今回のお参りは第七十五番札所、五岳山・善通寺です。
真言宗善通寺派の大本山だけあって、参拝者も迷子になってしまうほど、
四国霊場随一の広さを誇る境内です。
高野山及び東寺と並び、三大霊跡の一つに数えられるこちら。
霊跡とは、空海さまが出生から入定までの間に滞在された場所それぞれを
遺跡(ゆいせき)として霊場に定められた場所の事です
十八本山という、他宗派には見られない数の本山を数える真言宗ですが、
これもひとえに、行動力に満ち溢れた空海さまならではでしょう。
空海さま出生の地とも伝えられている、こちらのお寺
御本尊は、空海さま自ら刻まれた薬師如来ですが、現在は胎内仏として、
別の大きな仏さまの中に納められています。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
善通寺の立派な伽藍に感動するごんた
寺号は、お大師さまのお父上である佐伯善通(よしみち)さまのお名前に
因んだものですが、人物名がお寺の名前になった例として有名なものに、
長野の善光寺があります。
それを聞いたごんた。
空海さまのお父さまのエピソードは何かないかと、たけやんに尋ねますが
いつの世も同じと言うべきか、父親の存在感は、母親と比べてしまうと、
どうしても勝ち目はないようです。
そんな空海さまと御両親については、こんなお話が伝わっています。
若き日の空海さまが、唐へと命懸けの旅に出る時の事。
御両親が寂しい思いをしないようにと、池の水面に映った御自身のお姿を
描いてお渡しになったそうです。
後世になって、土御門天皇がそのお大師さまの自画像を御覧になった所、
その絵が『瞬き』をしたそうです
感激された天皇さまは、その絵に『瞬目大師(めひきだいし)』の尊号を
賜ったそうですが、長い日本の歴史の中で、二つの大師号を頂いたのは、
空海さまただお一人です。
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こちらでは、御本尊を目の前にしてお参りする事が出来ますが、この様に
御本尊をはっきり観ながら拝めるお寺は、意外に少ないそうです。
御本尊のお薬師さま、その表情は穏やかで、大きなお姿は参拝する我々の
心を落ち着かせて下さいます。
医王、または薬王の別名を持つ薬師如来さま。
現代医療の現場におけるお医者さんの、あるべき姿かもしれません
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善通寺といえば、御宝号を唱えつつ真っ暗闇の中を行く『戒壇めぐり』が
有名です。
上下左右、方向感覚の全く利かない、本物の闇に相対するからこそ分かる
『光』の有り難さ
そして、その空間に身を置いてこそ感じ得る、何とも言えぬ不思議さ。
ぜひとも、多くの方に『体感』してもらいたいものです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
セメント工場などが近くにあり、開けた場所に位置するこちらのお寺。
山門左側に山を頂くという、独特の伽藍配置です。
近年、駐車場や境内が整備されましたが、旧来の建物と新築された建物が
品よく調和しており、御住職の信念を垣間見る事が出来る気がします。
寺社建築に携わるのは宮大工さんですが、家大工との仕事の違いの一つに
柱の角の『面取り』を施す事があります。
これにより、建物の『優しさ』が生み出されますが、手間もかかります。
また、それぞれの流儀により、面取りの幅などは異なるそうです。
宮大工さんの手による建物は『男形』と『女形』に分類されるそうですが
線は細いながらも、うまく均整がとれてスッキリとしたこちらの山門は、
その言葉のイメージ通り『女形』だと言えるでしょう
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古くより、水の確保には大変な苦労のあった、この讃岐の地。
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誰もが成し得なかった『満濃池』築造という一大土木事業を、空海さまは
唐の国で学んだ知識と、民衆の協力により、短期間で達成されましたが、
その際、工事の無事完成を祈願・祈祷されたのが、この甲山寺でした。
ここは四国八十八箇所の中で唯一、お城を背負ったお寺で
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薬師如来さまにお仕えする十二神将の勇ましい御詠歌からも分かる通り、
戦国武将からも厚く信仰されました。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
これまでの札所は、修行中の空海さまが『通りかかった』場所でした。
しかし、前回の出釈迦寺、そしてこの甲山寺あたりからは、お大師さまの
