今回のお参りは第七十二番札所、我拝師山・曼荼羅寺です。
田園風景を眺めながら、細い道を山の方へ入った所にあるこちらのお寺。
596年、空海さまの先祖である佐伯氏の氏寺として創建されましたが、
後に、恵果和尚(空海さまの師匠)の青龍寺に倣って伽藍が整備されたと
伝えられています。
駐車場には境内への近道を示す表示がありますが、やはり山門から入って
『引いて』全体を見渡し、そのスケールを味わいたいものです。
***********
こちらの寺号にも使われている『曼荼羅』という言葉から、杉本さんは、
色々な仏さまが散りばめられた『絵』を思い浮かべるそうです
実際には、曼荼羅は平面的な絵画だけでなく、立体の物など様々な種類が
存在するのですが、この曼荼羅とは一体、何なのでしょう?
巷の解説本等では、『世の中や宇宙のしくみ全てを表現したもの』などと
今一つピンとこない説明しかなされていません。
静かに瞑想する仏さまもいらっしゃるかと思えば、周辺部に目をやると、
恐ろしい形相の、鬼のような姿も描かれている
分かり易く説明すれば、そこに表現されている仏の世界も、現世と同じで
全てが、互いに影響を及ぼし合う関係にある事を描いているのです。
ただ、『現世と同じ』とは言っても、それは『影響を及ぼし合う』という
作用の側面に限っての事。
この俗世間にあって、徒に時を過ごすだけの、愚かで哀れな人間たちと、
曼荼羅世界に表現された仏さまが、等価値な訳では決してありません。
曼荼羅の中の個性あふれる諸仏は、それぞれが最大限の能力を発揮して、
全身全霊でお働きになっているのです。
そんな、清浄なる尊い世界のお名前を寺号に頂く、こちらの曼荼羅寺。
近道ではなく、正式な参道を通って、キチンとお参りしたいものです
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
たけやん、「おかしい」と呟きつつ、曼荼羅寺境内を歩き回っています
どうやら、お大師さまのお手植えと伝えられる『不老松』が見当たらず、
探しているようなのですが、ごんたがその痕跡を発見しましたが、それは
『笠松大師』という、空海さまの像。
18メートル四方にも枝をはる巨木だったというその不老松は、残念ながら
平成14年に松喰い虫の被害に遭い枯れてしまったそうで、現在はその幹に
お大師さまのお姿を刻んだ笠松大師像が残るのみです。
『不老』と名付けられた松でさえ、やがては枯れて滅びる。
『諸行無常』という理を学ぶには、これ以上ない機会でしょう。
古来より洋の東西を問わず、不老不死を切望し、そしてそれを追い求める
権力者の逸話は、数多く伝わっています。
これまでの己の行いを顧みて悔み、行く末に不安を覚える。
・・・ならばこれから先、どちらを向いて生きれば良いのか?
『死』への恐怖。
それは、人間を磨くための、最上の材料でもあるのです。
***********
不老松に象徴される様に、永遠に存在し続けると思われるものであっても
この世に生まれ出た形あるものは、必ず滅びます。
ただその一方で、『変わらないもの』もあります。
それは・・・思い出、記憶というもの。
・・・・・・・・・・・
こうゆうさんの息子さん(次男)が4歳の頃の事。
彼のおばあちゃんが、お友達と共にお遍路に出たそうです。
おばあちゃんっ子だった次男クン、一緒について行きたがったそうですが
時間や行程等を考えると幼児には無理という事で、留守番となりました。
ところが、どうしてもおばあちゃんに会いたいと、泣き始めた次男クン
そんな彼の姿を見たこうゆうさんは、おばあちゃん達の行程を調べると、
遍路装束の次男クンを車に乗せ、その日の一行が向かう札所に先回り。
朝一番の曼荼羅寺の門前、凛々しいお遍路姿で立つ次男クン。
驚きと感激の入り交じった表情のおばあちゃんと、無事再会出来ました
・・・・・・・・・・・
曼荼羅寺にお参りする度に、こうゆうさんの脳裏には、その当時の情景が
鮮明に甦って来るそうです。
家族の、ほんの些細な出来事。
それが、何気ない日常の風景でも、お寺の持つ空気が優しく包み込んで、
かけがえのない思い出として、いつまでも心に残るのかもしれません
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
田園風景を眺めながら、細い道を山の方へ入った所にあるこちらのお寺。
596年、空海さまの先祖である佐伯氏の氏寺として創建されましたが、
後に、恵果和尚(空海さまの師匠)の青龍寺に倣って伽藍が整備されたと
伝えられています。
駐車場には境内への近道を示す表示がありますが、やはり山門から入って
『引いて』全体を見渡し、そのスケールを味わいたいものです。
***********
こちらの寺号にも使われている『曼荼羅』という言葉から、杉本さんは、
色々な仏さまが散りばめられた『絵』を思い浮かべるそうです
実際には、曼荼羅は平面的な絵画だけでなく、立体の物など様々な種類が
存在するのですが、この曼荼羅とは一体、何なのでしょう?
