今回のお参りは第四十二番札所、一カ山・仏木寺です。
(一カ山の『カ』は、王偏に果)
平野部の、道路に近い場所に位置するこちらのお寺。
四国横断道が通る事で、現在の静けさも、やがて様変わりするでしょう。
***********
この地には、巡錫でお疲れのお大師さまのお姿を目に留めた土地の老人が
引いている牛に乗って頂くよう勧めた、という伝説が残っています。
牛の背に揺られていたお大師さま、光り輝く楠の大木を発見されました。
近付いてみると、自らが唐におられた時、「密教の聖地を示したまえ」と
彼の地から投じられた宝珠がかかっているのを発見。
お大師さまは、楠で大日如来さまの像を刻まれて、その宝珠を白毫として
納められました。
***********
境内へと足を進めた一行に、ちょっとしたハプニング。
米裕さんが、九州は飯塚の知り合いの方とバッタリ!!

この方、自動車に家財道具一式を積んでお遍路をされているそうですが、
現在、何と179周目だとか。
ゆっくり、時間をかけてお参りする、きくへんろ一行。
ひょっとしたら、また道中でお会い出来るかもしれません。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
「ケッタイなモノが建っている!!」・・・と、ごんた。
どうやら、仏木寺境内の『家畜慰霊塔』の事を言っているようです。
日本人は農耕民族。
かつて、牛や馬は、農地を耕作するための、重要な労働力でした。
ですから、人間同と共に暮らす家畜を、家族同様に大切に扱ってきたのが
我々の祖先です。
ですから、家族の一員である家畜が亡くなったなら、人間と全く同じ様に
供養したのです。
決して、『(牛や馬を)食べての供養』ではありません。
かつて、空海さまが牛に乗って来られたという伝説の残る、この地。
そんな御縁があって、家畜慰霊塔があるのかもしれません。
***********
他の団体など、周り大勢の参拝者がいると、お参りしていても、ついつい自分を見失いがちになります。
そんな時に備えての、こうゆうさんからのワンポイント・アドバイス。
『経は耳で読め』。
自分の声と、相手の声を合わせた音を耳に入れる様な感覚で読経すれば、
迷ったりする事も少なくなります。
***********
『草も木も 仏になれる仏木寺 なを頼もしき鬼畜人天』
仏木寺の御詠歌です。
草木さえも仏になる事が出来る。
ならば、地獄や餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、そして天界にある者は
尚更、仏の道に近いはずです。
志をしっかり持って、正しい道を進め!!
・・・そんな風に、我々を奮い立たせて下さる歌ではないでしょうか。
***********
最後は、杉本さんの
てくてくインタビュー・ひとへんろ。
お接待にと蜜柑を持つ女性、大阪から団体でお参りされているそうです。
三十三箇所をお参りされた後、念願の初孫に恵まれた事が、お遍路を巡る
きっかけとなったとの事。
現在は、お礼の意味も含めて八十八箇所をお参りされているそうですが、
回っている時、手を合わせている時が一番幸せだそうです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
(一カ山の『カ』は、王偏に果)
平野部の、道路に近い場所に位置するこちらのお寺。
四国横断道が通る事で、現在の静けさも、やがて様変わりするでしょう。
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この地には、巡錫でお疲れのお大師さまのお姿を目に留めた土地の老人が
引いている牛に乗って頂くよう勧めた、という伝説が残っています。
牛の背に揺られていたお大師さま、光り輝く楠の大木を発見されました。
近付いてみると、自らが唐におられた時、「密教の聖地を示したまえ」と
彼の地から投じられた宝珠がかかっているのを発見。
お大師さまは、楠で大日如来さまの像を刻まれて、その宝珠を白毫として
納められました。
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境内へと足を進めた一行に、ちょっとしたハプニング。
米裕さんが、九州は飯塚の知り合いの方とバッタリ!!


この方、自動車に家財道具一式を積んでお遍路をされているそうですが、
現在、何と179周目だとか。
ゆっくり、時間をかけてお参りする、きくへんろ一行。
ひょっとしたら、また道中でお会い出来るかもしれません。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
「ケッタイなモノが建っている!!」・・・と、ごんた。
どうやら、仏木寺境内の『家畜慰霊塔』の事を言っているようです。
日本人は農耕民族。
かつて、牛や馬は、農地を耕作するための、重要な労働力でした。
ですから、人間同と共に暮らす家畜を、家族同様に大切に扱ってきたのが
我々の祖先です。
ですから、家族の一員である家畜が亡くなったなら、人間と全く同じ様に
供養したのです。
決して、『(牛や馬を)食べての供養』ではありません。
かつて、空海さまが牛に乗って来られたという伝説の残る、この地。
そんな御縁があって、家畜慰霊塔があるのかもしれません。
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他の団体など、周り大勢の参拝者がいると、お参りしていても、ついつい自分を見失いがちになります。
そんな時に備えての、こうゆうさんからのワンポイント・アドバイス。
『経は耳で読め』。
自分の声と、相手の声を合わせた音を耳に入れる様な感覚で読経すれば、
迷ったりする事も少なくなります。
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『草も木も 仏になれる仏木寺 なを頼もしき鬼畜人天』
仏木寺の御詠歌です。
草木さえも仏になる事が出来る。
ならば、地獄や餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、そして天界にある者は
尚更、仏の道に近いはずです。
志をしっかり持って、正しい道を進め!!
・・・そんな風に、我々を奮い立たせて下さる歌ではないでしょうか。
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最後は、杉本さんの

