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2025/02/09 14:17 |
【70番】七宝山・本山寺《放送内容》
今回のお参りは第七十番札所、七宝山・本山寺です。

門前を賑やかに車が行き交う、平野部に位置するこちらのお寺。
一歩中に入ると、境内が全て見渡せる、いかにも讃岐らしい札所です。

現在の山門は、それほど大きなものではありませんが、これはどうやら、
かつての中門であるようです。

そう考えると、かつてこの一帯に、一大伽藍を誇る大寺院があった事が、
容易に想像出来ます。

六十八番、六十九番、そしてこの七十番が同じ山号であるという事実も、
その事を示しているのかもしれません。

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戦国時代、それは、四国の各寺院にとって受難の日々でもありましたが、
この本山寺も、あの悪名高き戦国武将・長宗我部元親が陣を張ろうとして
危うく焼き払われるところだったそうです

ただ、当時の住職の仏法を守り通す固い決意と、仏さまのお力によって、
戦火を免れ伽藍が残った、大変に貴重なお寺なのです。

その事は、山門の礎石などの凝った細工、つまり仏教が隆盛を極めた頃の
名残があるという事実からも垣間見る事が出来ます。

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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

連戦連勝で勢いに乗る戦国武将、長宗我部元親
本山寺の敷地へ陣を張ろうと、寺を焼き払うためにやって来ました。

ところが本山寺の住職、元親を恐れる事もなく、刀を納め戦を止める様、
元親に命じます。

怒った元親、住職を斬った・・・かに思いましたが、手応えは全く無く、
住職は無傷。

一体何がどうなったのか、全く理解出来ずにいる元親の前に現れたのは、
白い光に包まれた阿弥陀如来さま

恐れおののき、錯乱するところを・・・
家臣に揺り起こされ、夢から覚めた元親。

今日は、讃岐の地へ陣を張るべく、本山寺を焼き払いに行く日。

・・・の予定でしたが、そんな恐ろしい夢から覚めたばかりの元親
尻尾を巻いて退散したのは、言うまでもありません。

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本山寺の御本尊は、馬頭観音菩薩

観音さまといえば、慈悲深く優しい、女性的なお姿を想像しがちですが、
この馬頭観音さまは、世にも恐ろしい忿怒相の仏さまです。

江戸期には、当時の労働の一端を担っていた家畜を守護する仏さまとして
民衆の信仰を集めた馬頭観音さまですが、本来は、馬が飼葉を食べる姿の
勢いの良さが転じ、煩悩を食べ尽くして下さるお姿を示した仏さまです。


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本堂左手には、美しい五重塔が聳えています。
これは、明治期の御住職が、元の形に改修したものだそうです。

明治といえば、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた、仏教においては『鬼門』。

そんな逆風の時代にあって、仏法を守り続ける確固たる決意を胸に秘め、
実現にこぎつけた御住職の覚悟たるや、相当なものだったでしょう。

戦国時代の、長宗我部元親を追いやった御住職といい・・・
明治時代の、この御住職といい・・・

住職の『覚悟』が、こちらのお寺のキーワードかもしれません。

そんな歴史を持つ、この本山寺。

古式に則った伽藍を守り続けているあたり、その『覚悟』は、現代までも
脈々と受け継がれているようです。

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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2010/03/08 12:10 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【69番】七宝山・観音寺《放送内容》
今回のお参りは第六十九番札所、七宝山・観音寺です。

前回の六十八番札所・神恵院と同じ境内にあって、一か寺・二札所という
四国の中でも特異な例ですが、六十八番の御本尊が阿弥陀さまですので、
同一場所にある観音寺の御本尊も同じ仏さまかと思いきや、寺号の通り、
聖観世音菩薩さまです。

仏教伝来以降、広く認められた『本地垂迹説』という思想がありますが、
これは、神さまにも仏性があって、神と仏は本来一体の存在であるという
考え方の事です。

明治政府の神仏分離令によって、神と仏は引き裂かれましまいましたが、
同一境内に二つの札所が存在するというこの形態も、実はその頃の混乱が
未だに尾を引いている事を示す、生きた実例の一つなのです。

神仏にせよ人間にせよ、物事には総じて『多面性』があります。

その、極めて当然と言える摂理を、政治の側の都合で強引に否定した事が
現代日本人の、信仰心の不安定さを生み出した原因かもしれません。


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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