巷の解説本等では、『世の中や宇宙のしくみ全てを表現したもの』などと
今一つピンとこない説明しかなされていません。
静かに瞑想する仏さまもいらっしゃるかと思えば、周辺部に目をやると、
恐ろしい形相の、鬼のような姿も描かれている
分かり易く説明すれば、そこに表現されている仏の世界も、現世と同じで
全てが、互いに影響を及ぼし合う関係にある事を描いているのです。
ただ、『現世と同じ』とは言っても、それは『影響を及ぼし合う』という
作用の側面に限っての事。
この俗世間にあって、徒に時を過ごすだけの、愚かで哀れな人間たちと、
曼荼羅世界に表現された仏さまが、等価値な訳では決してありません。
曼荼羅の中の個性あふれる諸仏は、それぞれが最大限の能力を発揮して、
全身全霊でお働きになっているのです。
そんな、清浄なる尊い世界のお名前を寺号に頂く、こちらの曼荼羅寺。
近道ではなく、正式な参道を通って、キチンとお参りしたいものです
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
たけやん、「おかしい」と呟きつつ、曼荼羅寺境内を歩き回っています
どうやら、お大師さまのお手植えと伝えられる『不老松』が見当たらず、
探しているようなのですが、ごんたがその痕跡を発見しましたが、それは
『笠松大師』という、空海さまの像。
18メートル四方にも枝をはる巨木だったというその不老松は、残念ながら
平成14年に松喰い虫の被害に遭い枯れてしまったそうで、現在はその幹に
お大師さまのお姿を刻んだ笠松大師像が残るのみです。
『不老』と名付けられた松でさえ、やがては枯れて滅びる。
『諸行無常』という理を学ぶには、これ以上ない機会でしょう。
古来より洋の東西を問わず、不老不死を切望し、そしてそれを追い求める
権力者の逸話は、数多く伝わっています。
これまでの己の行いを顧みて悔み、行く末に不安を覚える。
・・・ならばこれから先、どちらを向いて生きれば良いのか?
