今回のお参りは第三十五番札所、医王山・清瀧寺です。
乗用車一台がようやく通る事の出来る、急な山道を登った場所に位置する
行基菩薩さまが開祖の、こちらのお寺。
山号から分かる通り、御本尊は薬師如来さまです。
後に、この地を訪れて修法を行ったお大師さまが、地面を杖で突いた所、
水が湧き出て、鏡の様な池
になった事から、院号が鏡池院となりました。
この院号、更に寺号とも水にまつわるお名前ですが、土佐の名産の一つが
土佐和紙の原料である『こうぞ』。
古代から口伝えに守られて来た、神を称える言葉。
それを書き記す物を、同じ音の『紙』と称した、との説もあるそうですが
その紙を漉くに当たり、純白で不純物のない、尊いものに仕上げるには、
冷たく、清らかな水が必要となるのです。
***********
木々に囲まれ、足元の苔も味わい深い、緑色濃い境内。
本堂右横には寺号の元となった、高さ3~4メートルの滝があります
境内でひと際目を引くのが、巨大なお薬師さまの像。
その下が『胎内めぐり』と言う、真っ暗闇の中をお参りする場所です。
米裕さんと杉本さん
、お薬師さまの御真言を唱えつつ、何も見えない中を
壁伝いに歩く内に、やがて見えてくる、お灯明に照らされた御本尊の姿。
暗闇へ足を踏み入れるには、己の中の恐怖に打ち勝たねばなりません。
「穴があるかも」
「石があるかも」
「魔物が棲んでいるかも」
・・・これらは全て、自分の想像でしかありません。
自分の心が向いている方向で、恐怖や迷いが出来上がるのです。
『一歩踏み出す』という行為。
勇気と覚悟。
そして(ヤケッパチではない)身を任せる、という態度も必要です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
道中、腰の痛みを訴えていたごんたは、お薬師さまの御利益を頂こうと、
「恐い、恐い
」を連発しながら、清瀧寺の胎内めぐりへ。
目を見開いていても、何も見えない真っ暗闇。
御真言を唱えつつ、たけやんの教え通り、壁を伝いながら摺り足で進むと
不意に聞こえてくる、ごんたの名を呼ぶ声。
・・・お薬師さまです。
腰を患っているはずなのに、今はよく腰が伸びている事を指摘されると、
たけやんに荷物を持ってもらうための仮病だった事を白状するごんた。
「そんな事やろうと思うた。一遍、どついたろか?
」
お薬師さまにあるまじきお言葉・・・とビックリしたところ、声の主は、
実はたけやんでした
。
荷物は自分で持つ事を約束させると、ごんたを置いて暗闇の中を先に行く
たけやん
やっとの思いで胎内めぐりを終え、一人で先に行ってしまったたけやんを
責めるごんた。
たけやんは「・・・?」
たけやんは、外で荷物番をしていて、洞窟には入っていないのです。
・・・すると、ごんたが暗闇の中で聞いた、あの声の主は・・・!?
***********
境内の一角に『いらずの山』と呼ばれる、鬱蒼とした森があります。
ここには、空海さまの十大弟子の中のお一人、真如さまの『逆修の塔』が
あります。
インドへの求道の旅の途中、不慮の事故で亡くなられた真如さまですが、
そこで誓願が途絶えぬ様に、逆修の墓に真如さまの魂がお戻りになって、
今なお衆生を守り、導いて下さっている、という信仰があるそうです。
この、真如さまの求道の情念、魂があまりにも激しいものであるために、
我々が近寄る事のないようにと、自然の造形を頂いて、『いらずの山』と
名付けられたのかもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
乗用車一台がようやく通る事の出来る、急な山道を登った場所に位置する
行基菩薩さまが開祖の、こちらのお寺。
山号から分かる通り、御本尊は薬師如来さまです。
後に、この地を訪れて修法を行ったお大師さまが、地面を杖で突いた所、
水が湧き出て、鏡の様な池

この院号、更に寺号とも水にまつわるお名前ですが、土佐の名産の一つが
土佐和紙の原料である『こうぞ』。
古代から口伝えに守られて来た、神を称える言葉。
それを書き記す物を、同じ音の『紙』と称した、との説もあるそうですが
その紙を漉くに当たり、純白で不純物のない、尊いものに仕上げるには、
冷たく、清らかな水が必要となるのです。
***********
木々に囲まれ、足元の苔も味わい深い、緑色濃い境内。
本堂右横には寺号の元となった、高さ3~4メートルの滝があります

