今回のお参りは、第11番札所、金剛山・藤井寺です。
吉野川を渡り、徐々に山中へと進んで行くお遍路コース。
「さあ、いよいよ!
」と、改めて心が引き締まります。
**********
お寺の山門には『仁王さま』が定番ですが、こちらの藤井寺では、
超巨大な『わらじ』が迎えて下さいます。
これから先、厳しさと険しさを増してゆく遍路道。
その道中の安全を願っての奉納。
そして、以前にもお話のあった『仏足跡信仰』の表れでしょう。
**********
山門を入ると、まず目を引くのが、立派な藤棚。
お寺の名前の内、『藤』のルーツです。
この藤、弘法大師・空海さまお手植えの伝説が残っている一方で、
水が豊かで、野生の藤が群生していた場所にお寺を建立した・・・
諸説あるようです。
古代より、水には苦労の多かったお四国。
だからこそ「お大師さまが杖で地面を一突きすると水が湧き出た」
といったお話が各地に残っていますが、こちらのお寺に関しては、
白竜弁天さまが祀られている事からも分かる通り、清らかなお水が
豊富に流れていた場所なのでしょう。
お寺の名前の内、『井』のルーツです。
**********
こじんまりとしていながら、引き締まった、爽やかな空気の境内。
お四国では度々耳にする、長曽我部軍による焼き討ち。
そして、江戸時代に入ってからは天保の大火災。
度重なる大火で、全てが焼け落ちてしまったこちらのお寺ですが、
お大師さま自ら刻まれたという、御本尊の薬師如来像は、奇跡的に
当時のお姿のまま残っており、現在は国宝に指定されています。
一説には、四国霊場最古と言われる御本尊。
そこから、お四国に霊場を開かれたきっかけが、この地では・・・
とも言われています。
豊かな緑と、豊かな水。
大自然の持つパワーを増幅する、修行の場であるお寺の場所として
ピッタリの土地なのでしょう。
**********
さて、米裕さんの創作小噺『凸凹道中記』。
たけやんが、御本尊の逸話と、お寺への弾圧という愚行について、
ごんたに解説しています。
安土桃山時代の兵火と、天保の大火
二度の大火事を逃れられ、現在に至るまでその姿を留められている
藤井寺の御本尊。
そんな事実から、庶民から『厄除けのお薬師さま』として崇められ
親しまれているそうです。
ところで兵火、すなわち長曽我部軍による焼き討ちですが、これは
武力を恐れないお坊さんの力を削ぎ、敵の武将の菩提寺を滅ぼして
自らの力を誇示する事が目的だったのでしょう。
しかし、武力しか信じるもののなかった長曽我部家は、皮肉な事に
武力によって制圧され、やがて滅びてしまいました。
修羅道に堕ちた者の末路は、哀れなものです。
他に、寺院への弾圧は織田信長によるものが有名ですが、歴史上、
最も厳しい宗教弾圧は、明治の『廃仏毀釈』でした。
これは、寺院の他、天孫系を除く神社に対しても行われましたが、
国家統一のためには、土着信仰は妨げになるとして、伝統・文化を
悉く否定するという、初代首相の執った政策でした。
結果、その初代首相の身に何が起こったか・・・
その流れを汲む現代社会が、どんな状況に陥っているか・・・
超辛口のたけやんでありました。
**********
藤井寺から次の札所へ続く道は、行程16キロの『焼山寺みち』、
別名『遍路ころがし』という、遍路みち最難関の山道です。
無数の石仏と、一歩踏み間違えれば真逆さま、という険しい崖
かつては、ここで命を落とされた方も多かったのでしょう。
学生時代のこうゆうさんは、6時間かけて踏破されたそうですが、
通常、成人男性は8時間、女性で9時間ほどを要するそうです。
試しに少しだけ歩いてみたきょんきょん
。
杖の重要さが身にしみて理解できたそうです。
**********
お参りを修めて、山門前の小さな土産物屋さん
に入った一行。
お店のおばちゃんが、楽しい会話で旅の疲れを癒してくれます
。
お接待の鳴門金時、とても美味でした。
おばちゃん、有難う
!!
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
吉野川を渡り、徐々に山中へと進んで行くお遍路コース。
「さあ、いよいよ!