生活圏、幼き日より慣れ親しんだ場所という空気を濃密に感じられます
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この近くには仙遊ヶ原地蔵堂という場所があり、3歳の頃の空海さまが、
木で作ったお堂に泥仏をお祀りしていたという伝説があります。
・・・そんな事をたけやんから聞いたごんた。
前回の『捨身ヶ嶽』のエピソード同様、伝わっている話の『真偽』より、
その物語を代々語り継いで来た先人達の意図を読み解く事が重要、つまり
この伝説は『信実ではない』と思っているようですが・・・
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『天才』とは、常人の理解を超えた存在です。
平凡な自分の尺度からは、決して測る事は出来ません。
いや、天才でなくとも、人間それぞれが、隠れた能力を持っています。
戦国時代、天下無双の剛力と言われた朝比奈彌太郎という男が、甲山城に
いました。
彼は、敵の放った何百本もの矢を受けながら、百九十人を一人で討ち取り
立ったまま討ち死にしたそうです。
何かのキッカケで突如として明らかになる、思いもよらぬ能力や才能。
『火事場の馬鹿力
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何か困難に遭遇した時、その才能をうまく引き出すか、無理と決めつけて
解決を諦めてしまうか。
・・・そこには、人間の生き方として、雲泥の差があります
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本堂左手から石段を上ると大師堂、更にその横には洞窟があって、中には
お大師さま御作と言われる毘沙門天像が安置されています。
これは、巡錫中のお大師さまが、この地を守っているという翁と出会い、
感応して刻まれたと伝えられています。
毘沙門天さまとは、勇ましいお姿と迫力ある形相の仏さまで、片方の手に
多宝塔を載せており、仏教を守護するお役目を表現しています。
こちらの甲山寺、片方に山を頂いているという立地から、地形そのものが
あたかも毘沙門さまを表しているかのようです。
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かつて、御自身のお寺の伽藍整備で頭を悩ませたこうゆうさん。
こちらにお参りした際に授かったのが『福寿円満財宝融通』という言葉。
伽藍整備というと、莫大な金額が必要です。
でも、そのお言葉を頂いた時に気付いたのが、
「無いお金を『頂く』のではなく『回せばよい』」という事
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『貰う』『儲ける』のではなく、持てる人が困った人に『融通する』事。
互いに、持ちつ持たれつ。
それが、『りえき』から『りやく』へと高められる道かもしれません
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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こちらの山号、前回の七十二番札所と同じです。
つまり、この地域には実際に『我拝師山』という名の山があるのですが、
かつてこの一帯には、大規模な伽藍があったのではと推測出来ます。
なだらかな丘の上に位置するこちらのお寺ですが、奥の院は、断崖絶壁の
『捨身ヶ嶽』です。
ここは、空海さまが七歳の頃、御自身がこの世に必要な人間であるのかを
確かめるために身を投げたところ、そこにお釈迦さまと天女が現われて、
幼い空海さまを抱きとめたという伝説があります。
先に述べた通り、この捨身ヶ嶽は大変に険しい場所で、一般の参拝者には
近付き難い事から、境内に『遥拝所』が設けられています。
珍しい『稚児大師』像が石板に刻まれている、こちらの遥拝所。
山の上に太陽が昇り
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お参りするのがお薦めです
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
出釈迦寺へ到着したごんた。
空が近い、山上の美しい景色を目にしてすっかり開放的な気分になって、
そのまま飛べそうな気がしてきたようです
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そこでたけやん、実際に飛んだ人・・・空海さまの話を聞かせます。
捨身ヶ嶽から身を投げたところ、仏さまに救われた七歳のお大師さまが、
本尊の釈迦如来像を刻み、お寺を建立されたという伝説ですが・・・
今回のエピソード、さすがのごんたも少々疑ってかかっている様子
