今回のお参りは第八十八番札所、医王山・大窪寺。
四年近くかけて巡って来た四国八十八箇所も、いよいよ結願です
大きな山門の前に佇む一行の耳に聞こえてくる、お囃子の音
吉祥の日に目出度く結願を迎えるという、素晴らしい巡り合わせ。
次々に参拝して来るお遍路さんは、長い旅路を無事踏破した充実感もあり
皆さん、とても晴れやかな表情をなさっています
***********
ところで、最後の札所に来て、ふと疑問の湧いた杉本さん
各札所の門前にはお遍路用品のお店がありますが、一番札所ならともかく
何故、途中や最後の札所に『真っさら』の納経帳があるのでしょう?
それに対する、こうゆうさんの回答
閏年は『逆打ち』すると御利益があると言われていますので、その場合は
八十八番が最初の札所になります。
また、今でこそ一番から順番にお参りするスタイルが確立していますが、
空海さまが御活躍の頃は、それぞれの札所に番号はありませんでしたし、
元々四国にお住まいの方なら、自宅近くから参拝を始めるでしょう。
つまり、お遍路は、どの札所から始めても良い訳で、そう考えたならば、
途中の札所のお店に新品の納経帳があっても、不自然ではないのです。
***********
山門の下に立つと、これまで身についてしまった罪業を吹き飛ばすような
強い風が吹いています。
こちらのお寺、開基は行基さまと伝えられており、後に訪れた空海さまが
虚空蔵求聞持法を修された後に、御本尊の薬師如来像を刻まれた事から、
山号が『医王山』、院号はお大師さまに因み『遍照光院』とされました。
御本尊と共に祀られているのが、三国伝来の錫杖。
これは、空海さまが唐へ渡った際に授かったという、インド伝来のもので
日本へ帰国してから、こちらに納められたのだそうです
また、こちらには『宝杖堂』といって、お遍路さんが苦楽を共にしてきた
金剛杖を納める場所があり、その数は年間100万本とも言われています。
長い道中、同行二人で歩んできた、四国八十八箇所。
行を修めた身として、ここからは自立する・・・という決意。
結願の札所ならではの光景です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんたとたけやんの耳に、法螺貝の音が聞こえてきました
大窪寺の御本尊・お薬師さまは、法螺貝をお持ちになった仏さまです。
そんな吉祥の中、目出度く結願の二人
高揚感から、ごんたは肝心のお参りを忘れそうになっています。
全国各地からやって来たお遍路さん達は、誰もがみんな笑顔です
そんな中、ごんたと同郷の、大阪から来たというお遍路さん。
これから、また一番札所へお参りに行くようです。
不思議に思ったごんた。
たけやんにその事を告げると、たけやんもそのつもりだとの事。
八十八番を修めた後、一番へもお参りする事で、初めて『一周』です。
こちらには、遍路の途中で亡くなった方の『遍路墓』が多くあります。
かつて、お遍路さんは『遍路往来手形』を持って道中を行き、その中には
葬式代も包まれていたそうです。
遍路の途中で倒れた時には、後から来た別のお遍路さんがその場で葬り、
手形に包まれた残りのお金を持って結願。
そうすれば、途中で倒れた人も成満したという事で、包まれていたお金で
お墓を建てたのです。
人間、色々なものを背負って生きています。
それは、気楽に見えるごんたでも、同じ事です。
***********
次々に訪れるお遍路さんは、疲労困憊の中にも、達成感溢れる表情です。
怪我や病気が原因で、お遍路を断念する場合があります。
でもその一方、歩き続けるからこそ元気になる、体が強くなるという事も
あり得るのです
お遍路とは、修行です。
自らに何かを課すという事も、時には必要です。
そして、お遍路で身に付けた作法や心持ち、日常に戻った時に生かして、
初めて修行が意味を持つのです。
***********
杉本さんは、納経所で『結願証』を書いてもらいました。
頂いた時には、身が引き締まる思いだったそうです。
さて、八十八箇所全て修めたわけですが、遍路旅はまだ続きます。
数珠は、結んで、初めて用を成します。
お遍路も同じ。
八十八番まで修めたら、一番に戻っての『お礼参り』
行を修め、一回り成長した姿を『お供え』しに行くのです。
きっと、一番最初の時とは違った、お参りの風景が見える事でしょう
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
四年近くかけて巡って来た四国八十八箇所も、いよいよ結願です
大きな山門の前に佇む一行の耳に聞こえてくる、お囃子の音
吉祥の日に目出度く結願を迎えるという、素晴らしい巡り合わせ。
次々に参拝して来るお遍路さんは、長い旅路を無事踏破した充実感もあり
皆さん、とても晴れやかな表情をなさっています
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ところで、最後の札所に来て、ふと疑問の湧いた杉本さん
各札所の門前にはお遍路用品のお店がありますが、一番札所ならともかく
何故、途中や最後の札所に『真っさら』の納経帳があるのでしょう?