境内でひと際目を引くのが、巨大なお薬師さまの像。
その下が『胎内めぐり』と言う、真っ暗闇の中をお参りする場所です。
米裕さんと杉本さん


壁伝いに歩く内に、やがて見えてくる、お灯明に照らされた御本尊の姿。
暗闇へ足を踏み入れるには、己の中の恐怖に打ち勝たねばなりません。
「穴があるかも」
「石があるかも」
「魔物が棲んでいるかも」
・・・これらは全て、自分の想像でしかありません。
自分の心が向いている方向で、恐怖や迷いが出来上がるのです。
『一歩踏み出す』という行為。
勇気と覚悟。
そして(ヤケッパチではない)身を任せる、という態度も必要です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
道中、腰の痛みを訴えていたごんたは、お薬師さまの御利益を頂こうと、
「恐い、恐い

目を見開いていても、何も見えない真っ暗闇。
御真言を唱えつつ、たけやんの教え通り、壁を伝いながら摺り足で進むと

不意に聞こえてくる、ごんたの名を呼ぶ声。
・・・お薬師さまです。
腰を患っているはずなのに、今はよく腰が伸びている事を指摘されると、
たけやんに荷物を持ってもらうための仮病だった事を白状するごんた。
「そんな事やろうと思うた。一遍、どついたろか?

お薬師さまにあるまじきお言葉・・・とビックリしたところ、声の主は、
実はたけやんでした

荷物は自分で持つ事を約束させると、ごんたを置いて暗闇の中を先に行く
たけやん

やっとの思いで胎内めぐりを終え、一人で先に行ってしまったたけやんを
責めるごんた。
たけやんは「・・・?」
たけやんは、外で荷物番をしていて、洞窟には入っていないのです。
・・・すると、ごんたが暗闇の中で聞いた、あの声の主は・・・!?

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境内の一角に『いらずの山』と呼ばれる、鬱蒼とした森があります。
ここには、空海さまの十大弟子の中のお一人、真如さまの『逆修の塔』が
あります。
インドへの求道の旅の途中、不慮の事故で亡くなられた真如さまですが、
そこで誓願が途絶えぬ様に、逆修の墓に真如さまの魂がお戻りになって、
今なお衆生を守り、導いて下さっている、という信仰があるそうです。
この、真如さまの求道の情念、魂があまりにも激しいものであるために、
我々が近寄る事のないようにと、自然の造形を頂いて、『いらずの山』と
名付けられたのかもしれません。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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今回のお参りは第三十四番札所、本尾山・種間寺です。
平地の用水路沿い、大変のどかな田園風景の中に位置するこちらのお寺
山門である左右の石柱に、八文字ずつ漢字が刻まれています。
向かって右側には「我是名號壱経其耳」。
そして、左側には「衆病悉除身心安楽」。
「さあ、この言葉から、御本尊さまを当てよ!!」
こうゆうさんから突然出題されたクイズに対し、杉本さんの回答は・・・
「お薬師さま。」
・・・大正解です
「私の真言を、一つのお経としてその耳から聞いたならば、衆生の病気を
ことごとく除き去り、心身に安楽がもたらされる。」
ただ単に病気を治すだけなら、医学と何ら変わる所はありません
。
一心に信じ、そしてお任せしたなら、何の心配もなく、身も心も安らかに
リラックス出来る
。
・・・そこが、お薬師さまの功徳の有り難さです
***********
境内の『子育て観音』さまには、底のない柄杓が多く奉納されています。
これは、妊婦が持参した柄杓の底を抜いて、3日かけて安産祈願した後、
家に持ち帰って出産までお札と共に大事にお祀りし、
無事生まれた暁には
お礼参りする、という風習のためです。
(現在は、祈願に必要なものはお寺で用意して頂けるそうです。)
『底を抜く』という行為は、『障りなく、安産となりますように』という
願いが込められているのかもしれません。
様々な身分、様々な立場の人々に対し、仏教を説き、広めてゆくためには
身近な道具や例えを使い、分かり易く説明する必要があったのでしょう。
***********
『種間』という珍しい寺号。
これは弘法大師空海さまが、唐からお持ち帰りになった五穀を、この地に
植えられた事が縁起だそうですが・・・
『種』はともかく、『間』とは何を意味するのか?
いくら気候条件が整っているからといって
、『間』をとらず種を撒くと、
密集のため日光は遮られ、栄養も水も不足し、作物の収穫は減少します
「間がなき事を間抜けという。」
・・・考えさせられる言葉です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
種間寺の寺号は、お大師さまが唐から持ち帰られた五穀を植えた、という
伝説に由来する事を説明するたけやん。
ごんたに向かって、五穀を知っているか聞いてみると・・・
御飯に玄米、果てはお粥に炒飯などと、デタラメな答が返ってきました
地方によって異なるようですが、五穀とは米・麦・粟・稗・黍です
黍と言えば、桃太郎のきび団子
高知では、アワ団子やヒエ団子を持たせて旅に出させる、といったお話も
伝わっているようです。
これには、鬼が島を人生になぞらえ、
「生きて行くためには、質素倹約を守れ!!」
・・・という教えが含まれているのです。
犬や猿、キジが、それを目当てに鬼が島へお供した、というお話のため、
多くの人から勘違いされているのですが、きび団子、美味しい食べ物では
決してありません。
「『一つください、お供します』・・・とはならんなぁ。
」
美味しいものには目がない、ごんたの呟きでした。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
平地の用水路沿い、大変のどかな田園風景の中に位置するこちらのお寺