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お寺の山門には『仁王さま』が定番ですが、こちらの藤井寺では、
超巨大な『わらじ』が迎えて下さいます。
これから先、厳しさと険しさを増してゆく遍路道。
その道中の安全を願っての奉納。
そして、以前にもお話のあった『仏足跡信仰』の表れでしょう。
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山門を入ると、まず目を引くのが、立派な藤棚。
お寺の名前の内、『藤』のルーツです。
この藤、弘法大師・空海さまお手植えの伝説が残っている一方で、
水が豊かで、野生の藤が群生していた場所にお寺を建立した・・・
諸説あるようです。
古代より、水には苦労の多かったお四国。
だからこそ「お大師さまが杖で地面を一突きすると水が湧き出た」
といったお話が各地に残っていますが、こちらのお寺に関しては、
白竜弁天さまが祀られている事からも分かる通り、清らかなお水が
豊富に流れていた場所なのでしょう。
お寺の名前の内、『井』のルーツです。
**********
こじんまりとしていながら、引き締まった、爽やかな空気の境内。
お四国では度々耳にする、長曽我部軍による焼き討ち。
そして、江戸時代に入ってからは天保の大火災。
度重なる大火で、全てが焼け落ちてしまったこちらのお寺ですが、
お大師さま自ら刻まれたという、御本尊の薬師如来像は、奇跡的に
当時のお姿のまま残っており、現在は国宝に指定されています。
一説には、四国霊場最古と言われる御本尊。
そこから、お四国に霊場を開かれたきっかけが、この地では・・・
とも言われています。
豊かな緑と、豊かな水。
大自然の持つパワーを増幅する、修行の場であるお寺の場所として
ピッタリの土地なのでしょう。
**********
さて、米裕さんの創作小噺『凸凹道中記』。
たけやんが、御本尊の逸話と、お寺への弾圧という愚行について、
ごんたに解説しています。
安土桃山時代の兵火と、天保の大火

二度の大火事を逃れられ、現在に至るまでその姿を留められている
藤井寺の御本尊。
そんな事実から、庶民から『厄除けのお薬師さま』として崇められ
親しまれているそうです。
ところで兵火、すなわち長曽我部軍による焼き討ちですが、これは
武力を恐れないお坊さんの力を削ぎ、敵の武将の菩提寺を滅ぼして
自らの力を誇示する事が目的だったのでしょう。
しかし、武力しか信じるもののなかった長曽我部家は、皮肉な事に
武力によって制圧され、やがて滅びてしまいました。
修羅道に堕ちた者の末路は、哀れなものです。
他に、寺院への弾圧は織田信長によるものが有名ですが、歴史上、
最も厳しい宗教弾圧は、明治の『廃仏毀釈』でした。
これは、寺院の他、天孫系を除く神社に対しても行われましたが、
国家統一のためには、土着信仰は妨げになるとして、伝統・文化を
悉く否定するという、初代首相の執った政策でした。
結果、その初代首相の身に何が起こったか・・・
その流れを汲む現代社会が、どんな状況に陥っているか・・・
超辛口のたけやんでありました。
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藤井寺から次の札所へ続く道は、行程16キロの『焼山寺みち』、
別名『遍路ころがし』という、遍路みち最難関の山道です。
無数の石仏と、一歩踏み間違えれば真逆さま、という険しい崖

かつては、ここで命を落とされた方も多かったのでしょう。
学生時代のこうゆうさんは、6時間かけて踏破されたそうですが、
通常、成人男性は8時間、女性で9時間ほどを要するそうです。
試しに少しだけ歩いてみたきょんきょん

杖の重要さが身にしみて理解できたそうです。
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お参りを修めて、山門前の小さな土産物屋さん

