今回のお参りは第三十番札所、百々山・善楽寺です。
院号を『東明院』というこちら、日の出を象徴するお名前で
、それは即ち
土佐の国の中で一番最初に開かれた土地、という事を意味していますが、
人間が開拓したという事実の他、神様が最初に降り立った土地という事も
表しています。
その事を裏付けるように、大きな門をくぐり、桜の古木
の並木道を歩くと
土佐一宮神社があります。
明治初めの廃仏毀釈によって、多くのお寺が廃寺や無住となりましたが、
特に被害が大きかったのが、大きな神社の傍にあるお寺でした。
強引な政策の結果、多くの寺宝や有り難い御本尊が紛失・行方不明となり
縁起が分からなくなってしまったお寺も多くありましたが、この善楽寺も
例外ではありませんでした。
多くの方々の努力の結果、近年になってようやく御本尊が戻りましたが、
過去の無謀な政策の影響で、今だに苦労が続いている地域は、残念ながら
まだ存在することも事実です
***********
開けた場所に位置するこちらのお寺、周りを木々に囲まれてはいますが、
日当りの良い立地です
御本尊の阿弥陀如来像が安置される本堂は、近代的な鉄筋造りの建物で、
対照的に、大師堂は小ぶりな木造建築です。
境内は色とりどりの花が植えられ、近隣の方々の手で整備された様子は、
『血の通ったお寺』という印象です
珍しいのは、水子地蔵、子安地蔵、そして梅見地蔵という、個性の異なる
お地蔵さまがいらしゃる事。
子安地蔵さまは、子供の成長を願うと共に、育児に不安を抱く母親たちに
安らぎを与えて下さいます
上を見上げるようなお姿の梅見地蔵さまは、首から上・・・精神の病や、
頭痛などの平癒に、お力を発揮して下さるそうです
更には、そこから転じて、学力アップや集中力の向上を願う方々
の信仰も
集めているそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
お寺の周辺には神社も多い事に気付いたごんた
「お寺に神社は『付き物』か?」
・・・そんな疑問を持ったごんたに、たけやんが説明しています。
元々、自然神を崇拝していた日本に、仏教が伝来しました。
争いを嫌う仏教は、日本の神様に礼儀を尽くし、お寺の土地を頂くお礼に
神様を大事にお祀りし、国の安泰に力を尽くす事を誓いました。
それを聞いた神様は、仏教のみ教えに感銘し、お寺の建立を許すと共に、
神様自身が仏教を守る事を約束したのでした。
そのような形で、共に認め合い、力を発揮してきた神社とお寺でしたが、
明治政府の発した神仏分離令により、全国各地で廃仏毀釈運動が広まり、
地域文化の中心だったお寺は、悉く破壊されてしまいました
庶民の心の拠り所を失くす事で、中央に目を向けさせ、国を一つにして、
海外の列強に対抗するという目的だった様ですが、馬鹿な政府に反抗して
大切な御本尊や経典を隠して、必死に守り通そうとした人々がいる一方、
つまらない方針を鵜呑みにして、寺宝を盗んだり、仏像を破壊したりする
罰当たりな輩が多くいたのも、また事実です
お寺にも、神社にも、建てられたのには理由があります。
それは、地域が、土地を、国を思い、世が平穏であれと願った歴史です
先人の、その気持ちに思いを馳せ、我々が、その思い受け継いでいる事を
有り難く感じなければなりません
***********
納経所には、色々な記念品・土産物が販売されています。
米裕さんは、光明真言の入ったTシャツを購入されたようです
こうゆうさんは、頼まれものの枕カバーを入手されました
これは、梅見地蔵さまのお姿が入ったもので、頭・耳・鼻・口など・・・
首から上の病に効能があるそうです
こういった、札所毎での買い物も、お遍路の楽しみの一つです

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
院号を『東明院』というこちら、日の出を象徴するお名前で

土佐の国の中で一番最初に開かれた土地、という事を意味していますが、
人間が開拓したという事実の他、神様が最初に降り立った土地という事も
表しています。
その事を裏付けるように、大きな門をくぐり、桜の古木

