今回のお参りは第八十番札所、白牛山・国分寺です。
奈良時代、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺。
その目的は、仏法で各地を平定し、庶民の健やかな生活を願っての事。
人々が健康であれば、地域は必然的に栄えます。
ですから、全国各地の国分寺の御本尊は、無病息災に特に力を発揮される
薬師如来さまである場合が多いのです。
(但し、こちらの国分寺の御本尊は、十一面観音さまです。)
***********
国分寺とは『護国』の寺。
言葉のイメージから、戦争を思い浮かべがちですが、護国とは文字通り、
『国を護る』こと。
それは、敵と戦って国土を守るという意味ではなく、人々を元気にして、
地域を発展させる事です。
そういった目的のため、仏さまが最も力を発揮出来るよう考えられたのが
お寺の建物の配置・・・伽藍配置です。
お寺の建物の事は、お堂とか社(やしろ)と言います。
それが多く会するから『社会』。
昔のお寺の広大な境内には、医者や薬局など社会生活があって、それらが
お経によって利益(りやく)が廻る事を『経済』。
それら全てがお経によって営まれているから『経営』。
現代生活に溶け込んでいる言葉。
実は、仏教用語からきています。
***********
建物や部屋などの配置。
お寺なら、本堂を中心に伽藍配置が決まります。
一般家庭ならば、まず神仏をお祀りする場所を決めてから、周囲の部屋の
配置を決定。
それが基本であり、最も『落ち着く』形です。
スケールの大きな、歴史あるこちらのお寺。
お参りさせて頂いた時、『自然さ』や『安心』を感じるのは、そういった
基本が守り継がれているからこそでしょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
四国八十八箇所の八十番目、最後の国分寺です。
そんな事もあって、しみじみとした思いで、納め札をじっくり眺めながら
お参りしていたごんた、ある事に気付きました。
参拝者は、納め札に自分の願い事を書いてから納めますが、よく見れば、
『天下泰平』『家内安全』と、既に2つもの願いが書かれているのです。
天下泰平とは、世の中全ての人が御蔭を受けますように、との願い。
家内安全とは、家族全員が御蔭を受けますように、との事。
そこには、自身を含む周囲全ての幸せを願う気持ちが込められています。
自分の願いだけに執着するのでなく、全ての人を思いやる事。
それが鎮護国家、この国分寺が建立された目的です。
***********
御本尊の十一面観音さま。
そのお姿は、全てを見渡し、あらゆる手を尽くして、この国を守るという
お働きを示しています。
歴史ある境内には、小鳥のさえずりや、蛙などの声が心地よく響き渡り、
町中にありながら、懐の深さを感じさせる空間を形作っています。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
奈良時代、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺。
その目的は、仏法で各地を平定し、庶民の健やかな生活を願っての事。
人々が健康であれば、地域は必然的に栄えます。
ですから、全国各地の国分寺の御本尊は、無病息災に特に力を発揮される
薬師如来さまである場合が多いのです。
(但し、こちらの国分寺の御本尊は、十一面観音さまです。)
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国分寺とは『護国』の寺。
言葉のイメージから、戦争を思い浮かべがちですが、護国とは文字通り、
『国を護る』こと。
それは、敵と戦って国土を守るという意味ではなく、人々を元気にして、
地域を発展させる事です。
そういった目的のため、仏さまが最も力を発揮出来るよう考えられたのが
お寺の建物の配置・・・伽藍配置です。
お寺の建物の事は、お堂とか社(やしろ)と言います。
それが多く会するから『社会』。
昔のお寺の広大な境内には、医者や薬局など社会生活があって、それらが
お経によって利益(りやく)が廻る事を『経済』。
それら全てがお経によって営まれているから『経営』。
現代生活に溶け込んでいる言葉。
実は、仏教用語からきています。
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建物や部屋などの配置。
お寺なら、本堂を中心に伽藍配置が決まります。
一般家庭ならば、まず神仏をお祀りする場所を決めてから、周囲の部屋の
配置を決定。
それが基本であり、最も『落ち着く』形です。
スケールの大きな、歴史あるこちらのお寺。
お参りさせて頂いた時、『自然さ』や『安心』を感じるのは、そういった