それに対する、こうゆうさんの回答
閏年は『逆打ち』すると御利益があると言われていますので、その場合は
八十八番が最初の札所になります。
また、今でこそ一番から順番にお参りするスタイルが確立していますが、
空海さまが御活躍の頃は、それぞれの札所に番号はありませんでしたし、
元々四国にお住まいの方なら、自宅近くから参拝を始めるでしょう。
つまり、お遍路は、どの札所から始めても良い訳で、そう考えたならば、
途中の札所のお店に新品の納経帳があっても、不自然ではないのです。
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山門の下に立つと、これまで身についてしまった罪業を吹き飛ばすような
強い風が吹いています。
こちらのお寺、開基は行基さまと伝えられており、後に訪れた空海さまが
虚空蔵求聞持法を修された後に、御本尊の薬師如来像を刻まれた事から、
山号が『医王山』、院号はお大師さまに因み『遍照光院』とされました。
御本尊と共に祀られているのが、三国伝来の錫杖。
これは、空海さまが唐へ渡った際に授かったという、インド伝来のもので
日本へ帰国してから、こちらに納められたのだそうです
また、こちらには『宝杖堂』といって、お遍路さんが苦楽を共にしてきた
金剛杖を納める場所があり、その数は年間100万本とも言われています。
長い道中、同行二人で歩んできた、四国八十八箇所。
行を修めた身として、ここからは自立する・・・という決意。
結願の札所ならではの光景です。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんたとたけやんの耳に、法螺貝の音が聞こえてきました
大窪寺の御本尊・お薬師さまは、法螺貝をお持ちになった仏さまです。
そんな吉祥の中、目出度く結願の二人
高揚感から、ごんたは肝心のお参りを忘れそうになっています。
全国各地からやって来たお遍路さん達は、誰もがみんな笑顔です
そんな中、ごんたと同郷の、大阪から来たというお遍路さん。
これから、また一番札所へお参りに行くようです。
不思議に思ったごんた。
たけやんにその事を告げると、たけやんもそのつもりだとの事。
八十八番を修めた後、一番へもお参りする事で、初めて『一周』です。
こちらには、遍路の途中で亡くなった方の『遍路墓』が多くあります。
かつて、お遍路さんは『遍路往来手形』を持って道中を行き、その中には
葬式代も包まれていたそうです。
遍路の途中で倒れた時には、後から来た別のお遍路さんがその場で葬り、
手形に包まれた残りのお金を持って結願。
そうすれば、途中で倒れた人も成満したという事で、包まれていたお金で
お墓を建てたのです。
人間、色々なものを背負って生きています。
それは、気楽に見えるごんたでも、同じ事です。
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次々に訪れるお遍路さんは、疲労困憊の中にも、達成感溢れる表情です。
怪我や病気が原因で、お遍路を断念する場合があります。
でもその一方、歩き続けるからこそ元気になる、体が強くなるという事も
あり得るのです
お遍路とは、修行です。
自らに何かを課すという事も、時には必要です。
そして、お遍路で身に付けた作法や心持ち、日常に戻った時に生かして、
初めて修行が意味を持つのです。
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杉本さんは、納経所で『結願証』を書いてもらいました。
頂いた時には、身が引き締まる思いだったそうです。
さて、八十八箇所全て修めたわけですが、遍路旅はまだ続きます。
数珠は、結んで、初めて用を成します。
お遍路も同じ。
八十八番まで修めたら、一番に戻っての『お礼参り』
行を修め、一回り成長した姿を『お供え』しに行くのです。
きっと、一番最初の時とは違った、お参りの風景が見える事でしょう
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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