今回のお参りは第六十四番札所、石鉄山・前神寺です。
奈良時代、役行者によって修験の道場として開かれたという、歴史の古い
こちらのお寺。
仏教伝来より前から日本に存在していたと言われる修験道は、自然崇拝が
その根本にあります。
我々に恵みを下さる一方、時には大きな災害をもたらす事もある大自然
そんな自然の中にあって、最も厳しい場所である山岳地帯の真っ只中へと
身を投じ、山・神・自然と一体となり、それらの力を我がものとする事で
制御する術を身につけるのが修験道。
ですから、修験の行事に『雨天中止』などは有り得ない事です。
何故なら、天候など自在にコントロール出来るのが行者だからです。
***********
実は、若き日の空海さまは修験に没頭し、四国や吉野の山野を駆け巡って
修行に明け暮れていました。
『前神』の寺号が持つ意味。
権現堂の背後にある山全体が御神体で、その前に建つお寺という事。
修験道と密教の関わりを、最も強く感じる事の出来るお寺です。
周囲の諸堂を眺めながら本堂へと近付いて行くと、バックの木々や山々が
グッと迫ってくるような迫力。
山岳修行の寺院の境内には、中央に土を四角く切った場所がありますが、
これは『柴燈護摩』を修する所ですので、清浄でなくてはなりません。
立入禁止の柵などが無いお寺もありますので、お参りの際には、うっかり
その上を歩いたりする事のないよう、注意が必要です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、前神寺さんの寺号で悩んでいる様子
『前に神さまがおられるお寺』なのか?
『神さまの前に建てたお寺』なのか?
たけやんによれば、漢文の規則は後ろから前に読む、という事ですので、
『神さまの前のお寺』という解釈になります。
そこでごんた、お堂の後ろに回ろうとしますが、神さまがおられる場所は
後ろに見える山・・・石鎚山の事です。
険しい山の頂上や、海沿いの切り立った岩など、人が行けない聖域の事を
『奥の院』と言いますが、若き日の空海さまが巡って修行をしていたのは
そういった場所でした。
神さまは『穢れ』を嫌います。
ですから、『神さまを拝むお寺』である前神寺のお坊さん方は、かつては
お葬式に行きませんでした。
現代になって改められたものの、今でも御斎の膳は頂かないそうです。
これは、人間は食べ物を前にすると、自分の好み、即ち『欲』が出る事で
穢れにつながるためです。
『よごれ』には二種類あって、表面的・物理的なものを『汚れ』と表し、
内面的・精神的なものが『穢れ』です。
動物には、生きる事への執着・・・欲、即ち『穢れ』があります。
ですから生き物を殺してその肉を食べるという行為は、捕えられた動物の
恐怖や不安、死にたくないという生への執着、つまりは欲を自分の体内に
取り入れる事でもあるのです。
お坊さんの『不殺生』の戒律とは、『命を尊ぶ』という意味合いの他に、
『他人に恐怖や悲しみ・不安を与えない』という事も含んでいるのです。
***********
お参りを修めた一行、納経所とお大師堂の中間点にある『お滝不動』へと
やって来ました。
現在はあまり水量はありませんが、以前は滝行が行われていたこの場所
こちらのお不動さまめがけて1円玉を投じ、見事側面に貼り付いたならば
願いがかなうと言われているのですが・・・
杉本さん、外野から浴びせられる失礼な発言(笑)にイライラしながらも、
硬貨を清めて合掌、御真言を唱え、
『3年以内に良縁に恵まれるように』
との願いを込めて・・・投入!
硬貨は落ちそうになりながらも、木の葉に受け止められる格好となって、
お不動さまにピタリと貼り付き、見事に大成功!!