土佐一宮神社があります。
明治初めの廃仏毀釈によって、多くのお寺が廃寺や無住となりましたが、
特に被害が大きかったのが、大きな神社の傍にあるお寺でした。
強引な政策の結果、多くの寺宝や有り難い御本尊が紛失・行方不明となり
縁起が分からなくなってしまったお寺も多くありましたが、この善楽寺も
例外ではありませんでした。
多くの方々の努力の結果、近年になってようやく御本尊が戻りましたが、
過去の無謀な政策の影響で、今だに苦労が続いている地域は、残念ながら
まだ存在することも事実です

***********
開けた場所に位置するこちらのお寺、周りを木々に囲まれてはいますが、
日当りの良い立地です

御本尊の阿弥陀如来像が安置される本堂は、近代的な鉄筋造りの建物で、
対照的に、大師堂は小ぶりな木造建築です。
境内は色とりどりの花が植えられ、近隣の方々の手で整備された様子は、
『血の通ったお寺』という印象です

珍しいのは、水子地蔵、子安地蔵、そして梅見地蔵という、個性の異なる
お地蔵さまがいらしゃる事。
子安地蔵さまは、子供の成長を願うと共に、育児に不安を抱く母親たちに
安らぎを与えて下さいます

上を見上げるようなお姿の梅見地蔵さまは、首から上・・・精神の病や、
頭痛などの平癒に、お力を発揮して下さるそうです

更には、そこから転じて、学力アップや集中力の向上を願う方々

集めているそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
お寺の周辺には神社も多い事に気付いたごんた

「お寺に神社は『付き物』か?」
・・・そんな疑問を持ったごんたに、たけやんが説明しています。
元々、自然神を崇拝していた日本に、仏教が伝来しました。
争いを嫌う仏教は、日本の神様に礼儀を尽くし、お寺の土地を頂くお礼に
神様を大事にお祀りし、国の安泰に力を尽くす事を誓いました。
それを聞いた神様は、仏教のみ教えに感銘し、お寺の建立を許すと共に、
神様自身が仏教を守る事を約束したのでした。
そのような形で、共に認め合い、力を発揮してきた神社とお寺でしたが、
明治政府の発した神仏分離令により、全国各地で廃仏毀釈運動が広まり、
地域文化の中心だったお寺は、悉く破壊されてしまいました

庶民の心の拠り所を失くす事で、中央に目を向けさせ、国を一つにして、
海外の列強に対抗するという目的だった様ですが、馬鹿な政府に反抗して
大切な御本尊や経典を隠して、必死に守り通そうとした人々がいる一方、
つまらない方針を鵜呑みにして、寺宝を盗んだり、仏像を破壊したりする
罰当たりな輩が多くいたのも、また事実です

お寺にも、神社にも、建てられたのには理由があります。
それは、地域が、土地を、国を思い、世が平穏であれと願った歴史です

先人の、その気持ちに思いを馳せ、我々が、その思い受け継いでいる事を
有り難く感じなければなりません

***********
納経所には、色々な記念品・土産物が販売されています。
米裕さんは、光明真言の入ったTシャツを購入されたようです

こうゆうさんは、頼まれものの枕カバーを入手されました

これは、梅見地蔵さまのお姿が入ったもので、頭・耳・鼻・口など・・・
首から上の病に効能があるそうです

こういった、札所毎での買い物も、お遍路の楽しみの一つです


***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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第二十九番札所、摩尼山・国分寺のアルバムです

国分寺の開祖、行基菩薩をお祀りしている開山堂。

境内にはきれいな桜が咲いていました
。
桜にピントが合ってなかったのが悔やまれます。。。
(by M・前澤)

今回は各々嫌なことを想像しながらの証拠写真
きくへんろ。web のニッコリ証拠写真と比べてみると。。。(笑)