基本が守り継がれているからこそでしょう。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
四国八十八箇所の八十番目、最後の国分寺です。
そんな事もあって、しみじみとした思いで、納め札をじっくり眺めながら
お参りしていたごんた、ある事に気付きました。
参拝者は、納め札に自分の願い事を書いてから納めますが、よく見れば、
『天下泰平』『家内安全』と、既に2つもの願いが書かれているのです。
天下泰平とは、世の中全ての人が御蔭を受けますように、との願い。
家内安全とは、家族全員が御蔭を受けますように、との事。
そこには、自身を含む周囲全ての幸せを願う気持ちが込められています。
自分の願いだけに執着するのでなく、全ての人を思いやる事。
それが鎮護国家、この国分寺が建立された目的です。
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御本尊の十一面観音さま。
そのお姿は、全てを見渡し、あらゆる手を尽くして、この国を守るという
お働きを示しています。
歴史ある境内には、小鳥のさえずりや、蛙などの声が心地よく響き渡り、
町中にありながら、懐の深さを感じさせる空間を形作っています。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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今回のお参りは第七十九番札所、金華山・天皇寺です。
町中の平地に位置するこちら、駐車場に立つと、眼に飛び込んで来るのが
朱塗りの立派な鳥居
「寺ではなくて、神社?」と思ってしまいがちですが、この放送の中でも
再三言われている通り、明治の廃仏毀釈よりも前の時代、お寺と神社とは
夫婦のような関係だったのです
***********
こちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、後にこの地を訪れた空海さまが、
弥蘇場の泉で得た霊木に十一面観音さまを刻み、安置されました。
現在、こちらの院号は高照院ですが、当時は『摩尼珠院』と称しました。
この摩尼珠、宝珠とも言って、仏(円)と人間の世界(四角)の融合を表現した
尊い形で、仏さまの中でも、特に宝珠を大切にされる、観音さまに因んだ
お寺の名前だったのです
尚、空海さまは、ここに88の閼伽水を集めて秘法を修された
そうですが、
この『閼伽水』とは、ある決められた時間帯に、作法に則って集められた
修行には欠かせない水の事。
現代社会は24時間体勢で、どんな時でも同じ様な活動が行わ
れています
しかし、真言密教では時刻・時間帯というものをとても大切に考えていて
その時ならではの空気、そこで成すべき事が、非常に重要になります。
***********
毎年8月、こちらでは秘仏の御開帳が行われます。
『いつでも観られる』のと『年に一度しか観る事が出来ない』・・・
同じ仏さまですから功徳は同じですが、何となく『有難味』が違う。
個人各々、信仰の深浅の差はありますが、その限られた機縁に触れる事で
「よくぞこの一年間、無事で…」と、自分の価値を再確認出来るのです。
1年に一度、中には33年に一度しかお会い出来ない仏さまもいます。
その数少ない機会を、自らの『生きるしおり』にするのも良いでしょう
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『テンノウジ』と聞いて、大阪の環状線を連想したごんた
でも、あちらは『四天王寺』に因んだ地名で、ここは讃岐の『天皇寺』。
ならば、天皇陛下と関係が?・・・と言われれば、その通り。
第75代・崇徳天皇に所縁のあるお寺です。
『悲運の帝』とも呼ばれる、崇徳天皇。
朝廷内の権力闘争で失脚、保元の乱で敗れ、讃岐へ流刑となりました
讃岐の地で仏教に帰依、戦死者の供養と反省の日々を送るも、その思いは
当時の朝廷には伝わらず、46歳で崩御されました。
崇徳院の死後、二条天皇が22歳の若さで亡くなったのに加え、京の都では
大火事や飢饉が相次いだため、これらの災厄は『崇徳院の怨霊』の仕業と
考えられていたそうです。
一方、讃岐の地では、『四国の守り神』として崇められている崇徳院。
怨霊として忌み嫌われ、皆に恐れられる存在でも、礼節をもって接すれば
福の神に転ずる・・・そんな事を示しているのかもしれません。
事実、皇室は現在も、事ある毎に讃岐の地を訪れて崇徳院の怨霊を諌め、
災い無きよう、祀り続けているそうです。
何事に対しても礼節をもって接する・・・とても重要な事です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
町中の平地に位置するこちら、駐車場に立つと、眼に飛び込んで来るのが