六十八番と六十九番の札所が同じ境内にある事に混乱するごんたですが、
迷う事なく、六十九番の本堂を探し当てます。

何故、見分ける事が出来たのか、たけやんが尋ねたところ、本堂の前には
赤い顔をした門番の像があるから・・・という理由ですが、見たところ、
それは門番などではなく、お釈迦さまの弟子の一人、賓頭盧尊者さま。

博識で慈悲深い方で、しかもその説法は、他の者の異論・反論を許さず、
まるでライオンの様であった事から、獅子吼第一とも称されました

神通力をもって、偉い王様の王位喪失をも言い当てた事を聞いたごんた、
その赤いお顔は、神通力を使われる際のお姿かと思ったようですが・・・

賓頭盧尊者さま、大の酒好きだそうで、お顔が赤いのはそのためですが、
実はその酒が原因で、お釈迦さまから破門を言い渡されてしまいました。

ただ、お釈迦さまを慕う強い気持ちが認められて、人目につかない場所で
お釈迦さまの説法を聞く事は許された、との事。

その様なエピソードのためか、札所でよく見かける賓頭盧尊者さまの像は
建物の中ではなく、本堂の外に安置されているのでしょう。

***********

境内の土産物屋兼うどんやさんへとやって来た、米裕さんと杉本さん。

仕事柄、喉に気を遣う杉本さん、飴は必需品だそうです。

一方の米裕さん、お参りをする立場として、山道や長い石段を行く際には
やはり糖分補給が欠かせないため、飴は常備されている、との事。

ところが米裕さん、大事な飴を切らせてしまい、杉本さんにおねだり。

黒糖飴をチョイスしましたが・・・豆入りの製品。
ガリガリ噛んでしまわず、最後までゆっくりなめましょう。

***********

最後に、杉本さんからの質問。

『観音寺』は『カンオンジ』なのか?『カンノンジ』が正しいのか?

対する、こうゆうさんの回答。

『カンオンジ』は近世の読み方で、正式には『カンノンジ』。
古くから伝わる『観音経』が『カンノンギョウ』である事からも明白。

米裕さんの補足。

古文では、『ん』に続く母音は、『な行』に変化する。

尚、『カンオンジ』と呼ばれるようになった理由は諸説あるようですが、
観音さまの正式なお名前、『観世音菩薩(カンゼオンボサツ)』の発音が
影響しているとも言われています。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2010/02/20 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【68番】七宝山・神恵院《放送内容》
今回のお参りは第六十八番札所、七宝山・神恵院です。

こちらと六十九番の観音寺とは同じ境内にあって、四国八十八箇所唯一の
『連番』
となっており、同じ山門から入り参拝させて頂く事となります。

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七百年代、八幡大菩薩さまが舟でお越しになり、この地を発見なさったと
伝えられていますが、『八幡さま』と言うと我々はどうしても『神社』
連想しがちです。

ところが、正式には、上に記した通り『大菩薩』という呼び名が・・・。

八幡さまは、神さまなのか?
それとも、仏さまなのか?

実はこの混乱、明治時代に断行された『廃仏毀釈』に端を発したもので、
それまで日本古来の神さまを崇める考えと、大陸から伝わった仏教とが、
良い形で融合していたのを、無理矢理引き離してしまった事が原因です。

***********

仁王さまのいらっしゃる立派な山門をくぐると、近年に整備された石段。
手前に井戸があり、その脇を進むと、沓音天神さまのお社に着きます。

ここはかつて、庵のお坊さんが尊い声を聞き、沓音の後を追いかけると、
その先に天神さまがいらしたという伝説があります。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

日証というお坊さんが、瀬戸内を望む山の上で修行をされていたところ、
雷鳴が轟いて雲が近付き、やがて雨が降り始めました

これは神さまのお出ましだろうと、浜に出て沖を見ると、琴の音にのって
八本の幡を掲げた、神々しい舟が近付いて来ます。

舟に乗っていたのは、宇佐からいらした八幡さま

弓矢の使い手である軍神の八幡さまが、その弓で『琴』を弾いているのは
都に『事』があったからだろうと、日証上人が尋ねたところ、八幡さまは
後世に、東大寺に大仏さまが建立されて仏教が栄える事、空海という名の
優れたお坊さんが現われる事をお伝えになりました。

