今回のお参りは第五十二番札所、瀧雲山・太山寺です。
駐車場が数カ所あるこちらでは、車を停める場所によって、修行の軽重を
選ぶ事が出来ます
因みに、一行が駐車したのは、山門から最も遠い駐車場。
ほんの数百メートルの距離ですが、急な坂もあって、足腰にかかる負担は
かなりのものです
***********
前回の札所が町中の賑やかな場所だったのに対し、こちらは山の中。
広大な敷地内には民家もあり、信者さんたちが皆で助け合いながら支え、
栄えて来たお寺である事が分かります。
境内の諸堂はそれぞれ、国宝など、文化財的にも価値ある建物ばかりで、
散策して回るだけでも、半日以上はかかりそうです。
***********
息を切らせながら到着した、威風堂々とした山門は、実は『三の門』。
そこから考えると、建立当時はいかに栄えていたたかが想像出来ます。
ここで杉本さん、『一の門・二の門・三の門』という門の数え方について
こうゆうさんに質問
回答は・・・
参道から本堂までの、建っている順番。
並列で配置されていても、皇族の方がくぐる門、一般の方用の門という
使い分けがされている場合、『表門・裏門』等という呼び名で区別。
これらの呼び名は、お寺によって様々です。
尚、こちらの三の門。
下から見上げると立派な印象でしたが、その場所まで到着して見てみると
離れて観ていた時の迫力は、少し薄らぐ感じです。
これは、これから向かう本堂へと気持ちを入れ替えねばなりませんので、
門の強い印象を捨ててもらう事を計算して、設計されているのでしょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ヤマシロ屋の美しい奥方・おジュリと、出入りの油屋・ロミゾウ。
人の道に外れた事と知りつつ、互いに惹かれ合う二人。
人目を忍んで、共にお遍路へと旅立ちます。
お大師さまの分身である青竹の金剛杖を、遍路宿の玄関口に置いたままで
中へ入る二人の姿を見た、ある僧侶。
彼等が、信心からの遍路旅でない事を見抜き、問い質します。
二人、驚いて杖をとろうとすると、捻れ、絡み合っている青竹。
恐ろしさから不義密通である事を告白すると、その僧侶は助言します。
「心を改め、別々にお遍路を巡れば、罪は許される。」
僧侶の言葉に従い、別々に四国を回った二人。
お大師さまのお陰があるならば、根がついて、茂り、栄えるであろうと、
後の戒めとして、捻れた青竹を庭に差したそうです。
そんな事から、青竹は以来、金剛杖として使われなくなったとの事です。
***********
本堂の奥には『夢殿』。
法隆寺の、あの建物の再現で、聖徳太子が祀られています。
聖徳太子といえば、学問の神様。
シーズンには、多くの受験生がお参りに訪れるそうです。
また、聖徳太子は大工の神様でもあります。
千三百年という時を経て、今も当時の姿を保って我々の前に立ち続ける、
世界最古の木造建築物、法隆寺。
優れた建築技術をもって、そんな世界に誇る建造物を遺した聖徳太子が、
大工さんが崇め、尊敬するのは、ごく自然な事と言えるかもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
駐車場が数カ所あるこちらでは、車を停める場所によって、修行の軽重を
選ぶ事が出来ます
因みに、一行が駐車したのは、山門から最も遠い駐車場。
ほんの数百メートルの距離ですが、急な坂もあって、足腰にかかる負担は
かなりのものです
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前回の札所が町中の賑やかな場所だったのに対し、こちらは山の中。
広大な敷地内には民家もあり、信者さんたちが皆で助け合いながら支え、
栄えて来たお寺である事が分かります。
境内の諸堂はそれぞれ、国宝など、文化財的にも価値ある建物ばかりで、
散策して回るだけでも、半日以上はかかりそうです。
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息を切らせながら到着した、威風堂々とした山門は、実は『三の門』。
そこから考えると、建立当時はいかに栄えていたたかが想像出来ます。
ここで杉本さん、『一の門・二の門・三の門』という門の数え方について
こうゆうさんに質問
回答は・・・
参道から本堂までの、建っている順番。
並列で配置されていても、皇族の方がくぐる門、一般の方用の門という
使い分けがされている場合、『表門・裏門』等という呼び名で区別。
これらの呼び名は、お寺によって様々です。
尚、こちらの三の門。
下から見上げると立派な印象でしたが、その場所まで到着して見てみると
離れて観ていた時の迫力は、少し薄らぐ感じです。
これは、これから向かう本堂へと気持ちを入れ替えねばなりませんので、
