今回のお参りは、第9番札所、正覚山・法輪寺です。
正覚山の『覚』は『さとり』を表現しており、『覚者』と書くと、
『ほとけ』または『お釈迦様』の意味になります。
お寺の周囲と言えば、建物が立ち並び、開けた所が多いのですが、
こちらのお寺は、山門を背に外を眺めると、小さな土産物屋の他は
山並みと田園のとても長閑な風景が広がっており、こうゆうさんの
お気に入りです。
**********
たくさんの草鞋が奉納されているこちらのお寺ですが、理由は諸説
あるようです。
第一説
足に病を持っていた方が、お陰を頂いた事のお礼。
または、現に足を患っている方が、病気平癒を願って。
第二説
裸足でお参りをする事で、初心に戻るため。
第三説
お大師様に、自分の草鞋を履いて頂きたい、という願い。
**********
これまでお参りしてきたお寺には、銀杏の大樹や桜の古木などの、
歴史を感じさせる樹木
が聳えていましたが、こちらの境内の木々は
まだそれほど大きくない若木です
ただ、将来の成長を見越して、よく練られた植樹がなされており、
また二十年後、三十年後にお参りしてみたい…
そんな思いを抱かせてくれます。
**********
御本尊はお釈迦様ですが、八十八ヶ所唯一の『涅槃像』…つまり、
お釈迦様の入滅直後のお姿を刻んだ仏像です。
このお姿は亡くなった方を『北枕』で寝かせるルーツなのですが、
何故、お釈迦様が頭を北に向けられたのかについても、やはり諸説
あるようです。
第一説
地球の磁場の関係で、衰弱した体に最も楽な体勢が北枕である。
第二説
お釈迦様のお母様の出身地が北方であり、お亡くなりになるに当り
お母様を慕って、頭を北に向けられた。
この内、第一説は科学的に証明されましたが、古代インド医学では
既に知られていた事のようです。
『涅槃』の語源は古代インド語の『ニルヴァーナ』ですが、これは
お灯明がフッと消え入る様を意味しています。
何かに気付く事、アイディアがひらめく事…
それらは『ジワジワ』とはやって来ません。
一瞬にして『ハッ』と気付き、『パッ』とひらめくのです
そこから転じて、お釈迦様が一瞬にして開かれた覚りを、『涅槃』
(ニルヴァーナ)という言葉で表現するようになったそうです。
尚、お釈迦様は、お亡くなりになる前、お弟子さん達に向かって、
旅立たれた後五百年は、御自分の姿を描いたり、像として残す事を
禁じられたそうです
これは、それぞれのお弟子さんによって、お釈迦様と接した時期が
異なりますので、絵画や彫刻として表現されたお釈迦様のお姿が、
自分の抱くお師匠様のイメージと合わない…といった問題が生じて
混乱が起こる事を心配されたためです。
この事から、お釈迦様のお姿ではなく、歩まれた道や生き様を拝む
『仏足跡信仰』が生まれました。
ただ、時代が下ると、やはり乱れた考えや間違った教えが氾濫し、
原点に戻るという意味合いから、涅槃像が作られたのでしょう。
**********
ここで、お遍路初心者
きょんきょんの質問

お寺毎に御本尊が違いますが、お参りの際、どの御真言を唱えれば
よいのでしょうか?
対する、こうゆうさんの回答
各札所の本堂脇には、御本尊と御真言が記されています。
そちらを読んで、落ち着いて唱えましょう。
お釈迦様は、坐像・涅槃像・誕生仏と様々に表現されていますが、
御真言はどのお姿でも同じです。
**********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小話『凸凹同行記』。
今日は、たけやんがごんたに質問。
「法輪寺の『法輪』て何?」
ごんたが知恵を絞って出した回答は…
「法は仏法。輪は…数珠
」
残念ながら
。『法輪』で『仏法』を指すそうです。
輪とは『輪宝』という古代インドの武器で、邪悪な者を打ち破り、
改心させた上で従わせる、という働きがあるそうです。
説法の事は『転法輪』とも呼ばれ、迷いの世界をグルグルと回って
煩悩を打ち砕く、という意味が込められているそうです。
お釈迦様の説法は『対機説法』と言って、聞く人のレベルに合わせ
判り易く説いているので、場合によっては全く逆の発言に聞こえる
という事もあります。
四国に伝わっているお大師様の様々な伝説も同様で、大事な事は、
内容の詮索ではなく、そのお話に込められた真の意味を感じ取り、
そこに含まれるみ教えを自分が実践出来ているかどうかを省みて、
実践出来ていないのなら、すぐに行動へと移す事です。
そんな訳で、ごんたは即座に行動を開始!!
…煩悩を打ち消すため、グルグル走り回る
『転法輪』だそうです。
**********
最後は、きょんきょんの
てくてくインタビュー、ひとへんろ。
今回は、山門でスケッチをしている若い男性にお話を伺います

