今回のお参りは第五十九番札所、金光山・国分寺です。
天平年間、行基さまによって開かれた、大変に歴史のあるこちらのお寺。
山の上に位置しており、眼下に今治の街を一望出来ます。
御詠歌は・・・
「守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり」
『伊予』の国分寺という事での言葉遊びに、先人の洒落っ気が窺えます。
当時の歌というものは、現代で言うならCMソング。
情報が限られていた時代は、お寺の効能やお参りの方法などを読み込んで
口コミで多くの人に伝えてもらうという役割を担ったものでした。
***********
こちらのお寺には、空海さまが御染筆された五大尊のほか、親如法親皇の
法華経も奉納されています。
親如法親皇さまとは、空海さまの御影を描き遺された方で、この時の画の
アングル・装束等が、現代も、空海さまの仏画のお手本となっています。
尚、親皇さまが御影を描かれた時、空海さまの修行の妨げにならぬ様にと
陰に隠れこっそり作業されたそうですが、空海さまは気付いておられて、
最後にお大師さま自ら墨で瞳を入れられて、画が完成したそうです。
***********
全国各地にある国分寺は、中央政府の命により建てられたという性格上、
政治や、時の権力者などの影響を多大に受けてきており、時代によって、
宗派も次々と変えられた歴史を持つ所が大部分です。
そんな中にあって、この伊予国分寺は、741年の開山から現代に至るまで
『真言律宗』を貫いておられます。
これは、圧力に屈せず、伝統を守り続けて来られた代々の御住職の努力、
そして、熱心な信者さん達の厚い信仰心の賜物でしょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
四国の国分寺も、これで3つ目。
残すは、あと讃岐の一ヶ寺のみとなり、少々感慨深気なごんた。
そんなごんたに、たけやんは伊予国分寺周辺に伝わる『巳正月』という、
変わった風習を教えます。
650年以上も続いているというこの行事、その年の1~11月に亡くなった
新仏さんのある家で行われる、追善供養の一種です。
12月はじめの『巳の日』の前の晩、祭壇を作って新仏さんの位牌を祀り、
しめ縄を飾って、平たい餅をお供えします。
しめ縄というと神道を連想しますが、これは元々『結界』の意味。
餅は『鏡』の代わりで、亡くなった人を映し出す役割。
また一説には、白い餅は亡くなった人の魂を表わすとも言われています。
巳の刻に、亡くなった人の家族・親戚・友人・同業者等が提灯をつけて、
お墓参りをするのですが、行き帰りの道中は無言でなくてはなりません。
お参りの後は、しめ縄を燃やす火で餅を焙って食べるのですが、これは、
亡くなった人の魂を受け継ぐという意味合いがあります。
そして、行事が終わって家に帰り着くまで、参加者は後ろを振り返っては
ならないそうです。
『無言』といい、『振り返ってはならない』という事といい・・・
幽霊でも出るのではないかと、恐がってばかりのごんたでした。
尚、正月を迎えられなかった新仏さんを偲んで行われる、この風習。
元々は、戦国武装の脇屋義助公が亡くなった事を、敵方に知られぬ様にと
公にせず、亡き主君を偲んだ家来が12月になって夜中に墓参りした事が
起源と言われています。
***********
最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回は、門前の駐車場傍にある『タオルの里・極楽館』の明るい御主人に
インタビューです。
杉本さん、開口一番、大感激の様子ですが、その理由とは・・・
お接待として頂いた白無地のタオルに、赤い糸で、番組のキャラクターと
FMくらしきのロゴを刺繍して下さったからなのでした。
他の参拝者にも、お接待としてタオルを差し上げるという御主人。
時々、駅前のキャッチセールスと勘違いされる事もあるとか
でも、そんな中に印象深い出会いもあって、以前、熊本から来たという、
空手の道着姿のお遍路さんと親しくなって、つい先日、その方の結婚式に
招待され、引き出物としてタオルを発注して頂いたそうです。
12年間、看板店主として働いていらしゃる御主人。
その明るい性格に引かれ、ファンも多いようで、お店に出ていない時は、
「今日はいらっしゃらないのか?」
・・・といった問い合わせが入る事もあるそうです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
天平年間、行基さまによって開かれた、大変に歴史のあるこちらのお寺。
山の上に位置しており、眼下に今治の街を一望出来ます。
御詠歌は・・・
