今回のお参りは第七十六番札所、鶏足山・金倉寺です。
駐車場からそのまま境内に入る事も出来ますが、やはり正式な参拝手順で
山門から入らせて頂きたいもの
迫力ある仁王さまと共に、灯籠と桜の古木が一行を迎えてくれます。
境内へ入ると、歴史を感じさせる壁に、白い線が五本。
これは『寺格』を表すもので、五本は最上級、即ち皇室と関係がある事を
示しています。
***********
元は『道善寺』と称したこちら。
その意味する所は、前の札所である『善通寺』にヒントがありそうですが
解答は・・・こうゆうさんからの宿題とされました
山門をくぐった左手に大きな楠がありますが、境内の雰囲気はなんとなく
七十五番の善通寺に似ています。
戦国の大変な時代を乗り越えた後、ひょっとしたら善通寺をモデルとして
お寺を復興、整備されたのかもしれません。
特徴的なのが、鐘楼。
12本の柱に屋根がのっただけの、非常に簡素な造りですが、その佇まいは
歴史の重みを感じさせてくれます
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『金倉寺』という寺号から、キンキラキンのお寺を想像するごんたですが
勿論、そんなはずはありません。
こちらは、空海さまと同時代に活躍された最澄さまが日本に伝えられた、
天台宗に属するお寺です。
平安仏教の両巨頭であるお二人は、時を同じくして唐に渡られましたが、
朝廷の命により、様々な経典を、言わば広く浅く集めた最澄さまに対し、
空海さまは、既に日本に伝わってはいたものの、うまく理解出来なかった
密教を深く学ぶためという、一点集中の目的で海を越えられたのです。
ですから、自ら収集された密教経典に不備がある事を知った最澄さまは、
欠落している部分を補うべく、密教を極めた空海さまへ弟子入りしたり、
御自身の高弟達に空海さまの元で学ばせたりという努力をなさいました。
こちらの金倉寺、讃岐の和気氏によって開かれましたが、智証大師さまの
生誕の地としても知られています。
この智証大師円珍さまは、空海さまの姪の子と伝えられていて、つまり、
空海さまの一族は、二人ものお大師さまを輩出しているわけです
***********
四国八十八箇所の大師堂といえば、空海さまをお祀りするのが普通ですが
こちらは智証大師さまの他天台宗の高僧方、更には神変大菩薩さまの像も
安置されています。
神変とは、神(天のカミ)・祗(地のカミ)
を拝む事で必要な雨や日を頂く、
即ち、人が生活するために行う祈祷によって表われる諸々の現象の事で、
自然の大いなる力を、我々は『カミ』として崇めて来たのです。
***********
境内には『訶利帝堂』という、聞き慣れないお堂がありますが、ここは、
訶利帝母=鬼子母神さまをお祀りしている建物です。
鬼子母神さま、かつては五百人の子をもうけ、他人の子を盗っては食べる
恐ろしい鬼、訶利帝母でした。
ある日、村人から相談を受けたお釈迦さま。
一計を案じ、五百人いる彼女の子供の内の一人を隠されました。
子供の姿が見えない事に気付き、半狂乱になって探す訶利帝母でしたが、
そこで彼女は、他人の子を食うという行為が、いかに酷い事かを悟って、
改心し、神となりました。
今では鬼子母神さまは、子と母の守り神、子授けの神として、多くの民の
信仰を集めています
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
駐車場からそのまま境内に入る事も出来ますが、やはり正式な参拝手順で
山門から入らせて頂きたいもの
迫力ある仁王さまと共に、灯籠と桜の古木が一行を迎えてくれます。
境内へ入ると、歴史を感じさせる壁に、白い線が五本。
これは『寺格』を表すもので、五本は最上級、即ち皇室と関係がある事を
示しています。
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元は『道善寺』と称したこちら。
その意味する所は、前の札所である『善通寺』にヒントがありそうですが
解答は・・・こうゆうさんからの宿題とされました
山門をくぐった左手に大きな楠がありますが、境内の雰囲気はなんとなく
七十五番の善通寺に似ています。
戦国の大変な時代を乗り越えた後、ひょっとしたら善通寺をモデルとして
お寺を復興、整備されたのかもしれません。
特徴的なのが、鐘楼。
12本の柱に屋根がのっただけの、非常に簡素な造りですが、その佇まいは
歴史の重みを感じさせてくれます
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『金倉寺』という寺号から、キンキラキンのお寺を想像するごんたですが
勿論、そんなはずはありません。
こちらは、空海さまと同時代に活躍された最澄さまが日本に伝えられた、
天台宗に属するお寺です。
平安仏教の両巨頭であるお二人は、時を同じくして唐に渡られましたが、
朝廷の命により、様々な経典を、言わば広く浅く集めた最澄さまに対し、
空海さまは、既に日本に伝わってはいたものの、うまく理解出来なかった
密教を深く学ぶためという、一点集中の目的で海を越えられたのです。
ですから、自ら収集された密教経典に不備がある事を知った最澄さまは、
欠落している部分を補うべく、密教を極めた空海さまへ弟子入りしたり、
御自身の高弟達に空海さまの元で学ばせたりという努力をなさいました。
こちらの金倉寺、讃岐の和気氏によって開かれましたが、智証大師さまの
生誕の地としても知られています。
この智証大師円珍さまは、空海さまの姪の子と伝えられていて、つまり、
空海さまの一族は、二人ものお大師さまを輩出しているわけです
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四国八十八箇所の大師堂といえば、空海さまをお祀りするのが普通ですが
こちらは智証大師さまの他天台宗の高僧方、更には神変大菩薩さまの像も
安置されています。
神変とは、神(天のカミ)・祗(地のカミ)
を拝む事で必要な雨や日を頂く、
即ち、人が生活するために行う祈祷によって表われる諸々の現象の事で、
自然の大いなる力を、我々は『カミ』として崇めて来たのです。
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境内には『訶利帝堂』という、聞き慣れないお堂がありますが、ここは、
訶利帝母=鬼子母神さまをお祀りしている建物です。
鬼子母神さま、かつては五百人の子をもうけ、他人の子を盗っては食べる
恐ろしい鬼、訶利帝母でした。
ある日、村人から相談を受けたお釈迦さま。
一計を案じ、五百人いる彼女の子供の内の一人を隠されました。
子供の姿が見えない事に気付き、半狂乱になって探す訶利帝母でしたが、
そこで彼女は、他人の子を食うという行為が、いかに酷い事かを悟って、
改心し、神となりました。
今では鬼子母神さまは、子と母の守り神、子授けの神として、多くの民の
信仰を集めています
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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