今回のお参りは第七十一番札所、剣五山・弥谷寺です。
巷に溢れる、お遍路のガイドブック。
そのどれを見ても、『四国有数の石段のある札所』として紹介されている
こちらのお寺、段数は五百段を超えているとか
日本各地には『死者の魂が山へ還る』といった考え方の残る場所があり、
この弥谷寺周辺の地域も同様なのですが、ただ、ここの独特な風習として
『魂を山へお連れする』という形態がとられて来たそうです。
だから、この弥谷寺への参道は、言わば『黄泉の国』へ至る道。
喘ぎながら石段を上る一行ですが、道のりが厳しいのは当然なのです
***********
こちらの開基は、空海さまより前の時代に活躍された、行基菩薩さまだと
伝えられています。
元々、日本に伝来した当時の仏教は、国の守護の下で、鎮護国家の役割が
主要なものでした。
ところが行基菩薩さまは、そのような『高い場所』から下りて来られて、
庶民のために教えを説いて、民衆を動かすという、当時の常識からすれば
型破りな方法で、み教えを広められました。
その様な、行基さまの尊いお姿・行いに影響を受けたお坊さん方も多く、
各地に残る行基伝説の中には、行基さまの名を語って民衆のために動いた
無名の僧侶達の活動も含まれているのでは?・・・と考えられています。
***********
息も絶え絶えになりながら、一行がやっとの思いで辿り着いた大師堂。
山の岩肌に張り付くように建てられた、特殊な造りのお堂です。
尚、ここまでの石段が、百八段。
目指す本堂へ行き着くには、まだまだ上へと向かわねばなりません。
米裕さん、お参りには『遥拝』という方法もあると提案されますが・・・
どうやら、却下のようです(笑)
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
奇妙な叫び声を上げるごんた。
一体何事か、たけやんが尋ねると、仏さまと喧嘩をしている、との事
見れば、ごんたが相対しているのは、胸の前で両の拳を合わせたお姿の、
金剛拳菩薩さま。
勇ましく見える外観は、説法をなさっているお姿だそうです。
お遍路は、悟りを求め、仏さまと一体になる旅です。
『同行二人』として、いつも見守って下さっているお大師さまを信じて、
任せ切る・・・即ち、帰依する。
お大師さまに憧れ、従い、体と言葉と心までも、お大師さまになり切る。
・・・その瞬間、その人は既に、仏さまになっているのです。
金剛拳菩薩さまの、胸の前で拳を重ねた力強いお姿は、仏道を歩む人々に
「その覚悟を忘れるな」という事を、身をもって示しておられるのです。
***********
本堂でのお参りを修めた一行は、眼下に町を見渡す山の岩肌に刻まれた、
摩崖仏の元へとやって来ました。
残念ながら部分的に欠けていたりしますが、おそらく明治期の廃仏毀釈の
爪痕でしょう。
仏教伝来以前、日本人は木々や川、山などを神として崇めていましたが、
そんな神々の宿る場所へ、海外からやって来た仏さまのお姿を刻む
互いの尊さを認め合い、融合した形。
仏教と日本古来の信仰、それぞれの懐の深さを窺い知る事が出来ます。
***********
札所のお参りの形態としては、お堂の外から納経するのが一般的ですが、
こちらのお大師堂では、靴を脱いで、中に上がらせて頂きます
前述の通り、険しい山の地形に合わせた、岩肌に張り付く特殊な造りで、
奥の院の『獅子の岩窟』などをお参りさせて頂く事が出来ます。
とにかく、そこに座って、その場の『気』を頂くだけで有り難い。
・・・そんな、無意識に『南無大師遍昭金剛』の御宝号が口から出る様な
厳しさの中にも爽やかな空気を感じる、不思議で神聖な空間です
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
巷に溢れる、お遍路のガイドブック。
そのどれを見ても、『四国有数の石段のある札所』として紹介されている
こちらのお寺、段数は五百段を超えているとか
日本各地には『死者の魂が山へ還る』といった考え方の残る場所があり、
この弥谷寺周辺の地域も同様なのですが、ただ、ここの独特な風習として
『魂を山へお連れする』という形態がとられて来たそうです。
だから、この弥谷寺への参道は、言わば『黄泉の国』へ至る道。
喘ぎながら石段を上る一行ですが、道のりが厳しいのは当然なのです
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こちらの開基は、空海さまより前の時代に活躍された、行基菩薩さまだと
伝えられています。
元々、日本に伝来した当時の仏教は、国の守護の下で、鎮護国家の役割が
主要なものでした。
ところが行基菩薩さまは、そのような『高い場所』から下りて来られて、
庶民のために教えを説いて、民衆を動かすという、当時の常識からすれば
型破りな方法で、み教えを広められました。
その様な、行基さまの尊いお姿・行いに影響を受けたお坊さん方も多く、
各地に残る行基伝説の中には、行基さまの名を語って民衆のために動いた
無名の僧侶達の活動も含まれているのでは?・・・と考えられています。
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息も絶え絶えになりながら、一行がやっとの思いで辿り着いた大師堂。
山の岩肌に張り付くように建てられた、特殊な造りのお堂です。
尚、ここまでの石段が、百八段。
目指す本堂へ行き着くには、まだまだ上へと向かわねばなりません。
米裕さん、お参りには『遥拝』という方法もあると提案されますが・・・
どうやら、却下のようです(笑)
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
奇妙な叫び声を上げるごんた。
一体何事か、たけやんが尋ねると、仏さまと喧嘩をしている、との事
見れば、ごんたが相対しているのは、胸の前で両の拳を合わせたお姿の、
金剛拳菩薩さま。
勇ましく見える外観は、説法をなさっているお姿だそうです。
お遍路は、悟りを求め、仏さまと一体になる旅です。
『同行二人』として、いつも見守って下さっているお大師さまを信じて、
任せ切る・・・即ち、帰依する。
お大師さまに憧れ、従い、体と言葉と心までも、お大師さまになり切る。
・・・その瞬間、その人は既に、仏さまになっているのです。
金剛拳菩薩さまの、胸の前で拳を重ねた力強いお姿は、仏道を歩む人々に
「その覚悟を忘れるな」という事を、身をもって示しておられるのです。
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本堂でのお参りを修めた一行は、眼下に町を見渡す山の岩肌に刻まれた、
摩崖仏の元へとやって来ました。
残念ながら部分的に欠けていたりしますが、おそらく明治期の廃仏毀釈の
爪痕でしょう。
仏教伝来以前、日本人は木々や川、山などを神として崇めていましたが、
そんな神々の宿る場所へ、海外からやって来た仏さまのお姿を刻む
互いの尊さを認め合い、融合した形。
仏教と日本古来の信仰、それぞれの懐の深さを窺い知る事が出来ます。
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札所のお参りの形態としては、お堂の外から納経するのが一般的ですが、
こちらのお大師堂では、靴を脱いで、中に上がらせて頂きます
前述の通り、険しい山の地形に合わせた、岩肌に張り付く特殊な造りで、
奥の院の『獅子の岩窟』などをお参りさせて頂く事が出来ます。
とにかく、そこに座って、その場の『気』を頂くだけで有り難い。
・・・そんな、無意識に『南無大師遍昭金剛』の御宝号が口から出る様な
厳しさの中にも爽やかな空気を感じる、不思議で神聖な空間です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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