門の強い印象を捨ててもらう事を計算して、設計されているのでしょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ヤマシロ屋の美しい奥方・おジュリと、出入りの油屋・ロミゾウ。
人の道に外れた事と知りつつ、互いに惹かれ合う二人。
人目を忍んで、共にお遍路へと旅立ちます。
お大師さまの分身である青竹の金剛杖を、遍路宿の玄関口に置いたままで
中へ入る二人の姿を見た、ある僧侶。
彼等が、信心からの遍路旅でない事を見抜き、問い質します。
二人、驚いて杖をとろうとすると、捻れ、絡み合っている青竹。
恐ろしさから不義密通である事を告白すると、その僧侶は助言します。
「心を改め、別々にお遍路を巡れば、罪は許される。」
僧侶の言葉に従い、別々に四国を回った二人。
お大師さまのお陰があるならば、根がついて、茂り、栄えるであろうと、
後の戒めとして、捻れた青竹を庭に差したそうです。
そんな事から、青竹は以来、金剛杖として使われなくなったとの事です。
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本堂の奥には『夢殿』。
法隆寺の、あの建物の再現で、聖徳太子が祀られています。
聖徳太子といえば、学問の神様。
シーズンには、多くの受験生がお参りに訪れるそうです。
また、聖徳太子は大工の神様でもあります。
千三百年という時を経て、今も当時の姿を保って我々の前に立ち続ける、
世界最古の木造建築物、法隆寺。
優れた建築技術をもって、そんな世界に誇る建造物を遺した聖徳太子が、
大工さんが崇め、尊敬するのは、ごく自然な事と言えるかもしれません。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回のお参りは第五十一番札所、熊野山・石手寺です。
町中にあるこちらのお寺。
行き交う車も多く、山門の周りにはたくさんの土産物屋さんがあります。
道後温泉が近い事もあって、参拝者のほか、湯治客も多く訪れるために、
いつも大変な賑わいです
***********
ここは、12番・焼山寺の回に触れた『衛門三郎伝説』がクラ
イマックスを迎える場所です。
12番の記事はコチラ → http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/47/
それまでに犯した悪行の数々を反省した衛門三郎、生まれ変わったならば
今度は国司として、人々のために働きたいとの望みを抱き、息絶えます。
最期を看取った空海さま、『衛門三郎再来』と書いた石をその手に握らせ
葬ります。
翌年、伊予の国の領主に男の子が生まれましたが、手を固く握ったまま、
開こうとしません。
そこで、お坊さんが祈願したところ、その子の手から出て来たのは・・・
『衛門三郎再来』の文字が記された、1つの石だったそうです。
石が納められたお寺は安養寺と称していましたが、その伝説に基づいて、
『石手寺』に改められました。
***********
近くに寄ると気付きにくいのですが、仁王さまが両脇を固めている山門は
かなりの大きさ。
この山門(仁王門)、国宝だそうですので、千社札も貼
られていませんし、
大草鞋も毎年作り替えられており、湿気でだらしなく垂れ下がるという、
見映えの悪さを防いでいます。
また、こちらは子授け・安産のお寺としても知られ、お守りの石を頂き、
願いが成就したなら、その石を納めるという風習があるそうです。
多くの人に愛され、信仰を集めるこちらのお寺。
あるガイドブックには、『香煙絶える事なし』と記されています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
宝物館で、お寺の名前の由来である『衛門三郎再来』の石を見学して来た
ごんた。
たけやんから、現在は『石手寺』と呼ばれているこちらのお寺が、以前は
『安養寺』という名前だった、という事を聞いて、
「お大師さまの頃は『51番札所・安養寺』だったんか」
・・・という質問。
勿論、お大師さまの時代には、お遍路の風習はまだありませんでしたし、
当然ながら、札所もありませんでした。
お遍路の始まりについては、諸説あります。
お大師さまの辿られた足跡や縁のある場所が、後世になって、札所として
定められた、と言う話もありますし、その一方で、お大師さまに会うため
衛門三郎の歩いた道程が起源、とも言われています。
そんな衛門三郎と共に葬られ、後にこの地の領主である河野家の嫡男が、
その手に握って生まれて来たという、『衛門三郎再来』と書かれた石。
大きさにして一寸八分・・・およそ5cm。
赤ん坊が握るにしては、少々大き過ぎるようにも感じます。
でも、その石にまつわる物語には、智慧や戒め、信仰の大切さなど・・・
仏教の大事な要素が、たくさん散りばめられています。
***********
石畳の参道の両脇には、たくさんの土産物屋さんが立ち並んでいます。
米裕さんと杉本さんは、石手名物『焼き餅』を買い求めました
