今回のお参りは第六十番札所、石鎚山・横峰寺です。
こちらへ参拝するには、細い林道(有料道路)を上った
所にある駐車場から400mを下って行かなければなりません。
以前、冬場にお参りをされた事のある米裕さん。
路面は凍結、しかも帰りは上り坂で、大変な思いをされたそうです
***********
元々は、役行者が開山した山岳修行の聖地。
廃仏毀釈により、一時は神社だけが残された形となってしまいましたが、
周囲の方々の「根本に戻そう」という熱意と努力が実って、明治後期には
めでたく再興成ったそうです。
近年に建立された寺院は、材料運搬の利便性や安全性などを考慮した上で
交通の便利な場所に立地している場合が殆どです
ところが、こちらの横峰寺を筆頭とする、山深い場所に位置する修行場は
先に場所を決めて、その後に道が作られており、現代人の感覚からすると
「よくこんな場所に建立されたものだ」
・・・と、感嘆するばかり。
「人智を超えた不思議な力が働いていたのでは・・・!?」
と想像を膨らませる一行です
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
なにやら熱心に、花占いをしているごんた。
聞けば、昨夜夢に見た女性に恋してしまった、との事。
因みに、ごんたが手にしている花は、黄色いキンセンカ。
物知りのたけやん、キンセンカの花言葉をごんたに教えたのですが・・・
『別れの悲しみ・失望』
・・・である事を聞いたごんた、縁起でもないと文句を言っています。
そこでたけやん、順徳天皇の故事から名づけられたという、薄紫の美しい
ミヤコワスレを使うように薦めます。
高貴な方に所縁のある花という事で、ごんたの機嫌も直ったようですが、
このミヤコワスレの花言葉は・・・
『別れ・短い恋』
・・・との事でした。
星ヶ森を通りかかった二人。
ごんた、夢の女性にまた会いたくて、星はまだ出ないかと騒いでいますが
今はまだ昼間。
この星ヶ森、石鎚山を望むための場所だそうですが、かつて空海さまは、
ここで『星供』といって、御自身の厄年の修法をされたそうです。
『お大師さまが厄払い』と聞いて、意外な印象を受けたごんたでしたが、
常人の様な『我が身のため』という意識でなく、密教を更に広めるため、
御自身の生命力を極限にまで高められる必要があっての事でしょう。
***********
空海さまは、石鎚山での修行の様子を『三教指帰』に記されていますが、
これは儒教・道教・仏教という三つの教えを比較し、各々の長所・短所を
面白く論説されたものです。
空海さまが24歳の時に著わされたという三教指帰を読ませて
頂きますと、
この石鎚山周辺は、幼き日より慣れ親しんだ修行場だった事が窺えます。
***********
『カミ』には2種類あり、
はるか上方の天にいらっしゃる存在を『神』、
大地に住まわれる存在を『祇』と表現します。
我々人間界に対してもたらされる、大自然からの恵みの数々は、例外なく
天と地からの賜りものです。
ただ、その匙加減は、あくまでもカミが基準ですので、雨を例にとれば、
しとしとと降る春雨があれば、暴風雨の時もあります
そんな神(または祇)の激しさを、人間のレベルに和らげてくれるのが、
仏さまのお役目です。
真言宗において、最も重要視されているお経の一つが『大日経』ですが、
その正式名称が『大毘廬遮那成仏神変加持経』という事実を知ったなら、
仏教と神・祇のつながりの深さを理解する事が出来るでしょう。
『聖地』と言われる場所では、空に浮かぶ雲さえもが、様々な姿に変じて
我々に何らかのメッセージを送って来ます。
こうゆうさんが住職を務める高蔵寺は、住宅街の中に位置していますが、
人々が普通に日常生活を営んでいる空間にあって、お寺の行事の前後には
天候の急変などの不思議な現象が、頻繁に起きています。
天にも地にも神々はいらっしゃるわけですから、神変と呼ばれる現象は、
我々が住むこの場所にあっても、起きて当然のものなのかもしれません。
そういった現象の数々は、日頃の心がけで瞬時に見る事が出来るもので、
ただ単に、我々が気づいていないだけの事なのでしょう
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
こちらへ参拝するには、細い林道(有料道路)を上った
