今回のお参りは第六十二番札所、天養山・宝寿寺です。
前回訪れた香園寺からほど近い、平野部に位置するこちらのお寺。
こじんまりした、本当に普通の『町中のお寺』という風情の札所ですが、
歴史は古く、開基は空海さま。
御本尊の十一面観音像も、空海さま作と伝えられています。
***********
通りから近く、裏には線路があり、また境内もあまり広くない事もあって
お参りするに当たり、周りの音に惑わされない様に心の準備が必要です
でも、このような環境にあって、普通に拝める術を身につける事もまた、
重要な修行の一つです
札所が、山深い静かな立地の所ばかりでないのと同様、お遍路さん達も、
同じ様な場所に住んでいるわけではありませんから、四国から帰った後、
この体験を、各々の生活の場所での、日々の勤行に生かせるはずです。
近頃は、車での参拝が主流となりましたから、使う人は少ないのですが、
『笠』は、大変に重要な役割を果たすものです。
・自分の読経の声がハッキリと聞こえる。
・視界が多少遮られる。
そのため、自分の世界に容易に入る事が出来て、周囲にも惑わされにくく
なるのです。
そんな理由から、こうゆうさんも托鉢行の際には必ず笠を被るそうですが
そこで気付いたのが、道行く人々の足元の事
こうゆうさんのお師匠さんは、「足元を見れば、その人の徳が分かる」と
常々おっしゃっていたそうですが、托鉢に出て人々の歩みを見ていると、
足の運びや揃え方、靴の履き方など、確かに、その人の本質が出ていると
感じる場面が多いそうです。
『おしゃれはまず足元から』
『脱いだ履物はキチンと揃えて』
昔から何気なく使われる言葉ですが、その辺の意味も含んでいそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
宝寿寺には、四国八十八か所霊場で最古の道しるべがあったそうですが、
今は、愛媛県歴史文化博物館に移されている、との事。
道しるべでたけやんが思い出すのが、高野山の町石道。
九度山の慈尊院を起点に、高野山奥の院まで続く参詣道です。
お大師さまが一町(109m)毎に木製の卒塔婆を建立されたのが
起源とされ、
鎌倉時代になって、石造りの五輪塔が新たに建てらました。
それらの町石は今もなお、数多く訪れる参拝者達を、感謝の念とともに、
聖地へと導いてくれます。
『人は二度死ぬ』と言われます。
一度目は、肉体の滅びる時。
そして二度目は、誰からも語られなくなる時。
生前の悪事をいつまでも言われ続け、子孫にも肩身の狭い思いさせる者。
まだこの世にありながら、周囲から忘れ去られてしまった者。
寄進した町石に不本意ながら名を刻み、後世の人々からも感謝される者。
命の生かし方・生かされ方を考えずにはおられないたけやんでした。
***********
続いて、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回登場は、和歌山からいらした御夫婦。
会社を退職したら、お遍路を回りたいと思っていたそうで、念願かなって
現在は歩き始めて3年、11回目の四国だそうです。
足が悪い御主人の事を考えて、1回のスケジュールは約1 週間。
気候の厳しい夏と冬に回る事は避けているそうです。
四国の魅力は、自然風土と、人の温かさ
道を間違えそうになると教えてくれたり、近道を指し示してくれたりと、
行く度に癒され、何回もお遍路に出る人の気持ちもよくわかる、との事。
持って行く装備は、回を重ねる毎に要領もつかめて、だんだん少なくなり
現在は必要最小限だそうです。
***********
札所も、62箇所目。
杉本さんが納経所で御朱印を頂くお軸も、空白がどんどんと減って行き、
染み込んだ墨で、重さもズッシリと感じるようになってきました
形に残す意図はなかったとしても、しっかり拝んだ成果が目に見えるのは
やはり嬉しいものです。
そこには、それぞれの札所の思い出も刻まれています。
四国八十八か所、残された札所はあと僅かです
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
前回訪れた香園寺からほど近い、平野部に位置するこちらのお寺。
こじんまりした、本当に普通の『町中のお寺』という風情の札所ですが、
歴史は古く、開基は空海さま。
