今回のお参りは第八十三番札所、神毫山・一宮寺です。
高松市郊外の閑静な住宅街に位置する、こちらのお寺。
その歴史は古く、飛鳥時代にあたる大宝年間に創建され、後に行基さまが
荒廃していた堂宇を復興されたと伝えられています。
創建当初は法相宗でしたが、空海さまが観音像を刻み御本尊とされてから
真言宗のお寺になりました。
この様に、年代を追ってお寺の成り立ちを『立体的』に勉強してみると、
その歴史の深さが見えてきます。
***********
山号の『神毫山』とは、『神さまのお印』という大変尊いお名前ですが、
『カミ』には二種類あって、『神』が天にいらっしゃる存在なのに対し、
地のカミサマは『祗』と表します。
そういうカミサマのお言葉を書き留めるのに使われたのが『紙』ですが、
かつては、紙は白ければ白いほど珍重されました。
その理由とは、墨で書き記された言葉や文字はカミサマそのものであり、
真っ黒な墨が最も映えるのは、真っ白な紙だからです。
先人達が、冬にのみ得られる澄んだ水を使って、身を切る様な寒さの中、
苦労して白い紙を漉いたのは、「最高の形でカミサマの言葉を残したい」
という気持ちからだったのでしょう
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
昔、ある所に早離・即離という兄弟がいました。
幼くして母を亡くしてしまった彼等兄弟を不憫に思い、貿易商である父は
彼等の母親として、新しい妻を迎え入れます。
聞き分けがよく、いつも笑顔を絶やさない兄弟は、世間の人々から見れば
とても出来の良い子どもです
しかし、継母にとっては、兄弟の『子どもらしくない』部分が気に障り、
次第に重荷ともなって行きました。
そしてある日。
継母は、仕事で海外へ行っている父親が帰って来ると嘘をついて、兄弟を
離れ小島に置き去りにしたまま、姿を消してしまいました
やがて兄弟は、自分達が騙された事に気付きますが、継母を恨む訳でなく
全てを運命として受け入れ、静かに旅立ちました。
慈しみの心を忘れずに修行を積んだ、早離・即離の幼い兄弟。
どんな苦境でも、道を外す事なく歩んで来た彼等の姿を見守っていたのが
阿弥陀如来さまでした。
極楽浄土に生まれ変わった兄弟に、阿弥陀さまは頼み事をなさいました。
それは、悟りの世界へ辿り着いた者達に向かって、教えを説く事です。
しかし、早離・即離の兄弟は浄土に留まる事を断り、現世へと出向いて、
悲運に苦しむ人々を直接手助けしたいと申し出ました。
兄の早離は、慈しみの心で、他の悲しみを我がものとして全てを包み込み
和らげたい、と。
弟の即離は、人々の心に笑いや安らぎを目覚めさせ、知らず知らずの内に
苦しみから遠ざかるよう導きたい、と。
早離は、八十三番・一宮寺の御本尊でもある観音菩薩さまとして、そして
即離は勢至菩薩さまとして、この世で悲しみ、そして苦しむ者達のために
お働きになって下さっているのです。
***********
境内の中で目を惹くのが、平成十八年に建立された護摩堂。
本堂と見違えるほどの規模で、しかも品の良さが漂っています
護摩を修する意味は、本堂で正式に仏さまをお迎えする前に魔を払うのと
汚れのある者は、事前にそれを払い落として清め、法要を守る事です。
「護摩の修法と普通の読経、どちらがより功徳があるのか?」
・・・現場では、そんな質問もあるそうです。
どちらでも功徳を授かる事は出来ますが、手に印を結び、観念を巡らせ、
様々な作法を同時進行で行うという事から、その密度に違いがあります。
準備、そして後片付けの大変さから、お寺で護摩を修さないお坊さんも、
残念ながらいらっしゃるそうです。
若き日のこうゆうさんは、お師匠さまから
「御本尊さまの元で、休まず百座を積みなさい。」
・・・と、指導されたそうです。
そうすれば初めて、御本尊さまが『振り向いて』下さるのだそうです。
護摩。
行者にとっては最も大事で、複雑で、覚悟を要するもの・・・との事。
その意味で、護摩堂があるお寺は、寺院としての理想型と言えそうです
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
高松市郊外の閑静な住宅街に位置する、こちらのお寺。
その歴史は古く、飛鳥時代にあたる大宝年間に創建され、後に行基さまが
