今回のお参りは第四十九番札所、西林山・浄土寺です。
松山市内の住宅地に位置するこちらのお寺、立派な山門を守る仁王さまは
その迫力ある表情まで、はっきりと拝む事が出来ます。
天平から平安にかけての特徴である、地を這うような低い造りの屋根は、
とても上品で、米裕さん好みだそうです
因みに、鎌倉期のお寺は、武家社会を反映して、勢いや威厳が好まれて、
屋根が高く、装飾も豪華になるそうです。
***********
現在は真言宗の豊山派に属するこちらのお寺、奈良時代に開かれてから、
空海さまが、お釈迦さまを御本尊としてお迎えされた後、浄土系の高僧を
3人お祀りされている事から、院号を『三蔵院』と称するのだそうです。
本堂の背後には山があり、理想的な立地。
最盛期は66坊の末寺を抱える、一大伽藍を誇ったお寺だった
ようです。
***********
山門の仁王さまのお姿を観た杉本さん、気になった事が2つ
< 質問・その1 >
現在でも、この様な仏像を作る人はいるのですか?
< 答え >
勿論、現在でもそういった職業の方はいらっしゃって、木や石を刻んで、
『像』を作る人が『仏師』さん、布や紙に描く人が『仏画師』さんです。
『仏さまを生み出す』という、とても尊い仕事ですので、中には本山から
『大仏師』というお名前を授かる方もいらっしゃるそうです。
< 質問・その2 >
各札所で見かける仁王さまには、決まったモデルはあるのですか?
< 答え >
それぞれの仏さまは、性格やお役目によって、決まった持物や印相があり
それを事細かく解説した書物があり、それに基づいて仏像が作られます。
ただ、文字での説明だけなので、仏師さんの解釈や、時代の流行などから
同じ仏さまでも、それぞれのお寺によって、微妙な個性があるのです。
因みに、空海さまは入定なさる前に『御遺告(ごゆいごう)』を残されて、
「私の姿が見えなくなっても、嘆き、悲しむ事はない。木や石に刻まれ、
絵に描かれた姿を、私だと思って念じれば、そこに宿って皆を助ける。」
・・・とおっしゃっています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ここは伊予の国、即ち菩提の道場。
菩提とは、悟りの境地。
・・・という事で、何やら悟ったらしいごんた。
山門に所構わず貼り付けられた、参拝者の名前の記された手拭や千社札。
破れたり、画鋲で留められたり・・・
有り難いお寺を、汚しているだけの様に思えます。
名前を残す事で、御本尊さまにいつも見て頂き、ずっとお陰を頂ける。
・・・そんな、浅ましい思いから出た、誤った考えに基づく風習ですが、
仏さまとは、分け隔てのない世界にお住まいのお方。
名前を残す、残さないに関係なく、キチンと見て下さっています。
名前を貼り付ける・・・他人を押しのけて『自分だけにお陰を』という、
『貪る心』。
その他にも、札を貼り付けて木材の寿命を縮める『殺生』の罪。
山門を汚す事で、他の参拝者の信仰を妨げる罪。
仏教徒の守らねばならない『十善戒』が、悉く破られているという事実が
分かります。
人間とは、自己顕示欲の塊です。
でも、そういった浅薄な自分自身から一歩引いて、今日のごんたの様に、
物事を冷静に見る目を持つ事が重要です
お寺は『修行の場』。
千社札を貼る事だけに気を取られ、肝心のお参りが疎かになっている輩に
『八十八箇所を歩いた』などと言う資格はありません。
『全ての人が、気持ち良くお参り出来る様に』という心掛けでのお参り、
それが即ち、修行につながって行きます。
たけやんの言う通り、お参りの際に、雑巾がけや草引きを行うという事も
立派な修行でしょう
***********
日本では、立派な木には『神が宿る』とされてきました。
海外から入って来た新たな『仏教』。
民衆に受け入れられるには、様々な苦労・苦難があった事と思います。
そんな、後発の教えの象徴である仏像を『神木』に刻む。
・・・ここに、日本の、神と仏への信仰の形が定まった、という考え方も
あるそうです。
前述した通り、空海さまは、自身のお姿を残す事を肯定されました。
しかしその一方で、偶像崇拝を否定する宗派もあります。
偉大な方が亡くなると、その方を慕う人各々に理想のイメージがあって、
それが時には、争いの元にもなります。
お釈迦が、入滅される前に心配なさっていたのは、正にその部分の事で、
だからこそ、仏教としての教義がキチンとした形で体系化されるまでは、
御自身のお姿を刻み、描く事を禁じられたのです
その事からすると、弘法大師空海さまのお考えは、画期的を通り越して、
お釈迦さまのみ教えに反するのではないか、とさえ感じてしまいます。
しかし、空海さまの活躍された時代、仏教は広く民衆に受け入れられて、
しっかりと定まったものとなっていました。
しかも、どの様なお姿を残せばよいのかというお弟子さんの疑問に対し、
「この姿、この形だけを残し、念じなさい」とおっしゃって、そのお姿を
描かせたそうです。
現代まで、お大師さまの仏画は全て、その『正御影』が唯一のモデルで、
他のポーズやアングルの画は存在しません。
その意味で、後世の弟子や信者達の争いを未然に防止している訳ですから
空海さまの行動は画期的に見えて、実はお釈迦さまのお考えに反する所は
どこにもない事が分かります
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
松山市内の住宅地に位置するこちらのお寺、立派な山門を守る仁王さまは
その迫力ある表情まで、はっきりと拝む事が出来ます。
天平から平安にかけての特徴である、地を這うような低い造りの屋根は、
とても上品で、米裕さん好みだそうです
因みに、鎌倉期のお寺は、武家社会を反映して、勢いや威厳が好まれて、
屋根が高く、装飾も豪華になるそうです。
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現在は真言宗の豊山派に属するこちらのお寺、奈良時代に開かれてから、
空海さまが、お釈迦さまを御本尊としてお迎えされた後、浄土系の高僧を
3人お祀りされている事から、院号を『三蔵院』と称するのだそうです。
本堂の背後には山があり、理想的な立地。
最盛期は66坊の末寺を抱える、一大伽藍を誇ったお寺だった
ようです。
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山門の仁王さまのお姿を観た杉本さん、気になった事が2つ
< 質問・その1 >
現在でも、この様な仏像を作る人はいるのですか?