山門である左右の石柱に、八文字ずつ漢字が刻まれています。
向かって右側には「我是名號壱経其耳」。
そして、左側には「衆病悉除身心安楽」。

こうゆうさんから突然出題されたクイズに対し、杉本さんの回答は・・・

・・・大正解です

「私の真言を、一つのお経としてその耳から聞いたならば、衆生の病気を
ことごとく除き去り、心身に安楽がもたらされる。」
ただ単に病気を治すだけなら、医学と何ら変わる所はありません

一心に信じ、そしてお任せしたなら、何の心配もなく、身も心も安らかに
リラックス出来る

・・・そこが、お薬師さまの功徳の有り難さです

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境内の『子育て観音』さまには、底のない柄杓が多く奉納されています。
これは、妊婦が持参した柄杓の底を抜いて、3日かけて安産祈願した後、
家に持ち帰って出産までお札と共に大事にお祀りし、

お礼参りする、という風習のためです。
(現在は、祈願に必要なものはお寺で用意して頂けるそうです。)
『底を抜く』という行為は、『障りなく、安産となりますように』という
願いが込められているのかもしれません。
様々な身分、様々な立場の人々に対し、仏教を説き、広めてゆくためには
身近な道具や例えを使い、分かり易く説明する必要があったのでしょう。
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『種間』という珍しい寺号。
これは弘法大師空海さまが、唐からお持ち帰りになった五穀を、この地に
植えられた事が縁起だそうですが・・・

『種』はともかく、『間』とは何を意味するのか?
いくら気候条件が整っているからといって


密集のため日光は遮られ、栄養も水も不足し、作物の収穫は減少します

「間がなき事を間抜けという。」
・・・考えさせられる言葉です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
種間寺の寺号は、お大師さまが唐から持ち帰られた五穀を植えた、という
伝説に由来する事を説明するたけやん。
ごんたに向かって、五穀を知っているか聞いてみると・・・
御飯に玄米、果てはお粥に炒飯などと、デタラメな答が返ってきました

地方によって異なるようですが、五穀とは米・麦・粟・稗・黍です

黍と言えば、桃太郎のきび団子

高知では、アワ団子やヒエ団子を持たせて旅に出させる、といったお話も
伝わっているようです。
これには、鬼が島を人生になぞらえ、
「生きて行くためには、質素倹約を守れ!!」
・・・という教えが含まれているのです。
犬や猿、キジが、それを目当てに鬼が島へお供した、というお話のため、
多くの人から勘違いされているのですが、きび団子、美味しい食べ物では
決してありません。
「『一つください、お供します』・・・とはならんなぁ。

