今回のお参りは第四十五番札所、海岸山・岩屋寺です。
駐車場から境内までは、徒歩で20分前後。
歩き遍路も、バスや乗用車での参拝者も、ここでは区別なし
山登りの続く、お参りした方の記憶には後々まで残る、難所です。
こちらの札所、本堂の中に安置された仏像より、むしろ立地の山全体を、
御神体・御本尊と考えるべきお寺です。
「じゃあ、御本尊の懐に入り込むような事は、もったいない!!」
・・・と、『登山』を中止する口実にしたい米裕さん(笑)
でも、御本尊に近づけるのは、それだけ有り難い事なのでは?
***********
こうゆうさんの元に、
「お参りの際は、地下足袋にした方がよいのですか?」
という質問が寄せられる事があるそうです。
答えは、その足袋が『履き慣れたもの』ならばOK
でも、普段から履き慣れていない人が、いきなり足袋で険しい道を歩くと
踵や指を痛めますので、決してお奨めは出来ません。
やはり、いつも使っている歩きやすい靴・・・
特に、濡れた石の上でも滑らないものが理想です。
***********
諸堂は、文字通りの断崖絶壁に建てられており、先人達の御苦労と共に、
信仰心の深さを窺い知る事が出来ます。
こうゆうさんお薦めのスポットは、参道途中のベンチの場所
その場所から本堂に向かうと、その山全体が御本尊・御神体だという事を
実感出来るそうです。
こちらのお寺、山号に『海岸』とつけられていますが、どこを向いても、
山奥のこの地には、それらしき場所がありません。
実は、修行中のお大師さまが、峠の場所から、下界に広がる雲海を見て、
名付けられたそうです。
***********
さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
怯えた様子のごんた、助けを呼びながら、必死に逃げ回っている様ですが
腰が抜けてしまいました。
どうやら、山の様に大きな岩が転がって来るのを見て、慌てていた様子。
でも、それは『山の様な岩』ではなく、『岩の様な山』。
岩屋寺さんの御本尊でした。
そんな山深い立地のこちらのお寺には、密教法具の『三鈷杵』と高野山、
『独鈷杵』と三十六番札所・青龍寺の関係と同様に、鈴にまつわるお話が
残っています。
修行でこの地を訪れたお大師さまは、かつて御自分の投じられた鈴の音を
耳にされました。
音に誘われて行くと、そこに現われたのが法華仙人。
八百年も生きているという女性です。
仙人は、修行場としてこの地を差し出すと、お大師さまは有り難く頂き、
お礼として、仙人の望みに従い、お経を書いた巻物を投げ上げました。
巻物を受け取るために天高く飛び上がった法華仙人は、岩山を突き抜け、
真っ二つにして帰って来たそうですが、その場所が、逼割禅定です。
そんな凄い力を持つ仙人ですが、自身よりも力を持つお大師さまに接し、
「これで安心して、命を終える事が出来る。」
と言い残し、大往生を遂げたそうです。
素晴らしいみ教えに出会えず、後の事が心配でたまらなかった法華仙人。
死ぬに死ねなかった結果、八百歳まで生きていたのかもしれません。
***********
本堂の真下に、絶壁の岩をくり貫いた『穴禅定』があります。
今回、米裕さんと杉本さんが、その行場をレポートして下さいました
中は真っ暗闇で、頼りは手摺と、所々にある灯籠のみ。
ところが、その手摺も途切れ、唯一の目印である灯籠も二手に分かれて、
どうしようもなく闇を探っていると蝋燭立てがあり、そこに灯りを点すと
心の底から湧き上がる、安堵の気持ち。
///////////
密教では、『暗闇』を大切にするそうです。
出て来た時の感動・・・
この世に誕生した時の、赤ん坊の気持ち・・・
そんな苦難の時を経て、暗闇の中に明かりを頂く有り難さを、身をもって
体感出来るからかもしれません。
***********
冒頭で紹介の通り、駐車場からの道程がかなり厳しい、こちらのお寺。
でも、登り切った時の感動はひとしおです。
杉本さんは、郵便配達の男性に会ったそうですが、やはり参拝者と同じく
駐車場からは、徒歩で登らなければなりません
このような厳しい場所にも、日常の生活がある事を感じた一行でした。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
駐車場から境内までは、徒歩で20分前後。
歩き遍路も、バスや乗用車での参拝者も、ここでは区別なし
山登りの続く、お参りした方の記憶には後々まで残る、難所です。
こちらの札所、本堂の中に安置された仏像より、むしろ立地の山全体を、
御神体・御本尊と考えるべきお寺です。
「じゃあ、御本尊の懐に入り込むような事は、もったいない!!」
・・・と、『登山』を中止する口実にしたい米裕さん(笑)
でも、御本尊に近づけるのは、それだけ有り難い事なのでは?