荒廃していた堂宇を復興されたと伝えられています。
創建当初は法相宗でしたが、空海さまが観音像を刻み御本尊とされてから
真言宗のお寺になりました。
この様に、年代を追ってお寺の成り立ちを『立体的』に勉強してみると、
その歴史の深さが見えてきます。
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山号の『神毫山』とは、『神さまのお印』という大変尊いお名前ですが、
『カミ』には二種類あって、『神』が天にいらっしゃる存在なのに対し、
地のカミサマは『祗』と表します。
そういうカミサマのお言葉を書き留めるのに使われたのが『紙』ですが、
かつては、紙は白ければ白いほど珍重されました。
その理由とは、墨で書き記された言葉や文字はカミサマそのものであり、
真っ黒な墨が最も映えるのは、真っ白な紙だからです。
先人達が、冬にのみ得られる澄んだ水を使って、身を切る様な寒さの中、
苦労して白い紙を漉いたのは、「最高の形でカミサマの言葉を残したい」
という気持ちからだったのでしょう
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
昔、ある所に早離・即離という兄弟がいました。
幼くして母を亡くしてしまった彼等兄弟を不憫に思い、貿易商である父は
彼等の母親として、新しい妻を迎え入れます。
聞き分けがよく、いつも笑顔を絶やさない兄弟は、世間の人々から見れば
とても出来の良い子どもです
しかし、継母にとっては、兄弟の『子どもらしくない』部分が気に障り、
次第に重荷ともなって行きました。
そしてある日。
継母は、仕事で海外へ行っている父親が帰って来ると嘘をついて、兄弟を
離れ小島に置き去りにしたまま、姿を消してしまいました
やがて兄弟は、自分達が騙された事に気付きますが、継母を恨む訳でなく
全てを運命として受け入れ、静かに旅立ちました。
慈しみの心を忘れずに修行を積んだ、早離・即離の幼い兄弟。
どんな苦境でも、道を外す事なく歩んで来た彼等の姿を見守っていたのが
阿弥陀如来さまでした。
極楽浄土に生まれ変わった兄弟に、阿弥陀さまは頼み事をなさいました。
それは、悟りの世界へ辿り着いた者達に向かって、教えを説く事です。
しかし、早離・即離の兄弟は浄土に留まる事を断り、現世へと出向いて、
悲運に苦しむ人々を直接手助けしたいと申し出ました。
兄の早離は、慈しみの心で、他の悲しみを我がものとして全てを包み込み
和らげたい、と。
弟の即離は、人々の心に笑いや安らぎを目覚めさせ、知らず知らずの内に
苦しみから遠ざかるよう導きたい、と。
早離は、八十三番・一宮寺の御本尊でもある観音菩薩さまとして、そして
即離は勢至菩薩さまとして、この世で悲しみ、そして苦しむ者達のために
お働きになって下さっているのです。
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境内の中で目を惹くのが、平成十八年に建立された護摩堂。
本堂と見違えるほどの規模で、しかも品の良さが漂っています
護摩を修する意味は、本堂で正式に仏さまをお迎えする前に魔を払うのと
汚れのある者は、事前にそれを払い落として清め、法要を守る事です。
「護摩の修法と普通の読経、どちらがより功徳があるのか?」
・・・現場では、そんな質問もあるそうです。
どちらでも功徳を授かる事は出来ますが、手に印を結び、観念を巡らせ、
様々な作法を同時進行で行うという事から、その密度に違いがあります。
準備、そして後片付けの大変さから、お寺で護摩を修さないお坊さんも、
残念ながらいらっしゃるそうです。
若き日のこうゆうさんは、お師匠さまから
「御本尊さまの元で、休まず百座を積みなさい。」
・・・と、指導されたそうです。
そうすれば初めて、御本尊さまが『振り向いて』下さるのだそうです。
護摩。
行者にとっては最も大事で、複雑で、覚悟を要するもの・・・との事。
その意味で、護摩堂があるお寺は、寺院としての理想型と言えそうです
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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