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確かに、昔から言い伝えられてきた話の中には、現代人の感覚からすると
疑問を抱きたくなるものも含まれています。
ただ、大事なのは、辻褄の合わない枝葉末節にとらわれるのではなくて、
話の本質、語り継いで来た先人達の伝えたかった事を、素直な心になって
読み解く事でしょう。
捨身ヶ嶽の話も、『仏道を歩む者の、身を捨てる覚悟で臨む決意』という
本質を見抜かなければ、ただの荒唐無稽なエピソードでしかありません
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山門には、音声案内の設備があります
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ただ、音や声、またはガイドブックなどの簡単な説明だけでは、なかなか
伝わりにくい内容もあります。
そんな時に利用したいのが、現地に設置されている掲示板。
そこにはためになる情報や、より深い教えが隠されている事もあります
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また、彼方の奥の院を拝むため、一行は定められた遥拝所を訪れましたが
捨身ヶ嶽を望む事が出来るのは、勿論その場所だけではありません。
こちらへ参拝される際、各人それぞれがお気に入りの『遥拝スポット』を
探してみるのも楽しいかもしれません
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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田園風景を眺めながら、細い道を山の方へ入った所にあるこちらのお寺。
596年、空海さまの先祖である佐伯氏の氏寺として創建されましたが、
後に、恵果和尚(空海さまの師匠)の青龍寺に倣って伽藍が整備されたと
伝えられています。
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『引いて』全体を見渡し、そのスケールを味わいたいものです。
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こちらの寺号にも使われている『曼荼羅』という言葉から、杉本さんは、
色々な仏さまが散りばめられた『絵』を思い浮かべるそうです
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実際には、曼荼羅は平面的な絵画だけでなく、立体の物など様々な種類が
存在するのですが、この曼荼羅とは一体、何なのでしょう?
巷の解説本等では、『世の中や宇宙のしくみ全てを表現したもの』などと
今一つピンとこない説明しかなされていません。
静かに瞑想する仏さまもいらっしゃるかと思えば、周辺部に目をやると、
恐ろしい形相の、鬼のような姿も描かれている
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分かり易く説明すれば、そこに表現されている仏の世界も、現世と同じで
全てが、互いに影響を及ぼし合う関係にある事を描いているのです。
ただ、『現世と同じ』とは言っても、それは『影響を及ぼし合う』という
作用の側面に限っての事。
この俗世間にあって、徒に時を過ごすだけの、愚かで哀れな人間たちと、
曼荼羅世界に表現された仏さまが、等価値な訳では決してありません。
曼荼羅の中の個性あふれる諸仏は、それぞれが最大限の能力を発揮して、
全身全霊でお働きになっているのです。
そんな、清浄なる尊い世界のお名前を寺号に頂く、こちらの曼荼羅寺。
近道ではなく、正式な参道を通って、キチンとお参りしたいものです
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
たけやん、「おかしい」と呟きつつ、曼荼羅寺境内を歩き回っています
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どうやら、お大師さまのお手植えと伝えられる『不老松』が見当たらず、
探しているようなのですが、ごんたがその痕跡を発見しましたが、それは
『笠松大師』という、空海さまの像。
18メートル四方にも枝をはる巨木だったというその不老松は、残念ながら
平成14年に松喰い虫の被害に遭い枯れてしまったそうで、現在はその幹に
お大師さまのお姿を刻んだ笠松大師像が残るのみです。
『不老』と名付けられた松でさえ、やがては枯れて滅びる。
『諸行無常』という理を学ぶには、これ以上ない機会でしょう。
古来より洋の東西を問わず、不老不死を切望し、そしてそれを追い求める
権力者の逸話は、数多く伝わっています。
これまでの己の行いを顧みて悔み、行く末に不安を覚える。
・・・ならばこれから先、どちらを向いて生きれば良いのか?
