今回のお参りは第五十七番札所、府頭山・栄福寺です。
山の中腹にある、小じんまりとした印象のこちらのお寺。
元は、山号でもある府頭山の上に位置していましたが、明治の廃仏毀釈で
神社と切り離される形で、現在の位置に移されてしまいました。
嵯峨天皇の勅願により、空海さまが開かれたと伝えられる栄福寺。
かつて、海難事故の多発したという今治の地を巡錫されていた空海さまが
府頭山に護摩壇を構えて祈願されると、以後、事故は治まったそうですが
その護摩壇の跡に建立されたのが栄福寺で、護摩を修されている最中に、
阿弥陀如来さまを感じられた事から、御本尊とされました。
尚、院号の無量寿院は、阿弥陀さまの別名(無量寿如来)に由来します。
境内にある建物の内、大師堂は、開山当時の趣を残す唯一のものですが、
明治期の廃仏毀釈の中、山頂付近から現在の場所に移築されたそうです。
***********
男と女、東と西、陰と陽など、物事には『対』になる概念があります。
こちらの栄福寺は、海難事故がきっかけとなって建てられたお寺ですが、
前回の泰山寺は、河川の氾濫による災厄を収めるために建立されました。
町の成り立ちや、空海さまが開かれたお寺の縁起等々、局所的ではなく、
全体を見渡す様な広い視点から観察すると、そういった物事のバランスが
理解出来るかもしれません
***********
寺号にも含まれている『福』の字ですが、福といえば『福の神』、即ち、
神社を連想しがちです。
そんな事から、『福は神社で授けて頂くもの』という印象が強いのですが
先に述べた通り、『福』の字は古来より寺院名にも多く使われています。
この『福=神社』という、一見ごく当たり前に見える図式ですが、実は、
廃仏毀釈によって植え付けられた考え方に他なりません。
仏教・神道という垣根を取り払って物事を見れば、我々は両方のみ教えに
導かれ、お世話になっている事が分かります。
***********
ところで、先程述べた『対』に関し、こちらの御本尊は阿弥陀如来さま、
つまり我々が『来世』の安心をお願いする仏さまですが、こちらのお寺の
お守りの功徳として強調されているのは、長命や病気平癒などといった、
どちらかと言えばお薬師さまのお役目である『現世利益』の面であるのが
面白いところです。
お寺のある『今治』という地名に、そのあたりの事情を解く鍵があるかも
しれません。
即ち、四国を巡錫していた空海さまが、道中でその持てる知識を利用し、
神仏の功徳を加える事で、人々の病気や悩みを次々と解決されましたが、
その噂は瞬く間に広まり、『追っかけ』や『偽者』等が出現するという、
憂うべき事態となりました。
そこで空海さまは、立ち寄る場所や時間を事前に予告し、集まった人々に
お加持を行い、的確なアドバイスを行って問題を即座に解決・・・
つまり、『今』すぐに『治』して下さったわけです。
空海さまがその様な事を行う場所として、偶然に今治の地を選んだ訳では
決してありません。
まず、気候が温暖である。
次に、四国のみならず、対岸の安芸の国からも人々が来る事が出来る。
漢方としても効能のあるミカンがある
そして、湯治のできる温泉場が多くある
・・・それら、病気治療に適し、しかも一度に多くの人が集う事が可能な
最適な場所が、今治だったのです
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、『長寿お守り手拭い』に書いてある事に目をとめました
「米寿の人の品を持つと、幸せに長生き出来る」そうで、この手拭いは、
八十八歳の方が書いたものだとの事。
ところで、ごんたは『米寿』と『八十八歳』が結びつかないようですが、
『米』の字を分解すると『八十八』になる事から来たこじつけです。
六十は還暦。
七十は『人生七十、古来稀なり』から古稀。
七十七は喜寿。『喜』の草書体が『七十七』に似ているため。
八十は傘寿。『傘』の略字体が『八十』に見えるため。
九十は卒寿。『卒』の略字体が『九十』と読めるため。
百は百(もも)寿。
百から一を引いて白寿、九十九のお祝い。
百八は茶寿。
百二十は大還暦。
・・・そして二百五十歳の事を、天寿と言います。
ところで、四十歳の事を四十路、または論語の『四十にして惑わず』から
『不惑』とも言われますが、別の呼び方としては・・・『初老』。
たけやんからそんな話を聞いたごんた、突然に老け込んでしまいました。