所にある駐車場から400mを下って行かなければなりません。
以前、冬場にお参りをされた事のある米裕さん。
路面は凍結、しかも帰りは上り坂で、大変な思いをされたそうです
***********
元々は、役行者が開山した山岳修行の聖地。
廃仏毀釈により、一時は神社だけが残された形となってしまいましたが、
周囲の方々の「根本に戻そう」という熱意と努力が実って、明治後期には
めでたく再興成ったそうです。
近年に建立された寺院は、材料運搬の利便性や安全性などを考慮した上で
交通の便利な場所に立地している場合が殆どです
ところが、こちらの横峰寺を筆頭とする、山深い場所に位置する修行場は
先に場所を決めて、その後に道が作られており、現代人の感覚からすると
「よくこんな場所に建立されたものだ」
・・・と、感嘆するばかり。
「人智を超えた不思議な力が働いていたのでは・・・!?」
と想像を膨らませる一行です
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
なにやら熱心に、花占いをしているごんた。
聞けば、昨夜夢に見た女性に恋してしまった、との事。
因みに、ごんたが手にしている花は、黄色いキンセンカ。
物知りのたけやん、キンセンカの花言葉をごんたに教えたのですが・・・
『別れの悲しみ・失望』
・・・である事を聞いたごんた、縁起でもないと文句を言っています。
そこでたけやん、順徳天皇の故事から名づけられたという、薄紫の美しい
ミヤコワスレを使うように薦めます。
高貴な方に所縁のある花という事で、ごんたの機嫌も直ったようですが、
このミヤコワスレの花言葉は・・・
『別れ・短い恋』
・・・との事でした。
星ヶ森を通りかかった二人。
ごんた、夢の女性にまた会いたくて、星はまだ出ないかと騒いでいますが
今はまだ昼間。
この星ヶ森、石鎚山を望むための場所だそうですが、かつて空海さまは、
ここで『星供』といって、御自身の厄年の修法をされたそうです。
『お大師さまが厄払い』と聞いて、意外な印象を受けたごんたでしたが、
常人の様な『我が身のため』という意識でなく、密教を更に広めるため、
御自身の生命力を極限にまで高められる必要があっての事でしょう。
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空海さまは、石鎚山での修行の様子を『三教指帰』に記されていますが、
これは儒教・道教・仏教という三つの教えを比較し、各々の長所・短所を
面白く論説されたものです。
空海さまが24歳の時に著わされたという三教指帰を読ませて
頂きますと、
この石鎚山周辺は、幼き日より慣れ親しんだ修行場だった事が窺えます。
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『カミ』には2種類あり、
はるか上方の天にいらっしゃる存在を『神』、
大地に住まわれる存在を『祇』と表現します。
我々人間界に対してもたらされる、大自然からの恵みの数々は、例外なく
天と地からの賜りものです。
ただ、その匙加減は、あくまでもカミが基準ですので、雨を例にとれば、
しとしとと降る春雨があれば、暴風雨の時もあります
そんな神(または祇)の激しさを、人間のレベルに和らげてくれるのが、
仏さまのお役目です。
真言宗において、最も重要視されているお経の一つが『大日経』ですが、
その正式名称が『大毘廬遮那成仏神変加持経』という事実を知ったなら、
仏教と神・祇のつながりの深さを理解する事が出来るでしょう。
『聖地』と言われる場所では、空に浮かぶ雲さえもが、様々な姿に変じて
我々に何らかのメッセージを送って来ます。
こうゆうさんが住職を務める高蔵寺は、住宅街の中に位置していますが、
人々が普通に日常生活を営んでいる空間にあって、お寺の行事の前後には
天候の急変などの不思議な現象が、頻繁に起きています。
天にも地にも神々はいらっしゃるわけですから、神変と呼ばれる現象は、
我々が住むこの場所にあっても、起きて当然のものなのかもしれません。
そういった現象の数々は、日頃の心がけで瞬時に見る事が出来るもので、
ただ単に、我々が気づいていないだけの事なのでしょう
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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今回のお参りは第五十九番札所、金光山・国分寺です。
