今回のお参りは第七十七番札所、桑多山・道隆寺です。
待ち中の平地に位置するこちらのお寺。
山号から、この土地の主要産業が養蚕だった事は容易に想像出来ますが、
桑の木の根元に光るものがあり、その木を刻んでお薬師さまとしたのが、
お寺の始まりと言われています。
蚕の作り出す繭玉は、白ばかりでなく、中には黄金色のものもあるとか。
だから、桑の根元に光っていた物の正体は、黄金色の繭玉だったのでは?
・・・というのが、蚕を飼育した経験のあるこうゆうさんの推測です。
***********
古来より、体の不具合の中でも、特に『眼』を重視した仏教。
み教えが日本に伝来して間もない頃の、民衆の生活のレベルを考えると、
『光』というものは、今以上に貴重と考えられていたでしょう。
だからこそ、桑畑の暗がりに、現代人なら見過ごしてしまうかもしれない
小さく仄かな光を見つけて、眼病に功徳のあるというお薬師さまを刻み、
そこをお寺にしたというのは、ごく自然な事だったのかもしれません
***********
大草鞋のある立派な山門をくぐり、立派な円柱を見ながら境内に進むと、
柴燈護摩を修する場所があります。
こちらは真言宗醍醐派に属しており、修験道と深いつながりのあるお寺で
屋外で護摩法要を行う事があるのでしょう
この様な一角は、立入禁止などの特別な措置がなされていないとしても、
神聖な場所ですので、足を踏み入れてはなりません
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
75番札所の開基は佐伯善通だから、善通寺。
76番は和気道善だから、改名前の寺号が道善寺。
そんな訳で、この77番札所・道隆寺も、人名に由来するのでは?
・・・というごんたの推測ですが、その通り
1300年ほど前の奈良時代の豪族、和気道隆が開基です。
その道隆の孫・朝祐は、祖父の刻んだ小さな薬師如来像を、人々のために
更に役立てたいと、空海さまに相談したところ、お大師さま自ら
2尺5寸の大きなお薬師さまを刻まれ、元の像を胎内仏として納めました。
そして朝祐は、財宝を喜捨して出家、事が祖父の道隆から起こった事から
開基を道隆として道隆寺を建立、自身は2代目住職となり、お大師さまを
供養したそうです。
「生きているお大師さまを供養?」
たけやんの言う『供養』という言葉の使い方がシックリこないごんた。
一般的には、供養とは『供えて養う』という意味に捉えられがちですが、
『供える事で自らも養われる』
『供えさせて頂き、その功徳を巡らせる』
というのが本当の意味です。
***********
目の不自由な方を指す差別用語という事で、今は使う事が出来ませんが、
仏教における『眼が暗い』の意味するところとは、『心の眼が暗い』事、
即ち『悟りの心が開けていない』事を指します。
そんな『眼を開く』という御本尊のお働きが、眼病の人々の信仰を集め、
いつの頃からか『目治し薬師』の別名でも親しまれています
そして、そういった方々の『眼が開ける』、『治る』時間帯は、何故か、
明け方が多いそうです。
お薬師さまの正式なお名前は『薬師瑠璃光如来』。
『瑠璃光』とは、夜明け前の瞬間の空の青さ
・・・そんなところと関係しているのかもしれません。
***********
今回、五感が研ぎ澄まされる感覚を味わったという杉本さん
本堂では中に入らせて頂いてお参りしましたが、その時に気になったのが
磬子(けいす)という仏具。
これはスイカ位のサイズのもので、家庭にある『おりん』の巨大版。
良い音色を出すには『叩く』のではなく、『当てる』意識が大事です。
良い音色
耳にした人が、仏さまに思いをはせるための重要な要素です。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
待ち中の平地に位置するこちらのお寺。
山号から、この土地の主要産業が養蚕だった事は容易に想像出来ますが、
桑の木の根元に光るものがあり、その木を刻んでお薬師さまとしたのが、
お寺の始まりと言われています。
蚕の作り出す繭玉は、白ばかりでなく、中には黄金色のものもあるとか。
だから、桑の根元に光っていた物の正体は、黄金色の繭玉だったのでは?
・・・というのが、蚕を飼育した経験のあるこうゆうさんの推測です。
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古来より、体の不具合の中でも、特に『眼』を重視した仏教。
み教えが日本に伝来して間もない頃の、民衆の生活のレベルを考えると、
『光』というものは、今以上に貴重と考えられていたでしょう。
だからこそ、桑畑の暗がりに、現代人なら見過ごしてしまうかもしれない
小さく仄かな光を見つけて、眼病に功徳のあるというお薬師さまを刻み、
そこをお寺にしたというのは、ごく自然な事だったのかもしれません
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大草鞋のある立派な山門をくぐり、立派な円柱を見ながら境内に進むと、
柴燈護摩を修する場所があります。
こちらは真言宗醍醐派に属しており、修験道と深いつながりのあるお寺で
屋外で護摩法要を行う事があるのでしょう
この様な一角は、立入禁止などの特別な措置がなされていないとしても、
神聖な場所ですので、足を踏み入れてはなりません
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
75番札所の開基は佐伯善通だから、善通寺。
76番は和気道善だから、改名前の寺号が道善寺。
そんな訳で、この77番札所・道隆寺も、人名に由来するのでは?
・・・というごんたの推測ですが、その通り
1300年ほど前の奈良時代の豪族、和気道隆が開基です。
その道隆の孫・朝祐は、祖父の刻んだ小さな薬師如来像を、人々のために
更に役立てたいと、空海さまに相談したところ、お大師さま自ら
2尺5寸の大きなお薬師さまを刻まれ、元の像を胎内仏として納めました。
そして朝祐は、財宝を喜捨して出家、事が祖父の道隆から起こった事から
開基を道隆として道隆寺を建立、自身は2代目住職となり、お大師さまを
供養したそうです。
「生きているお大師さまを供養?」
たけやんの言う『供養』という言葉の使い方がシックリこないごんた。
一般的には、供養とは『供えて養う』という意味に捉えられがちですが、
『供える事で自らも養われる』
『供えさせて頂き、その功徳を巡らせる』
というのが本当の意味です。
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目の不自由な方を指す差別用語という事で、今は使う事が出来ませんが、
仏教における『眼が暗い』の意味するところとは、『心の眼が暗い』事、
即ち『悟りの心が開けていない』事を指します。
そんな『眼を開く』という御本尊のお働きが、眼病の人々の信仰を集め、
いつの頃からか『目治し薬師』の別名でも親しまれています
そして、そういった方々の『眼が開ける』、『治る』時間帯は、何故か、
明け方が多いそうです。
お薬師さまの正式なお名前は『薬師瑠璃光如来』。
『瑠璃光』とは、夜明け前の瞬間の空の青さ
・・・そんなところと関係しているのかもしれません。
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今回、五感が研ぎ澄まされる感覚を味わったという杉本さん
本堂では中に入らせて頂いてお参りしましたが、その時に気になったのが
磬子(けいす)という仏具。
これはスイカ位のサイズのもので、家庭にある『おりん』の巨大版。
良い音色を出すには『叩く』のではなく、『当てる』意識が大事です。
良い音色
耳にした人が、仏さまに思いをはせるための重要な要素です。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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楽しい番組をいつもありがとうございます
スタッフ、出演者の皆様今後も興味深い内容を楽しみにしております