戦で世を治める事はかなわないと悟った、戦いの神である八幡さま。

唐に伝わったお釈迦さまのみ教えが、彼の地を平和に導いている事を知り
八正道を表す八本の幡を立て、その教えがこの日本にもやって来る日を、
ずっと待っておられたそうです。

八幡さまは、更に後世に起こる、神仏分離による国の混乱も予見されて、

「神仏は共にあるべき、それを後の世に伝えよ。」

・・・とのお言葉を、日証上人に伝えられました。

尚、八幡さまが乗っていらした古い舟は、引き揚げられてお祀りされ、
琴弾八幡宮として現在に至っています。

***********

一行がお参りした本堂は・・・コンクリートの壁と、金属製の屋根という
超モダンな近代建築物の内部にありました。

笠に白衣という、伝統的なお遍路スタイルが、この場所では場違いにすら
思えてしまうほど。

外が古風で、伝統にのっとった造りである事もあり、そのギャップたるや
かなりのものです

尚、納経所は六十八番と六十九番共通となっていますが、夫々の札所への
お参りの度に慌ただしく訪れるのでなく、双方をキッチリと修めた後に、
落ち着いて伺えば良いでしょう。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2010/02/06 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【67番】小松尾山・大興寺《放送内容》
今回のお参りは第六十七番札所、小松尾山・大興寺です。

弘仁年間(平安期)、嵯峨天皇の勅願 により空海さまが開かれたという
こちらのお寺ですが、奈良時代から僧坊があったと伝えられています。

その後は、真言宗と天台宗の二宗派によって管理されていた時期があり、
最盛期には真言宗24坊・天台宗12坊を誇る修行の道場でした。

***********

山門では、香川県の有形文化財に指定された、身の丈3mはあろうかという
立派な仁王像が参拝者を迎えて下さいます。

お寺の評価としては、立派な建物や仏像が対象になる事が多いのですが、
本当の歴史は、境内の木々を見れば分かります。

古代の日本は、自然崇拝、特に大木には『神が宿る』と信じられており、
仏教伝来前より『信仰の場』とされてきました。

そういった神聖な場所に、土地の神々に許されて、寺院を建立する。
または、神のやどる木に、許しを得て仏さまのお姿を刻み、安置する。

そのようして仏教は、土着の神々と穏やかに融合しながら、人々の生活に
溶け込んで行きました。

***********

境内には、空海さまお手植えと伝えられている、巨大な榧の木
因みに高野山では、榧の実をお供えすると神さまがお喜びになるとして、
珍重されているそうです。

また、その榧の近くにも、それより樹齢が古いと思われる、楠の巨木。
周りの石畳や石段を歪ませるほどに、しっかりと根を張っています。

本堂向かって右側に大師堂がありますが、こちらは『天台大師堂』
かつて、二宗派がこのお寺を支えていたという事の名残です。

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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

山門の立派な仁王像に、感嘆の声をあげるごんた。

鎌倉期の運慶作である事を説明する、博識のたけやん。
ただ、頭部だけが江戸時代に作り替えられたものらしいのですが、それが
『八百屋お七』に関連があるという事を告げると・・・

実は、『八百屋お七マニア』だというごんた。
突然にスイッチが入って、有名な八百屋お七の悲話を、芝居口調で滔々と
語り始めるのでした(笑)

尚、八百屋お七と仁王さまの関係ですが・・・

お七の恋人である吉三郎が、四国中を勧進して回り、修復したという話が
伝わっているそうです。

***********

お参りを修めて、一行の共通した感想が『気持ちが良い』という事

常緑樹と鳥のさえずり。
お参りをしながら、季節を問わず森林浴が楽しめます。

そして何より、整備の行き届いたお寺。

凛とした清らかな空間を前にすると、やはり参拝する側の意識としても、
「キチンとお参りさせて頂こう」となるのが自然でしょう。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2010/01/23 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【66番】巨鼈山・雲辺寺《放送内容》
今回のお参りは第六十六番札所、巨鼈山・雲辺寺です。