お店のおばちゃんが、楽しい会話で旅の疲れを癒してくれます

お接待の鳴門金時、とても美味でした。
おばちゃん、有難う

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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暑い日が続いているような気がする今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
わが家では、9月になってから購入した扇風機が涼しい風を吹かせてくれています。
9月になってから…。なぜ…。
さて、今日はスタジオがふさがってるんですねえ。でも、パソコンがあれば、どこでも編集できちゃうんですねえ。便利便利。今日は、自分の机での編集です。
前回の「切幡寺」はいかがでしたでしょうか。雨が降っていなければ、私にも色とりどりに輝いて秋風にたなびく布が見えたのでしょうけれども、なんとも残念でした。
次回は「藤井寺」。…野球場はありません。団地を少しのぼったところにある、静かなお寺です。藤井フミヤさんが私財を投げ打って建立した……ウソはよくありませんね。考え方としては、「藤」「井」「寺」…なんだそうです。
で、門前のお店。こちらは番組でお聞きいただきましょう。
では、「藤井寺」の回を、どうぞお楽しみに~!
今回のお参りは、第10番札所、得度山・潅頂院・切幡寺です。
山門へ到着すると、男と女の厄を払う、333段の石段。
…前回の『健脚お守り』は、この日のためだったのです。
かつて、『阿波の国の十番参り』という参拝方法がありましたが、
時間も費用もないため、八十八箇所全てを巡拝することが叶わない
庶民が、十番までをキッチリと修める、というお参りの仕方です。
山号の『得度』とは、在家の者が仏門に入り出家する事です。
そして『潅頂』とは、仏のみ教えに見立てた水を頭頂部から注いで
下々へと流れ伝わって行く様を表した、仏教の儀式です。
こちらのお寺は、それらの行事全てが含まれた名前になっており、
十番参りの結願にふさわしい、真の仏道に触れる事が出来るお寺、
と言えるでしょう。
**********
スタスタと石段を登る早足のこうゆうさんに対し
、米裕さん達は、
置いて行かれそうです。
見かねたこうゆうさんから、特別講義・『石段の登り方』。
雨の日は滑りやすいので注意
(ロケ当日は雨だったようです)
ジグザグに、両足に万遍なく体重をかけて登ると、疲労度軽減
内股気味に歩けば、泥はねが少ない
**********
石段を登りきったところで、特別講義その2・『お布施』。
『布』を『施す』…その意味するものとは?
古代インドのお話。お釈迦さまの尊いお姿を観て、仏道を進もうと
発心した女性がいました
ところが、身分が低いその女性は、お釈迦さまに施すべきものを、
何も持っていません。
そこで、身に着けている衣を裂いて、お釈迦さまの肩にかけた所、
周囲の人々もそれに倣って衣を施し、お釈迦さまは、それらの布を
縫い合わせて衣にしました。
この様に、最初に施したものが『布』であったことから、お供えを
『お布施』と称するようになったそうです。
**********
ここで、『切幡寺』の名前の由来、パート1(第一説)。
かつて、この地を旅されていたお大師さまが、衣の綻びを直そうと
一人の娘さんに相談すると、その娘さんは、自分が織っていた幡を
切って捧げました。
感激されたお大師さまが、娘さんに「願い事はないか」尋ねた所、
出家したいとの希望でしたので、得度・潅頂の儀式を行いますと、
娘さんは千手観音さまに姿を変えたそうです。
そんな伝説から、こちらのお寺は女性の信仰を集めているとの事。
・・・・・・・・・・
『切幡寺』の名前の由来、パート2(第二説)。
仏さまは、歌舞音曲と香り、散華、そして五色の幡に先導されて、
地上へと降りて来られるそうです。
かつて、この地に幡が舞い降りて来た事から、こちらが霊山として
信仰の対象となった、というお話が伝わっています。
・・・・・・・・・・
いずれも、仏教的な知識が根底にあって成立した説話でしょうが、
お話の真偽はともかく、我々の周囲には大勢の仏さまがいらして、
常に助けて下さっている事を忘れてはならない、という呼びかけが
含まれている、と考えるべきでしょう。
千手観音さまに転じたという娘さんのお話も、実は千手観音さまが
娘に化身して、お大師さまを導かれた、という見方も出来ます。
おそらく、お大師さまは旅の途中で大勢の仏さまとお逢いになり、
その感動を、各々の札所に残して下さっているのでしょう。
**********
さて、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』
切幡寺の名前の由来、
お布施の意味に続いて、お袈裟(糞掃衣)のお話です。
貴重品である布は、まず衣として用い、次に手拭、掃除用の雑巾、
そして最後は便所掃除に使われて、その役目を終えます。
そのような、価値のなくなった布をつなぎ合わせて作られたのが、
お袈裟、即ち『糞掃衣』…「後は糞の様な汚いものを掃除するしか
使い道のない布で作った衣」という意味です。
元々はお供え物ですから、実際に便所掃除に使われた布ではなく、
お供えする側の謙遜の気持ちの入った呼び名でしょう。
無価値な布で作られたお袈裟は『無欲』の象徴。
お袈裟の黄色は実りの象徴、『清らか』な喜びの色。
そこに悪魔のつけ入る隙はありません。
汚れた思いや、修行の妨げになるような心が感じられるお布施は、
もはや『お布施』とは呼べません。
**********
お参りを修め、改めて山門まで降りてきた御一行。
再建されたばかりで、まだ仁王さまはいらっしゃいません。
しかし、後世にしっかりしたものを残す、という意気込みが伝わる
本当に立派な山門で、次回のお参りが楽しみです。
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
山門へ到着すると、男と女の厄を払う、333段の石段。
…前回の『健脚お守り』は、この日のためだったのです。
かつて、『阿波の国の十番参り』という参拝方法がありましたが、
時間も費用もないため、八十八箇所全てを巡拝することが叶わない
庶民が、十番までをキッチリと修める、というお参りの仕方です。
山号の『得度』とは、在家の者が仏門に入り出家する事です。
そして『潅頂』とは、仏のみ教えに見立てた水を頭頂部から注いで
下々へと流れ伝わって行く様を表した、仏教の儀式です。
こちらのお寺は、それらの行事全てが含まれた名前になっており、
十番参りの結願にふさわしい、真の仏道に触れる事が出来るお寺、
と言えるでしょう。
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スタスタと石段を登る早足のこうゆうさんに対し