美味しいものには目がない、ごんたの呟きでした。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

第三十三番札所、高福山・雪蹊寺のアルバムです
今回のお参りは第三十三番札所、高福山・雪蹊寺です。
幹線道路からごく近い場所の立地であるこちらのお寺。
弘法大師さまによって開創された当初は『高福寺』と称したそうですが、
鎌倉期に活躍した仏師、運慶・湛慶親子の縁から『慶運寺』と改められ、
その後、こちらのお寺が菩提寺である戦国武将・長宗我部元親の号から、
現在の『雪蹊寺』となったそうです。
***********
長い歴史を持つお寺には、栄える時もあれば
、苦難の時代も訪れます
そんな危機的状況に現れるのが、中興の祖と呼ばれる人物。
戦国時代、荒廃の極にあったこちらのお寺を、長宗我部元親の後援の下、
臨済宗の寺院として復興させたのが、月峰和尚です。
明治時代の廃仏毀釈から雪蹊寺を立ち直らせたのが、山本太玄和尚。
また、失明の危機の中、病気平癒を願い、四国を裸足で七回巡った後に、
その山本太玄和尚の「心眼を開け」との言葉に感動し、弟子入りしたのが
昭和期の傑僧、山本玄峰和尚です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
ごんた、『幽霊は実在するのか?』という事で悩んでいます
たけやんは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という有名な一首を紹介して、
その人の後ろめたさや、良心の呵責から、ごくありふれた何でもない物が
全く別のものに見える事もある、と説明します。
実はごんた、「お遍路やめたい、やめたい」と思いながら歩いていると、
土産物屋の店先に、亡くなったはずの親父さんが、恐い顔で立っていて、
ごんたを睨みつけていた、との事
・・・でも、よくよく見れば、それはダルマの置き物だったそうです
心の歪みが、ダルマを親父さんに見せたのでしょう。
でも、執念、即ち、あまりにも強い思いを抱いたまま亡くなった人間は、
肉体は滅んでも、その霊魂は迷い続けるのかもしれません。
この雪蹊寺、寺運が衰え荒れ果てていた戦国時代、幽霊が出るという噂が
囁かれていました
そこに訪れたのが、月峰和尚。
村人が止めるのも聞かず寺に入ると、日暮れに女性の泣き声が・・・
よく聞くと、その声は同じ言葉を繰り返しています。
「水も浮き世という所かな」
それが和歌の下の句という事に気付いた月峰和尚。
翌日、再びお寺に入ると、
「墨染めを洗えば波も衣きて」
という上の句を加えて詠んだ所、以後、泣き声は聞こえなくなりました。
恐らく、上の句が出来ず、この世に思いを残したまま亡くなった人の霊が
成仏出来ず、彷徨っていたのでしょう。
尚、この出来事を聞いた戦国大名の長宗我部元親は、この荒れ寺の復興を
月峰和尚に託したそうです。
思いを残すより、目一杯生きて、納得し、胸を張って、笑って死ねたら
幽霊になるなどという事もないでしょう
***********
本堂の前に立って見渡すと、小じんまりとした中、諸堂がしっかりとした
まとまりを見せています。
観音堂にいらっしゃるのは、馬頭観音さま。
よく、野辺の石像として見かける仏さまです。
『観音さま』と聞いて、穏やかで優しいお姿を想像しがちになりますが、
この馬頭観音さまは、そのお名前が示す通り、頭に馬の首が立っている、
忿怒の形相の仏さま
農耕民族の我々日本人にとって、家畜は非常に大切な仲間でした。
そんな、家族同様の家畜が亡くなった際、成仏させるお役目を持つのが、
馬頭観音さまです。
また、馬の旺盛な食欲を象徴として、この馬頭観音さまは、人間の煩悩を
残らず食べ尽くして下さる、とも言われています。
***********
こちらの雪蹊寺、冒頭でも述べた通り、土佐の戦国武将・長宗我部氏から
手厚い保護を受けて、栄えました。
でも、過去の放送を聞いて頂ければお分かりの通り、この長宗我部氏とは
他国の札所を焼き討ちし
、悪道・非道の限りを尽くした、あの一族。
そんな事を考えていると、お参りの際、少々複雑な思いが頭を過ると言う
こうゆうさんです
尚、寺号の『雪蹊』という言葉から、雪深い山奥の水墨画的なイメージ
を
浮かべがちですが、ここは雪とは無縁の南国・土佐
そんなギャップも、このお寺の持ち味と言えるかもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
幹線道路からごく近い場所の立地であるこちらのお寺。
弘法大師さまによって開創された当初は『高福寺』と称したそうですが、
鎌倉期に活躍した仏師、運慶・湛慶親子の縁から『慶運寺』と改められ、
その後、こちらのお寺が菩提寺である戦国武将・長宗我部元親の号から、
現在の『雪蹊寺』となったそうです。
***********
長い歴史を持つお寺には、栄える時もあれば