朱塗りの立派な鳥居
「寺ではなくて、神社?」と思ってしまいがちですが、この放送の中でも
再三言われている通り、明治の廃仏毀釈よりも前の時代、お寺と神社とは
夫婦のような関係だったのです
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こちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、後にこの地を訪れた空海さまが、
弥蘇場の泉で得た霊木に十一面観音さまを刻み、安置されました。
現在、こちらの院号は高照院ですが、当時は『摩尼珠院』と称しました。
この摩尼珠、宝珠とも言って、仏(円)と人間の世界(四角)の融合を表現した
尊い形で、仏さまの中でも、特に宝珠を大切にされる、観音さまに因んだ
お寺の名前だったのです
尚、空海さまは、ここに88の閼伽水を集めて秘法を修された
そうですが、
この『閼伽水』とは、ある決められた時間帯に、作法に則って集められた
修行には欠かせない水の事。
現代社会は24時間体勢で、どんな時でも同じ様な活動が行わ
れています
しかし、真言密教では時刻・時間帯というものをとても大切に考えていて
その時ならではの空気、そこで成すべき事が、非常に重要になります。
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毎年8月、こちらでは秘仏の御開帳が行われます。
『いつでも観られる』のと『年に一度しか観る事が出来ない』・・・
同じ仏さまですから功徳は同じですが、何となく『有難味』が違う。
個人各々、信仰の深浅の差はありますが、その限られた機縁に触れる事で
「よくぞこの一年間、無事で…」と、自分の価値を再確認出来るのです。
1年に一度、中には33年に一度しかお会い出来ない仏さまもいます。
その数少ない機会を、自らの『生きるしおり』にするのも良いでしょう
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『テンノウジ』と聞いて、大阪の環状線を連想したごんた
でも、あちらは『四天王寺』に因んだ地名で、ここは讃岐の『天皇寺』。
ならば、天皇陛下と関係が?・・・と言われれば、その通り。
第75代・崇徳天皇に所縁のあるお寺です。
『悲運の帝』とも呼ばれる、崇徳天皇。
朝廷内の権力闘争で失脚、保元の乱で敗れ、讃岐へ流刑となりました
讃岐の地で仏教に帰依、戦死者の供養と反省の日々を送るも、その思いは
当時の朝廷には伝わらず、46歳で崩御されました。
崇徳院の死後、二条天皇が22歳の若さで亡くなったのに加え、京の都では
大火事や飢饉が相次いだため、これらの災厄は『崇徳院の怨霊』の仕業と
考えられていたそうです。
一方、讃岐の地では、『四国の守り神』として崇められている崇徳院。
怨霊として忌み嫌われ、皆に恐れられる存在でも、礼節をもって接すれば
福の神に転ずる・・・そんな事を示しているのかもしれません。
事実、皇室は現在も、事ある毎に讃岐の地を訪れて崇徳院の怨霊を諌め、
災い無きよう、祀り続けているそうです。
何事に対しても礼節をもって接する・・・とても重要な事です
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
今回のお参りは第七十八番札所、仏光山・郷照寺です。
麓にある山門から細い道を上り、山の中腹にある駐車場までやって来ると
あとは石段を少し上るだけで、歴史を感じさせる大伽藍へ辿り着きます。
山の上からは瀬戸内海を一望でき、瀬戸大橋の伸びる対岸は一行の本拠、
FMくらしきのある倉敷市です。
***********
こちらのお寺、開基は行基菩薩さまですが、七百年代の開山当初の寺号は
道場寺といいました。
道場という言葉、現代は『人間が修行する場所』との意味で使われますが
本来は『仏さまのお働きをお手伝いさせて頂く場所』の事だそうです。
尚、こちらは珍しく、真言宗であると同時に、時宗のお寺でもあります。
これは時宗の開祖・一遍上人が、踊り念仏の道場とした事に由来します。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
鎌倉期になり一遍上人によって復興された事から、この郷照寺の宗派は、
真言宗と時宗。
・・・という話を、たけやんから聞いたごんた。
そもそも『宗派』って何?という疑問が湧いて来たようです。
新しい教えを説く人が出現すると、その教えを支持する人が増えて行き、
やがてそういった人々の共同体が出来上がります。
その教えを信ずる人々の共同体が『宗派』であり、その教えを説いた人は
『宗祖』として尊敬を集め、崇められる事になります。
ただ、宗祖とされる歴史上の人物が教えを説いたのは、宗派を形作る事が
目的ではありませんでした。