置いて行かれそうです。
見かねたこうゆうさんから、特別講義・『石段の登り方』。






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石段を登りきったところで、特別講義その2・『お布施』。
『布』を『施す』…その意味するものとは?
古代インドのお話。お釈迦さまの尊いお姿を観て、仏道を進もうと
発心した女性がいました

ところが、身分が低いその女性は、お釈迦さまに施すべきものを、
何も持っていません。
そこで、身に着けている衣を裂いて、お釈迦さまの肩にかけた所、
周囲の人々もそれに倣って衣を施し、お釈迦さまは、それらの布を
縫い合わせて衣にしました。
この様に、最初に施したものが『布』であったことから、お供えを
『お布施』と称するようになったそうです。
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ここで、『切幡寺』の名前の由来、パート1(第一説)。
かつて、この地を旅されていたお大師さまが、衣の綻びを直そうと
一人の娘さんに相談すると、その娘さんは、自分が織っていた幡を
切って捧げました。
感激されたお大師さまが、娘さんに「願い事はないか」尋ねた所、
出家したいとの希望でしたので、得度・潅頂の儀式を行いますと、
娘さんは千手観音さまに姿を変えたそうです。
そんな伝説から、こちらのお寺は女性の信仰を集めているとの事。
・・・・・・・・・・
『切幡寺』の名前の由来、パート2(第二説)。
仏さまは、歌舞音曲と香り、散華、そして五色の幡に先導されて、
地上へと降りて来られるそうです。
かつて、この地に幡が舞い降りて来た事から、こちらが霊山として
信仰の対象となった、というお話が伝わっています。
・・・・・・・・・・
いずれも、仏教的な知識が根底にあって成立した説話でしょうが、
お話の真偽はともかく、我々の周囲には大勢の仏さまがいらして、
常に助けて下さっている事を忘れてはならない、という呼びかけが
含まれている、と考えるべきでしょう。
千手観音さまに転じたという娘さんのお話も、実は千手観音さまが
娘に化身して、お大師さまを導かれた、という見方も出来ます。
おそらく、お大師さまは旅の途中で大勢の仏さまとお逢いになり、
その感動を、各々の札所に残して下さっているのでしょう。
**********
さて、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』
切幡寺の名前の由来、
お布施の意味に続いて、お袈裟(糞掃衣)のお話です。
貴重品である布は、まず衣として用い、次に手拭、掃除用の雑巾、
そして最後は便所掃除に使われて、その役目を終えます。
そのような、価値のなくなった布をつなぎ合わせて作られたのが、
お袈裟、即ち『糞掃衣』…「後は糞の様な汚いものを掃除するしか
使い道のない布で作った衣」という意味です。
元々はお供え物ですから、実際に便所掃除に使われた布ではなく、
お供えする側の謙遜の気持ちの入った呼び名でしょう。
無価値な布で作られたお袈裟は『無欲』の象徴。
お袈裟の黄色は実りの象徴、『清らか』な喜びの色。
そこに悪魔のつけ入る隙はありません。
汚れた思いや、修行の妨げになるような心が感じられるお布施は、
もはや『お布施』とは呼べません。
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お参りを修め、改めて山門まで降りてきた御一行。
再建されたばかりで、まだ仁王さまはいらっしゃいません。
しかし、後世にしっかりしたものを残す、という意気込みが伝わる
本当に立派な山門で、次回のお参りが楽しみです。
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

さて、前回の「雨の法輪寺」はいかがでしたでしょうか。ケロケロ。雨の音、しっかりお聞きいただけました?ケロケロ。
で、なんともビクーリすることに、次回の「切幡寺」も雨!雨、雨、雨!私は、ポンチョを着て収録しました。ポンチョ…(笑)。収録時は雨の音が勝ってしまってましたが、山あいのほんとに静かなお寺です。これからのシーズン、秋にはぴったりのお寺ですね。本堂から右手をちょっとのぞくと、幡切観音を拝見することができます。
でも、その前に。山門に車を停めて本堂まで、…なんとな~く想像できるのではないかと思いますが、333もの、「とあるもの」があります。
「あぁ、おどっつぁんは腰がいとーてなあ。」
「大丈夫よ、おどっつぁん。」
「こんなときにおっかさんがおってくれたらなあ。」
「おどっつぁん、それは言わない約束でしょ。」
…ま、おっかさんがいてもどうにもならない、「とあるもの」があるのです。なんでしょうか。
では、「切幡寺」の回を、どうぞお楽しみに~!