『寿』はめでたい字ですが、本当に穏やかに長生きした人が書いてこそ、
本物のめでたさ、値打ちが出るというもの。
尚、『夢』という字を好んで使う人が多くいますが、この字の略字体は、
『林』の下に『夕』・・・夕方の林を見て感じる儚さを表わしています。
ですから、『夢』の字の掛け軸は、仏事やお葬式に使われるものであって
祝い事に使うと、恥をかく事になります。
たかが字、されど字・・・
深いです
***********
先日、お参りしている時に、通りすがりの人から
「山の中でもないのに、鈴をつけていても良いのか?」
・・・と尋ねられ、返答に困ったという杉本さん
確かに、山道などでは獣除けの役目や、見通しの悪い場所で他の参拝者に
こちらの場所を知らせる機能を果たす鈴。
ただ、こうゆうさんによれば、鈴には、以下の大事な役割があるとの事
(1) お遍路さんのイライラを静め、音色でその場を清める。
(2) 魔除けとして獣や虫にこちらの存在を示し、要らぬ殺生を避ける。
(3) 鈴の音が近付く事で、四国の人はお接待の準備を始める事が出来る。
だから鈴は、なにも山中に限って使う物ではないのです。
***********
最近、こうゆうさんが気になっている事が一つ
・・・それは、衣体を整えていないお遍路さんが多い事だそうです。
数を回る事だけが、お遍路の値打ちではありません。
『形』から入るという行為も、修行としては重要な事です。
『本気度』を、その姿で示す事・・・行者として、大切な姿勢です。
また最近、一行はお寺の門前で、残念な光景を見かけました。
駐車料金を『お供え』としてお願いしているお寺の周辺では、参拝者達の
路上駐車が非常に多いのだそうです
善行を積むための、せっかくの修行の機会。
それを毒に変じるような愚かな行為は、絶対にやめましょう
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
山の中腹にある、小じんまりとした印象のこちらのお寺。
元は、山号でもある府頭山の上に位置していましたが、明治の廃仏毀釈で
神社と切り離される形で、現在の位置に移されてしまいました。
嵯峨天皇の勅願により、空海さまが開かれたと伝えられる栄福寺。
かつて、海難事故の多発したという今治の地を巡錫されていた空海さまが
府頭山に護摩壇を構えて祈願されると、以後、事故は治まったそうですが
その護摩壇の跡に建立されたのが栄福寺で、護摩を修されている最中に、
阿弥陀如来さまを感じられた事から、御本尊とされました。
尚、院号の無量寿院は、阿弥陀さまの別名(無量寿如来)に由来します。
境内にある建物の内、大師堂は、開山当時の趣を残す唯一のものですが、
明治期の廃仏毀釈の中、山頂付近から現在の場所に移築されたそうです。
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男と女、東と西、陰と陽など、物事には『対』になる概念があります。
こちらの栄福寺は、海難事故がきっかけとなって建てられたお寺ですが、
前回の泰山寺は、河川の氾濫による災厄を収めるために建立されました。
町の成り立ちや、空海さまが開かれたお寺の縁起等々、局所的ではなく、
全体を見渡す様な広い視点から観察すると、そういった物事のバランスが
理解出来るかもしれません
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寺号にも含まれている『福』の字ですが、福といえば『福の神』、即ち、
神社を連想しがちです。
そんな事から、『福は神社で授けて頂くもの』という印象が強いのですが
先に述べた通り、『福』の字は古来より寺院名にも多く使われています。
この『福=神社』という、一見ごく当たり前に見える図式ですが、実は、
廃仏毀釈によって植え付けられた考え方に他なりません。
仏教・神道という垣根を取り払って物事を見れば、我々は両方のみ教えに
導かれ、お世話になっている事が分かります。
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ところで、先程述べた『対』に関し、こちらの御本尊は阿弥陀如来さま、
つまり我々が『来世』の安心をお願いする仏さまですが、こちらのお寺の
お守りの功徳として強調されているのは、長命や病気平癒などといった、
どちらかと言えばお薬師さまのお役目である『現世利益』の面であるのが