< 答え >
勿論、現在でもそういった職業の方はいらっしゃって、木や石を刻んで、
『像』を作る人が『仏師』さん、布や紙に描く人が『仏画師』さんです。
『仏さまを生み出す』という、とても尊い仕事ですので、中には本山から
『大仏師』というお名前を授かる方もいらっしゃるそうです。
< 質問・その2 >
各札所で見かける仁王さまには、決まったモデルはあるのですか?
< 答え >
それぞれの仏さまは、性格やお役目によって、決まった持物や印相があり
それを事細かく解説した書物があり、それに基づいて仏像が作られます。
ただ、文字での説明だけなので、仏師さんの解釈や、時代の流行などから
同じ仏さまでも、それぞれのお寺によって、微妙な個性があるのです。
因みに、空海さまは入定なさる前に『御遺告(ごゆいごう)』を残されて、
「私の姿が見えなくなっても、嘆き、悲しむ事はない。木や石に刻まれ、
絵に描かれた姿を、私だと思って念じれば、そこに宿って皆を助ける。」
・・・とおっしゃっています。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ここは伊予の国、即ち菩提の道場。
菩提とは、悟りの境地。
・・・という事で、何やら悟ったらしいごんた。
山門に所構わず貼り付けられた、参拝者の名前の記された手拭や千社札。
破れたり、画鋲で留められたり・・・
有り難いお寺を、汚しているだけの様に思えます。
名前を残す事で、御本尊さまにいつも見て頂き、ずっとお陰を頂ける。
・・・そんな、浅ましい思いから出た、誤った考えに基づく風習ですが、
仏さまとは、分け隔てのない世界にお住まいのお方。
名前を残す、残さないに関係なく、キチンと見て下さっています。
名前を貼り付ける・・・他人を押しのけて『自分だけにお陰を』という、
『貪る心』。
その他にも、札を貼り付けて木材の寿命を縮める『殺生』の罪。
山門を汚す事で、他の参拝者の信仰を妨げる罪。
仏教徒の守らねばならない『十善戒』が、悉く破られているという事実が
分かります。
人間とは、自己顕示欲の塊です。
でも、そういった浅薄な自分自身から一歩引いて、今日のごんたの様に、
物事を冷静に見る目を持つ事が重要です
お寺は『修行の場』。
千社札を貼る事だけに気を取られ、肝心のお参りが疎かになっている輩に
『八十八箇所を歩いた』などと言う資格はありません。
『全ての人が、気持ち良くお参り出来る様に』という心掛けでのお参り、
それが即ち、修行につながって行きます。
たけやんの言う通り、お参りの際に、雑巾がけや草引きを行うという事も
立派な修行でしょう
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日本では、立派な木には『神が宿る』とされてきました。
海外から入って来た新たな『仏教』。
民衆に受け入れられるには、様々な苦労・苦難があった事と思います。
そんな、後発の教えの象徴である仏像を『神木』に刻む。
・・・ここに、日本の、神と仏への信仰の形が定まった、という考え方も
あるそうです。
前述した通り、空海さまは、自身のお姿を残す事を肯定されました。
しかしその一方で、偶像崇拝を否定する宗派もあります。
偉大な方が亡くなると、その方を慕う人各々に理想のイメージがあって、
それが時には、争いの元にもなります。
お釈迦が、入滅される前に心配なさっていたのは、正にその部分の事で、
だからこそ、仏教としての教義がキチンとした形で体系化されるまでは、
御自身のお姿を刻み、描く事を禁じられたのです
その事からすると、弘法大師空海さまのお考えは、画期的を通り越して、
お釈迦さまのみ教えに反するのではないか、とさえ感じてしまいます。
しかし、空海さまの活躍された時代、仏教は広く民衆に受け入れられて、
しっかりと定まったものとなっていました。
しかも、どの様なお姿を残せばよいのかというお弟子さんの疑問に対し、
「この姿、この形だけを残し、念じなさい」とおっしゃって、そのお姿を
描かせたそうです。
現代まで、お大師さまの仏画は全て、その『正御影』が唯一のモデルで、
他のポーズやアングルの画は存在しません。
その意味で、後世の弟子や信者達の争いを未然に防止している訳ですから
空海さまの行動は画期的に見えて、実はお釈迦さまのお考えに反する所は
どこにもない事が分かります
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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