天平年間、行基さまによって開かれた、大変に歴史のあるこちらのお寺。
山の上に位置しており、眼下に今治の街を一望出来ます。
御詠歌は・・・
「守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり」
『伊予』の国分寺という事での言葉遊びに、先人の洒落っ気が窺えます。
当時の歌というものは、現代で言うならCMソング。
情報が限られていた時代は、お寺の効能やお参りの方法などを読み込んで
口コミで多くの人に伝えてもらうという役割を担ったものでした。
***********
こちらのお寺には、空海さまが御染筆された五大尊のほか、親如法親皇の
法華経も奉納されています。
親如法親皇さまとは、空海さまの御影を描き遺された方で、この時の画の
アングル・装束等が、現代も、空海さまの仏画のお手本となっています。
尚、親皇さまが御影を描かれた時、空海さまの修行の妨げにならぬ様にと
陰に隠れこっそり作業されたそうですが、空海さまは気付いておられて、
最後にお大師さま自ら墨で瞳を入れられて、画が完成したそうです。
***********
全国各地にある国分寺は、中央政府の命により建てられたという性格上、
政治や、時の権力者などの影響を多大に受けてきており、時代によって、
宗派も次々と変えられた歴史を持つ所が大部分です。
そんな中にあって、この伊予国分寺は、741年の開山から現代に至るまで
『真言律宗』を貫いておられます。
これは、圧力に屈せず、伝統を守り続けて来られた代々の御住職の努力、
そして、熱心な信者さん達の厚い信仰心の賜物でしょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
四国の国分寺も、これで3つ目。
残すは、あと讃岐の一ヶ寺のみとなり、少々感慨深気なごんた。
そんなごんたに、たけやんは伊予国分寺周辺に伝わる『巳正月』という、
変わった風習を教えます。
650年以上も続いているというこの行事、その年の1~11月に亡くなった
新仏さんのある家で行われる、追善供養の一種です。
12月はじめの『巳の日』の前の晩、祭壇を作って新仏さんの位牌を祀り、
しめ縄を飾って、平たい餅をお供えします。
しめ縄というと神道を連想しますが、これは元々『結界』の意味。
餅は『鏡』の代わりで、亡くなった人を映し出す役割。
また一説には、白い餅は亡くなった人の魂を表わすとも言われています。
巳の刻に、亡くなった人の家族・親戚・友人・同業者等が提灯をつけて、
お墓参りをするのですが、行き帰りの道中は無言でなくてはなりません。
お参りの後は、しめ縄を燃やす火で餅を焙って食べるのですが、これは、
亡くなった人の魂を受け継ぐという意味合いがあります。
そして、行事が終わって家に帰り着くまで、参加者は後ろを振り返っては
ならないそうです。
『無言』といい、『振り返ってはならない』という事といい・・・
幽霊でも出るのではないかと、恐がってばかりのごんたでした。
尚、正月を迎えられなかった新仏さんを偲んで行われる、この風習。
元々は、戦国武装の脇屋義助公が亡くなった事を、敵方に知られぬ様にと
公にせず、亡き主君を偲んだ家来が12月になって夜中に墓参りした事が
起源と言われています。
***********
最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回は、門前の駐車場傍にある『タオルの里・極楽館』の明るい御主人に
インタビューです。
杉本さん、開口一番、大感激の様子ですが、その理由とは・・・
お接待として頂いた白無地のタオルに、赤い糸で、番組のキャラクターと
FMくらしきのロゴを刺繍して下さったからなのでした。
他の参拝者にも、お接待としてタオルを差し上げるという御主人。
時々、駅前のキャッチセールスと勘違いされる事もあるとか
でも、そんな中に印象深い出会いもあって、以前、熊本から来たという、
空手の道着姿のお遍路さんと親しくなって、つい先日、その方の結婚式に
招待され、引き出物としてタオルを発注して頂いたそうです。
12年間、看板店主として働いていらしゃる御主人。
その明るい性格に引かれ、ファンも多いようで、お店に出ていない時は、