そんな危機的状況に現れるのが、中興の祖と呼ばれる人物。
戦国時代、荒廃の極にあったこちらのお寺を、長宗我部元親の後援の下、
臨済宗の寺院として復興させたのが、月峰和尚です。
明治時代の廃仏毀釈から雪蹊寺を立ち直らせたのが、山本太玄和尚。
また、失明の危機の中、病気平癒を願い、四国を裸足で七回巡った後に、
その山本太玄和尚の「心眼を開け」との言葉に感動し、弟子入りしたのが
昭和期の傑僧、山本玄峰和尚です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
ごんた、『幽霊は実在するのか?』という事で悩んでいます

たけやんは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という有名な一首を紹介して、
その人の後ろめたさや、良心の呵責から、ごくありふれた何でもない物が
全く別のものに見える事もある、と説明します。
実はごんた、「お遍路やめたい、やめたい」と思いながら歩いていると、
土産物屋の店先に、亡くなったはずの親父さんが、恐い顔で立っていて、
ごんたを睨みつけていた、との事

・・・でも、よくよく見れば、それはダルマの置き物だったそうです

心の歪みが、ダルマを親父さんに見せたのでしょう。
でも、執念、即ち、あまりにも強い思いを抱いたまま亡くなった人間は、
肉体は滅んでも、その霊魂は迷い続けるのかもしれません。
この雪蹊寺、寺運が衰え荒れ果てていた戦国時代、幽霊が出るという噂が
囁かれていました

そこに訪れたのが、月峰和尚。
村人が止めるのも聞かず寺に入ると、日暮れに女性の泣き声が・・・

よく聞くと、その声は同じ言葉を繰り返しています。
「水も浮き世という所かな」
それが和歌の下の句という事に気付いた月峰和尚。
翌日、再びお寺に入ると、
「墨染めを洗えば波も衣きて」
という上の句を加えて詠んだ所、以後、泣き声は聞こえなくなりました。
恐らく、上の句が出来ず、この世に思いを残したまま亡くなった人の霊が
成仏出来ず、彷徨っていたのでしょう。
尚、この出来事を聞いた戦国大名の長宗我部元親は、この荒れ寺の復興を
月峰和尚に託したそうです。
思いを残すより、目一杯生きて、納得し、胸を張って、笑って死ねたら

幽霊になるなどという事もないでしょう

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本堂の前に立って見渡すと、小じんまりとした中、諸堂がしっかりとした
まとまりを見せています。
観音堂にいらっしゃるのは、馬頭観音さま。
よく、野辺の石像として見かける仏さまです。
『観音さま』と聞いて、穏やかで優しいお姿を想像しがちになりますが、
この馬頭観音さまは、そのお名前が示す通り、頭に馬の首が立っている、
忿怒の形相の仏さま

農耕民族の我々日本人にとって、家畜は非常に大切な仲間でした。
そんな、家族同様の家畜が亡くなった際、成仏させるお役目を持つのが、
馬頭観音さまです。
また、馬の旺盛な食欲を象徴として、この馬頭観音さまは、人間の煩悩を
残らず食べ尽くして下さる、とも言われています。
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こちらの雪蹊寺、冒頭でも述べた通り、土佐の戦国武将・長宗我部氏から
手厚い保護を受けて、栄えました。
でも、過去の放送を聞いて頂ければお分かりの通り、この長宗我部氏とは
他国の札所を焼き討ちし

そんな事を考えていると、お参りの際、少々複雑な思いが頭を過ると言う
こうゆうさんです

尚、寺号の『雪蹊』という言葉から、雪深い山奥の水墨画的なイメージ

浮かべがちですが、ここは雪とは無縁の南国・土佐

そんなギャップも、このお寺の持ち味と言えるかもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