『死』への恐怖。
それは、人間を磨くための、最上の材料でもあるのです。
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不老松に象徴される様に、永遠に存在し続けると思われるものであっても
この世に生まれ出た形あるものは、必ず滅びます。
ただその一方で、『変わらないもの』もあります。
それは・・・思い出、記憶というもの。
・・・・・・・・・・・
こうゆうさんの息子さん(次男)が4歳の頃の事。
彼のおばあちゃんが、お友達と共にお遍路に出たそうです。
おばあちゃんっ子だった次男クン、一緒について行きたがったそうですが
時間や行程等を考えると幼児には無理という事で、留守番となりました。
ところが、どうしてもおばあちゃんに会いたいと、泣き始めた次男クン
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そんな彼の姿を見たこうゆうさんは、おばあちゃん達の行程を調べると、
遍路装束の次男クンを車に乗せ、その日の一行が向かう札所に先回り。
朝一番の曼荼羅寺の門前、凛々しいお遍路姿で立つ次男クン。
驚きと感激の入り交じった表情のおばあちゃんと
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![](/emoji/E/224.gif)
・・・・・・・・・・・
曼荼羅寺にお参りする度に、こうゆうさんの脳裏には、その当時の情景が
鮮明に甦って来るそうです。
家族の、ほんの些細な出来事。
それが、何気ない日常の風景でも、お寺の持つ空気が優しく包み込んで、
かけがえのない思い出として、いつまでも心に残るのかもしれません
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
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巷に溢れる、お遍路のガイドブック。
そのどれを見ても、『四国有数の石段のある札所』として紹介されている
こちらのお寺、段数は五百段を超えているとか
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日本各地には『死者の魂が山へ還る』といった考え方の残る場所があり、
この弥谷寺周辺の地域も同様なのですが、ただ、ここの独特な風習として
『魂を山へお連れする』という形態がとられて来たそうです。
だから、この弥谷寺への参道は、言わば『黄泉の国』へ至る道。
喘ぎながら石段を上る一行ですが、道のりが厳しいのは当然なのです
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こちらの開基は、空海さまより前の時代に活躍された、行基菩薩さまだと
伝えられています。
元々、日本に伝来した当時の仏教は、国の守護の下で、鎮護国家の役割が
主要なものでした。
ところが行基菩薩さまは、そのような『高い場所』から下りて来られて、
庶民のために教えを説いて、民衆を動かすという、当時の常識からすれば
型破りな方法で、み教えを広められました。
その様な、行基さまの尊いお姿・行いに影響を受けたお坊さん方も多く、
各地に残る行基伝説の中には、行基さまの名を語って民衆のために動いた
無名の僧侶達の活動も含まれているのでは?・・・と考えられています。
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息も絶え絶えになりながら、一行がやっとの思いで辿り着いた大師堂。
山の岩肌に張り付くように建てられた、特殊な造りのお堂です。
尚、ここまでの石段が、百八段。
目指す本堂へ行き着くには、まだまだ上へと向かわねばなりません。
米裕さん
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どうやら、却下
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
奇妙な叫び声を上げるごんた。
一体何事か、たけやんが尋ねると、仏さまと喧嘩をしている、との事
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見れば、ごんたが相対しているのは、胸の前で両の拳を合わせたお姿の、
金剛拳菩薩さま。
勇ましく見える外観は、説法をなさっているお姿だそうです。
お遍路は、悟りを求め、仏さまと一体になる旅です。
『同行二人』として、いつも見守って下さっているお大師さまを信じて、
任せ切る・・・即ち、帰依する。
お大師さまに憧れ、従い、体と言葉と心までも、お大師さまになり切る。
・・・その瞬間、その人は既に、仏さまになっているのです。
金剛拳菩薩さまの、胸の前で拳を重ねた力強いお姿は、仏道を歩む人々に
「その覚悟を忘れるな」という事を、身をもって示しておられるのです。
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本堂でのお参りを修めた一行は、眼下に町を見渡す山の岩肌に刻まれた、
摩崖仏の元へとやって来ました。
残念ながら部分的に欠けていたりしますが、おそらく明治期の廃仏毀釈の
爪痕でしょう。
仏教伝来以前、日本人は木々や川、山などを神として崇めていましたが、
そんな神々の宿る場所へ、海外からやって来た仏さまのお姿を刻む
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互いの尊さを認め合い、融合した形。
仏教と日本古来の信仰、それぞれの懐の深さを窺い知る事が出来ます。
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札所のお参りの形態としては、お堂の外から納経するのが一般的ですが、
こちらのお大師堂では、靴を脱いで、中に上がらせて頂きます
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前述の通り、険しい山の地形に合わせた、岩肌に張り付く特殊な造りで、
奥の院の『獅子の岩窟』
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とにかく、そこに座って、その場の『気』を頂くだけで有り難い。
・・・そんな、無意識に『南無大師遍昭金剛』の御宝号が口から出る様な
厳しさの中にも爽やかな空気を感じる、不思議で神聖な空間です
![](/emoji/E/259.gif)
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
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![](/emoji/E/360.gif)