お接待にと蜜柑を持つ女性、大阪から団体でお参りされているそうです。
三十三箇所をお参りされた後、念願の初孫に恵まれた事が、お遍路を巡る
きっかけとなったとの事。
現在は、お礼の意味も含めて八十八箇所をお参りされているそうですが、
回っている時、手を合わせている時が一番幸せだそうです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第四十一番札所、稲荷山・龍光寺です。
民家と土産物屋、うどん屋などが軒を連ねた、車一台がようやく通れる

細い参道の先にある、盆地に位置するこちらのお寺。
石段の下から見ると、向かって右側に大師堂、左に本堂、そして正面には
赤い鳥居の奥に稲荷神社のお社がある、変わった造りになっています。
***********
空海さまが、唐の国から密教を持ち帰られた当時。
伝えようとされた新しいみ教えが、どんなに素晴らしいものであっても、
旧来の考え・風習を守る側にとっては、やはり抵抗があります
古い教えを否定するのではなく、その利点を十分に理解し、敬意を払って
尊重しつつ、新しい密教を導入する事で、お互いを更に高め合える・・・
空海さまは、旧来の教えを否定するのではなく、共存共栄を念頭に置いて
苦労しながら、密教を広められましたが、この地を巡錫なさっていた時、
稲を背負った翁が現れ、み教えに感動して、
「仏法により、この地を守りたい
」
・・・と言った、と伝えられています。
これに類する説話は、各地に伝わっており、出会うのが、ある時は美女
、
またある時は大男
だったりするのですが、それらの人物は、土地の神様が
人の形を借りて現われた姿だと考えられています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
柿のお接待に喜ぶごんた
ですが、二度と会う事のない自分に、どうして、
土地の人は親切にお接待してくれるのだろう?・・・と、不思議な様子。
たけやんによれば、かつてお大師さまは、色々な姿で歩いておられたので
土地の人々は、お大師さまをお接待したい一心で、巡礼されている人々に
色々と施しをする内に、お接待それ自体の素晴らしさ・喜びに目覚めた、
という事のようです。
だから、
「今後会う事のない人をお接待するのは『損』だ。」
・・・などといった、浅ましい考えはないわけです(笑)
四国は、罪を懺悔するために巡る、とも言われています。
懺悔し、心を美しく磨き上げて、功徳を積む。
『病は気から』という言葉もあるように、磨かれた美しい心を得る事は、
体と精神の安定
をもたらします。
懺悔を『ふるまい・お接待』として表わすならば、お遍路を巡る側の人が
土地の人に施しながら歩くという事もあり得るわけで、事実、小豆島では
そのような形のお遍路が実在するそうです。
『施しながら歩く』という事に、ごんたは難色を示しているようですが、
施すのは、必ずしも『物』である必要はありません。
『心』・・・即ち、『皆の幸せを祈る気持ち』
で良いのです。
功徳といえば、昔、施しをしながら遍路をしていた行者が、疲労のため、
お寺の境内で休んでいた時の事。
悪い龍
が現れ、眠り込んでいるそのお遍路さんに襲いかかろうとした所、
腰の守り刀が勝手に抜けて、龍の目を刺し、退治しました。
何も知らないお遍路さん、足元に転がっている龍の目玉を洗ったところ、
突如として雨が降り始め
、水を拭き取ると雨が止みます
不思議に思い、その目玉を奉納した先が、この龍光寺だそうです。
功徳を積んだお遍路さんには、悪魔さえも手出しが出来ないのです
***********
本堂とお大師堂でお参りを修めた一行は、稲荷神社へ向かいます。
鳥居というと、神社の『専売特許』といったイメージが強くありますが、
これは本来、『結界』とか『境界』を表わした印。
神道特有のものではありません。
神様へのお参りの作法、本州では廃れてしまっていますが、沖縄へ行くと
昔ながらのやり方が、キチンと残っています。
名前と住所、生年月日と干支をお伝えして、御挨拶申し上げる
仏教徒であれば、自分の宗派を述べるのも良いでしょう。
お参りさせて頂く我々の側からは、相対している神様が、どのような方か
分かっていますので、こちらの素性も明らかにするのが礼儀です。
時に「神前で般若心経を唱えてよいか?」といった事が論じられますが、
空海さまの著作『般若心経秘鍵』には、
「神社にお参りする際は、これをお唱えしなさい。」
・・・と、記されています。
***********
納経所で、お軸に御朱印を頂いた杉本さん
他の参拝者に気を遣い、慌てて出し入れする事が多いため
、大切なお軸が
ねじれていたのを、納経所の女性がキチンと直して下さったそうです。
ほんのちょっとした心遣いに、思わず心温まる瞬間があります
何気ない対応で、他人を笑顔にする事が出来る。
・・・我が身を省みる、良い機会を頂いたようです。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
民家と土産物屋、うどん屋などが軒を連ねた、車一台がようやく通れる