餅が『魂』であるのに対し、中身の餡は『徳』を表わすそうです。
昔、小豆や砂糖は貴重品だったという事と関係がありそうです。
***********
石手寺宝物館へ入るには入館料が必要ですが、お参りとして訪れる方には
お接待として入れてもらえるそうです。
こちらのお寺は、純粋にお参りをする人と、観光目的の人が混じり合って
独特の雑多な雰囲気があります。
ただ、お遍路は修行ですので、その様な浮かれた空気に流される事なく、
自分のペースを乱さぬ様に心掛ける事が大切です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
町中にあるこちらのお寺。
行き交う車も多く、山門の周りにはたくさんの土産物屋さんがあります。
道後温泉が近い事もあって、参拝者のほか、湯治客も多く訪れるために、
いつも大変な賑わいです
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ここは、12番・焼山寺の回に触れた『衛門三郎伝説』がクラ
イマックスを迎える場所です。
12番の記事はコチラ → http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/47/
それまでに犯した悪行の数々を反省した衛門三郎、生まれ変わったならば
今度は国司として、人々のために働きたいとの望みを抱き、息絶えます。
最期を看取った空海さま、『衛門三郎再来』と書いた石をその手に握らせ
葬ります。
翌年、伊予の国の領主に男の子が生まれましたが、手を固く握ったまま、
開こうとしません。
そこで、お坊さんが祈願したところ、その子の手から出て来たのは・・・
『衛門三郎再来』の文字が記された、1つの石だったそうです。
石が納められたお寺は安養寺と称していましたが、その伝説に基づいて、
『石手寺』に改められました。
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近くに寄ると気付きにくいのですが、仁王さまが両脇を固めている山門は
かなりの大きさ。
この山門(仁王門)、国宝だそうですので、千社札も貼
られていませんし、
大草鞋も毎年作り替えられており、湿気でだらしなく垂れ下がるという、
見映えの悪さを防いでいます。
また、こちらは子授け・安産のお寺としても知られ、お守りの石を頂き、
願いが成就したなら、その石を納めるという風習があるそうです。
多くの人に愛され、信仰を集めるこちらのお寺。
あるガイドブックには、『香煙絶える事なし』と記されています。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
宝物館で、お寺の名前の由来である『衛門三郎再来』の石を見学して来た
ごんた。
たけやんから、現在は『石手寺』と呼ばれているこちらのお寺が、以前は
『安養寺』という名前だった、という事を聞いて、
「お大師さまの頃は『51番札所・安養寺』だったんか」
・・・という質問。
勿論、お大師さまの時代には、お遍路の風習はまだありませんでしたし、
当然ながら、札所もありませんでした。
お遍路の始まりについては、諸説あります。
お大師さまの辿られた足跡や縁のある場所が、後世になって、札所として
定められた、と言う話もありますし、その一方で、お大師さまに会うため
衛門三郎の歩いた道程が起源、とも言われています。
そんな衛門三郎と共に葬られ、後にこの地の領主である河野家の嫡男が、
その手に握って生まれて来たという、『衛門三郎再来』と書かれた石。
大きさにして一寸八分・・・およそ5cm。
赤ん坊が握るにしては、少々大き過ぎるようにも感じます。
でも、その石にまつわる物語には、智慧や戒め、信仰の大切さなど・・・
仏教の大事な要素が、たくさん散りばめられています。
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石畳の参道の両脇には、たくさんの土産物屋さんが立ち並んでいます。
米裕さんと杉本さんは、石手名物『焼き餅』を買い求めました
餅が『魂』であるのに対し、中身の餡は『徳』を表わすそうです。
昔、小豆や砂糖は貴重品だったという事と関係がありそうです。
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石手寺宝物館へ入るには入館料が必要ですが、お参りとして訪れる方には
お接待として入れてもらえるそうです。
こちらのお寺は、純粋にお参りをする人と、観光目的の人が混じり合って
独特の雑多な雰囲気があります。
ただ、お遍路は修行ですので、その様な浮かれた空気に流される事なく、
自分のペースを乱さぬ様に心掛ける事が大切です
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!