「今日はいらっしゃらないのか?」
・・・といった問い合わせが入る事もあるそうです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
天平年間、行基さまによって開かれた、大変に歴史のあるこちらのお寺。
山の上に位置しており、眼下に今治の街を一望出来ます。
御詠歌は・・・
「守護のため 建ててあがむる国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり」
『伊予』の国分寺という事での言葉遊びに、先人の洒落っ気が窺えます。
当時の歌というものは、現代で言うならCMソング。
情報が限られていた時代は、お寺の効能やお参りの方法などを読み込んで
口コミで多くの人に伝えてもらうという役割を担ったものでした。
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こちらのお寺には、空海さまが御染筆された五大尊のほか、親如法親皇の
法華経も奉納されています。
親如法親皇さまとは、空海さまの御影を描き遺された方で、この時の画の
アングル・装束等が、現代も、空海さまの仏画のお手本となっています。
尚、親皇さまが御影を描かれた時、空海さまの修行の妨げにならぬ様にと
陰に隠れこっそり作業されたそうですが、空海さまは気付いておられて、
最後にお大師さま自ら墨で瞳を入れられて、画が完成したそうです。
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全国各地にある国分寺は、中央政府の命により建てられたという性格上、
政治や、時の権力者などの影響を多大に受けてきており、時代によって、
宗派も次々と変えられた歴史を持つ所が大部分です。
そんな中にあって、この伊予国分寺は、741年の開山から現代に至るまで
『真言律宗』を貫いておられます。
これは、圧力に屈せず、伝統を守り続けて来られた代々の御住職の努力、
そして、熱心な信者さん達の厚い信仰心の賜物でしょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
四国の国分寺も、これで3つ目。
残すは、あと讃岐の一ヶ寺のみとなり、少々感慨深気なごんた。
そんなごんたに、たけやんは伊予国分寺周辺に伝わる『巳正月』という、
変わった風習を教えます。
650年以上も続いているというこの行事、その年の1~11月に亡くなった
新仏さんのある家で行われる、追善供養の一種です。
12月はじめの『巳の日』の前の晩、祭壇を作って新仏さんの位牌を祀り、
しめ縄を飾って、平たい餅をお供えします。
しめ縄というと神道を連想しますが、これは元々『結界』の意味。
餅は『鏡』の代わりで、亡くなった人を映し出す役割。
また一説には、白い餅は亡くなった人の魂を表わすとも言われています。
巳の刻に、亡くなった人の家族・親戚・友人・同業者等が提灯をつけて、
お墓参りをするのですが、行き帰りの道中は無言でなくてはなりません。
お参りの後は、しめ縄を燃やす火で餅を焙って食べるのですが、これは、
亡くなった人の魂を受け継ぐという意味合いがあります。
そして、行事が終わって家に帰り着くまで、参加者は後ろを振り返っては
ならないそうです。
『無言』といい、『振り返ってはならない』という事といい・・・
幽霊でも出るのではないかと、恐がってばかりのごんたでした。
尚、正月を迎えられなかった新仏さんを偲んで行われる、この風習。
元々は、戦国武装の脇屋義助公が亡くなった事を、敵方に知られぬ様にと
公にせず、亡き主君を偲んだ家来が12月になって夜中に墓参りした事が
起源と言われています。
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最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回は、門前の駐車場傍にある『タオルの里・極楽館』の明るい御主人に
インタビューです。
杉本さん、開口一番、大感激の様子ですが、その理由とは・・・
お接待として頂いた白無地のタオルに、赤い糸で、番組のキャラクターと
FMくらしきのロゴを刺繍して下さったからなのでした。
他の参拝者にも、お接待としてタオルを差し上げるという御主人。