門前の商店での掲示物。
あまりに肉々しい(?)というか、もっちゃり(?)した個性的な文字だったので
写真に撮ってみました

国分寺の開祖、行基菩薩をお祀りしている開山堂。
境内にはきれいな桜が咲いていました

桜にピントが合ってなかったのが悔やまれます。。。

(by M・前澤)
今回は各々嫌なことを想像しながらの証拠写真


門前の商店での掲示物。
あまりに肉々しい(?)というか、もっちゃり(?)した個性的な文字だったので
写真に撮ってみました

今回のお参りは第二十九番札所、摩尼山・国分寺です。
平野部に位置するお寺の門前には、二期作の行われている水田が広がり、
『米どころ』である事が実感できます
歴史ある大きな山門には、カッと目を見開いた、迫力満点の仁王さま。
また、お寺の周囲の垣も、かなりの樹齢と思われる古い椿などで構成され
こちらも歴史を感じさせてくれます。
***********
山門から見える本堂の屋根は、大変珍しい茅葺き。
維持が大変ですが、昔ながらの形が残された、貴重なものです。
(この件については、後ほど、重大な事実が発覚します・・・
。)
境内に一歩足を踏み入れると、涼やかで引き締まった空気に包まれます
。
お参りの作法は、まず本堂、続いて大師堂という順番が本来の形ですが、
先にお勤めをしている参拝者がいらっしゃるにも関らず、後から来た者が
被せるようにお参りするのは、無作法です
その様な場合、本来の順番とは異なりますが、お大師堂が空いているなら
そちらからお参りをされたとしても、思いやりの心から出た行動ですから、
間違いではありません

***********
さて、本堂に到着しますと・・・
冒頭で『茅葺き』と紹介した屋根が、実は『桧皮葺き』である事が判明
しかしこれは、年間に決められた量しか使えないといった、茅葺き以上に
貴重なもので、その重厚さ、迫力は圧巻です
***********
境内で一行の目を引いた『酒断地蔵』さま
お地蔵さまは、我々の身代わりに苦難を引き受けて下さる仏さまですが、
願掛けをする本人も、何かしらの目標・制限を自らに課すのが通例です。
酒を断つためにお参りをした方がいたのか・・・
願掛けに際し、酒を断つという誓いを自らに課した方がいたのか・・・
酒断地蔵さまのいわれは不明です。
ただ、『断』という字は、「たつ」・「ことわる」という読み方の他に、
「言い訳無用」という意味が含まれています。
後ろ向きの気持ちで、あれこれと失敗の理由や言い訳を探すのではなく、
きっちりとけじめをつけて、前へと進む姿勢
が重要でしょう
***********
杉本さんが境内で気になったのが、『開山堂』
これは文字通り、お寺を開山された方をお祀りするお堂で、禅宗の寺院に
よく見られるそうです。
因みに、国分寺の開祖は行基菩薩さま。
弘法大師空海さまよりも前の時代に活躍されたお坊さんで、恐らく日本で
最も多くのお寺を開かれた方です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
たけやんが、国分寺にまつわるエピソードを、ごんたに説明しています。
国の安泰を願い、聖武天皇の命で全国に建立された国分寺。
ここ、土佐国分寺の近くには、土佐の国庁があって、歌人としても有名な
紀貫之が赴任していましたが、任期を終えて、京の都へと帰る二ヶ月前、
お気の毒な事に、七歳になる娘さんを亡くしています。
その時の悲しみを歌に詠んでいる貫之ですが、帰り着いた京の我が家は、
荒れ放題。
この家で生まれた娘さんが既に亡いという事も相まって、この世の無常、
変わらぬものなど何一つない、という事を強く感じられたようです。
お大師さまも、やはり最愛の弟子・智泉さまを若くして亡くされており、
その時の悲しみを、切々と綴っておられます。
あまりにも悲痛なお大師さまの言葉に、ごんたは
「何があっても、生き抜かねば・・・」
という思いを強くしたようです。
愛する者を失えば、悲しみがあるのは当然の事です
でも、いつまでも悲しんでばかり、悔やんでばかりいては、残された者、
旅立った者双方にとって、良い事ではありません。
死に行くその日まで、悔いなく過ごす様、悲しみの淵に沈む者のために、
そして御自身のためにも、お大師さまは教えを説いておられるのです。
***********
行基菩薩さまは、社会事業・福祉に力を注がれた方で、弘法大師さまも、
行基さまに憧れて、全国各地を行脚されました
でも、その根幹には『信仰』という基本があって、まずは拝む姿があり
、
その場でなされた様々な助言が、社会事業として具体化したのです
。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
平野部に位置するお寺の門前には、二期作の行われている水田が広がり、
『米どころ』である事が実感できます

