今回のお参りは第六十五番札所、由霊山・三角寺です。
菩提の道場・伊予の国も、この札所が打ち修め。
霊場の旅は、その土地や季節の様々な香りと共に、記憶に刻まれます。
こちらは・・・なにやら懐かしい『におい』。
どうやら、近くで家畜が飼育されているようです。
***********
山号の『由霊山』とは、霊木に囲まれた深山幽谷の地、という意味。
天平時代開山の歴史あるお寺ですが、かつて、この地を訪れた空海さまは
ここで『三角護摩』を修されたそうです。
一般的に知られる護摩供養では、護摩木を四角く『井形』に組み上げて、
『息災』や『増益』などを祈りますが、それに対して『三角護摩』とは、
その名の通り、護摩木を三角形に組み上げて行う修法です。
これは、魔を抑え込む『降伏(ごうぶく)』を目的として行われるもので
新しく入ってきた仏教を妨害する土着の神々に対して、威力を誇示して、
仏経の伝播に協力してもらうという意図があったものと思われます。
境内には『三角池』という名の、弁天さまをお祀りした池がありますが、
ここが、空海さまが三角護摩を修された場所かもしれません。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
三角寺という、変わった名前の札所にやって来た、ごんたとたけやん。
実はごんた、周りの人から「変わっている」と言われ続けてきましたが、
本人としては至って普通のつもりなので、心外な様子。
この個性的な寺号は、空海さまがこちらで『三角護摩』を修されたという
故事に因んでいる、という事をたけやんから聞いたごんた。
自身も、近所のお寺の護摩法要にお参りした事があるようですが・・・
「肉を焼く事が出来そう」と発言して、ヒンシュクを買ったり。
燃え盛る護摩木に芋を放り込もうとして、叩かれたり。
鉄製の天蓋で目玉焼きを作ろうとして、芥子粒を投げつけられたり。
・・・『変わっている』というより前に、根本的な問題がありそうです
尚、空海さまがここで三角護摩を修されたのは、農民を苦しめる悪い龍を
退治するためだったそうで、お大師さまの超人的な力で改心したその龍は
以後、農耕の時期に合わせて水を差しだすようになった、との事です
***********
最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回登場は、神戸からいらした歩き遍路の男性。
2ヶ月の予定で、八十八ヶ所と、別格の二十ヶ寺を廻っているとの事で、
インタビュー時は、行程の丁度半分あたりだったようです。
「お遍路とはどんなものか?」という興味から歩き始めたというこの方。
これまで色々な出会いがあり、教えられる事も数多くあったそうです。
歩き遍路では水と食料を少し余分に持ち、また自身の体力の残り具合にも
注意する必要がある、との事。
お参りの時だけでなく、移動して行く過程での多くの出会いも、同じ様に
大切にしながら歩いているそうです
***********
平成19年4月に放送開始の、この『きくへんろ。』。
早いもので、四国のうち、これで三つの国を歩き終えた事になります。
さあ、次回からはいよいよ最後の一国、『涅槃の道場』讃岐の国です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
菩提の道場・伊予の国も、この札所が打ち修め。
霊場の旅は、その土地や季節の様々な香りと共に、記憶に刻まれます。
こちらは・・・なにやら懐かしい『におい』。
どうやら、近くで家畜が飼育されているようです。
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山号の『由霊山』とは、霊木に囲まれた深山幽谷の地、という意味。
天平時代開山の歴史あるお寺ですが、かつて、この地を訪れた空海さまは
ここで『三角護摩』を修されたそうです。
一般的に知られる護摩供養では、護摩木を四角く『井形』に組み上げて、
『息災』や『増益』などを祈りますが、それに対して『三角護摩』とは、
その名の通り、護摩木を三角形に組み上げて行う修法です。
これは、魔を抑え込む『降伏(ごうぶく)』を目的として行われるもので
新しく入ってきた仏教を妨害する土着の神々に対して、威力を誇示して、
仏経の伝播に協力してもらうという意図があったものと思われます。
境内には『三角池』という名の、弁天さまをお祀りした池がありますが、
ここが、空海さまが三角護摩を修された場所かもしれません。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
三角寺という、変わった名前の札所にやって来た、ごんたとたけやん。
実はごんた、周りの人から「変わっている」と言われ続けてきましたが、
本人としては至って普通のつもりなので、心外な様子。
この個性的な寺号は、空海さまがこちらで『三角護摩』を修されたという
故事に因んでいる、という事をたけやんから聞いたごんた。
自身も、近所のお寺の護摩法要にお参りした事があるようですが・・・
「肉を焼く事が出来そう」と発言して、ヒンシュクを買ったり。
燃え盛る護摩木に芋を放り込もうとして、叩かれたり。
鉄製の天蓋で目玉焼きを作ろうとして、芥子粒を投げつけられたり。
