今回のお参りは、第10番札所、得度山・潅頂院・切幡寺です。
山門へ到着すると、男と女の厄を払う、333段の石段。
…前回の『健脚お守り』は、この日のためだったのです。
かつて、『阿波の国の十番参り』という参拝方法がありましたが、
時間も費用もないため、八十八箇所全てを巡拝することが叶わない
庶民が、十番までをキッチリと修める、というお参りの仕方です。
山号の『得度』とは、在家の者が仏門に入り出家する事です。
そして『潅頂』とは、仏のみ教えに見立てた水を頭頂部から注いで
下々へと流れ伝わって行く様を表した、仏教の儀式です。
こちらのお寺は、それらの行事全てが含まれた名前になっており、
十番参りの結願にふさわしい、真の仏道に触れる事が出来るお寺、
と言えるでしょう。
**********
スタスタと石段を登る早足のこうゆうさんに対し、米裕さん達は、
置いて行かれそうです。
見かねたこうゆうさんから、特別講義・『石段の登り方』。
雨の日は滑りやすいので注意(ロケ当日は雨だったようです)
ジグザグに、両足に万遍なく体重をかけて登ると、疲労度軽減
内股気味に歩けば、泥はねが少ない
**********
石段を登りきったところで、特別講義その2・『お布施』。
『布』を『施す』…その意味するものとは?
古代インドのお話。お釈迦さまの尊いお姿を観て、仏道を進もうと
発心した女性がいました
ところが、身分が低いその女性は、お釈迦さまに施すべきものを、
何も持っていません。
そこで、身に着けている衣を裂いて、お釈迦さまの肩にかけた所、
周囲の人々もそれに倣って衣を施し、お釈迦さまは、それらの布を
縫い合わせて衣にしました。
この様に、最初に施したものが『布』であったことから、お供えを
『お布施』と称するようになったそうです。
**********
ここで、『切幡寺』の名前の由来、パート1(第一説)。
かつて、この地を旅されていたお大師さまが、衣の綻びを直そうと
一人の娘さんに相談すると、その娘さんは、自分が織っていた幡を
切って捧げました。
感激されたお大師さまが、娘さんに「願い事はないか」尋ねた所、
出家したいとの希望でしたので、得度・潅頂の儀式を行いますと、
娘さんは千手観音さまに姿を変えたそうです。
そんな伝説から、こちらのお寺は女性の信仰を集めているとの事。
・・・・・・・・・・
『切幡寺』の名前の由来、パート2(第二説)。
仏さまは、歌舞音曲と香り、散華、そして五色の幡に先導されて、
地上へと降りて来られるそうです。
かつて、この地に幡が舞い降りて来た事から、こちらが霊山として
信仰の対象となった、というお話が伝わっています。
・・・・・・・・・・
いずれも、仏教的な知識が根底にあって成立した説話でしょうが、
お話の真偽はともかく、我々の周囲には大勢の仏さまがいらして、
常に助けて下さっている事を忘れてはならない、という呼びかけが
含まれている、と考えるべきでしょう。
千手観音さまに転じたという娘さんのお話も、実は千手観音さまが
娘に化身して、お大師さまを導かれた、という見方も出来ます。
おそらく、お大師さまは旅の途中で大勢の仏さまとお逢いになり、
その感動を、各々の札所に残して下さっているのでしょう。
**********
さて、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』
切幡寺の名前の由来、
お布施の意味に続いて、お袈裟(糞掃衣)のお話です。
貴重品である布は、まず衣として用い、次に手拭、掃除用の雑巾、
そして最後は便所掃除に使われて、その役目を終えます。
そのような、価値のなくなった布をつなぎ合わせて作られたのが、
お袈裟、即ち『糞掃衣』…「後は糞の様な汚いものを掃除するしか
使い道のない布で作った衣」という意味です。
元々はお供え物ですから、実際に便所掃除に使われた布ではなく、
お供えする側の謙遜の気持ちの入った呼び名でしょう。
無価値な布で作られたお袈裟は『無欲』の象徴。
お袈裟の黄色は実りの象徴、『清らか』な喜びの色。
そこに悪魔のつけ入る隙はありません。
汚れた思いや、修行の妨げになるような心が感じられるお布施は、
もはや『お布施』とは呼べません。
**********
お参りを修め、改めて山門まで降りてきた御一行。
再建されたばかりで、まだ仁王さまはいらっしゃいません。
しかし、後世にしっかりしたものを残す、という意気込みが伝わる
本当に立派な山門で、次回のお参りが楽しみです。
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
山門へ到着すると、男と女の厄を払う、333段の石段。
…前回の『健脚お守り』は、この日のためだったのです。
かつて、『阿波の国の十番参り』という参拝方法がありましたが、
時間も費用もないため、八十八箇所全てを巡拝することが叶わない
庶民が、十番までをキッチリと修める、というお参りの仕方です。
山号の『得度』とは、在家の者が仏門に入り出家する事です。
そして『潅頂』とは、仏のみ教えに見立てた水を頭頂部から注いで
下々へと流れ伝わって行く様を表した、仏教の儀式です。
こちらのお寺は、それらの行事全てが含まれた名前になっており、
十番参りの結願にふさわしい、真の仏道に触れる事が出来るお寺、
と言えるでしょう。
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スタスタと石段を登る早足のこうゆうさんに対し、米裕さん達は、
置いて行かれそうです。
見かねたこうゆうさんから、特別講義・『石段の登り方』。
雨の日は滑りやすいので注意(ロケ当日は雨だったようです)
ジグザグに、両足に万遍なく体重をかけて登ると、疲労度軽減
内股気味に歩けば、泥はねが少ない
**********
石段を登りきったところで、特別講義その2・『お布施』。
『布』を『施す』…その意味するものとは?