『死』への恐怖。
それは、人間を磨くための、最上の材料でもあるのです。
***********
不老松に象徴される様に、永遠に存在し続けると思われるものであっても
この世に生まれ出た形あるものは、必ず滅びます。
ただその一方で、『変わらないもの』もあります。
それは・・・思い出、記憶というもの。
・・・・・・・・・・・
こうゆうさんの息子さん(次男)が4歳の頃の事。
彼のおばあちゃんが、お友達と共にお遍路に出たそうです。
おばあちゃんっ子だった次男クン、一緒について行きたがったそうですが
時間や行程等を考えると幼児には無理という事で、留守番となりました。
ところが、どうしてもおばあちゃんに会いたいと、泣き始めた次男クン
そんな彼の姿を見たこうゆうさんは、おばあちゃん達の行程を調べると、
遍路装束の次男クンを車に乗せ、その日の一行が向かう札所に先回り。
朝一番の曼荼羅寺の門前、凛々しいお遍路姿で立つ次男クン。
驚きと感激の入り交じった表情のおばあちゃんと、無事再会出来ました
・・・・・・・・・・・
曼荼羅寺にお参りする度に、こうゆうさんの脳裏には、その当時の情景が
鮮明に甦って来るそうです。
家族の、ほんの些細な出来事。
それが、何気ない日常の風景でも、お寺の持つ空気が優しく包み込んで、
かけがえのない思い出として、いつまでも心に残るのかもしれません
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回のお参りは第七十一番札所、剣五山・弥谷寺です。
巷に溢れる、お遍路のガイドブック。
そのどれを見ても、『四国有数の石段のある札所』として紹介されている
こちらのお寺、段数は五百段を超えているとか
日本各地には『死者の魂が山へ還る』といった考え方の残る場所があり、
この弥谷寺周辺の地域も同様なのですが、ただ、ここの独特な風習として
『魂を山へお連れする』という形態がとられて来たそうです。
だから、この弥谷寺への参道は、言わば『黄泉の国』へ至る道。
喘ぎながら石段を上る一行ですが、道のりが厳しいのは当然なのです
***********
こちらの開基は、空海さまより前の時代に活躍された、行基菩薩さまだと
伝えられています。
元々、日本に伝来した当時の仏教は、国の守護の下で、鎮護国家の役割が
主要なものでした。
ところが行基菩薩さまは、そのような『高い場所』から下りて来られて、
庶民のために教えを説いて、民衆を動かすという、当時の常識からすれば
型破りな方法で、み教えを広められました。
その様な、行基さまの尊いお姿・行いに影響を受けたお坊さん方も多く、
各地に残る行基伝説の中には、行基さまの名を語って民衆のために動いた
無名の僧侶達の活動も含まれているのでは?・・・と考えられています。
***********
息も絶え絶えになりながら、一行がやっとの思いで辿り着いた大師堂。
山の岩肌に張り付くように建てられた、特殊な造りのお堂です。
尚、ここまでの石段が、百八段。
目指す本堂へ行き着くには、まだまだ上へと向かわねばなりません。
米裕さん、お参りには『遥拝』という方法もあると提案されますが・・・
どうやら、却下のようです(笑)
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
奇妙な叫び声を上げるごんた。
一体何事か、たけやんが尋ねると、仏さまと喧嘩をしている、との事
見れば、ごんたが相対しているのは、胸の前で両の拳を合わせたお姿の、
金剛拳菩薩さま。
勇ましく見える外観は、説法をなさっているお姿だそうです。
お遍路は、悟りを求め、仏さまと一体になる旅です。
『同行二人』として、いつも見守って下さっているお大師さまを信じて、
任せ切る・・・即ち、帰依する。
お大師さまに憧れ、従い、体と言葉と心までも、お大師さまになり切る。
・・・その瞬間、その人は既に、仏さまになっているのです。
金剛拳菩薩さまの、胸の前で拳を重ねた力強いお姿は、仏道を歩む人々に
「その覚悟を忘れるな」という事を、身をもって示しておられるのです。
***********
本堂でのお参りを修めた一行は、眼下に町を見渡す山の岩肌に刻まれた、
摩崖仏の元へとやって来ました。
残念ながら部分的に欠けていたりしますが、おそらく明治期の廃仏毀釈の
爪痕でしょう。
仏教伝来以前、日本人は木々や川、山などを神として崇めていましたが、
そんな神々の宿る場所へ、海外からやって来た仏さまのお姿を刻む