面白いところです。
お寺のある『今治』という地名に、そのあたりの事情を解く鍵があるかも
しれません。
即ち、四国を巡錫していた空海さまが、道中でその持てる知識を利用し、
神仏の功徳を加える事で、人々の病気や悩みを次々と解決されましたが、
その噂は瞬く間に広まり、『追っかけ』や『偽者』等が出現するという、
憂うべき事態となりました。
そこで空海さまは、立ち寄る場所や時間を事前に予告し、集まった人々に
お加持を行い、的確なアドバイスを行って問題を即座に解決・・・
つまり、『今』すぐに『治』して下さったわけです。
空海さまがその様な事を行う場所として、偶然に今治の地を選んだ訳では
決してありません。
まず、気候が温暖である。
次に、四国のみならず、対岸の安芸の国からも人々が来る事が出来る。
漢方としても効能のあるミカンがある
そして、湯治のできる温泉場が多くある
・・・それら、病気治療に適し、しかも一度に多くの人が集う事が可能な
最適な場所が、今治だったのです
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、『長寿お守り手拭い』に書いてある事に目をとめました
「米寿の人の品を持つと、幸せに長生き出来る」そうで、この手拭いは、
八十八歳の方が書いたものだとの事。
ところで、ごんたは『米寿』と『八十八歳』が結びつかないようですが、
『米』の字を分解すると『八十八』になる事から来たこじつけです。
六十は還暦。
七十は『人生七十、古来稀なり』から古稀。
七十七は喜寿。『喜』の草書体が『七十七』に似ているため。
八十は傘寿。『傘』の略字体が『八十』に見えるため。
九十は卒寿。『卒』の略字体が『九十』と読めるため。
百は百(もも)寿。
百から一を引いて白寿、九十九のお祝い。
百八は茶寿。
百二十は大還暦。
・・・そして二百五十歳の事を、天寿と言います。
ところで、四十歳の事を四十路、または論語の『四十にして惑わず』から
『不惑』とも言われますが、別の呼び方としては・・・『初老』。
たけやんからそんな話を聞いたごんた、突然に老け込んでしまいました。
『寿』はめでたい字ですが、本当に穏やかに長生きした人が書いてこそ、
本物のめでたさ、値打ちが出るというもの。
尚、『夢』という字を好んで使う人が多くいますが、この字の略字体は、
『林』の下に『夕』・・・夕方の林を見て感じる儚さを表わしています。
ですから、『夢』の字の掛け軸は、仏事やお葬式に使われるものであって
祝い事に使うと、恥をかく事になります。
たかが字、されど字・・・
深いです
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先日、お参りしている時に、通りすがりの人から
「山の中でもないのに、鈴をつけていても良いのか?」
・・・と尋ねられ、返答に困ったという杉本さん
確かに、山道などでは獣除けの役目や、見通しの悪い場所で他の参拝者に
こちらの場所を知らせる機能を果たす鈴。
ただ、こうゆうさんによれば、鈴には、以下の大事な役割があるとの事
(1) お遍路さんのイライラを静め、音色でその場を清める。
(2) 魔除けとして獣や虫にこちらの存在を示し、要らぬ殺生を避ける。
(3) 鈴の音が近付く事で、四国の人はお接待の準備を始める事が出来る。
だから鈴は、なにも山中に限って使う物ではないのです。
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最近、こうゆうさんが気になっている事が一つ
・・・それは、衣体を整えていないお遍路さんが多い事だそうです。
数を回る事だけが、お遍路の値打ちではありません。
『形』から入るという行為も、修行としては重要な事です。
『本気度』を、その姿で示す事・・・行者として、大切な姿勢です。
また最近、一行はお寺の門前で、残念な光景を見かけました。
駐車料金を『お供え』としてお願いしているお寺の周辺では、参拝者達の
路上駐車が非常に多いのだそうです
善行を積むための、せっかくの修行の機会。
それを毒に変じるような愚かな行為は、絶対にやめましょう
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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