今回のお参りは第六十一番札所、栴檀山・香園寺です。
杉本さん曰く『中華料理店っぽい』寺号のこちら。
実は、その『香』という言葉がキーワードになっています。
平地に位置するお寺ですが、まずはその建物にビックリ。
鉄筋コンクリート製の合理的でモダンな造りは、正に『ビルディング』。
一行が慣れ親しんで来たお寺の外観とは、かなり趣きを異にしています。
でも、結界をはる時などに使われる、檜葉の木が境内にあるのを見ると、
ここが密教寺院であるという事が、辛うじて分かります。
***********
時の天皇の病気平癒を祈願し、聖徳太子さまが建立されたと伝えられる、
非情に歴史の古いこちらのお寺。
後に空海さまが訪れ、香木である栴檀の木で護摩供養をされたという事が
現在の寺号につながっています。
白檀・紫檀・黒檀など、『檀』の字がつく木は、仏さまへのお供えとして
使われる事が多いのですが、お香はその場に留まって、清める力があり、
特に高価なお香は『二里清める』とも言われます。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
小さな子供を抱くお大師像を目にしたごんた、何やら良からぬ想像をして
一人納得している様子。
でもこれ、実は『子安大師像』と言い、子供の安産や健康を祈るお姿で、
お大師さまが御自身の子供をお抱きになっているのではありません。
医学がまだ発達していなかった時代、出産といえば生死を賭けた一大事。
また、無事生まれたとしても、その子が成長する前に亡くなるという事も
今よりはずっと多かったでしょう。
ただ、そんなたけやんの説明を聞いても、釈然としない様子のごんた。
仏さまのお務めとは、全てのものを分け隔てなく救う事・・・のはず。
ならば、安産とか、小さな子供が対象の『子安大師像』に限定しないで、
普通に仏像をおまつりして、老若男女全てを受け入れる形にしておくのが
本義なのでは?
確かに、ごんたの言う通りなのですが、信仰心の薄れた時代にあっては、
仏さまを信じるための『入り口』的な形も必要、という事なのでしょう。
・・・・・・・・・・・
子供の成長が大変な事だ、という話は、遥か遠くお釈迦さまの時代からも
伝えられています。
キサーゴータニーという女性が、嫁ぎ先で子供を産みました。
しかし、可愛い盛りに、その子は突然に亡くなってしまいます。
我が子の亡骸を抱き、薬を求めて町を彷徨うキサーゴータニー。
そんな彼女を見かねた町人の一人が、ブッダの下へ行くよう進言します。
ブッダはおっしゃいました。
「まだ一度も死人を出した事のない家から、芥子粒を貰って来なさい。」
キサーゴータニーは喜んで探しに出掛けますが、そんな家がある筈もなく
やがて彼女は、お釈迦さまが自分に伝えたかった事に気付きました。
「我が子一人が死んだのではない。死は、この世に生まれた者の定め。」
キサーゴータニーは我が子の亡骸を埋葬し、出家したそうです。
・・・・・・・・・・・
死は、誰にでも等しく訪れるもの。
残された者は、死別の悲しみを乗り越えて、生き続けねばなりません。
***********
札所も、61番目。
お寺には、慣れ親しんだ形とか、こうあるべきというイメージがあって、
そんな中、この様なイレギュラーなスタイルが忽然と出現したりすると、
どういった意味でお参りしているのか、改めて考えなければならない。
・・・杉本さんは、そんな風に感じたそうです。
我々は、イメージで心の安らぎを求めています。
こちらのスタイル。
何百年先か、何千年先かはわかりませんが、ひょっとしたら、この形が、
お寺の主流になっているかもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
杉本さん曰く『中華料理店っぽい』寺号のこちら。
実は、その『香』という言葉がキーワードになっています。
平地に位置するお寺ですが、まずはその建物にビックリ。
鉄筋コンクリート製の合理的でモダンな造りは、正に『ビルディング』。
一行が慣れ親しんで来たお寺の外観とは、かなり趣きを異にしています。
でも、結界をはる時などに使われる、檜葉の木が境内にあるのを見ると、
ここが密教寺院であるという事が、辛うじて分かります。
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時の天皇の病気平癒を祈願し、聖徳太子さまが建立されたと伝えられる、
非情に歴史の古いこちらのお寺。
後に空海さまが訪れ、香木である栴檀の木で護摩供養をされたという事が
現在の寺号につながっています。
白檀・紫檀・黒檀など、『檀』の字がつく木は、仏さまへのお供えとして
使われる事が多いのですが、お香はその場に留まって、清める力があり、
特に高価なお香は『二里清める』とも言われます。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
小さな子供を抱くお大師像を目にしたごんた、何やら良からぬ想像をして
一人納得している様子。
でもこれ、実は『子安大師像』と言い、子供の安産や健康を祈るお姿で、
お大師さまが御自身の子供をお抱きになっているのではありません。
医学がまだ発達していなかった時代、出産といえば生死を賭けた一大事。
また、無事生まれたとしても、その子が成長する前に亡くなるという事も
今よりはずっと多かったでしょう。
ただ、そんなたけやんの説明を聞いても、釈然としない様子のごんた。
仏さまのお務めとは、全てのものを分け隔てなく救う事・・・のはず。
ならば、安産とか、小さな子供が対象の『子安大師像』に限定しないで、
普通に仏像をおまつりして、老若男女全てを受け入れる形にしておくのが
本義なのでは?
確かに、ごんたの言う通りなのですが、信仰心の薄れた時代にあっては、
仏さまを信じるための『入り口』的な形も必要、という事なのでしょう。
・・・・・・・・・・・
子供の成長が大変な事だ、という話は、遥か遠くお釈迦さまの時代からも
伝えられています。
キサーゴータニーという女性が、嫁ぎ先で子供を産みました。
しかし、可愛い盛りに、その子は突然に亡くなってしまいます。
我が子の亡骸を抱き、薬を求めて町を彷徨うキサーゴータニー。
そんな彼女を見かねた町人の一人が、ブッダの下へ行くよう進言します。
ブッダはおっしゃいました。
「まだ一度も死人を出した事のない家から、芥子粒を貰って来なさい。」
キサーゴータニーは喜んで探しに出掛けますが、そんな家がある筈もなく
やがて彼女は、お釈迦さまが自分に伝えたかった事に気付きました。
「我が子一人が死んだのではない。死は、この世に生まれた者の定め。」
キサーゴータニーは我が子の亡骸を埋葬し、出家したそうです。
・・・・・・・・・・・
死は、誰にでも等しく訪れるもの。
残された者は、死別の悲しみを乗り越えて、生き続けねばなりません。
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札所も、61番目。
お寺には、慣れ親しんだ形とか、こうあるべきというイメージがあって、
そんな中、この様なイレギュラーなスタイルが忽然と出現したりすると、
どういった意味でお参りしているのか、改めて考えなければならない。
・・・杉本さんは、そんな風に感じたそうです。
我々は、イメージで心の安らぎを求めています。
こちらのスタイル。
何百年先か、何千年先かはわかりませんが、ひょっとしたら、この形が、
お寺の主流になっているかもしれません。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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