前回の三角寺が伊予の国最後の札所で、ここから涅槃の道場・讃岐の国
・・・のはずですが、実はこちら、讃岐と境を接した徳島県になります。

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麓の駐車場からロープウェイで2.6km、時間にすると7分。
標高916mの山頂まで一気に上る行程は、スリル満点

高い所が苦手なこうゆうさん、口の中が渇き、ロープの弛みが気になり、
レポートどころではない様です(笑)

到着した山頂は、やはり気温がグッと低く、まさに雲の中のお寺。
お大師さまの遺された御詠歌は・・・

「はるばると 雲のほとりの寺にきて つきひを今はふもとにぞ見る」

遥々やって来られたという、時間を指す『月日』と共に、寺号の示す通り
太陽や月さえも見下ろす、高い峰である事を表現されています。

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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

昔、雲辺寺の麓に、与成という猟師がいました。

初めは猟も上手くありませんでしたが、雲辺寺の御本尊である観音さまに
「鉄砲が上手くなりますようにと願をかけ、努力を続けていたところ、
その姿勢を見た観音さまは、願いを聞き入れて下さり、やがて百発百中の
達人へと成長しました。

ただ、腕が上がるにつれ、願いは「獲物が捕れますように」という内容へ
変わりましたが、それは直接的に『殺生』を意味します。

そろそろ与成が悟りを開く時期と考えた観音さま、殺生をやめさせるため
釣り鐘を被って、猟へ出ている与成の前に現れました。

釣り鐘を見た与成、獲物と思い撃つと見事命中、森に響き渡る大きな音。

与成の様子を見ようと、釣り鐘から外を覗き見る観音さま。
鐘の音に驚きながらも、釣り鐘の隙間から光る眼に向かって撃つ与成。

近付くと獲物の姿はなく、雲辺寺へと続く血の跡。

獲物がお寺へと逃げ込んで、血で汚してしまったと思った与成。
お詫びをするため、本堂へお参りしたところ、そこには、眼から血を流す
御本尊の千手観音さま。

与成は、「殺生をやめよ」という御本尊のお導きと受け取り、それ以後は
猟師を引退、雲辺寺の整備に心血を注いだそうです。

一方、眼を射抜かれた観音さまは、眼病にお力を発揮される仏さまとして
現在も、多くの人々の信仰を集めています。

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次は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。

今回登場されるのは、宮城からいらしたという男性。

歩きが主体ですが、負荷のかかる場所は電車等も利用するというこの方、
全行程を3区分として、今回はその3回目、59番から高野山に向けての、
最後の行程だそうです。

お遍路のきっかけは、特に信仰心から・・・という訳ではなく、数年前に
大学の同窓会が金比羅さんで開かれた際、近くのお寺にお参りした事で、
お遍路というものに興味を持ったのだそうです。

***********

杉本さん、境内で見た『解体補修中』の看板が印象に残ったそうですが、
何かと新しい物を求める最近の風潮にあって、古い物を活かすという所に
興味を引かれた様子。

信仰の場である寺院。
長年親しまれてきた外観を、そのまま次の世代に引き継ぐ事が出来れば、
それが理想的かもしれません。

ただその一方で、文化財としての保存や、防災・安全面からの制限など、
様々な問題があるのも事実です。

仏像の修復では、表面を新品の様なピカピカの美しさにするのではなく、
それを安置する古い建物との調和をとるために、敢えて『ふるぼとけ』
仕上げる場合も多くあるそうです。

確かに文化財を味わうという側面から考えれば、それも一理ありますが、
本来の信仰という軸から考えれば、別の解答が導き出されます。

お寺には老若男女、様々な境遇・年代の人々が訪れます。
中にはお年寄りなど、視力の弱い方もいらっしゃいます。

ですから、あらゆる人に仏さまの御威光を伝えるには、建立の頃のままの
極彩色というのが、非常に重要な意味を持つのです。

護摩の炎で煤けたお堂や、仏さま。
それらを補修して元の極彩色に戻した後、煤けるまでしっかり拝み込み、
そして後世の者が、再び元の極彩色に補修して・・・

本筋である『信仰』の面から考えれば、為すべき事は明らかです。


ただその一方、別の分野からは、文化財の『味わい』を要求される場面が
多くある事も、やはり事実。

こうゆうさんも、御自身が住職を務めらていれるお寺を補修する際には、
悩まれた部分だそうです。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2010/01/04 16:59 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

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