今回のお参りは第十八番札所、母養山・恩山寺です。
行基菩薩が開かれたこちらのお寺、元は大日山・密厳寺と称し、かつては
女人禁制の修行場でした

お大師さまがこちらのお寺で修行されていた当時、母君の玉依御前さまが
会いにおいでになり、お大師さまは秘法を修して
この地の女人禁制を解き
女性に開放されたそうですが、その理由は分かっていません。
こうゆうさんの推測ですが
、おそらくお母さまは、自らが出家することを
希望されたものの、修行の苦労をよく御存知であるお大師さまは、
母親に出来る限り辛く苦しいい思いをさせたくない、という思いやりの心
から、
自身が修行しているこの地の結界を解いたのではないか?とのことです。
それに対して、玉依御前さまが高野山のふもとで余生を過ごされた晩年、
お大師さまは高野山の女人禁制を解く事はせず、逆に自らが山を下りられ
月に九度、お母さまに会いに行かれたそうです。
(この故事から『九度山』という地名が生まれた、との事。)
親の恩を感じ、その身を案ずる…
お大師さまの優しさと、孝行を学ぶ事の出来る札所、と言えるでしょう。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
たけやんから、恩山寺がかつて女人禁制だった、という事を聞き、何故か
興奮するごんた
どうやら、『にょにん』という単語に反応したようです。
でも、冷静に考えれば、女人禁制とは『男ばかり』という事。
「イヤやがな、そんなん!
」…そら、そうでしょう。
『女人禁制』という側面のみを捉え、「仏教は女性差別の宗教だ」などと
安っぽい説を唱える学者もいます。
しかし、修行の目的の一つは『欲を絶つ事』。
性欲を絶つためには
、異性に接する事の出来ない環境を作り出すのが最も
合理的であり、これは『智慧』とも言えます。
仏教は女性を差別し、救う対象に入れていない
…そんな訳はありません。
お釈迦さまにも、お大師さまにも、大勢の女性のお弟子さんがいますし、
信心の厚い女性の信者さんが、お陰を頂いたという逸話は、各地に数多く
残っています。
因みに、女性が修行する場は『男子禁制』なのです。
「それやがな!
」…ごんたが憧れていたのは、コチラの環境のようです。
***********
こちらのお寺には、『摺り袈裟』という手作りのお守りがあります。
これは、お袈裟に織り込まれている梵字と同じ言葉を版木に起こし、紙に
印刷したものです。
こちらの御本尊がお薬師さまですので、病気治癒のほか、亡くなった方に
添えて差し上げれば、極楽往生出来る、と言われているそうです。
四国八十八箇所ではこの恩山寺でしか入手出来ないものだそうですので、
記念にぜひお求め下さい
***********
赤い欄干の『母養橋』を目印に旧参道へとやって来ますと、仁王門の傍に
『びらんじゅ』という常緑の巨木があります。
この木は、女人禁制を解いてお母さまをお迎えした記念に、お大師さまが
お手植えされた
、と伝えられています。
仁王像はかなりの大きさで、造形も優れており、かなりの迫力です
車で来るとつい見過ごしがちですが、ゆっくり歩きながら
、周囲の風情を
じっくりと味わうことも大事です

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
行基菩薩が開かれたこちらのお寺、元は大日山・密厳寺と称し、かつては
女人禁制の修行場でした


お大師さまがこちらのお寺で修行されていた当時、母君の玉依御前さまが
会いにおいでになり、お大師さまは秘法を修して

女性に開放されたそうですが、その理由は分かっていません。
こうゆうさんの推測ですが


希望されたものの、修行の苦労をよく御存知であるお大師さまは、
母親に出来る限り辛く苦しいい思いをさせたくない、という思いやりの心

自身が修行しているこの地の結界を解いたのではないか?とのことです。
それに対して、玉依御前さまが高野山のふもとで余生を過ごされた晩年、
お大師さまは高野山の女人禁制を解く事はせず、逆に自らが山を下りられ
月に九度、お母さまに会いに行かれたそうです。
(この故事から『九度山』という地名が生まれた、との事。)
親の恩を感じ、その身を案ずる…
お大師さまの優しさと、孝行を学ぶ事の出来る札所、と言えるでしょう。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
たけやんから、恩山寺がかつて女人禁制だった、という事を聞き、何故か
興奮するごんた

どうやら、『にょにん』という単語に反応したようです。
でも、冷静に考えれば、女人禁制とは『男ばかり』という事。
「イヤやがな、そんなん!