御本尊の十一面観音像も、空海さま作と伝えられています。
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通りから近く、裏には線路があり、また境内もあまり広くない事もあって
お参りするに当たり、周りの音に惑わされない様に心の準備が必要です
でも、このような環境にあって、普通に拝める術を身につける事もまた、
重要な修行の一つです
札所が、山深い静かな立地の所ばかりでないのと同様、お遍路さん達も、
同じ様な場所に住んでいるわけではありませんから、四国から帰った後、
この体験を、各々の生活の場所での、日々の勤行に生かせるはずです。
近頃は、車での参拝が主流となりましたから、使う人は少ないのですが、
『笠』は、大変に重要な役割を果たすものです。
・自分の読経の声がハッキリと聞こえる。
・視界が多少遮られる。
そのため、自分の世界に容易に入る事が出来て、周囲にも惑わされにくく
なるのです。
そんな理由から、こうゆうさんも托鉢行の際には必ず笠を被るそうですが
そこで気付いたのが、道行く人々の足元の事
こうゆうさんのお師匠さんは、「足元を見れば、その人の徳が分かる」と
常々おっしゃっていたそうですが、托鉢に出て人々の歩みを見ていると、
足の運びや揃え方、靴の履き方など、確かに、その人の本質が出ていると
感じる場面が多いそうです。
『おしゃれはまず足元から』
『脱いだ履物はキチンと揃えて』
昔から何気なく使われる言葉ですが、その辺の意味も含んでいそうです。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
宝寿寺には、四国八十八か所霊場で最古の道しるべがあったそうですが、
今は、愛媛県歴史文化博物館に移されている、との事。
道しるべでたけやんが思い出すのが、高野山の町石道。
九度山の慈尊院を起点に、高野山奥の院まで続く参詣道です。
お大師さまが一町(109m)毎に木製の卒塔婆を建立されたのが
起源とされ、
鎌倉時代になって、石造りの五輪塔が新たに建てらました。
それらの町石は今もなお、数多く訪れる参拝者達を、感謝の念とともに、
聖地へと導いてくれます。
『人は二度死ぬ』と言われます。
一度目は、肉体の滅びる時。
そして二度目は、誰からも語られなくなる時。
生前の悪事をいつまでも言われ続け、子孫にも肩身の狭い思いさせる者。
まだこの世にありながら、周囲から忘れ去られてしまった者。
寄進した町石に不本意ながら名を刻み、後世の人々からも感謝される者。
命の生かし方・生かされ方を考えずにはおられないたけやんでした。
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続いて、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回登場は、和歌山からいらした御夫婦。
会社を退職したら、お遍路を回りたいと思っていたそうで、念願かなって
現在は歩き始めて3年、11回目の四国だそうです。
足が悪い御主人の事を考えて、1回のスケジュールは約1 週間。
気候の厳しい夏と冬に回る事は避けているそうです。
四国の魅力は、自然風土と、人の温かさ
道を間違えそうになると教えてくれたり、近道を指し示してくれたりと、
行く度に癒され、何回もお遍路に出る人の気持ちもよくわかる、との事。
持って行く装備は、回を重ねる毎に要領もつかめて、だんだん少なくなり
現在は必要最小限だそうです。
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札所も、62箇所目。
杉本さんが納経所で御朱印を頂くお軸も、空白がどんどんと減って行き、
染み込んだ墨で、重さもズッシリと感じるようになってきました
形に残す意図はなかったとしても、しっかり拝んだ成果が目に見えるのは
やはり嬉しいものです。
そこには、それぞれの札所の思い出も刻まれています。
四国八十八か所、残された札所はあと僅かです
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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