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こうゆうさんの元に、
「お参りの際は、地下足袋にした方がよいのですか?」
という質問が寄せられる事があるそうです。
答えは、その足袋が『履き慣れたもの』ならばOK
でも、普段から履き慣れていない人が、いきなり足袋で険しい道を歩くと
踵や指を痛めますので、決してお奨めは出来ません。
やはり、いつも使っている歩きやすい靴・・・
特に、濡れた石の上でも滑らないものが理想です。
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諸堂は、文字通りの断崖絶壁に建てられており、先人達の御苦労と共に、
信仰心の深さを窺い知る事が出来ます。
こうゆうさんお薦めのスポットは、参道途中のベンチの場所
その場所から本堂に向かうと、その山全体が御本尊・御神体だという事を
実感出来るそうです。
こちらのお寺、山号に『海岸』とつけられていますが、どこを向いても、
山奥のこの地には、それらしき場所がありません。
実は、修行中のお大師さまが、峠の場所から、下界に広がる雲海を見て、
名付けられたそうです。
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さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
怯えた様子のごんた、助けを呼びながら、必死に逃げ回っている様ですが
腰が抜けてしまいました。
どうやら、山の様に大きな岩が転がって来るのを見て、慌てていた様子。
でも、それは『山の様な岩』ではなく、『岩の様な山』。
岩屋寺さんの御本尊でした。
そんな山深い立地のこちらのお寺には、密教法具の『三鈷杵』と高野山、
『独鈷杵』と三十六番札所・青龍寺の関係と同様に、鈴にまつわるお話が
残っています。
修行でこの地を訪れたお大師さまは、かつて御自分の投じられた鈴の音を
耳にされました。
音に誘われて行くと、そこに現われたのが法華仙人。
八百年も生きているという女性です。
仙人は、修行場としてこの地を差し出すと、お大師さまは有り難く頂き、
お礼として、仙人の望みに従い、お経を書いた巻物を投げ上げました。
巻物を受け取るために天高く飛び上がった法華仙人は、岩山を突き抜け、
真っ二つにして帰って来たそうですが、その場所が、逼割禅定です。
そんな凄い力を持つ仙人ですが、自身よりも力を持つお大師さまに接し、
「これで安心して、命を終える事が出来る。」
と言い残し、大往生を遂げたそうです。
素晴らしいみ教えに出会えず、後の事が心配でたまらなかった法華仙人。
死ぬに死ねなかった結果、八百歳まで生きていたのかもしれません。
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本堂の真下に、絶壁の岩をくり貫いた『穴禅定』があります。
今回、米裕さんと杉本さんが、その行場をレポートして下さいました
中は真っ暗闇で、頼りは手摺と、所々にある灯籠のみ。
ところが、その手摺も途切れ、唯一の目印である灯籠も二手に分かれて、
どうしようもなく闇を探っていると蝋燭立てがあり、そこに灯りを点すと
心の底から湧き上がる、安堵の気持ち。
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密教では、『暗闇』を大切にするそうです。
出て来た時の感動・・・
この世に誕生した時の、赤ん坊の気持ち・・・
そんな苦難の時を経て、暗闇の中に明かりを頂く有り難さを、身をもって
体感出来るからかもしれません。
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冒頭で紹介の通り、駐車場からの道程がかなり厳しい、こちらのお寺。
でも、登り切った時の感動はひとしおです。
杉本さんは、郵便配達の男性に会ったそうですが、やはり参拝者と同じく
駐車場からは、徒歩で登らなければなりません
このような厳しい場所にも、日常の生活がある事を感じた一行でした。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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