我を忘れて、大はしゃぎする杉本さん。
・・・それほどまでに、切実な願いだったという事の証明でしょう(笑)
***********
こちら、『前神寺』という寺号、及び『神さまを拝む』という特性から、
御本尊は大権現さまだと思っている人も多い様ですが、実は阿弥陀さま。
有名な神さまとの関わりが深いからと言っても、その神さまと御本尊とが
必ずしも一致しているとは限らないようです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
奈良時代、役行者によって修験の道場として開かれたという、歴史の古い
こちらのお寺。
仏教伝来より前から日本に存在していたと言われる修験道は、自然崇拝が
その根本にあります。
我々に恵みを下さる一方、時には大きな災害をもたらす事もある大自然
そんな自然の中にあって、最も厳しい場所である山岳地帯の真っ只中へと
身を投じ、山・神・自然と一体となり、それらの力を我がものとする事で
制御する術を身につけるのが修験道。
ですから、修験の行事に『雨天中止』などは有り得ない事です。
何故なら、天候など自在にコントロール出来るのが行者だからです。
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実は、若き日の空海さまは修験に没頭し、四国や吉野の山野を駆け巡って
修行に明け暮れていました。
『前神』の寺号が持つ意味。
権現堂の背後にある山全体が御神体で、その前に建つお寺という事。
修験道と密教の関わりを、最も強く感じる事の出来るお寺です。
周囲の諸堂を眺めながら本堂へと近付いて行くと、バックの木々や山々が
グッと迫ってくるような迫力。
山岳修行の寺院の境内には、中央に土を四角く切った場所がありますが、
これは『柴燈護摩』を修する所ですので、清浄でなくてはなりません。
立入禁止の柵などが無いお寺もありますので、お参りの際には、うっかり
その上を歩いたりする事のないよう、注意が必要です。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、前神寺さんの寺号で悩んでいる様子
『前に神さまがおられるお寺』なのか?
『神さまの前に建てたお寺』なのか?
たけやんによれば、漢文の規則は後ろから前に読む、という事ですので、
『神さまの前のお寺』という解釈になります。
そこでごんた、お堂の後ろに回ろうとしますが、神さまがおられる場所は
後ろに見える山・・・石鎚山の事です。
険しい山の頂上や、海沿いの切り立った岩など、人が行けない聖域の事を
『奥の院』と言いますが、若き日の空海さまが巡って修行をしていたのは
そういった場所でした。
神さまは『穢れ』を嫌います。
ですから、『神さまを拝むお寺』である前神寺のお坊さん方は、かつては
お葬式に行きませんでした。
現代になって改められたものの、今でも御斎の膳は頂かないそうです。
これは、人間は食べ物を前にすると、自分の好み、即ち『欲』が出る事で
穢れにつながるためです。
『よごれ』には二種類あって、表面的・物理的なものを『汚れ』と表し、
内面的・精神的なものが『穢れ』です。
動物には、生きる事への執着・・・欲、即ち『穢れ』があります。
ですから生き物を殺してその肉を食べるという行為は、捕えられた動物の
恐怖や不安、死にたくないという生への執着、つまりは欲を自分の体内に
取り入れる事でもあるのです。
お坊さんの『不殺生』の戒律とは、『命を尊ぶ』という意味合いの他に、
『他人に恐怖や悲しみ・不安を与えない』という事も含んでいるのです。
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お参りを修めた一行、納経所とお大師堂の中間点にある『お滝不動』へと
やって来ました。
現在はあまり水量はありませんが、以前は滝行が行われていたこの場所
こちらのお不動さまめがけて1円玉を投じ、見事側面に貼り付いたならば
願いがかなうと言われているのですが・・・
杉本さん、外野から浴びせられる失礼な発言(笑)にイライラしながらも、
硬貨を清めて合掌、御真言を唱え、
『3年以内に良縁に恵まれるように』
との願いを込めて・・・投入!
硬貨は落ちそうになりながらも、木の葉に受け止められる格好となって、
お不動さまにピタリと貼り付き、見事に大成功!!
我を忘れて、大はしゃぎする杉本さん。
・・・それほどまでに、切実な願いだったという事の証明でしょう(笑)
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こちら、『前神寺』という寺号、及び『神さまを拝む』という特性から、
御本尊は大権現さまだと思っている人も多い様ですが、実は阿弥陀さま。
有名な神さまとの関わりが深いからと言っても、その神さまと御本尊とが
必ずしも一致しているとは限らないようです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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