『女人禁制』という側面のみを捉え、「仏教は女性差別の宗教だ」などと
安っぽい説を唱える学者もいます。
しかし、修行の目的の一つは『欲を絶つ事』。
性欲を絶つためには

合理的であり、これは『智慧』とも言えます。
仏教は女性を差別し、救う対象に入れていない

お釈迦さまにも、お大師さまにも、大勢の女性のお弟子さんがいますし、
信心の厚い女性の信者さんが、お陰を頂いたという逸話は、各地に数多く
残っています。
因みに、女性が修行する場は『男子禁制』なのです。
「それやがな!

***********
こちらのお寺には、『摺り袈裟』という手作りのお守りがあります。
これは、お袈裟に織り込まれている梵字と同じ言葉を版木に起こし、紙に
印刷したものです。
こちらの御本尊がお薬師さまですので、病気治癒のほか、亡くなった方に
添えて差し上げれば、極楽往生出来る、と言われているそうです。
四国八十八箇所ではこの恩山寺でしか入手出来ないものだそうですので、
記念にぜひお求め下さい

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赤い欄干の『母養橋』を目印に旧参道へとやって来ますと、仁王門の傍に
『びらんじゅ』という常緑の巨木があります。
この木は、女人禁制を解いてお母さまをお迎えした記念に、お大師さまが
お手植えされた

仁王像はかなりの大きさで、造形も優れており、かなりの迫力です

車で来るとつい見過ごしがちですが、ゆっくり歩きながら

じっくりと味わうことも大事です


***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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今回のお参りは第十七番札所、瑠璃山・井戸寺です。
元は『妙照寺』という寺号でしたが、お大師さまが一夜にして掘り当てた
井戸が有名となり、やがてそちらが、正式なお寺の名前となりました。
お大師さまに関わる伝説に度々登場する、『一夜』というキーワード。
一夜にして彫り上げた、作り上げた、描き上げた・・・。
それが意味するものは、願事を成就させるための、懸命な行い。
時空を超越し、一つの事に真剣に集中して打ち込む姿勢があって、初めて
願いがかなうのです。
***********
山号から分かる通り、御本尊は薬師瑠璃光如来さま。
七難を除けて福に変えて下さるという、七体のお薬師さまです。
朱塗りの古い山門には四国一とも言われる、5メートルはあろうかという
大草鞋が奉納されています。
仏足跡信仰、そして道中の健脚を願う気持ちを表したものでしょう
ここで、こうゆうさんからのアドバイス

お寺や家庭(仏壇)に仏さまをお迎えする際は、出来るだけ大きなお姿を
想定するのが良いそうです。
奈良の大仏も、仏の世界を表現しようとした当時の職人達が、人間の手で
どれだけ大きなお姿を作る事が出来るか、一目しただけの人々を、即座に
仏の世界へと導くにはどうすれば良いか・・・
悩んだ結果が、あのお姿として表現された、とも言われているそうです。
***********
さて、米裕さんの凸凹同行記。
今回、おなじみの二人連れは、ちょっとお休み