以前からお遍路に興味があったというこの方。
数ヶ月前に退職したのをきっかけに、歩き遍路を始めたそうです。
次の生き方として、絵の道か、別の仕事をするか、模索中ですが、
全札所のスケッチが完成した暁には、作品は若き日の思い出として
取っておきたい、との事でした。
**********
法輪寺のお参りも無事修まり、第十番札所・切幡寺へ向かう前に、
こうゆうさんからお土産を頂いた米裕さん
中身は…『健脚お守り』。
まだまだ先は長いお遍路の旅
次も元気でお参りしましょう!!
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
正覚山の『覚』は『さとり』を表現しており、『覚者』と書くと、
『ほとけ』または『お釈迦様』の意味になります。
お寺の周囲と言えば、建物が立ち並び、開けた所が多いのですが、
こちらのお寺は、山門を背に外を眺めると、小さな土産物屋の他は
山並みと田園のとても長閑な風景が広がっており、こうゆうさんの
お気に入りです。
**********
たくさんの草鞋が奉納されているこちらのお寺ですが、理由は諸説
あるようです。

足に病を持っていた方が、お陰を頂いた事のお礼。
または、現に足を患っている方が、病気平癒を願って。

裸足でお参りをする事で、初心に戻るため。

お大師様に、自分の草鞋を履いて頂きたい、という願い。
**********
これまでお参りしてきたお寺には、銀杏の大樹や桜の古木などの、
歴史を感じさせる樹木

まだそれほど大きくない若木です

ただ、将来の成長を見越して、よく練られた植樹がなされており、
また二十年後、三十年後にお参りしてみたい…
そんな思いを抱かせてくれます。
**********
御本尊はお釈迦様ですが、八十八ヶ所唯一の『涅槃像』…つまり、
お釈迦様の入滅直後のお姿を刻んだ仏像です。
このお姿は亡くなった方を『北枕』で寝かせるルーツなのですが、
何故、お釈迦様が頭を北に向けられたのかについても、やはり諸説
あるようです。

地球の磁場の関係で、衰弱した体に最も楽な体勢が北枕である。

お釈迦様のお母様の出身地が北方であり、お亡くなりになるに当り
お母様を慕って、頭を北に向けられた。
この内、第一説は科学的に証明されましたが、古代インド医学では
既に知られていた事のようです。
『涅槃』の語源は古代インド語の『ニルヴァーナ』ですが、これは
お灯明がフッと消え入る様を意味しています。
何かに気付く事、アイディアがひらめく事…
それらは『ジワジワ』とはやって来ません。
一瞬にして『ハッ』と気付き、『パッ』とひらめくのです

そこから転じて、お釈迦様が一瞬にして開かれた覚りを、『涅槃』
(ニルヴァーナ)という言葉で表現するようになったそうです。
尚、お釈迦様は、お亡くなりになる前、お弟子さん達に向かって、
旅立たれた後五百年は、御自分の姿を描いたり、像として残す事を
禁じられたそうです

これは、それぞれのお弟子さんによって、お釈迦様と接した時期が
異なりますので、絵画や彫刻として表現されたお釈迦様のお姿が、
自分の抱くお師匠様のイメージと合わない…といった問題が生じて
混乱が起こる事を心配されたためです。
この事から、お釈迦様のお姿ではなく、歩まれた道や生き様を拝む
『仏足跡信仰』が生まれました。
ただ、時代が下ると、やはり乱れた考えや間違った教えが氾濫し、
原点に戻るという意味合いから、涅槃像が作られたのでしょう。
**********
ここで、お遍路初心者




よいのでしょうか?
対する、こうゆうさんの回答


そちらを読んで、落ち着いて唱えましょう。
お釈迦様は、坐像・涅槃像・誕生仏と様々に表現されていますが、
御真言はどのお姿でも同じです。
**********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小話『凸凹同行記』。
今日は、たけやんがごんたに質問。
「法輪寺の『法輪』て何?」
ごんたが知恵を絞って出した回答は…
「法は仏法。輪は…数珠