時々、駅前のキャッチセールスと勘違いされる事もあるとか
でも、そんな中に印象深い出会いもあって、以前、熊本から来たという、
空手の道着姿のお遍路さんと親しくなって、つい先日、その方の結婚式に
招待され、引き出物としてタオルを発注して頂いたそうです。
12年間、看板店主として働いていらしゃる御主人。
その明るい性格に引かれ、ファンも多いようで、お店に出ていない時は、
「今日はいらっしゃらないのか?」
・・・といった問い合わせが入る事もあるそうです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回のお参りは第五十八番札所、作礼山・仙遊寺です。
山門を横目に見ながら山道を車で上ると、本堂裏の立派な駐車場に到着。
境内はさほど広くありませんが、町中の賑やかな札所とは違った趣きで、
山上の道場独特の凛とした空気が漂っています。
***********
山号である作礼山の『作礼』とは、『礼』を『作(な)』す事。
神が山に上っては、一刀三礼で、御本尊の千手観音像を彫り上げたという
伝説が元になっています。
また、寺号の起源については、ここで読経三昧の日々を送っていた方が、
ある日突然、姿を消してしまった事に由来すると言われています。
この方が自称したわけではありませんが、全てを投げ打って没頭する姿が
周囲の人の目には、超人的な『仙人』と映ったのでしょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
漁師のヨヘイが、仙遊寺で厄年の祈祷をしてもらったというツルマツに、
「何か変わった所はなかったか?」と、しきりに聞きますが、ツルマツは
何も気付いていない様子。
実は、祈祷につかうお寺の太鼓が、虎の皮に張り替えられたとの事。
でも、伊予の国に、虎などが棲んでいるはずがありません。
「アレは、雷様の腰巻きに違いない!」
・・・などという説まで飛び出しましたが、虎と雷様、果たしてどちらが
現実的なのでしょうか?
そんな話をしている所へ、同じく漁師の五郎兵衛がやって来ました。
この五郎兵衛、何か自分の気に入らない事があると、他人のせいにして、
言いがかりばかりつけるので、周りの皆から嫌われています。
「お前らが先に漁に出たから、俺の取り分が少なくなった!」
二人の顔を見るなり早速の言いがかりですが、関わり合いになるのが嫌で
無視を決め込むヨヘイとツルマツ。
相手にされない五郎兵衛、悪態をつきながら、仕方なく船を漕ぎ出して、
沖へと漁に向かいますが、群がるカモメに向かって、
「俺の魚を横取りするな!」
・・・と、ここでも言いがかりをつける五郎兵衛。
しかし、カモメは群れても、魚は全く上がりません。
対岸からは、ずっと仙遊寺の太鼓の音が響いて来ています。
「あの太鼓がうるさいから、魚が逃げてしまうんだ!」
陸へ上がり、仙遊寺へと向かった五郎兵衛は、隠し持っていた出刃包丁で
太鼓の皮を切り刻んで、一目散に山道を駆け下りました。
ところが、慌てて走った五郎兵衛は、坂の途中で転んだ時に、出刃包丁が
自分の腹に深く突き刺さって、絶命してしまいました。
それ以来、この坂は『五郎兵衛坂』と呼ばれるようになり、人々に対し、
『悪い心を起こしてはだめ』
という戒めになっています。
***********
かつて、この仙遊寺と、もう一ヶ所の遠方のお寺を兼務する住職がいて、
一匹の忠犬を飼っていました。
遠く離れた二ヶ寺の間を、この忠犬はお使いとして活躍していましたが、
それぞれのお寺の鐘の音を聴いて、行き来の判断をしていたようです。
ところがある日、両方のお寺の鐘が、同時に鳴りました。
どうすればよいか分からなくなり、動けなくなった忠犬は、悩んだ末に、
目の前の池に飛び込み、命を落としてしまいました。
真面目に、一途に励む姿の、尊く有り難い姿。
仙遊寺近くに今も残る犬塚池は、そんな大事なことを、我々人間に向って
語りかけているように思えます。
***********
最後に、寺号にも使われている『遊』の字について。
一般的な感覚からすると、『遊ぶ』=『遊興、Play』と考え
がちです。
しかし、仏教における『遊』の意味は・・・
『ある境地に到達した人が、余裕をもって物事を見つめ、悟る。』
・・・という事です。
分かりやすいところで言えば、『宇宙遊泳』での使われ方が、この意味に