・・・『変わっている』というより前に、根本的な問題がありそうです
尚、空海さまがここで三角護摩を修されたのは、農民を苦しめる悪い龍を
退治するためだったそうで、お大師さまの超人的な力で改心したその龍は
以後、農耕の時期に合わせて水を差しだすようになった、との事です
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最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回登場は、神戸からいらした歩き遍路の男性。
2ヶ月の予定で、八十八ヶ所と、別格の二十ヶ寺を廻っているとの事で、
インタビュー時は、行程の丁度半分あたりだったようです。
「お遍路とはどんなものか?」という興味から歩き始めたというこの方。
これまで色々な出会いがあり、教えられる事も数多くあったそうです。
歩き遍路では水と食料を少し余分に持ち、また自身の体力の残り具合にも
注意する必要がある、との事。
お参りの時だけでなく、移動して行く過程での多くの出会いも、同じ様に
大切にしながら歩いているそうです
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平成19年4月に放送開始の、この『きくへんろ。』。
早いもので、四国のうち、これで三つの国を歩き終えた事になります。
さあ、次回からはいよいよ最後の一国、『涅槃の道場』讃岐の国です。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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今回のお参りは第六十四番札所、石鉄山・前神寺です。
奈良時代、役行者によって修験の道場として開かれたという、歴史の古い
こちらのお寺。
仏教伝来より前から日本に存在していたと言われる修験道は、自然崇拝が
その根本にあります。
我々に恵みを下さる一方、時には大きな災害をもたらす事もある大自然
そんな自然の中にあって、最も厳しい場所である山岳地帯の真っ只中へと
身を投じ、山・神・自然と一体となり、それらの力を我がものとする事で
制御する術を身につけるのが修験道。
ですから、修験の行事に『雨天中止』などは有り得ない事です。
何故なら、天候など自在にコントロール出来るのが行者だからです。
***********
実は、若き日の空海さまは修験に没頭し、四国や吉野の山野を駆け巡って
修行に明け暮れていました。
『前神』の寺号が持つ意味。
権現堂の背後にある山全体が御神体で、その前に建つお寺という事。
修験道と密教の関わりを、最も強く感じる事の出来るお寺です。
周囲の諸堂を眺めながら本堂へと近付いて行くと、バックの木々や山々が
グッと迫ってくるような迫力。
山岳修行の寺院の境内には、中央に土を四角く切った場所がありますが、
これは『柴燈護摩』を修する所ですので、清浄でなくてはなりません。
立入禁止の柵などが無いお寺もありますので、お参りの際には、うっかり
その上を歩いたりする事のないよう、注意が必要です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、前神寺さんの寺号で悩んでいる様子
『前に神さまがおられるお寺』なのか?
『神さまの前に建てたお寺』なのか?
たけやんによれば、漢文の規則は後ろから前に読む、という事ですので、
『神さまの前のお寺』という解釈になります。
そこでごんた、お堂の後ろに回ろうとしますが、神さまがおられる場所は
後ろに見える山・・・石鎚山の事です。
険しい山の頂上や、海沿いの切り立った岩など、人が行けない聖域の事を
『奥の院』と言いますが、若き日の空海さまが巡って修行をしていたのは
そういった場所でした。
神さまは『穢れ』を嫌います。
ですから、『神さまを拝むお寺』である前神寺のお坊さん方は、かつては
お葬式に行きませんでした。
現代になって改められたものの、今でも御斎の膳は頂かないそうです。
これは、人間は食べ物を前にすると、自分の好み、即ち『欲』が出る事で
穢れにつながるためです。
『よごれ』には二種類あって、表面的・物理的なものを『汚れ』と表し、
内面的・精神的なものが『穢れ』です。
動物には、生きる事への執着・・・欲、即ち『穢れ』があります。
ですから生き物を殺してその肉を食べるという行為は、捕えられた動物の
恐怖や不安、死にたくないという生への執着、つまりは欲を自分の体内に
取り入れる事でもあるのです。
お坊さんの『不殺生』の戒律とは、『命を尊ぶ』という意味合いの他に、
『他人に恐怖や悲しみ・不安を与えない』という事も含んでいるのです。
***********
お参りを修めた一行、納経所とお大師堂の中間点にある『お滝不動』へと
やって来ました。
現在はあまり水量はありませんが、以前は滝行が行われていたこの場所
こちらのお不動さまめがけて1円玉を投じ、見事側面に貼り付いたならば
願いがかなうと言われているのですが・・・
杉本さん、外野から浴びせられる失礼な発言(笑)にイライラしながらも、
硬貨を清めて合掌、御真言を唱え、
『3年以内に良縁に恵まれるように』
との願いを込めて・・・投入!
