
この布には、お大師さまが、御本尊を彫った木の余りを版木に利用して、
『南無阿弥陀仏』と刻まれた文字がそのまま転写されています。
ここで、『南無阿弥陀仏』といえば浄土系の教えのもので、真言宗ならば
『南無大師遍昭金剛』という御宝号では?・・・と思ってしまいます。
でも、空海さまが御活躍の頃は『南無阿弥陀仏』を唱えていたのです。
実は『大師』号は、空海さまが御入定された後に天皇から賜ったもので、
御宝号は、後の世の人が、空海さまを慕って唱え始めたものなのです
***********
観自在寺の『観』は、観察の『観』。
真実を、良き姿を、心に焼き付ける事です。
目が見えずとも、耳が聞こえずとも、焼き付けたその真実が、いつでも、
自在に具現化出来る・・・
そのレベルに達するべく、精進を続けるのが『菩提の道場』。
こちらのお寺、節目の札所として、しっかりとお参りしたいものです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
『発心の道場』(阿波)・『修行の道場』(土佐)を修め、
ここからいよいよ
『菩提の道場』、伊予の国です。
仏道を歩む気持ちを起こし、一歩踏み出す『発心』。
難行・苦行の長い道を、ひたすら突き進む『修行』。
・・・では、『菩提』とは?
通常、『修行』を終える事がゴール地点
修行が完成する事は、人間が本来生まれながらにして持っている菩提心、
即ち仏の心が完成する事をも意味します。
しかし、少し物事が出来始めた途端、人間には『慣れ』『慢心』といった
厄介なものが生じます
土佐の国まで修め、修行を完成させているのなら、その方は既に『仏』。
ならば以後は『人』ではなく、『仏』として歩むわけです。
仏が、仏としてもう一度修行に励み、更なる徳を積んで磨きをかける。
慣れや慢心に流れそうになるのを、もう一度引き締め直す道程です。
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平城天皇の頃、弘法大師・空海さまが開かれたこちらのお寺、御本尊は、
お大師さま自ら彫られたと言われる、薬師如来さまです。
平地の町中に位置するこちらは、歴史のあるお寺ながら、境内は近代的に
整備されています
山門両脇の石柱、右側の文字は『大師値遇』。
左には『随縁往来』と刻まれています。
お大師さまにお会いさせて頂くに値する魂。
仏道を進んで行く事を発心してこその歩み。
・・・そう感じながら、歩んで参りましょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
こちらの観自在寺は、一番札所の霊山寺から最も遠い札所である事から、
『裏関所』の異名がある、というたけやんの説明ですが・・・
そんな事より、ごんたにとっては、土佐で鰹のタタキを食べ損なった事が
大きな痛手のようです(笑)
土佐といえば、かつては鯨料理も盛んでした。
そんな文化がある一方で行われたのが、『鯨供養』
捕獲され、人間のために役立ってくれた鯨。
無駄なく、全てを有効に使わせて頂く人間。
自然の恵みへの『感謝の心』があってこそ、『供養』という文化・風習が
生まれるのです
多くの国々が、『野蛮』とか『可哀想』といった理由で捕鯨国を非難し、
反対の態度をとっています
その反対国、かつては鯨を乱獲し、食肉を除く大量の部位を廃棄していて
資源を無駄に浪費していたのです。
現在の捕鯨国が、かつて自身が繰り返した愚行を、今も続けている・・・
反対国は、そう思い込んでいるのでしょう。
たけやん、捕鯨反対国の御都合主義に、大変御立腹でありました。
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こちらには『弘法大師宝印御守』という、手拭いサイズの布があります。
この布には、お大師さまが、御本尊を彫った木の余りを版木に利用して、
『南無阿弥陀仏』と刻まれた文字がそのまま転写されています。
ここで、『南無阿弥陀仏』といえば浄土系の教えのもので、真言宗ならば
『南無大師遍昭金剛』という御宝号では?・・・と思ってしまいます。
でも、空海さまが御活躍の頃は『南無阿弥陀仏』を唱えていたのです。
実は『大師』号は、空海さまが御入定された後に天皇から賜ったもので、
御宝号は、後の世の人が、空海さまを慕って唱え始めたものなのです
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観自在寺の『観』は、観察の『観』。
真実を、良き姿を、心に焼き付ける事です。
目が見えずとも、耳が聞こえずとも、焼き付けたその真実が、いつでも、
自在に具現化出来る・・・
そのレベルに達するべく、精進を続けるのが『菩提の道場』。
こちらのお寺、節目の札所として、しっかりとお参りしたいものです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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