「守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり」
『伊予』の国分寺という事での言葉遊びに、先人の洒落っ気が窺えます。
当時の歌というものは、現代で言うならCMソング。
情報が限られていた時代は、お寺の効能やお参りの方法などを読み込んで
口コミで多くの人に伝えてもらうという役割を担ったものでした。
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こちらのお寺には、空海さまが御染筆された五大尊のほか、親如法親皇の
法華経も奉納されています。
親如法親皇さまとは、空海さまの御影を描き遺された方で、この時の画の
アングル・装束等が、現代も、空海さまの仏画のお手本となっています。
尚、親皇さまが御影を描かれた時、空海さまの修行の妨げにならぬ様にと
陰に隠れこっそり作業されたそうですが、空海さまは気付いておられて、
最後にお大師さま自ら墨で瞳を入れられて、画が完成したそうです。
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全国各地にある国分寺は、中央政府の命により建てられたという性格上、
政治や、時の権力者などの影響を多大に受けてきており、時代によって、
宗派も次々と変えられた歴史を持つ所が大部分です。
そんな中にあって、この伊予国分寺は、741年の開山から現代に至るまで
『真言律宗』を貫いておられます。
これは、圧力に屈せず、伝統を守り続けて来られた代々の御住職の努力、
そして、熱心な信者さん達の厚い信仰心の賜物でしょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
四国の国分寺も、これで3つ目。
残すは、あと讃岐の一ヶ寺のみとなり、少々感慨深気なごんた。
そんなごんたに、たけやんは伊予国分寺周辺に伝わる『巳正月』という、
変わった風習を教えます。
650年以上も続いているというこの行事、その年の1~11月に亡くなった
新仏さんのある家で行われる、追善供養の一種です。
12月はじめの『巳の日』の前の晩、祭壇を作って新仏さんの位牌を祀り、
しめ縄を飾って、平たい餅をお供えします。
しめ縄というと神道を連想しますが、これは元々『結界』の意味。
餅は『鏡』の代わりで、亡くなった人を映し出す役割。
また一説には、白い餅は亡くなった人の魂を表わすとも言われています。
巳の刻に、亡くなった人の家族・親戚・友人・同業者等が提灯をつけて、
お墓参りをするのですが、行き帰りの道中は無言でなくてはなりません。
お参りの後は、しめ縄を燃やす火で餅を焙って食べるのですが、これは、
亡くなった人の魂を受け継ぐという意味合いがあります。
そして、行事が終わって家に帰り着くまで、参加者は後ろを振り返っては
ならないそうです。
『無言』といい、『振り返ってはならない』という事といい・・・
幽霊でも出るのではないかと、恐がってばかりのごんたでした。
尚、正月を迎えられなかった新仏さんを偲んで行われる、この風習。
元々は、戦国武装の脇屋義助公が亡くなった事を、敵方に知られぬ様にと
公にせず、亡き主君を偲んだ家来が12月になって夜中に墓参りした事が
起源と言われています。
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最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回は、門前の駐車場傍にある『タオルの里・極楽館』の明るい御主人に
インタビューです。
杉本さん、開口一番、大感激の様子ですが、その理由とは・・・
お接待として頂いた白無地のタオルに、赤い糸で、番組のキャラクターと
FMくらしきのロゴを刺繍して下さったからなのでした。
他の参拝者にも、お接待としてタオルを差し上げるという御主人。
時々、駅前のキャッチセールスと勘違いされる事もあるとか
でも、そんな中に印象深い出会いもあって、以前、熊本から来たという、
空手の道着姿のお遍路さんと親しくなって、つい先日、その方の結婚式に
招待され、引き出物としてタオルを発注して頂いたそうです。
12年間、看板店主として働いていらしゃる御主人。
その明るい性格に引かれ、ファンも多いようで、お店に出ていない時は、
「今日はいらっしゃらないのか?」
・・・といった問い合わせが入る事もあるそうです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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