硬貨は落ちそうになりながらも、木の葉に受け止められる格好となって、
お不動さまにピタリと貼り付き、見事に大成功!!
我を忘れて、大はしゃぎする杉本さん。
・・・それほどまでに、切実な願いだったという事の証明でしょう(笑)
***********
こちら、『前神寺』という寺号、及び『神さまを拝む』という特性から、
御本尊は大権現さまだと思っている人も多い様ですが、実は阿弥陀さま。
有名な神さまとの関わりが深いからと言っても、その神さまと御本尊とが
必ずしも一致しているとは限らないようです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
奈良時代、役行者によって修験の道場として開かれたという、歴史の古い
こちらのお寺。
仏教伝来より前から日本に存在していたと言われる修験道は、自然崇拝が
その根本にあります。
我々に恵みを下さる一方、時には大きな災害をもたらす事もある大自然
そんな自然の中にあって、最も厳しい場所である山岳地帯の真っ只中へと
身を投じ、山・神・自然と一体となり、それらの力を我がものとする事で
制御する術を身につけるのが修験道。
ですから、修験の行事に『雨天中止』などは有り得ない事です。
何故なら、天候など自在にコントロール出来るのが行者だからです。
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実は、若き日の空海さまは修験に没頭し、四国や吉野の山野を駆け巡って
修行に明け暮れていました。
『前神』の寺号が持つ意味。
権現堂の背後にある山全体が御神体で、その前に建つお寺という事。
修験道と密教の関わりを、最も強く感じる事の出来るお寺です。
周囲の諸堂を眺めながら本堂へと近付いて行くと、バックの木々や山々が
グッと迫ってくるような迫力。
山岳修行の寺院の境内には、中央に土を四角く切った場所がありますが、
これは『柴燈護摩』を修する所ですので、清浄でなくてはなりません。
立入禁止の柵などが無いお寺もありますので、お参りの際には、うっかり
その上を歩いたりする事のないよう、注意が必要です。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
ごんた、前神寺さんの寺号で悩んでいる様子
『前に神さまがおられるお寺』なのか?
『神さまの前に建てたお寺』なのか?
たけやんによれば、漢文の規則は後ろから前に読む、という事ですので、
『神さまの前のお寺』という解釈になります。
そこでごんた、お堂の後ろに回ろうとしますが、神さまがおられる場所は
後ろに見える山・・・石鎚山の事です。
険しい山の頂上や、海沿いの切り立った岩など、人が行けない聖域の事を
『奥の院』と言いますが、若き日の空海さまが巡って修行をしていたのは
そういった場所でした。
神さまは『穢れ』を嫌います。
ですから、『神さまを拝むお寺』である前神寺のお坊さん方は、かつては
お葬式に行きませんでした。
現代になって改められたものの、今でも御斎の膳は頂かないそうです。
これは、人間は食べ物を前にすると、自分の好み、即ち『欲』が出る事で
穢れにつながるためです。
『よごれ』には二種類あって、表面的・物理的なものを『汚れ』と表し、
内面的・精神的なものが『穢れ』です。
動物には、生きる事への執着・・・欲、即ち『穢れ』があります。
ですから生き物を殺してその肉を食べるという行為は、捕えられた動物の
恐怖や不安、死にたくないという生への執着、つまりは欲を自分の体内に
取り入れる事でもあるのです。
お坊さんの『不殺生』の戒律とは、『命を尊ぶ』という意味合いの他に、
『他人に恐怖や悲しみ・不安を与えない』という事も含んでいるのです。
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お参りを修めた一行、納経所とお大師堂の中間点にある『お滝不動』へと
やって来ました。
現在はあまり水量はありませんが、以前は滝行が行われていたこの場所
こちらのお不動さまめがけて1円玉を投じ、見事側面に貼り付いたならば
願いがかなうと言われているのですが・・・
杉本さん、外野から浴びせられる失礼な発言(笑)にイライラしながらも、
硬貨を清めて合掌、御真言を唱え、
『3年以内に良縁に恵まれるように』
との願いを込めて・・・投入!
硬貨は落ちそうになりながらも、木の葉に受け止められる格好となって、
お不動さまにピタリと貼り付き、見事に大成功!!
