今回のお参りは第八十一番札所、綾松山・白峯寺です。
坂出市内にありながら、五色台の一角という立地もあり、幽玄な空気漂う
こちらのお寺。
山門には菊の御紋、そして塀には最高の寺格である事を示す五本線。
それもそのはず、こちらは崇徳上皇の御陵所でもあるのです。
***********
元々は、この地を訪れた弘法大師空海さまが、宝珠を埋めて井戸を掘り、
お堂を建立なされたのが起源。
後に、霊光に導かれてやって来た円珍和尚が、そこに現われた老翁から、
この地が大変な霊地である事を聞かされます。
そこで、瀬戸内に漂っていた流木を引き揚げ、千手観音さまのお姿を刻み
御本尊として安置されたそうです。
***********
ところで。
空海さまが井戸を掘られる前、宝珠を埋めたのは何故でしょうか?
今でこそ、仏教は我々日本人の生活に浸透していますが、当時は平安期。
まだまだ『異国から来た新しい教え』というのが、一般的な認識でした。
そこで、お堂を建てる許しを請うため、古くからその土地にいらっしゃる
神さまへの捧げものとして、地・水・火・風・空の五大元素を表現した、
宝珠という最高の贈り物をなさったのです。
この『土地に鎮めものを埋める』という事、家などを新築する前の土地で
神主さんに行って頂く『地鎮祭』そのもの、という印象ですが・・・
現代では、大多数の日本人が神道の行事と捉えている、この地鎮祭。
実は、仏教が発祥なのです
そして、円珍和尚が会ったという翁、そして流木の意味するところとは?
・・・それは、後半に。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
今回は、白峯寺にまつわる天狗のお話です
天狗に関する伝説は日本各地に残っていますが、こちらの白峯寺周辺にも
今の神奈川県あたりから移り住んだと言われる、『相模坊天狗』のお話が
伝えられています。
ある時、白峯寺に一人の客人がありましたが、もてなす物がなかっ
たため御住職は小僧さんに、ふもとで木綿豆腐を買って来るよう言
いつけます。
小僧さん、日の暮れかけた中、長い山道を行くのを心細く思っていた所、
大きな羽音がしたかと思うと、何かに背負われて空を飛び、ふと気付くと
豆腐を手に、白峯寺の門前に立っていたそうです。
ついさっき出掛けたばかりの小僧さんが、あっと言う間にお使いを済ませ
帰って来たという事で、寺は大騒ぎになりました。
しかも持ち帰ったのは、京の町でしか手に入らないという、絹ごし豆腐
これは、夜遅くのお使いを気の毒に思った相模坊天狗が、小僧さんの事を
助けてくれたのだろう、と言われています。
この、相模坊天狗
保元の乱に敗れ、都に帰る事を許されず、望郷の念を抱きつつ亡くなった
崇徳院の白峯御陵を守り抜いた事でも知られており、『相模坊大権現』、
地元では『さがんぼさん』として親しまれています。
***********
さてさて、話は戻り、円珍和尚が会った翁と、流木の件。
伝説の要所で登場する翁とは、大抵の場合が、その土地の神さまです。
円珍さんがお会いしたというこの老翁も、古くからこの土地を治めていた
神さまの仮の姿でしょう。
そして、海に浮かぶ流木を『霊木』として像を刻み、安置する行為。
これは、天竺、そして唐という遠い異国からはるばる旅をして来た仏教が
この日本の地に根差し、人々の信仰を集めたという事実を示しています
旅のガイドブックには、数行でしか語られる事のないエピソードですが、
注意深く読めば、このように深い物語が隠されている事もあります。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
坂出市内にありながら、五色台の一角という立地もあり、幽玄な空気漂う
こちらのお寺。
山門には菊の御紋、そして塀には最高の寺格である事を示す五本線。
それもそのはず、こちらは崇徳上皇の御陵所でもあるのです。
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元々は、この地を訪れた弘法大師空海さまが、宝珠を埋めて井戸を掘り、
お堂を建立なされたのが起源。
後に、霊光に導かれてやって来た円珍和尚が、そこに現われた老翁から、
この地が大変な霊地である事を聞かされます。
そこで、瀬戸内に漂っていた流木を引き揚げ、千手観音さまのお姿を刻み
御本尊として安置されたそうです。
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ところで。
空海さまが井戸を掘られる前、宝珠を埋めたのは何故でしょうか?
今でこそ、仏教は我々日本人の生活に浸透していますが、当時は平安期。
まだまだ『異国から来た新しい教え』というのが、一般的な認識でした。
そこで、お堂を建てる許しを請うため、古くからその土地にいらっしゃる
神さまへの捧げものとして、地・水・火・風・空の五大元素を表現した、
宝珠という最高の贈り物をなさったのです。
この『土地に鎮めものを埋める』という事、家などを新築する前の土地で
神主さんに行って頂く『地鎮祭』そのもの、という印象ですが・・・
現代では、大多数の日本人が神道の行事と捉えている、この地鎮祭。
実は、仏教が発祥なのです
そして、円珍和尚が会ったという翁、そして流木の意味するところとは?
・・・それは、後半に。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
今回は、白峯寺にまつわる天狗のお話です
天狗に関する伝説は日本各地に残っていますが、こちらの白峯寺周辺にも
今の神奈川県あたりから移り住んだと言われる、『相模坊天狗』のお話が
伝えられています。
ある時、白峯寺に一人の客人がありましたが、もてなす物がなかっ
たため御住職は小僧さんに、ふもとで木綿豆腐を買って来るよう言
いつけます。
小僧さん、日の暮れかけた中、長い山道を行くのを心細く思っていた所、
大きな羽音がしたかと思うと、何かに背負われて空を飛び、ふと気付くと
豆腐を手に、白峯寺の門前に立っていたそうです。
ついさっき出掛けたばかりの小僧さんが、あっと言う間にお使いを済ませ
帰って来たという事で、寺は大騒ぎになりました。
しかも持ち帰ったのは、京の町でしか手に入らないという、絹ごし豆腐
これは、夜遅くのお使いを気の毒に思った相模坊天狗が、小僧さんの事を
助けてくれたのだろう、と言われています。
この、相模坊天狗
保元の乱に敗れ、都に帰る事を許されず、望郷の念を抱きつつ亡くなった
崇徳院の白峯御陵を守り抜いた事でも知られており、『相模坊大権現』、
地元では『さがんぼさん』として親しまれています。
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さてさて、話は戻り、円珍和尚が会った翁と、流木の件。
伝説の要所で登場する翁とは、大抵の場合が、その土地の神さまです。
円珍さんがお会いしたというこの老翁も、古くからこの土地を治めていた
神さまの仮の姿でしょう。
そして、海に浮かぶ流木を『霊木』として像を刻み、安置する行為。
これは、天竺、そして唐という遠い異国からはるばる旅をして来た仏教が
この日本の地に根差し、人々の信仰を集めたという事実を示しています
旅のガイドブックには、数行でしか語られる事のないエピソードですが、
注意深く読めば、このように深い物語が隠されている事もあります。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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