今回のお参りは第八十五番札所、五剣山・八栗寺です。
こちらのお寺、山上の伽藍へは、一般の車の乗り入れが出来ません。
ケーブルカー、専用車両、徒歩のいずれかでお参りする事になります
因みに一行は、日常生活ではあまり乗る機会のないケーブルカーを利用。
米裕さんは、高野山へ上る時の事を思い出したようです
***********
参拝者の目を惹くのが、『聖天宮』の文字のある鳥居。
聖天とは、歓喜天とも呼ばれており、願い事は何でも叶えて下さるという
大変な力をお持ちの、天部の神さまの中のお一方です
『宮』というと、神社を想像しがちですが、この字が持つ元々の意味とは
『何かが宿る所』という事。
ですから『聖天宮』とは、『聖天さまをお祀りした場所』を指します。
この聖天さま、商売人には馴染み深い神さまですが、一度願い事をすると
その後一生休む事なく、時間を決めて供物を捧げ続けなければならない、
信仰するには覚悟の必要な神さまと言われています。
***********
空海さまが、不動明王の利剣五本を観じられた事で名付けられたという、
山号にもなっている『五剣山』。
唐へ旅立つ前、焼き栗八つを埋めた空海さま
恵果さまより密教の全てを授かり帰国した後、お礼参りに訪れたところ、
それら八つの焼き栗は、立派な木に成長していたと伝えられています。
科学的には有り得ない話ですが、そんな有り得ない事が現実になるような
素晴らしい教えを求め、お大師さまは決死の覚悟で海を渡ったという事を
我々は心に留めておくべきでしょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
八栗寺の大きな菩提樹を見て、大喜びのごんた。
四国霊場が発心・修行・菩提・涅槃という四つの道場に例えられる事から
『菩提』という言葉に親しみを感じているようです。
ところで、『菩提』の意味は?
ごんた、そこまでは知らなかったようですが、たけやんによると、それは
『悟りの智慧』という事だそうです。
仏教には『三大霊樹』と呼ばれる樹木がありますが、菩提樹もその一つ。
お釈迦さまがその下で瞑想し、悟りを開かれた事に由来します。
もう一つが、無憂樹。
お釈迦さまがお生まれになった時にあった木と言われており、インドでは
乙女の恋心を叶える、または出産・誕生・結婚に関わる幸せの木として、
人々に親しまれています。
三番目の霊樹が、沙羅双樹。
お釈迦さまの臨終に際し花を咲かせ、供養するかの如く降り注いだ様子が
真っ白な鶴が羽を広げたようだった、と伝えられる木です。
尚、その光景を『鶴林』と表現するという事は、第二十番札所・鶴林寺で
たけやんが説明したのですが、ごんたはすっかり忘れているようです。
http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/56/
お釈迦さまとの御縁を頂いたものは、人間だけでなく、野の植物でさえも
有り難い存在になる事に、ごんたは感動している様子。
そんなごんたを見て、たけやんが一言。
「ごんたも修行を積めば、いわれのある木が出来るかも。」
・・・・・・・・・・・
お釈迦さまのお弟子さんの中に、槃特という物覚えの悪い方がいました。
自分の名も覚えられない彼ですが、大きく名前を書いた木切れを背負って
日々の修行に励み、やがて悟りを開いたという、大変に偉い方でした。
槃特さんが遷化された後、お墓の周りに見知らぬ草が生え始めました。
『自身の名を荷なって修行された』という槃特さんのエピソードに因んで
その草は『茗荷』と名付けられました。
だから、『茗荷を食べると物忘れする』と、今も言われています。
・・・・・・・・・・・
この話を聞いたごんた。
道端に見つけた見知らぬ花を『記念の花』として、大喜びですが・・・
どうやらそれは、食虫植物のモウセンゴケだったようです。
***********
本堂とお大師堂の間に聖天さまがお祀りされていますが、高さを見ると、
本堂が一番高い場所で、次が聖天さま、そしてお大師堂という順番。