代わって登場するのが、かつて井戸寺の門前にあったという二軒のお店、
大きな造り酒屋・丸徳と、醤油屋・しわいや
それぞれのお店の番頭さん達が、店先で何やら話し込んでいます。
丁稚の亀吉が
熱を出して寝込んだと聞き、店の事はすべて番頭に任せて、
看病に専念したという丸徳の檀那さん
井戸寺の日限大師堂に一週間お参りし、汲んで帰った井戸の水を与えて、
治ったら亀吉と共にお礼参り
井戸の水面に映る自分達の姿を見て、無病息災を確認してから店に帰ると
店の他の者達にも、お陰があるからと、井戸の水を勧めました。
使用人が働いてくれるからこそ、自分が不自由なく生活出来る。
丸徳の檀那さんは、常に使用人達への感謝と尊敬の念を忘れません。
一方、しわいやの檀那さん
使用人へ出す食事のおかずと言えば、目刺しの尾かしら付き・・・でなく
尾と頭『のみ』。身の部分は、家族が食するそうです。
目刺しの尾と頭だけでは、あまりにも寂しいという使用人達の不満に対し
「醤油を飲めば、食がすすむやろ」との言葉。
それを真に受けた丁稚の定吉が早速実行し、熱を出して寝込んだところ
、
「こんな阿呆はいらん
」と里に帰らせる始末。
そんな檀那さんも、孫のキン坊と共に日限大師堂にお参りしたそうです。
ところが、例の井戸を覗き込んだところ、キン坊が飴玉を落としてしまい
波紋が治まらず、いつまでも姿が映ることはなかったそうです。
そのためかどうかは分かりませんが、朝から騒がしい、今日のしわいや。
聞けば、醤油樽が全て、カビにやられてしまったそうです
檀那さんの日頃の行いが祟ったのでしょうか・・・?
やがて・・・
賞味期限の改ざん。
国産大豆使用を謳っていながら、実は伴天連の遺伝子組み換え大豆。
内部告発でお上の手入れを受けたしわいやは、姿を消したそうです。
***********
非常に珍しい、七体のお薬師さまが御本尊である、こちらのお寺。
六道輪廻から解脱した、七つ目の世界・・・それは、仏の世界。
なので、仏教的には、『七』は吉祥の数字です。
末広がりの『八』の一つ前という事で、世俗的にも『七』は縁起が良い、
とされています。
偶然にも、西洋でも『ラッキー7』と言いますね。
***********
濁った水しか出なかった、この地。
お大師さまが錫杖を突いた場所を掘って行くと、澄んだ浄水が湧き出て、
そこに映ったお姿を石に刻まれたそうです。
この『面影の井戸』、特に眼病に効果があると伝わっています
因みに、その石像は『日限大師』として安置されています。
***********
お寺の御詠歌は・・・
『おもかげをうつして見れば井戸の水むすべば胸の垢やおちなむ』
願いを立てる。
期限を定めて、日限大師にお参りする。
そして成満・・・それが『胸の垢が落ちる』という事です。
胸の垢が落ちる=清浄な目や耳が顕わになる。
自身が濁っていると、身の周りにある『お陰』に気付きません。
清らかな身になると、いつも日常的に存在している『お陰』に気付いて、
それを自分のものにする事・・・それが即ち『福』です。
因みに、こちらのお寺の院号は『真福院』。
『真』にそこにある『福』を得るためには、まずは自身が清浄でなくては
なりません
***********
尚、面影の井戸の水は、料金が百円必要ですが、持ち帰る事が出来ます。
お土産に、ぜひどうぞ
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
元は『妙照寺』という寺号でしたが、お大師さまが一夜にして掘り当てた
井戸が有名となり、やがてそちらが、正式なお寺の名前となりました。
お大師さまに関わる伝説に度々登場する、『一夜』というキーワード。
一夜にして彫り上げた、作り上げた、描き上げた・・・。
それが意味するものは、願事を成就させるための、懸命な行い。
時空を超越し、一つの事に真剣に集中して打ち込む姿勢があって、初めて
願いがかなうのです。
***********
山号から分かる通り、御本尊は薬師瑠璃光如来さま。
七難を除けて福に変えて下さるという、七体のお薬師さまです。
朱塗りの古い山門には四国一とも言われる、5メートルはあろうかという
大草鞋が奉納されています。
仏足跡信仰、そして道中の健脚を願う気持ちを表したものでしょう

ここで、こうゆうさんからのアドバイス


お寺や家庭(仏壇)に仏さまをお迎えする際は、出来るだけ大きなお姿を
想定するのが良いそうです。
奈良の大仏も、仏の世界を表現しようとした当時の職人達が、人間の手で
どれだけ大きなお姿を作る事が出来るか、一目しただけの人々を、即座に
仏の世界へと導くにはどうすれば良いか・・・
悩んだ結果が、あのお姿として表現された、とも言われているそうです。
***********
さて、米裕さんの凸凹同行記。
今回、おなじみの二人連れは、ちょっとお休み


代わって登場するのが、かつて井戸寺の門前にあったという二軒のお店、
大きな造り酒屋・丸徳と、醤油屋・しわいや

それぞれのお店の番頭さん達が、店先で何やら話し込んでいます。
丁稚の亀吉が

看病に専念したという丸徳の檀那さん

井戸寺の日限大師堂に一週間お参りし、汲んで帰った井戸の水を与えて、
治ったら亀吉と共にお礼参り

井戸の水面に映る自分達の姿を見て、無病息災を確認してから店に帰ると
店の他の者達にも、お陰があるからと、井戸の水を勧めました。
使用人が働いてくれるからこそ、自分が不自由なく生活出来る。
丸徳の檀那さんは、常に使用人達への感謝と尊敬の念を忘れません。
一方、しわいやの檀那さん