我を忘れて、大はしゃぎする杉本さん。
・・・それほどまでに、切実な願いだったという事の証明でしょう(笑)
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こちら、『前神寺』という寺号、及び『神さまを拝む』という特性から、
御本尊は大権現さまだと思っている人も多い様ですが、実は阿弥陀さま。
有名な神さまとの関わりが深いからと言っても、その神さまと御本尊とが
必ずしも一致しているとは限らないようです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回のお参りは第六十三番札所、密教山・吉祥寺です。
駐車場から、民家の建ち並ぶ路地を歩くと、正面に山門が見えてきます。
境内は広く、張り巡らされた結界の様に川が流れているこちらのお寺。
開基は空海さまで、御本尊は、四国霊場唯一の毘沙門天さま。
別名『多聞天』とも言い、米裕さんのお寺の御本尊でもあります
この毘沙門天さま、お釈迦さまが悟りを開かれた場所である須弥山を守る
四天王の一人、つまり軍神で、そのお姿は、必ず威圧感のある立像として
表現されます
***********
仏教には、真言宗・天台宗の『密教』と、『顕教』がありますが、顕教は
その字の通り『分かりやすい』教えの事です。
この密教・顕教双方が両輪として、日本の仏教は発展して来たのですが、
鎌倉期以降、政治情勢の影響もあって、顕教が民衆の間で勢力を拡大し、
更に明治時代に吹き荒れた廃仏毀釈で、かつて隆盛を誇った日本仏教は、
すっかりその姿を変えてしまいました。
***********
空海さまゆかりの地に、『密教』の山号を冠した札所。
真言宗僧侶のお二人は「いよいよ来たな」と、背筋の伸びる思い。
密教は『秘密教』と言われる場面もありますが、これは、大切なみ教えを
『隠している』のではなく、各々の修行の段階によって、伝えられる事・
教えても大丈夫な事が異なるためです。
車の運転に例えれば、キーを回せばエンジンをかける事が可能であっても
ライセンスを持っていない初心者や、全く訓練を積んでいない子供に対し
F1カーを与える事は、危険この上ない事は、誰の目にも明白でしょう。
また密教は、仏さまと『密接』な教えとも言われますが、これは、誰もが
『仏さまの資質を持っている』という、言わば、人間を『完成形』として
とらえている面を指しています。
ですから、十善戒の文言の解釈をとっても、『不殺生』を文字通り読めば
『殺すな』という意味ですが、密教においては、人間は同時に仏ですから
殺生を行う筈はないので、一歩進んで『生かせ』という意味になります。
同様に『不偸盗』も、字面通りの『盗むな』という意味には留まる事なく
更に押し進めた『与えよ』という解釈になります。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
「毘沙門さんて誰や」・・・と、いきなりごんたの質問。
どうやら、吉祥寺さんの御本尊が、『如来』でも『菩薩』でもない事が、
気になっての発言だったようです。
経典の納められた宝塔を掲げたその姿は、仏教の守り神であるという事を
表わしています。
経典は『宝の山』という事から転じ、毘沙門天さまは七福神という側面も
持っています。
『宝』というと、宝石を連想する人が多かった様で、昔の鉱山の労働者や
鍛冶師達から信仰を集めた毘沙門さま。
その一方で、軍神という性格から、戦国武将達からも慕われました。
仏さまには、お仕えする『眷属』の他、『使者』がいます。
普賢菩薩さまは象に、文殊菩薩さまは獅子に乗っておられますが、さて、
毘沙門天さまの使者とは・・・?
軍神という性格上、勇猛さのイメージから、ごんたは馬を想像しますが、
たけやんによれば、なんと『ムカデ』が正解だそうです。
***********
境内には、石鎚山の麓の滝壷にあったという、直径30~40cmの穴のあいた
『成就石』という大きな石があります。
本堂前から目隠しをして進み、金剛杖で穴を貫く事が出来れば、その人の
願いがかなう、とされており、他の参拝者の皆さんの大きな声援を受けて
杉本さんが果敢に挑戦!