これは、仏・神・人の『位』を表現しています。
冒頭でも述べた通り、聖天さまは大変なお力をお持ちである反面、我々が
信仰するには、相当の覚悟を要する神さまです。
それは『死ぬまで休まず』という面もさることながら、それを破った時は
『とんでもない罰が当るのではないか』という、恐怖が伴うからです。
ただ、裏を返せば、キッチリと密接なお付き合いをさせて頂けば、神仏は
我々の方を『振り返って下さる』という事実を示しているとも言えます。
天部の神さまは、それだけ単体でお祀りされる事はなく、こちらの様に、
御本尊さま、そしてお大師さまと共にいらっしゃいます。
なので、そういう『恐い』印象の強い天部の神さまに願い事をする場合は
まず、自身の不足をしっかり自覚し、その部分を御本尊に補って頂くよう
お力添えをお願いします。
その上で神さまに対面し、自分の名・数え年・住まい、そして願事を述べ
それが叶った時の(お礼参りも含めて)決意を表明します。
ですから神さまにお願いをするという事は、それだけの一大決心が必要で
お願いするだけの資格が自分にあるか、そして自分の願いの叶った暁には
それをどのようにして世の中に役立てるかという所まで、お参りする前に
キチンと考えておく必要があります。
願をかけるには、自分の好きな事を我慢する=『身を慎む』という態度、
そして、世のため人のために役立つ様、身を捧げる決意が不可欠です。
こうして見ると、神さまへ『相談する』『お願いをする』といった行為は
相当な真剣さを要求される事であって、短い人生におそらく数度きりの、
本当に重大な局面に限って許される性格のものだろうと思います。
各地で人々の信仰を集めている神仏は多くいらっしゃいますが、中でも、
こちらの『八栗の聖天さま』の様に、それぞれの『土地の名』が冠された
神さま・仏さまは、その地域の人に支えられ、愛されて来た歴史があり、
それだけ功徳がある事、御利益を頂ける事の証でもあります。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
こちらのお寺、山上の伽藍へは、一般の車の乗り入れが出来ません。
ケーブルカー、専用車両、徒歩のいずれかでお参りする事になります
因みに一行は、日常生活ではあまり乗る機会のないケーブルカーを利用。
米裕さんは、高野山へ上る時の事を思い出したようです
***********
参拝者の目を惹くのが、『聖天宮』の文字のある鳥居。
聖天とは、歓喜天とも呼ばれており、願い事は何でも叶えて下さるという
大変な力をお持ちの、天部の神さまの中のお一方です
『宮』というと、神社を想像しがちですが、この字が持つ元々の意味とは
『何かが宿る所』という事。
ですから『聖天宮』とは、『聖天さまをお祀りした場所』を指します。
この聖天さま、商売人には馴染み深い神さまですが、一度願い事をすると
その後一生休む事なく、時間を決めて供物を捧げ続けなければならない、
信仰するには覚悟の必要な神さまと言われています。
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空海さまが、不動明王の利剣五本を観じられた事で名付けられたという、
山号にもなっている『五剣山』。
唐へ旅立つ前、焼き栗八つを埋めた空海さま
恵果さまより密教の全てを授かり帰国した後、お礼参りに訪れたところ、
それら八つの焼き栗は、立派な木に成長していたと伝えられています。
科学的には有り得ない話ですが、そんな有り得ない事が現実になるような
素晴らしい教えを求め、お大師さまは決死の覚悟で海を渡ったという事を
我々は心に留めておくべきでしょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
八栗寺の大きな菩提樹を見て、大喜びのごんた。
四国霊場が発心・修行・菩提・涅槃という四つの道場に例えられる事から
『菩提』という言葉に親しみを感じているようです。
ところで、『菩提』の意味は?