残念ながら

輪とは『輪宝』という古代インドの武器で、邪悪な者を打ち破り、
改心させた上で従わせる、という働きがあるそうです。
説法の事は『転法輪』とも呼ばれ、迷いの世界をグルグルと回って
煩悩を打ち砕く、という意味が込められているそうです。
お釈迦様の説法は『対機説法』と言って、聞く人のレベルに合わせ
判り易く説いているので、場合によっては全く逆の発言に聞こえる
という事もあります。
四国に伝わっているお大師様の様々な伝説も同様で、大事な事は、
内容の詮索ではなく、そのお話に込められた真の意味を感じ取り、
そこに含まれるみ教えを自分が実践出来ているかどうかを省みて、
実践出来ていないのなら、すぐに行動へと移す事です。
そんな訳で、ごんたは即座に行動を開始!!
…煩悩を打ち消すため、グルグル走り回る


**********
最後は、きょんきょんの


今回は、山門でスケッチをしている若い男性にお話を伺います


以前からお遍路に興味があったというこの方。
数ヶ月前に退職したのをきっかけに、歩き遍路を始めたそうです。
次の生き方として、絵の道か、別の仕事をするか、模索中ですが、
全札所のスケッチが完成した暁には、作品は若き日の思い出として
取っておきたい、との事でした。
**********
法輪寺のお参りも無事修まり、第十番札所・切幡寺へ向かう前に、
こうゆうさんからお土産を頂いた米裕さん

中身は…『健脚お守り』。
まだまだ先は長いお遍路の旅

次も元気でお参りしましょう!!
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

「ぼにのぶにゅう、なにしてきます」
東日本の方にとっては、もはや意味をなさない文字列ではないかと思います。意訳すれば、「お盆に関するあーんなことやこーんなことをいろいろ済ませてきますね」という感じでしょうか。
皆様、どんな「ぼに」を過ごしていらっしゃいますか?それにしても、「ぶにゅう」って…。
さて、第8番札所の「編集中」を公開することができなかったのが、大変悔やまれてなりません。実は、8番札所の編集は、海水パンツ一丁でおこなったのです。写真も撮ることは撮ったのですが、当局の検閲が入り、公開するところには至りませんでした。脱いだらすごいんですけどね。←なにが?
ということで、今回はマジメに編集しております。「法輪寺」です。前回の風もすごかったですが、今回は「雨」。すごくはないものの、よーく聞いていると、雨が地面をたたく音、カエルの鳴き声がキレイに入っています。こういうところを聞いていただくのもおススメ。また、「人へんろ」では、山門で、とある行為をしている男性に話を聞いています。えっ、「とある行為」って何でしょう…。ワクワク。
では、「法輪寺」の回を、どうぞお楽しみに~!
今回のお参りは、第八番札所、熊谷寺です。
山号は『普明山』。
魔を払い、全てを普く照らし出す、明るい光…
衆生を悟りへと導く、仏様の御威光を表しています。
これまでの札所とは異なって、この熊谷寺は山深い場所に位置し、
「お遍路に来たぞ!」と、より強く実感出来ます。
こちらには、四国でも最古の部類に属する多宝塔が現存し、他にも
徳島県指定の文化財が数多く残されています。
大師堂は、緑に囲まれた
小高い場所にありますので、下界を眺めて
これまで辿ってきた道程に思いを馳せるのも良いかもしれません。
御本尊は、千手観世音菩薩様。
一度焼失した後、昭和40年代に入って復刻されたものだそうすが
元々は、お大師様が『一刀三礼』によって御霊木から彫り上げた、
等身大の観音様だったそうです。
ここで説明