米裕さんの的確なナビゲーションの下、結果は・・・
また来年、チャレンジして頂きましょう(笑)
***********
『吉祥寺』という名前、お寺の他に、地名としても各地に残っていますが
やはり、御本尊は毘沙門天さまの所が殆どのようです。
仏教の守護神という性格を反映してか、やはり配置されている位置関係は
地理的な側面でいえば鬼門とか、見張りの場所になっています。
ところで、毘沙門天さまと、めでたさを表わす『吉祥』との関係ですが、
仏教には『七難即滅・七福即生』という言葉があります。
守り神・毘沙門さまによって困難・魔が退散させられる。
それが直ちに、めでたき福へと転じる。
苦難は全て、福徳を得るための材料。
・・・これは、密教の考え方の根本です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
駐車場から、民家の建ち並ぶ路地を歩くと、正面に山門が見えてきます。
境内は広く、張り巡らされた結界の様に川が流れているこちらのお寺。
開基は空海さまで、御本尊は、四国霊場唯一の毘沙門天さま。
別名『多聞天』とも言い、米裕さんのお寺の御本尊でもあります
この毘沙門天さま、お釈迦さまが悟りを開かれた場所である須弥山を守る
四天王の一人、つまり軍神で、そのお姿は、必ず威圧感のある立像として
表現されます
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仏教には、真言宗・天台宗の『密教』と、『顕教』がありますが、顕教は
その字の通り『分かりやすい』教えの事です。
この密教・顕教双方が両輪として、日本の仏教は発展して来たのですが、
鎌倉期以降、政治情勢の影響もあって、顕教が民衆の間で勢力を拡大し、
更に明治時代に吹き荒れた廃仏毀釈で、かつて隆盛を誇った日本仏教は、
すっかりその姿を変えてしまいました。
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空海さまゆかりの地に、『密教』の山号を冠した札所。
真言宗僧侶のお二人は「いよいよ来たな」と、背筋の伸びる思い。
密教は『秘密教』と言われる場面もありますが、これは、大切なみ教えを
『隠している』のではなく、各々の修行の段階によって、伝えられる事・
教えても大丈夫な事が異なるためです。
車の運転に例えれば、キーを回せばエンジンをかける事が可能であっても
ライセンスを持っていない初心者や、全く訓練を積んでいない子供に対し
F1カーを与える事は、危険この上ない事は、誰の目にも明白でしょう。
また密教は、仏さまと『密接』な教えとも言われますが、これは、誰もが
『仏さまの資質を持っている』という、言わば、人間を『完成形』として
とらえている面を指しています。
ですから、十善戒の文言の解釈をとっても、『不殺生』を文字通り読めば
『殺すな』という意味ですが、密教においては、人間は同時に仏ですから
殺生を行う筈はないので、一歩進んで『生かせ』という意味になります。
同様に『不偸盗』も、字面通りの『盗むな』という意味には留まる事なく
更に押し進めた『与えよ』という解釈になります。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
「毘沙門さんて誰や」・・・と、いきなりごんたの質問。
どうやら、吉祥寺さんの御本尊が、『如来』でも『菩薩』でもない事が、
気になっての発言だったようです。
経典の納められた宝塔を掲げたその姿は、仏教の守り神であるという事を
表わしています。
経典は『宝の山』という事から転じ、毘沙門天さまは七福神という側面も
持っています。
『宝』というと、宝石を連想する人が多かった様で、昔の鉱山の労働者や
鍛冶師達から信仰を集めた毘沙門さま。
その一方で、軍神という性格から、戦国武将達からも慕われました。
仏さまには、お仕えする『眷属』の他、『使者』がいます。
普賢菩薩さまは象に、文殊菩薩さまは獅子に乗っておられますが、さて、
毘沙門天さまの使者とは・・・?
軍神という性格上、勇猛さのイメージから、ごんたは馬を想像しますが、
たけやんによれば、なんと『ムカデ』が正解だそうです。
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境内には、石鎚山の麓の滝壷にあったという、直径30~40cmの穴のあいた
『成就石』という大きな石があります。
本堂前から目隠しをして進み、金剛杖で穴を貫く事が出来れば、その人の
願いがかなう、とされており、他の参拝者の皆さんの大きな声援を受けて
杉本さんが果敢に挑戦!
米裕さんの的確なナビゲーションの下、結果は・・・
また来年、チャレンジして頂きましょう(笑)
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『吉祥寺』という名前、お寺の他に、地名としても各地に残っていますが
やはり、御本尊は毘沙門天さまの所が殆どのようです。
仏教の守護神という性格を反映してか、やはり配置されている位置関係は
地理的な側面でいえば鬼門とか、見張りの場所になっています。
ところで、毘沙門天さまと、めでたさを表わす『吉祥』との関係ですが、
仏教には『七難即滅・七福即生』という言葉があります。
守り神・毘沙門さまによって困難・魔が退散させられる。
それが直ちに、めでたき福へと転じる。
苦難は全て、福徳を得るための材料。
・・・これは、密教の考え方の根本です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!