使用人へ出す食事のおかずと言えば、目刺しの尾かしら付き・・・でなく
尾と頭『のみ』。身の部分は、家族が食するそうです。
目刺しの尾と頭だけでは、あまりにも寂しいという使用人達の不満に対し
「醤油を飲めば、食がすすむやろ」との言葉。
それを真に受けた丁稚の定吉が早速実行し、熱を出して寝込んだところ

「こんな阿呆はいらん

そんな檀那さんも、孫のキン坊と共に日限大師堂にお参りしたそうです。
ところが、例の井戸を覗き込んだところ、キン坊が飴玉を落としてしまい

波紋が治まらず、いつまでも姿が映ることはなかったそうです。
そのためかどうかは分かりませんが、朝から騒がしい、今日のしわいや。
聞けば、醤油樽が全て、カビにやられてしまったそうです

檀那さんの日頃の行いが祟ったのでしょうか・・・?
やがて・・・
賞味期限の改ざん。
国産大豆使用を謳っていながら、実は伴天連の遺伝子組み換え大豆。
内部告発でお上の手入れを受けたしわいやは、姿を消したそうです。
***********
非常に珍しい、七体のお薬師さまが御本尊である、こちらのお寺。
六道輪廻から解脱した、七つ目の世界・・・それは、仏の世界。
なので、仏教的には、『七』は吉祥の数字です。
末広がりの『八』の一つ前という事で、世俗的にも『七』は縁起が良い、
とされています。
偶然にも、西洋でも『ラッキー7』と言いますね。
***********
濁った水しか出なかった、この地。
お大師さまが錫杖を突いた場所を掘って行くと、澄んだ浄水が湧き出て、
そこに映ったお姿を石に刻まれたそうです。
この『面影の井戸』、特に眼病に効果があると伝わっています

因みに、その石像は『日限大師』として安置されています。
***********
お寺の御詠歌は・・・
『おもかげをうつして見れば井戸の水むすべば胸の垢やおちなむ』
願いを立てる。
期限を定めて、日限大師にお参りする。
そして成満・・・それが『胸の垢が落ちる』という事です。
胸の垢が落ちる=清浄な目や耳が顕わになる。
自身が濁っていると、身の周りにある『お陰』に気付きません。
清らかな身になると、いつも日常的に存在している『お陰』に気付いて、
それを自分のものにする事・・・それが即ち『福』です。
因みに、こちらのお寺の院号は『真福院』。
『真』にそこにある『福』を得るためには、まずは自身が清浄でなくては
なりません

***********
尚、面影の井戸の水は、料金が百円必要ですが、持ち帰る事が出来ます。
お土産に、ぜひどうぞ

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第十六番札所、光耀山・観音寺です。
『千手院』という院号から分かる通り、御本尊は千手観音さまです。
街中に位置するこちらのお寺、周囲には民家も多く、目の前を生活道路が
通っており、
車の往来が激しいので、参拝の際は十分な注意が必要です
立派な山門も、風情を味わいながら眺める事は、そのような事情のため、
今回は残念ながら出来ませんでした。
***********
前回の国分寺が、朝廷により『国家統治』の目的で建立されたのに対し、
この観音寺は、古くから庶民の信仰によって栄えたお寺です。
それを裏付けるものの一つに、境内の『お百度石』があります。
40cm角で、高さが1.6mほどの石柱ですが、天辺には窪みがあって、ここに
お参りの回数を数える石を入れるそうです。
もう一つは、夜泣き封じのお地蔵さま。
苔むした石室の中におられるお地蔵さまは、参拝者にお顔をなでられて、
今では表面が磨り減り、卵のように
ツルツルになっています
こうゆうさんは、今回のお参りに際して、三男・蓮太郎君
の夜泣き封じを
御家族からお願いされたそうです。
更に、このお寺に明治時代から伝わっている逸話。
姑さんを縛り付け、火のついた薪を使って折檻していたというお嫁さんが
お遍路でこちらにお参りをしたところ、大火傷を負ったとのこと
「これは、お大師さまの戒めに違いない。」
そう受け取って、そのお嫁さんは改心されたそうです。
***********
さて皆さんお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
観音寺境内にある『庚申(こうしん)堂』の前に立ったごんた、彫り物の
『みざる
・いわざる
・きかざる
』を見て、幼い頃にオカンから受けた躾を
思い出しています。
三体の猿の上におられるのは、猿の親玉ではなくて、『青面金剛』という
神様です。
中国の道教では、人間の頭と腹と足には『三尸(さんし)の虫』が棲み、
常にその人の悪事を観察している、という教えがあるそうです
その虫は、庚申(かのえさる)の日の夜、人間の寝ている間に天に登り、
天帝に告げ口して、その人を早死にさせようとするとのこと。
そこで、三尸の虫が天に登らないように、寝ないで夜通し酒盛りを行う
『庚申講』という行事が生まれました。
この行事はやがて日本にも伝わり、各地で行われるようになりましたが、
天帝に仕える神様と、仏教の帝釈天のお手伝いをされる神様が、どちらも
青面金剛であった事から、庚申堂にこの神様のお姿が刻まれたのです。
悪事をはたらくから、バチが当たって早死にする・・・。
ならば、悪い事をしないように、自らを戒めれば良いのです。
現在、日本で行われている庚申講は、自らのこれまでの行いを反省して、
以後は正しい行いをする、という誓いの場に姿を変えています。
この国の風俗・風習に合う方向に発展した、とも言えるでしょう
***********
こちらのお寺には、お大師さま御筆と言われる、光明真言の梵字を刻んだ
印版が現存しており、納経所でお願いすれば、専門の担当スタッフの方が
白衣の襟の下に刷り込んで下さいます。
道中のお守りともなる、このお印。
有料ですが、八十八箇所唯一の貴重なものです。
お参りの際には、ぜひどうぞ。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
『千手院』という院号から分かる通り、御本尊は千手観音さまです。
街中に位置するこちらのお寺、周囲には民家も多く、目の前を生活道路が
通っており、