『一刀三礼』とは、一度ノミで木を刻む度に、3度礼拝をする事。
また、この場合の礼拝は『五体投地』を指します。
我々の体(=五体)は、宇宙や大地、神仏から頂いた借りもので、
その『借りものの体』を元にお返しする、という意味合いの礼拝で
真言宗にはこの五体投地を一度に百八回行うという、非常に厳しい
修行があるそうです。
因みに、お経の中の『帰依仏・帰依法・帰依僧』の『帰依』にも、
同様の意味が含まれているそうです。
**********
米裕さんの創作小話『凸凹同行記』、今回は御詠歌のお話です。
お盆になると、長屋のおばあちゃんが、小さなカネを鳴らしながら
御詠歌をうたっていたそうですが、その声が何となく薄気味悪くて
恐かった…というごんたに対し、各々の御詠歌には深い意味があり
各札所の歌は、お寺の名前や山号と同じく、御本尊やお寺の縁起が
判る事をごんたに教えるたけやん。
熊谷寺の御詠歌
『たきぎとり、水くま谷の寺にきて、なん行するも後の世のため』
行基菩薩の作と言われる法華讃嘆
『法華経を我が得しことは薪伐り、菜摘み、水汲み、事へてぞ得し
事へてぞ得し』
色々と謎の多い熊谷寺の御詠歌ですが、お釈迦様の前世譚を詠んだ
法華讃嘆…国王の地位と引き換えに、完全なる教えを得るために、
仙人の奴隷となり、身の周りの世話をしながら千年もの間仕えた後
法華経の教えを頂き、生まれ変わって悟りを開いた、というお話と
並べてみれば、理解しやすいかもしれません。
**********
最後は、道中出逢ったお遍路さんに、きょんきょんが突撃取材。
てくてくインタビュー『ひとへんろ。』!
今回は、北海道からやって来て
、歩き遍路をしているという女性。
若い頃からお遍路には興味があったそうですが、仕事などの関係で
中々実行に移せなかった、との事。
特定の宗教を信仰している訳ではありませんが、各地を巡りながら
仏様の教えに触れる事が出来る点に魅力を感じて、お遍路を続けて
いるそうです。
**********
さて、お参りも終え、帰途につくのかと思いきや、人気のない方へ
どんどんと進んで行くこうゆうさん
実は、こちらのお寺への参道は、公道によって分断されてしまい、
山門を訪れる参拝者が少なくなっているとのこと。
強風の中を辿り着いた、歴史の重みを感じさせる立派な山門では、
鋭い眼光の仁王様が、不謹慎な輩が寺へ入らぬ様、睨みを効かせて
おられるのでした。
**********
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
山号は『普明山』。
魔を払い、全てを普く照らし出す、明るい光…
衆生を悟りへと導く、仏様の御威光を表しています。
これまでの札所とは異なって、この熊谷寺は山深い場所に位置し、
「お遍路に来たぞ!」と、より強く実感出来ます。
こちらには、四国でも最古の部類に属する多宝塔が現存し、他にも
徳島県指定の文化財が数多く残されています。
大師堂は、緑に囲まれた

これまで辿ってきた道程に思いを馳せるのも良いかもしれません。
御本尊は、千手観世音菩薩様。
一度焼失した後、昭和40年代に入って復刻されたものだそうすが
元々は、お大師様が『一刀三礼』によって御霊木から彫り上げた、
等身大の観音様だったそうです。
ここで説明


『一刀三礼』とは、一度ノミで木を刻む度に、3度礼拝をする事。
また、この場合の礼拝は『五体投地』を指します。
我々の体(=五体)は、宇宙や大地、神仏から頂いた借りもので、
その『借りものの体』を元にお返しする、という意味合いの礼拝で
真言宗にはこの五体投地を一度に百八回行うという、非常に厳しい
修行があるそうです。
因みに、お経の中の『帰依仏・帰依法・帰依僧』の『帰依』にも、
同様の意味が含まれているそうです。
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米裕さんの創作小話『凸凹同行記』、今回は御詠歌のお話です。
お盆になると、長屋のおばあちゃんが、小さなカネを鳴らしながら
御詠歌をうたっていたそうですが、その声が何となく薄気味悪くて
恐かった…というごんたに対し、各々の御詠歌には深い意味があり
各札所の歌は、お寺の名前や山号と同じく、御本尊やお寺の縁起が
判る事をごんたに教えるたけやん。

『たきぎとり、水くま谷の寺にきて、なん行するも後の世のため』

『法華経を我が得しことは薪伐り、菜摘み、水汲み、事へてぞ得し
事へてぞ得し』
色々と謎の多い熊谷寺の御詠歌ですが、お釈迦様の前世譚を詠んだ
法華讃嘆…国王の地位と引き換えに、完全なる教えを得るために、
仙人の奴隷となり、身の周りの世話をしながら千年もの間仕えた後
法華経の教えを頂き、生まれ変わって悟りを開いた、というお話と
並べてみれば、理解しやすいかもしれません。
**********
最後は、道中出逢ったお遍路さんに、きょんきょんが突撃取材。


今回は、北海道からやって来て

若い頃からお遍路には興味があったそうですが、仕事などの関係で
中々実行に移せなかった、との事。
特定の宗教を信仰している訳ではありませんが、各地を巡りながら
仏様の教えに触れる事が出来る点に魅力を感じて、お遍路を続けて
いるそうです。
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さて、お参りも終え、帰途につくのかと思いきや、人気のない方へ
どんどんと進んで行くこうゆうさん

実は、こちらのお寺への参道は、公道によって分断されてしまい、
山門を訪れる参拝者が少なくなっているとのこと。
強風の中を辿り着いた、歴史の重みを感じさせる立派な山門では、
鋭い眼光の仁王様が、不謹慎な輩が寺へ入らぬ様、睨みを効かせて
おられるのでした。
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…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