大陸からの伝来以降、長い時間をかけて、日本に広まった仏教
聖徳太子は、朝廷に仕える役人に、生活規範として仏教を説きました。
最澄さまや空海さまの平安仏教は、出家者を対象とする教えです。
そして一遍さまを含む鎌倉期以降は、民衆が対象となりました。
その説かれた時代によって、み教えの伝えられた対象が各々異なるため、
全く違ったものであるかの様に考えられてしまっているのです。
『他宗派を学ぶとバチが当る』などと言われますが、全くの迷信
『皆に勉強されると都合が悪い』一部の人が主張しているに過ぎません。
今や、殆どの日本国民が、普通に読み書きの出来る、恵まれた時代。
教育制度のキチンと整っていなかった当時の、一般大衆向けの教えだけに
留まっている必要はないのです。
***********
最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回登場されるのは、兵庫県からいらしたという、歩き遍路の女性。
暑さと汗対策に、頭と首周りにあしらった手拭いがスタイリッシュです
2年ほど前、バスでも八十八箇所を巡ったという、この方。
歩きだと、暖かい声をかけてもらったりと、周囲との交流が出来ることが
魅力だそうです
元々、仏像を観るのが好きで、札所で目にする事の出来る各々の仏さまの
芸術作品としての細やかな造作や、像そのものの発するミステリアスさを
味わいながら巡るのも、楽しみだそうです
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
麓にある山門から細い道を上り、山の中腹にある駐車場までやって来ると
あとは石段を少し上るだけで、歴史を感じさせる大伽藍へ辿り着きます。
山の上からは瀬戸内海を一望でき、瀬戸大橋の伸びる対岸は一行の本拠、
FMくらしきのある倉敷市です。
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こちらのお寺、開基は行基菩薩さまですが、七百年代の開山当初の寺号は
道場寺といいました。
道場という言葉、現代は『人間が修行する場所』との意味で使われますが
本来は『仏さまのお働きをお手伝いさせて頂く場所』の事だそうです。
尚、こちらは珍しく、真言宗であると同時に、時宗のお寺でもあります。
これは時宗の開祖・一遍上人が、踊り念仏の道場とした事に由来します。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
鎌倉期になり一遍上人によって復興された事から、この郷照寺の宗派は、
真言宗と時宗。
・・・という話を、たけやんから聞いたごんた。
そもそも『宗派』って何?という疑問が湧いて来たようです。
新しい教えを説く人が出現すると、その教えを支持する人が増えて行き、
やがてそういった人々の共同体が出来上がります。
その教えを信ずる人々の共同体が『宗派』であり、その教えを説いた人は
『宗祖』として尊敬を集め、崇められる事になります。
ただ、宗祖とされる歴史上の人物が教えを説いたのは、宗派を形作る事が
目的ではありませんでした。
大陸からの伝来以降、長い時間をかけて、日本に広まった仏教
聖徳太子は、朝廷に仕える役人に、生活規範として仏教を説きました。
最澄さまや空海さまの平安仏教は、出家者を対象とする教えです。
そして一遍さまを含む鎌倉期以降は、民衆が対象となりました。
その説かれた時代によって、み教えの伝えられた対象が各々異なるため、
全く違ったものであるかの様に考えられてしまっているのです。
『他宗派を学ぶとバチが当る』などと言われますが、全くの迷信
『皆に勉強されると都合が悪い』一部の人が主張しているに過ぎません。
今や、殆どの日本国民が、普通に読み書きの出来る、恵まれた時代。
教育制度のキチンと整っていなかった当時の、一般大衆向けの教えだけに
留まっている必要はないのです。
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最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回登場されるのは、兵庫県からいらしたという、歩き遍路の女性。
暑さと汗対策に、頭と首周りにあしらった手拭いがスタイリッシュです
2年ほど前、バスでも八十八箇所を巡ったという、この方。
歩きだと、暖かい声をかけてもらったりと、周囲との交流が出来ることが
魅力だそうです
元々、仏像を観るのが好きで、札所で目にする事の出来る各々の仏さまの
芸術作品としての細やかな造作や、像そのものの発するミステリアスさを
味わいながら巡るのも、楽しみだそうです
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!