立派な山門も、風情を味わいながら眺める事は、そのような事情のため、
今回は残念ながら出来ませんでした。
***********
前回の国分寺が、朝廷により『国家統治』の目的で建立されたのに対し、
この観音寺は、古くから庶民の信仰によって栄えたお寺です。
それを裏付けるものの一つに、境内の『お百度石』があります。
40cm角で、高さが1.6mほどの石柱ですが、天辺には窪みがあって、ここに
お参りの回数を数える石を入れるそうです。
もう一つは、夜泣き封じのお地蔵さま。
苔むした石室の中におられるお地蔵さまは、参拝者にお顔をなでられて、
今では表面が磨り減り、卵のように


こうゆうさんは、今回のお参りに際して、三男・蓮太郎君

御家族からお願いされたそうです。
更に、このお寺に明治時代から伝わっている逸話。
姑さんを縛り付け、火のついた薪を使って折檻していたというお嫁さんが
お遍路でこちらにお参りをしたところ、大火傷を負ったとのこと

「これは、お大師さまの戒めに違いない。」
そう受け取って、そのお嫁さんは改心されたそうです。
***********
さて皆さんお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
観音寺境内にある『庚申(こうしん)堂』の前に立ったごんた、彫り物の
『みざる



思い出しています。
三体の猿の上におられるのは、猿の親玉ではなくて、『青面金剛』という
神様です。
中国の道教では、人間の頭と腹と足には『三尸(さんし)の虫』が棲み、
常にその人の悪事を観察している、という教えがあるそうです

その虫は、庚申(かのえさる)の日の夜、人間の寝ている間に天に登り、
天帝に告げ口して、その人を早死にさせようとするとのこと。
そこで、三尸の虫が天に登らないように、寝ないで夜通し酒盛りを行う

『庚申講』という行事が生まれました。
この行事はやがて日本にも伝わり、各地で行われるようになりましたが、
天帝に仕える神様と、仏教の帝釈天のお手伝いをされる神様が、どちらも
青面金剛であった事から、庚申堂にこの神様のお姿が刻まれたのです。
悪事をはたらくから、バチが当たって早死にする・・・。
ならば、悪い事をしないように、自らを戒めれば良いのです。
現在、日本で行われている庚申講は、自らのこれまでの行いを反省して、
以後は正しい行いをする、という誓いの場に姿を変えています。
この国の風俗・風習に合う方向に発展した、とも言えるでしょう

***********
こちらのお寺には、お大師さま御筆と言われる、光明真言の梵字を刻んだ
印版が現存しており、納経所でお願いすれば、専門の担当スタッフの方が
白衣の襟の下に刷り込んで下さいます。
道中のお守りともなる、このお印。
有料ですが、八十八箇所唯一の貴重なものです。
お参りの際には、ぜひどうぞ。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