細い参道の先にある、盆地に位置するこちらのお寺。
石段の下から見ると、向かって右側に大師堂、左に本堂、そして正面には
赤い鳥居の奥に稲荷神社のお社がある、変わった造りになっています。
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空海さまが、唐の国から密教を持ち帰られた当時。
伝えようとされた新しいみ教えが、どんなに素晴らしいものであっても、
旧来の考え・風習を守る側にとっては、やはり抵抗があります

古い教えを否定するのではなく、その利点を十分に理解し、敬意を払って
尊重しつつ、新しい密教を導入する事で、お互いを更に高め合える・・・

空海さまは、旧来の教えを否定するのではなく、共存共栄を念頭に置いて
苦労しながら、密教を広められましたが、この地を巡錫なさっていた時、
稲を背負った翁が現れ、み教えに感動して、
「仏法により、この地を守りたい

・・・と言った、と伝えられています。
これに類する説話は、各地に伝わっており、出会うのが、ある時は美女

またある時は大男

人の形を借りて現われた姿だと考えられています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
柿のお接待に喜ぶごんた

土地の人は親切にお接待してくれるのだろう?・・・と、不思議な様子。
たけやんによれば、かつてお大師さまは、色々な姿で歩いておられたので
土地の人々は、お大師さまをお接待したい一心で、巡礼されている人々に
色々と施しをする内に、お接待それ自体の素晴らしさ・喜びに目覚めた、
という事のようです。
だから、
「今後会う事のない人をお接待するのは『損』だ。」
・・・などといった、浅ましい考えはないわけです(笑)

四国は、罪を懺悔するために巡る、とも言われています。
懺悔し、心を美しく磨き上げて、功徳を積む。
『病は気から』という言葉もあるように、磨かれた美しい心を得る事は、
体と精神の安定


懺悔を『ふるまい・お接待』として表わすならば、お遍路を巡る側の人が
土地の人に施しながら歩くという事もあり得るわけで、事実、小豆島では
そのような形のお遍路が実在するそうです。
『施しながら歩く』という事に、ごんたは難色を示しているようですが、
施すのは、必ずしも『物』である必要はありません。
『心』・・・即ち、『皆の幸せを祈る気持ち』

功徳といえば、昔、施しをしながら遍路をしていた行者が、疲労のため、
お寺の境内で休んでいた時の事。
悪い龍

腰の守り刀が勝手に抜けて、龍の目を刺し、退治しました。
何も知らないお遍路さん、足元に転がっている龍の目玉を洗ったところ、
突如として雨が降り始め


不思議に思い、その目玉を奉納した先が、この龍光寺だそうです。
功徳を積んだお遍路さんには、悪魔さえも手出しが出来ないのです

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本堂とお大師堂でお参りを修めた一行は、稲荷神社へ向かいます。
鳥居というと、神社の『専売特許』といったイメージが強くありますが、
これは本来、『結界』とか『境界』を表わした印。
神道特有のものではありません。
神様へのお参りの作法、本州では廃れてしまっていますが、沖縄へ行くと
昔ながらのやり方が、キチンと残っています。
名前と住所、生年月日と干支をお伝えして、御挨拶申し上げる

仏教徒であれば、自分の宗派を述べるのも良いでしょう。
お参りさせて頂く我々の側からは、相対している神様が、どのような方か
分かっていますので、こちらの素性も明らかにするのが礼儀です。
時に「神前で般若心経を唱えてよいか?」といった事が論じられますが、
空海さまの著作『般若心経秘鍵』には、
「神社にお参りする際は、これをお唱えしなさい。」
・・・と、記されています。
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納経所で、お軸に御朱印を頂いた杉本さん

他の参拝者に気を遣い、慌てて出し入れする事が多いため


ねじれていたのを、納経所の女性がキチンと直して下さったそうです。
ほんのちょっとした心遣いに、思わず心温まる瞬間があります

何気ない対応で、他人を笑顔にする事が出来る。
・・・我が身を省みる、良い機会を頂いたようです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