歴史ある大きな山門には、カッと目を見開いた、迫力満点の仁王さま。
また、お寺の周囲の垣も、かなりの樹齢と思われる古い椿などで構成され
こちらも歴史を感じさせてくれます。
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山門から見える本堂の屋根は、大変珍しい茅葺き。
維持が大変ですが、昔ながらの形が残された、貴重なものです。
(この件については、後ほど、重大な事実が発覚します・・・

境内に一歩足を踏み入れると、涼やかで引き締まった空気に包まれます

お参りの作法は、まず本堂、続いて大師堂という順番が本来の形ですが、
先にお勤めをしている参拝者がいらっしゃるにも関らず、後から来た者が
被せるようにお参りするのは、無作法です

その様な場合、本来の順番とは異なりますが、お大師堂が空いているなら
そちらからお参りをされたとしても、思いやりの心から出た行動ですから、
間違いではありません


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さて、本堂に到着しますと・・・
冒頭で『茅葺き』と紹介した屋根が、実は『桧皮葺き』である事が判明

しかしこれは、年間に決められた量しか使えないといった、茅葺き以上に
貴重なもので、その重厚さ、迫力は圧巻です

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境内で一行の目を引いた『酒断地蔵』さま

お地蔵さまは、我々の身代わりに苦難を引き受けて下さる仏さまですが、
願掛けをする本人も、何かしらの目標・制限を自らに課すのが通例です。
酒を断つためにお参りをした方がいたのか・・・
願掛けに際し、酒を断つという誓いを自らに課した方がいたのか・・・
酒断地蔵さまのいわれは不明です。
ただ、『断』という字は、「たつ」・「ことわる」という読み方の他に、
「言い訳無用」という意味が含まれています。
後ろ向きの気持ちで、あれこれと失敗の理由や言い訳を探すのではなく、
きっちりとけじめをつけて、前へと進む姿勢


***********
杉本さんが境内で気になったのが、『開山堂』

これは文字通り、お寺を開山された方をお祀りするお堂で、禅宗の寺院に
よく見られるそうです。
因みに、国分寺の開祖は行基菩薩さま。
弘法大師空海さまよりも前の時代に活躍されたお坊さんで、恐らく日本で
最も多くのお寺を開かれた方です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
たけやんが、国分寺にまつわるエピソードを、ごんたに説明しています。
国の安泰を願い、聖武天皇の命で全国に建立された国分寺。
ここ、土佐国分寺の近くには、土佐の国庁があって、歌人としても有名な
紀貫之が赴任していましたが、任期を終えて、京の都へと帰る二ヶ月前、
お気の毒な事に、七歳になる娘さんを亡くしています。
その時の悲しみを歌に詠んでいる貫之ですが、帰り着いた京の我が家は、
荒れ放題。
この家で生まれた娘さんが既に亡いという事も相まって、この世の無常、
変わらぬものなど何一つない、という事を強く感じられたようです。
お大師さまも、やはり最愛の弟子・智泉さまを若くして亡くされており、
その時の悲しみを、切々と綴っておられます。
あまりにも悲痛なお大師さまの言葉に、ごんたは
「何があっても、生き抜かねば・・・」
という思いを強くしたようです。
愛する者を失えば、悲しみがあるのは当然の事です

でも、いつまでも悲しんでばかり、悔やんでばかりいては、残された者、
旅立った者双方にとって、良い事ではありません。
死に行くその日まで、悔いなく過ごす様、悲しみの淵に沈む者のために、
そして御自身のためにも、お大師さまは教えを説いておられるのです。
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行基菩薩さまは、社会事業・福祉に力を注がれた方で、弘法大師さまも、
行基さまに憧れて、全国各地を行脚されました

