今回のお参りは第五十三番札所、須賀山・円明寺です。
町中の平地にある、こちらのお寺。
近隣の方々が、自転車などで気軽にお参り出来るような親しみやすさと
お遍路さんが訪れる、道場としての厳粛な雰囲気が同居する札所です。
***********
前回では、『三の門』などといった、門の数え方が話題になりましたが、
『人』のいらっしゃる『二の門』を、『人』+『二』=『仁』という事で
『仁王門』とした、という説もあるそうです。
こちらの仁王門は『八脚門』という、八本の柱で建てられたものですが、
そこをくぐって境内に入ると、見えて来るのが中門。
これは『楼門』と言い、上に建物が乗っている、二階建て形式の事です。
因みに、この楼門に梵鐘がつけば、『鐘楼門』となるわけです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
札所へお参りする事を『打つ』と表現する事、ごんたは知らない様です。
お参りの証としての納め札。
現代は、紙製のものを箱に納めるのが一般的となっていますが、かつては
木製の札を建物などに打ち付けていたそうです。
そんな昔の風習から、お参りを修める事を、いつの頃からか、『打つ』と
表現するようになったと考えられています。
さて、そんな話をしていたら、外国からの参拝者が、ごんたに向かって、
何か話し掛けてきました
「お寺はたくさんあるが、どれが本当の仏さまか?」
「日本では、仏教徒もクリスマスを楽しみ、新年には神社へ初詣に行く。
理解出来ない。」
この質問、ごんたでは太刀打ち出来ず、たけやんにタッチ交代。
「日本には『八百万の神々』という考えがあって、ありとあらゆる場所に
神が宿っている。キリストも、そんな神様の中の一人。神様の誕生を祝う
クリスマス、素晴らしい風習。どんな悪ガキも『いい子にしていないと、
プレゼントは貰えない』・・・教育の場でも役立っています。」
更に続けるたけやん。
「神様ならば、素晴らしい智慧をお持ちのはず。力ずくで物を奪ったり、
他所の文化を壊すようなマネは、もう止めにすべきじゃないですか?」
・・・ごんたをおちょくるつもりだった外国人、逃げてしまいました。
最初から、相手の言う事に反論しようとせず、それを包み込む様な形で、
じっくり対処すれば、喧嘩にならずに済む事を、たけやんは身をもって、
実践して見せてくれたのでした。
ところで、こちらの御本尊の厨子には、慶安3(1650)年に作られたという
日本最古の銅板の納め札が打ち付けられていて、大正13(1924)
年、米国のスタール博士が評価した事で、有名になったそうです。
***********
門を入って左側、お大師堂との間に、石塔とたくさの石柱がありますが、
その中に、参拝の際には是非とも訪れて欲しいスポットがあります。
それは・・・十字架形の『キリシタン灯籠』と『マリア観音』。
キリシタン禁止令の下、弾圧を受けた宣教師とクリスチャン。
そのような時代、誰が、どのような形でキリスト教を信仰していたのかは
明確には伝わっていません。
周囲の目を避けて、ひっそりと目立たぬように。
このキリシタン灯籠とマリア観音の、一見それとは分からぬ微妙な造形に
当時のキリスト教徒の、命を賭けた信仰の姿勢を垣間見る事が出来ます。
***********
最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
高知からバスで参拝の、総勢40名の団体。
その中で、参拝者全員の納経帳のお手伝いをしている男性
全員の納経帳・掛け軸などを持って、納経所へ走るというそのお仕事は、
やはり体力勝負の側面が強い、大変な役目。
そのような仕事を行う上での苦労は、参拝者の大事な納経帳や掛け軸を、
雨に濡らさぬ様に気を遣う事だとか。
尚、移動中のバスの車内は、遠足や修学旅行の様な賑やかさだそうです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
町中の平地にある、こちらのお寺。
近隣の方々が、自転車などで気軽にお参り出来るような親しみやすさと
お遍路さんが訪れる、道場としての厳粛な雰囲気が同居する札所です。
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前回では、『三の門』などといった、門の数え方が話題になりましたが、
『人』のいらっしゃる『二の門』を、『人』+『二』=『仁』という事で
『仁王門』とした、という説もあるそうです。
こちらの仁王門は『八脚門』という、八本の柱で建てられたものですが、
そこをくぐって境内に入ると、見えて来るのが中門。
これは『楼門』と言い、上に建物が乗っている、二階建て形式の事です。
因みに、この楼門に梵鐘がつけば、『鐘楼門』となるわけです。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
札所へお参りする事を『打つ』と表現する事、ごんたは知らない様です。
お参りの証としての納め札。
現代は、紙製のものを箱に納めるのが一般的となっていますが、かつては
木製の札を建物などに打ち付けていたそうです。
そんな昔の風習から、お参りを修める事を、いつの頃からか、『打つ』と
表現するようになったと考えられています。
さて、そんな話をしていたら、外国からの参拝者が、ごんたに向かって、
何か話し掛けてきました
「お寺はたくさんあるが、どれが本当の仏さまか?」
「日本では、仏教徒もクリスマスを楽しみ、新年には神社へ初詣に行く。
理解出来ない。」
この質問、ごんたでは太刀打ち出来ず、たけやんにタッチ交代。
「日本には『八百万の神々』という考えがあって、ありとあらゆる場所に
神が宿っている。キリストも、そんな神様の中の一人。神様の誕生を祝う
クリスマス、素晴らしい風習。どんな悪ガキも『いい子にしていないと、
プレゼントは貰えない』・・・教育の場でも役立っています。」
更に続けるたけやん。
「神様ならば、素晴らしい智慧をお持ちのはず。力ずくで物を奪ったり、
他所の文化を壊すようなマネは、もう止めにすべきじゃないですか?」
・・・ごんたをおちょくるつもりだった外国人、逃げてしまいました。
最初から、相手の言う事に反論しようとせず、それを包み込む様な形で、
じっくり対処すれば、喧嘩にならずに済む事を、たけやんは身をもって、
実践して見せてくれたのでした。
ところで、こちらの御本尊の厨子には、慶安3(1650)年に作られたという
日本最古の銅板の納め札が打ち付けられていて、大正13(1924)
年、米国のスタール博士が評価した事で、有名になったそうです。
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門を入って左側、お大師堂との間に、石塔とたくさの石柱がありますが、
その中に、参拝の際には是非とも訪れて欲しいスポットがあります。
それは・・・十字架形の『キリシタン灯籠』と『マリア観音』。
キリシタン禁止令の下、弾圧を受けた宣教師とクリスチャン。
そのような時代、誰が、どのような形でキリスト教を信仰していたのかは
明確には伝わっていません。
周囲の目を避けて、ひっそりと目立たぬように。
このキリシタン灯籠とマリア観音の、一見それとは分からぬ微妙な造形に
当時のキリスト教徒の、命を賭けた信仰の姿勢を垣間見る事が出来ます。
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最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
高知からバスで参拝の、総勢40名の団体。
その中で、参拝者全員の納経帳のお手伝いをしている男性
全員の納経帳・掛け軸などを持って、納経所へ走るというそのお仕事は、
やはり体力勝負の側面が強い、大変な役目。
そのような仕事を行う上での苦労は、参拝者の大事な納経帳や掛け軸を、
雨に濡らさぬ様に気を遣う事だとか。
尚、移動中のバスの車内は、遠足や修学旅行の様な賑やかさだそうです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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