今回のお参りは第七十九番札所、金華山・天皇寺です。
町中の平地に位置するこちら、駐車場に立つと、眼に飛び込んで来るのが
朱塗りの立派な鳥居
「寺ではなくて、神社?」と思ってしまいがちですが、この放送の中でも
再三言われている通り、明治の廃仏毀釈よりも前の時代、お寺と神社とは
夫婦のような関係だったのです
***********
こちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、後にこの地を訪れた空海さまが、
弥蘇場の泉で得た霊木に十一面観音さまを刻み、安置されました。
現在、こちらの院号は高照院ですが、当時は『摩尼珠院』と称しました。
この摩尼珠、宝珠とも言って、仏(円)と人間の世界(四角)の融合を表現した
尊い形で、仏さまの中でも、特に宝珠を大切にされる、観音さまに因んだ
お寺の名前だったのです
尚、空海さまは、ここに88の閼伽水を集めて秘法を修された
そうですが、
この『閼伽水』とは、ある決められた時間帯に、作法に則って集められた
修行には欠かせない水の事。
現代社会は24時間体勢で、どんな時でも同じ様な活動が行わ
れています
しかし、真言密教では時刻・時間帯というものをとても大切に考えていて
その時ならではの空気、そこで成すべき事が、非常に重要になります。
***********
毎年8月、こちらでは秘仏の御開帳が行われます。
『いつでも観られる』のと『年に一度しか観る事が出来ない』・・・
同じ仏さまですから功徳は同じですが、何となく『有難味』が違う。
個人各々、信仰の深浅の差はありますが、その限られた機縁に触れる事で
「よくぞこの一年間、無事で…」と、自分の価値を再確認出来るのです。
1年に一度、中には33年に一度しかお会い出来ない仏さまもいます。
その数少ない機会を、自らの『生きるしおり』にするのも良いでしょう
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『テンノウジ』と聞いて、大阪の環状線を連想したごんた
でも、あちらは『四天王寺』に因んだ地名で、ここは讃岐の『天皇寺』。
ならば、天皇陛下と関係が?・・・と言われれば、その通り。
第75代・崇徳天皇に所縁のあるお寺です。
『悲運の帝』とも呼ばれる、崇徳天皇。
朝廷内の権力闘争で失脚、保元の乱で敗れ、讃岐へ流刑となりました
讃岐の地で仏教に帰依、戦死者の供養と反省の日々を送るも、その思いは
当時の朝廷には伝わらず、46歳で崩御されました。
崇徳院の死後、二条天皇が22歳の若さで亡くなったのに加え、京の都では
大火事や飢饉が相次いだため、これらの災厄は『崇徳院の怨霊』の仕業と
考えられていたそうです。
一方、讃岐の地では、『四国の守り神』として崇められている崇徳院。
怨霊として忌み嫌われ、皆に恐れられる存在でも、礼節をもって接すれば
福の神に転ずる・・・そんな事を示しているのかもしれません。
事実、皇室は現在も、事ある毎に讃岐の地を訪れて崇徳院の怨霊を諌め、
災い無きよう、祀り続けているそうです。
何事に対しても礼節をもって接する・・・とても重要な事です
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
町中の平地に位置するこちら、駐車場に立つと、眼に飛び込んで来るのが
朱塗りの立派な鳥居
「寺ではなくて、神社?」と思ってしまいがちですが、この放送の中でも
再三言われている通り、明治の廃仏毀釈よりも前の時代、お寺と神社とは
夫婦のような関係だったのです
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こちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、後にこの地を訪れた空海さまが、
弥蘇場の泉で得た霊木に十一面観音さまを刻み、安置されました。
現在、こちらの院号は高照院ですが、当時は『摩尼珠院』と称しました。
この摩尼珠、宝珠とも言って、仏(円)と人間の世界(四角)の融合を表現した
尊い形で、仏さまの中でも、特に宝珠を大切にされる、観音さまに因んだ
お寺の名前だったのです
尚、空海さまは、ここに88の閼伽水を集めて秘法を修された
そうですが、
この『閼伽水』とは、ある決められた時間帯に、作法に則って集められた
修行には欠かせない水の事。
現代社会は24時間体勢で、どんな時でも同じ様な活動が行わ
れています
しかし、真言密教では時刻・時間帯というものをとても大切に考えていて
その時ならではの空気、そこで成すべき事が、非常に重要になります。
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毎年8月、こちらでは秘仏の御開帳が行われます。
『いつでも観られる』のと『年に一度しか観る事が出来ない』・・・
同じ仏さまですから功徳は同じですが、何となく『有難味』が違う。
個人各々、信仰の深浅の差はありますが、その限られた機縁に触れる事で
「よくぞこの一年間、無事で…」と、自分の価値を再確認出来るのです。
1年に一度、中には33年に一度しかお会い出来ない仏さまもいます。
その数少ない機会を、自らの『生きるしおり』にするのも良いでしょう
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『テンノウジ』と聞いて、大阪の環状線を連想したごんた
でも、あちらは『四天王寺』に因んだ地名で、ここは讃岐の『天皇寺』。
ならば、天皇陛下と関係が?・・・と言われれば、その通り。
第75代・崇徳天皇に所縁のあるお寺です。
『悲運の帝』とも呼ばれる、崇徳天皇。
朝廷内の権力闘争で失脚、保元の乱で敗れ、讃岐へ流刑となりました
讃岐の地で仏教に帰依、戦死者の供養と反省の日々を送るも、その思いは
当時の朝廷には伝わらず、46歳で崩御されました。
崇徳院の死後、二条天皇が22歳の若さで亡くなったのに加え、京の都では
大火事や飢饉が相次いだため、これらの災厄は『崇徳院の怨霊』の仕業と
考えられていたそうです。
一方、讃岐の地では、『四国の守り神』として崇められている崇徳院。
怨霊として忌み嫌われ、皆に恐れられる存在でも、礼節をもって接すれば
福の神に転ずる・・・そんな事を示しているのかもしれません。
事実、皇室は現在も、事ある毎に讃岐の地を訪れて崇徳院の怨霊を諌め、
災い無きよう、祀り続けているそうです。
何事に対しても礼節をもって接する・・・とても重要な事です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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