最も近いかもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
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山門を横目に見ながら山道を車で上ると、本堂裏の立派な駐車場に到着。
境内はさほど広くありませんが、町中の賑やかな札所とは違った趣きで、
山上の道場独特の凛とした空気が漂っています。
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山号である作礼山の『作礼』とは、『礼』を『作(な)』す事。
神が山に上っては、一刀三礼で、御本尊の千手観音像を彫り上げたという
伝説が元になっています。
また、寺号の起源については、ここで読経三昧の日々を送っていた方が、
ある日突然、姿を消してしまった事に由来すると言われています。
この方が自称したわけではありませんが、全てを投げ打って没頭する姿が
周囲の人の目には、超人的な『仙人』と映ったのでしょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
漁師のヨヘイが、仙遊寺で厄年の祈祷をしてもらったというツルマツに、
「何か変わった所はなかったか?」と、しきりに聞きますが、ツルマツは
何も気付いていない様子。
実は、祈祷につかうお寺の太鼓が、虎の皮に張り替えられたとの事。
でも、伊予の国に、虎などが棲んでいるはずがありません。
「アレは、雷様の腰巻きに違いない!」
・・・などという説まで飛び出しましたが、虎と雷様、果たしてどちらが
現実的なのでしょうか?
そんな話をしている所へ、同じく漁師の五郎兵衛がやって来ました。
この五郎兵衛、何か自分の気に入らない事があると、他人のせいにして、
言いがかりばかりつけるので、周りの皆から嫌われています。
「お前らが先に漁に出たから、俺の取り分が少なくなった!」
二人の顔を見るなり早速の言いがかりですが、関わり合いになるのが嫌で
無視を決め込むヨヘイとツルマツ。
相手にされない五郎兵衛、悪態をつきながら、仕方なく船を漕ぎ出して、
沖へと漁に向かいますが、群がるカモメに向かって、
「俺の魚を横取りするな!」
・・・と、ここでも言いがかりをつける五郎兵衛。
しかし、カモメは群れても、魚は全く上がりません。
対岸からは、ずっと仙遊寺の太鼓の音が響いて来ています。
「あの太鼓がうるさいから、魚が逃げてしまうんだ!」
陸へ上がり、仙遊寺へと向かった五郎兵衛は、隠し持っていた出刃包丁で
太鼓の皮を切り刻んで、一目散に山道を駆け下りました。
ところが、慌てて走った五郎兵衛は、坂の途中で転んだ時に、出刃包丁が
自分の腹に深く突き刺さって、絶命してしまいました。
それ以来、この坂は『五郎兵衛坂』と呼ばれるようになり、人々に対し、
『悪い心を起こしてはだめ』
という戒めになっています。
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かつて、この仙遊寺と、もう一ヶ所の遠方のお寺を兼務する住職がいて、
一匹の忠犬を飼っていました。
遠く離れた二ヶ寺の間を、この忠犬はお使いとして活躍していましたが、
それぞれのお寺の鐘の音を聴いて、行き来の判断をしていたようです。
ところがある日、両方のお寺の鐘が、同時に鳴りました。
どうすればよいか分からなくなり、動けなくなった忠犬は、悩んだ末に、
目の前の池に飛び込み、命を落としてしまいました。
真面目に、一途に励む姿の、尊く有り難い姿。
仙遊寺近くに今も残る犬塚池は、そんな大事なことを、我々人間に向って
語りかけているように思えます。
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最後に、寺号にも使われている『遊』の字について。
一般的な感覚からすると、『遊ぶ』=『遊興、Play』と考え
がちです。
しかし、仏教における『遊』の意味は・・・
『ある境地に到達した人が、余裕をもって物事を見つめ、悟る。』
・・・という事です。
分かりやすいところで言えば、『宇宙遊泳』での使われ方が、この意味に
最も近いかもしれません。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!