古代インドのお話。お釈迦さまの尊いお姿を観て、仏道を進もうと
発心した女性がいました
ところが、身分が低いその女性は、お釈迦さまに施すべきものを、
何も持っていません。
そこで、身に着けている衣を裂いて、お釈迦さまの肩にかけた所、
周囲の人々もそれに倣って衣を施し、お釈迦さまは、それらの布を
縫い合わせて衣にしました。
この様に、最初に施したものが『布』であったことから、お供えを
『お布施』と称するようになったそうです。
**********
ここで、『切幡寺』の名前の由来、パート1(第一説)。
かつて、この地を旅されていたお大師さまが、衣の綻びを直そうと
一人の娘さんに相談すると、その娘さんは、自分が織っていた幡を
切って捧げました。
感激されたお大師さまが、娘さんに「願い事はないか」尋ねた所、
出家したいとの希望でしたので、得度・潅頂の儀式を行いますと、
娘さんは千手観音さまに姿を変えたそうです。
そんな伝説から、こちらのお寺は女性の信仰を集めているとの事。
・・・・・・・・・・
『切幡寺』の名前の由来、パート2(第二説)。
仏さまは、歌舞音曲と香り、散華、そして五色の幡に先導されて、
地上へと降りて来られるそうです。
かつて、この地に幡が舞い降りて来た事から、こちらが霊山として
信仰の対象となった、というお話が伝わっています。
・・・・・・・・・・
いずれも、仏教的な知識が根底にあって成立した説話でしょうが、
お話の真偽はともかく、我々の周囲には大勢の仏さまがいらして、
常に助けて下さっている事を忘れてはならない、という呼びかけが
含まれている、と考えるべきでしょう。
千手観音さまに転じたという娘さんのお話も、実は千手観音さまが
娘に化身して、お大師さまを導かれた、という見方も出来ます。
おそらく、お大師さまは旅の途中で大勢の仏さまとお逢いになり、
その感動を、各々の札所に残して下さっているのでしょう。
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さて、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』
切幡寺の名前の由来、
お布施の意味に続いて、お袈裟(糞掃衣)のお話です。
貴重品である布は、まず衣として用い、次に手拭、掃除用の雑巾、
そして最後は便所掃除に使われて、その役目を終えます。
そのような、価値のなくなった布をつなぎ合わせて作られたのが、
お袈裟、即ち『糞掃衣』…「後は糞の様な汚いものを掃除するしか
使い道のない布で作った衣」という意味です。
元々はお供え物ですから、実際に便所掃除に使われた布ではなく、
お供えする側の謙遜の気持ちの入った呼び名でしょう。
無価値な布で作られたお袈裟は『無欲』の象徴。
お袈裟の黄色は実りの象徴、『清らか』な喜びの色。
そこに悪魔のつけ入る隙はありません。
汚れた思いや、修行の妨げになるような心が感じられるお布施は、
もはや『お布施』とは呼べません。
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お参りを修め、改めて山門まで降りてきた御一行。
再建されたばかりで、まだ仁王さまはいらっしゃいません。
しかし、後世にしっかりしたものを残す、という意気込みが伝わる
本当に立派な山門で、次回のお参りが楽しみです。
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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先日お寺にお参りしましたら、八十八ヶ所の「○○山○○寺」と彫られた石がずらっと並んでいる一角がありました。
毎回、山号やお寺のお名前について説明してくださるので、「あっここは」と放送のようすを思い出したり、ごんたとたけやんのやりとりが浮かんだりして、石と字を見ているだけなのにお得な気持ちになりました。