でも、その根幹には『信仰』という基本があって、まずは拝む姿があり

その場でなされた様々な助言が、社会事業として具体化したのです

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第二十八番札所、法界山・大日寺です。
小高い山にあるこちらのお寺で、ぜひ味わって頂きたいのが、山門。
そこから見上げると、さまざまな大きさの自然石で組まれた石段の先に、
本堂の屋根が少しだけ見えており、
「登った先には、どの様な空間が広がっているのだろう?」
と、心が湧き立つ
ような感覚が味わえるそうです。
***********
前回の神峯寺と同様、こちらのお寺も『関所寺』の役目があったそうで、
お遍路に紛れて、犯した罪から逃れようとする者をチェックする
という、
重要な役割を果たしていました。
一方、現代のお遍路も、重大な問題をはらんでいます。
経済的な裕福さに反し、人間関係などによる精神的な問題を抱える人々が
お遍路を『現実逃避の場』として考える事が多くなりました。
歩く先々で触れ合う人々の暖かさ、人情
それを味わうため、お遍路を『ゴール地点
』と考える人が増えています。
しかし、お遍路はあくまでも『修行の場』です。
各地を巡る中で学んだことを、現実の生活に戻った場面で活かしてこそ、
修行は完結し、そこで初めて、お遍路が意義あるものになるのです。
***********
白い砂が敷き詰められた境内は、昔の雰囲気を残す、素晴らしい造り。
それぞれの建物を見ても、あらゆる建築様式を味わう事が出来ます。
こちらの建物、縁の柱と基礎の間に、石が挟まれています。
実は、基礎のコンクリートと木は相性が悪いため、柱の腐食を防ぐ目的で
こういった工法が取り入れられているのだそうです。
建物の下には空間があり、猫等が入らぬ様
、格子がはめ込まれています。
これは、地面と建物を離し、風通しをよくする事によって、建物の寿命を
伸ばすための工夫です。
***********
古来、お寺のお参りとは、上まで登って行くのではなく、下からそっと、
奥ゆかしく、お参りさせて頂くものでした。
古の空気が、そのまま流れているかのようなこちらのお寺へやって来ると
「上がらせて頂くのは、勿体無い。」
・・・と、こうゆうさんは思われるそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
二十八番札所・大日寺の奥の院には、お大師さまが爪で彫られたという、
『爪彫り薬師』が祀られています。
行く先々で、お大師さま自ら彫られたり、刻まれた仏像が残っている事に
感心するごんた
すると、お大師さまに限らず、出家したお坊さんは本来、仏画や彫刻など
多くの仏さまを作られるのがお役目で、事実、現代からごく近い時代にも
全国を行脚して、たくさんの仏像を残されたお坊さんがいらっしゃる事を
ごんたに教えるたけやん。
そこでごんた、どうして、そんなに多くの仏さまを残す必要があるのか
・・・という疑問が湧いて来ました。
すると逆に、ごんたに質問するたけやん。
「お前は何故、爪彫り薬師を見たいと思うんや?」
「そら、有り難いからや。」・・・というごんた。
それがつまり、多くの仏像がつくられる答えなのでした
人を助け、救いがある事を知らしめる場所であるお寺。
そのような『有り難い場所』が数多く存在すれば、それだけ多くの人々が
救われるのです。
***********
寺院建築の見所に、屋根の、芸術的なまでの『反り』が挙げられますが、
一般住宅の屋根に当然の様に備わっている『ある物』が、寺院の屋根には
ありません。
その『ある物』とは・・・『雨樋』
実は、雨樋という物は、随分と時代が下ってから登場したものなのです。
また、一般住宅に比べて、寺院の屋根は面積が広いため、少々の雨樋では
雨を受けきる事が出来ないだけでなく、溢れた大量の雨水が跳ね返って、
建物の木材を傷める恐れがあるのです。
では、お寺の屋根に降った雨水
は、どの様に処理されているのでしょう
昔ながらの建築様式に則ったお寺の建物には、屋根の端の真下の地面に、
砂利を敷き詰めた、俗に『雨走り』と呼ばれる幅50cm程度の
溝があって、
雨水は、屋根からこの雨走りに直接落ちる仕組みになっています。
雨の朝、お堂に入らせて頂く時に、雨走りに落ちる『シャァーッ』という
心を落ち着かせてくれる音色
を味わう事が出来るのは、住職の特権・・・
とおっしゃるのは、こうゆうさんです
***********
奥の院には、首から上の病気に効能があるとされる『爪彫り地蔵』さまが
祀られており、その横には、絶え間なく霊水が湧き出ています
穴の開いた自然石に、願事の書かれたものが数多く奉納されていますが、
この『穴の開いた』という事実は、『通ずる』という意味でもあるため、
仏教では重んじられます。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
小高い山にあるこちらのお寺で、ぜひ味わって頂きたいのが、山門。
そこから見上げると、さまざまな大きさの自然石で組まれた石段の先に、
本堂の屋根が少しだけ見えており、
「登った先には、どの様な空間が広がっているのだろう?」
と、心が湧き立つ