ごんた、そこまでは知らなかったようですが、たけやんによると、それは
『悟りの智慧』という事だそうです。
仏教には『三大霊樹』と呼ばれる樹木がありますが、菩提樹もその一つ。
お釈迦さまがその下で瞑想し、悟りを開かれた事に由来します。
もう一つが、無憂樹。
お釈迦さまがお生まれになった時にあった木と言われており、インドでは
乙女の恋心を叶える、または出産・誕生・結婚に関わる幸せの木として、
人々に親しまれています。
三番目の霊樹が、沙羅双樹。
お釈迦さまの臨終に際し花を咲かせ、供養するかの如く降り注いだ様子が
真っ白な鶴が羽を広げたようだった、と伝えられる木です。
尚、その光景を『鶴林』と表現するという事は、第二十番札所・鶴林寺で
たけやんが説明したのですが、ごんたはすっかり忘れているようです。
http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/56/
お釈迦さまとの御縁を頂いたものは、人間だけでなく、野の植物でさえも
有り難い存在になる事に、ごんたは感動している様子。
そんなごんたを見て、たけやんが一言。
「ごんたも修行を積めば、いわれのある木が出来るかも。」
・・・・・・・・・・・
お釈迦さまのお弟子さんの中に、槃特という物覚えの悪い方がいました。
自分の名も覚えられない彼ですが、大きく名前を書いた木切れを背負って
日々の修行に励み、やがて悟りを開いたという、大変に偉い方でした。
槃特さんが遷化された後、お墓の周りに見知らぬ草が生え始めました。
『自身の名を荷なって修行された』という槃特さんのエピソードに因んで
その草は『茗荷』と名付けられました。
だから、『茗荷を食べると物忘れする』と、今も言われています。
・・・・・・・・・・・
この話を聞いたごんた。
道端に見つけた見知らぬ花を『記念の花』として、大喜びですが・・・
どうやらそれは、食虫植物のモウセンゴケだったようです。
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本堂とお大師堂の間に聖天さまがお祀りされていますが、高さを見ると、
本堂が一番高い場所で、次が聖天さま、そしてお大師堂という順番。
これは、仏・神・人の『位』を表現しています。
冒頭でも述べた通り、聖天さまは大変なお力をお持ちである反面、我々が
信仰するには、相当の覚悟を要する神さまです。
それは『死ぬまで休まず』という面もさることながら、それを破った時は
『とんでもない罰が当るのではないか』という、恐怖が伴うからです。
ただ、裏を返せば、キッチリと密接なお付き合いをさせて頂けば、神仏は
我々の方を『振り返って下さる』という事実を示しているとも言えます。
天部の神さまは、それだけ単体でお祀りされる事はなく、こちらの様に、
御本尊さま、そしてお大師さまと共にいらっしゃいます。
なので、そういう『恐い』印象の強い天部の神さまに願い事をする場合は
まず、自身の不足をしっかり自覚し、その部分を御本尊に補って頂くよう
お力添えをお願いします。
その上で神さまに対面し、自分の名・数え年・住まい、そして願事を述べ
それが叶った時の(お礼参りも含めて)決意を表明します。
ですから神さまにお願いをするという事は、それだけの一大決心が必要で
お願いするだけの資格が自分にあるか、そして自分の願いの叶った暁には
それをどのようにして世の中に役立てるかという所まで、お参りする前に
キチンと考えておく必要があります。
願をかけるには、自分の好きな事を我慢する=『身を慎む』という態度、
そして、世のため人のために役立つ様、身を捧げる決意が不可欠です。
こうして見ると、神さまへ『相談する』『お願いをする』といった行為は
相当な真剣さを要求される事であって、短い人生におそらく数度きりの、
本当に重大な局面に限って許される性格のものだろうと思います。
各地で人々の信仰を集めている神仏は多くいらっしゃいますが、中でも、
こちらの『八栗の聖天さま』の様に、それぞれの『土地の名』が冠された
神さま・仏さまは、その地域の人に支えられ、愛されて来た歴史があり、
それだけ功徳がある事、御利益を頂ける事の証でもあります。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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