互いの尊さを認め合い、融合した形。
仏教と日本古来の信仰、それぞれの懐の深さを窺い知る事が出来ます。
***********
札所のお参りの形態としては、お堂の外から納経するのが一般的ですが、
こちらのお大師堂では、靴を脱いで、中に上がらせて頂きます
前述の通り、険しい山の地形に合わせた、岩肌に張り付く特殊な造りで、
奥の院の『獅子の岩窟』などをお参りさせて頂く事が出来ます。
とにかく、そこに座って、その場の『気』を頂くだけで有り難い。
・・・そんな、無意識に『南無大師遍昭金剛』の御宝号が口から出る様な
厳しさの中にも爽やかな空気を感じる、不思議で神聖な空間です
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
巷に溢れる、お遍路のガイドブック。
そのどれを見ても、『四国有数の石段のある札所』として紹介されている
こちらのお寺、段数は五百段を超えているとか
日本各地には『死者の魂が山へ還る』といった考え方の残る場所があり、
この弥谷寺周辺の地域も同様なのですが、ただ、ここの独特な風習として
『魂を山へお連れする』という形態がとられて来たそうです。
だから、この弥谷寺への参道は、言わば『黄泉の国』へ至る道。
喘ぎながら石段を上る一行ですが、道のりが厳しいのは当然なのです
***********
こちらの開基は、空海さまより前の時代に活躍された、行基菩薩さまだと
伝えられています。
元々、日本に伝来した当時の仏教は、国の守護の下で、鎮護国家の役割が
主要なものでした。
ところが行基菩薩さまは、そのような『高い場所』から下りて来られて、
庶民のために教えを説いて、民衆を動かすという、当時の常識からすれば
型破りな方法で、み教えを広められました。
その様な、行基さまの尊いお姿・行いに影響を受けたお坊さん方も多く、
各地に残る行基伝説の中には、行基さまの名を語って民衆のために動いた
無名の僧侶達の活動も含まれているのでは?・・・と考えられています。
***********
息も絶え絶えになりながら、一行がやっとの思いで辿り着いた大師堂。
山の岩肌に張り付くように建てられた、特殊な造りのお堂です。
尚、ここまでの石段が、百八段。
目指す本堂へ行き着くには、まだまだ上へと向かわねばなりません。
米裕さん、お参りには『遥拝』という方法もあると提案されますが・・・
どうやら、却下のようです(笑)
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
奇妙な叫び声を上げるごんた。
一体何事か、たけやんが尋ねると、仏さまと喧嘩をしている、との事
見れば、ごんたが相対しているのは、胸の前で両の拳を合わせたお姿の、
金剛拳菩薩さま。
勇ましく見える外観は、説法をなさっているお姿だそうです。
お遍路は、悟りを求め、仏さまと一体になる旅です。
『同行二人』として、いつも見守って下さっているお大師さまを信じて、
任せ切る・・・即ち、帰依する。
お大師さまに憧れ、従い、体と言葉と心までも、お大師さまになり切る。
・・・その瞬間、その人は既に、仏さまになっているのです。
金剛拳菩薩さまの、胸の前で拳を重ねた力強いお姿は、仏道を歩む人々に
「その覚悟を忘れるな」という事を、身をもって示しておられるのです。
***********
本堂でのお参りを修めた一行は、眼下に町を見渡す山の岩肌に刻まれた、
摩崖仏の元へとやって来ました。
残念ながら部分的に欠けていたりしますが、おそらく明治期の廃仏毀釈の
爪痕でしょう。
仏教伝来以前、日本人は木々や川、山などを神として崇めていましたが、
そんな神々の宿る場所へ、海外からやって来た仏さまのお姿を刻む
互いの尊さを認め合い、融合した形。
仏教と日本古来の信仰、それぞれの懐の深さを窺い知る事が出来ます。
***********
札所のお参りの形態としては、お堂の外から納経するのが一般的ですが、
こちらのお大師堂では、靴を脱いで、中に上がらせて頂きます
前述の通り、険しい山の地形に合わせた、岩肌に張り付く特殊な造りで、
奥の院の『獅子の岩窟』などをお参りさせて頂く事が出来ます。
とにかく、そこに座って、その場の『気』を頂くだけで有り難い。
・・・そんな、無意識に『南無大師遍昭金剛』の御宝号が口から出る様な
厳しさの中にも爽やかな空気を感じる、不思議で神聖な空間です
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!