***********
前回の神峯寺と同様、こちらのお寺も『関所寺』の役目があったそうで、
お遍路に紛れて、犯した罪から逃れようとする者をチェックする


重要な役割を果たしていました。
一方、現代のお遍路も、重大な問題をはらんでいます。
経済的な裕福さに反し、人間関係などによる精神的な問題を抱える人々が

お遍路を『現実逃避の場』として考える事が多くなりました。
歩く先々で触れ合う人々の暖かさ、人情

それを味わうため、お遍路を『ゴール地点

しかし、お遍路はあくまでも『修行の場』です。
各地を巡る中で学んだことを、現実の生活に戻った場面で活かしてこそ、
修行は完結し、そこで初めて、お遍路が意義あるものになるのです。
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白い砂が敷き詰められた境内は、昔の雰囲気を残す、素晴らしい造り。
それぞれの建物を見ても、あらゆる建築様式を味わう事が出来ます。
こちらの建物、縁の柱と基礎の間に、石が挟まれています。
実は、基礎のコンクリートと木は相性が悪いため、柱の腐食を防ぐ目的で
こういった工法が取り入れられているのだそうです。
建物の下には空間があり、猫等が入らぬ様

これは、地面と建物を離し、風通しをよくする事によって、建物の寿命を
伸ばすための工夫です。
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古来、お寺のお参りとは、上まで登って行くのではなく、下からそっと、
奥ゆかしく、お参りさせて頂くものでした。
古の空気が、そのまま流れているかのようなこちらのお寺へやって来ると
「上がらせて頂くのは、勿体無い。」
・・・と、こうゆうさんは思われるそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
二十八番札所・大日寺の奥の院には、お大師さまが爪で彫られたという、
『爪彫り薬師』が祀られています。
行く先々で、お大師さま自ら彫られたり、刻まれた仏像が残っている事に
感心するごんた

すると、お大師さまに限らず、出家したお坊さんは本来、仏画や彫刻など
多くの仏さまを作られるのがお役目で、事実、現代からごく近い時代にも
全国を行脚して、たくさんの仏像を残されたお坊さんがいらっしゃる事を
ごんたに教えるたけやん。
そこでごんた、どうして、そんなに多くの仏さまを残す必要があるのか

・・・という疑問が湧いて来ました。
すると逆に、ごんたに質問するたけやん。
「お前は何故、爪彫り薬師を見たいと思うんや?」
「そら、有り難いからや。」・・・というごんた。
それがつまり、多くの仏像がつくられる答えなのでした

人を助け、救いがある事を知らしめる場所であるお寺。
そのような『有り難い場所』が数多く存在すれば、それだけ多くの人々が
救われるのです。
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寺院建築の見所に、屋根の、芸術的なまでの『反り』が挙げられますが、
一般住宅の屋根に当然の様に備わっている『ある物』が、寺院の屋根には
ありません。
その『ある物』とは・・・『雨樋』

実は、雨樋という物は、随分と時代が下ってから登場したものなのです。
また、一般住宅に比べて、寺院の屋根は面積が広いため、少々の雨樋では
雨を受けきる事が出来ないだけでなく、溢れた大量の雨水が跳ね返って、

建物の木材を傷める恐れがあるのです。
では、お寺の屋根に降った雨水


昔ながらの建築様式に則ったお寺の建物には、屋根の端の真下の地面に、
砂利を敷き詰めた、俗に『雨走り』と呼ばれる幅50cm程度の
溝があって、
雨水は、屋根からこの雨走りに直接落ちる仕組みになっています。
雨の朝、お堂に入らせて頂く時に、雨走りに落ちる『シャァーッ』という
心を落ち着かせてくれる音色

とおっしゃるのは、こうゆうさんです

***********
奥の院には、首から上の病気に効能があるとされる『爪彫り地蔵』さまが
祀られており、その横には、絶え間なく霊水が湧き出ています

穴の開いた自然石に、願事の書かれたものが数多く奉納されていますが、
この『穴の開いた』という事実は、『通ずる』という意味でもあるため、
仏教では重んじられます。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
