今回のお参りは第二十番札所、霊鷲山・鶴林寺です。
雨の中での取材となった今回、山深い場所に位置するこちらのお寺には、
周囲に雲が立ち込め
、幽玄な雰囲気を醸し出しています。
***********
山号の霊鷲山(りょうじゅさん)は、かつてお釈迦さまがよく説法された
天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)に形が似ている事に由来するそうです。
院号を『宝珠院』と証する事実から、御本尊は宝珠を持った仏さま、即ち
地蔵菩薩さまである事が分かります。
通常、お寺の山門には仁王さまがいらっしゃいますが、こちらのお寺では
その名前の通り、2羽の鶴が参拝者を出迎えてくれます。
お大師さまが修行中にこの地を訪れた際、杉の梢から光明が放たれており
見れば2羽の鶴が、金色に輝くお地蔵さまをお守りしていたとの事。
これを御覧になったお大師さまは、一刀三礼で地蔵菩薩像を彫り上げて、
金色のお地蔵さまを胎内に納めて、御本尊とされたそうです。
尚、本尊御降臨の杉の木は、本堂の裏に現存しているそうです。
***********
こちらのお寺には、お地蔵さまのお役目である『代受苦』を端的に示す、
一つの伝説が残されています。
-----------
昔、一人の猟師が、
猪を追って矢を放ったところ
、矢を受けたその猪は、
鶴林寺へと逃げ込み、本堂の前で姿を消しました。
猟師が周囲を捜しても、猪の姿はどこにもなく、代わりに見つけたのが、
胸に矢を受けて血を流す、御本尊のお地蔵さまでした。
自らの罪深さを深く懺悔したというその猟師のお墓は、『猟師塚』として
今も残っています。
-----------
見て分かる通り、お地蔵さまは『僧形』、即ちお坊さんのお姿です。
これは、我々により近い場所に降り立ち、衆生の苦しみを代りに受ける、
というお働きを表したものです。
野辺に多くおまつりされ、大勢の人々から信仰され、慕われているのも、
そのお役目を考えれば、納得出来ます。
猪の苦しみを除くと共に、猟師に信仰の目を開かせたお地蔵さまのお姿は
先に述べた通り僧形、つまり、厳しい戒律の下に身を置く立場です。
ですから、代りに苦しみを受けて頂く立場である我々も、自らの罪深さを
十分に自覚して、自身を戒める心構えが必要です。
***********
本堂の奥には、古い三重塔があります。
塔と言えば、その立派な外見に目を奪われがちですが、本当に重要なのは
建物によって守られている、中央の『芯柱』です。
これは『仏塔』であり、その高さが高いほど、仏さまのみ教え・御威光を
より遠くから感じる事が出来るものとされています。
その大きさから「どこにいても、仏さまが見守って下さっている」という
安心感を得る事が出来ます。
そんな三重塔を、ぜひ間近でじっくり鑑賞し、有り難い仏さまの御威光を
肌で感じて頂きたい、とおっしゃるこうゆうさん
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
険しい山道を、ごんたとたけやんは、やっとの思いで上って来ました。
たけやん、お寺の名前になっている『鶴林』という言葉についての薀蓄を
ごんたに語って聞かせております。
-----------
お釈迦さまが入滅なさる時に身を横たえられた沙羅双樹は、供養する様に
お釈迦さまの上に花を舞い散らせ、木全体も真っ白な花を満開に咲かせて
その様は、あたかも白い鶴が羽を広げたかのようだった・・・
この様を指して、『鶴林』と言う。
-----------
「だから、鶴林寺の御本尊は、元々はお釈迦さまだったのでは?」
・・・というのが、たけやんの推測です。
現在の御本尊は、猟師の伊三太に信仰の目を開かせた『矢負地蔵』さま
御本尊自ら矢を受けられた理由は、傷を負った大猪を助けるためなのか、
伊三太が殺生禁断の掟を破った事を諌めるためか、それとも殺生自体か、
それまでの因縁を分からせるためか・・・。
一つ言えるのは、伊三太が仏道へ進むべき時が来ていた、という事です。
***********
さて、ここで杉本さんからの質問

「お寺の名前は、どのようにつけられるのですか?」
対する、こうゆうさんの回答

仏教用語や経典、お釈迦さまのお言葉から。
伝記や伝承、縁起から。
その土地の名前から。
市町村の合併などで、土地の古い名前が次々に消えているという実情は、
本当に嘆かわしく、残念な事です
ですから、お寺の名前などから、その土地の歴史や伝承を勉強する事は、
これまで以上に大事なことになりそうです。
***********
番組の最後に、米裕さんが鶴林寺での思い出をお話し下さいました。
十年ほど前、米裕さんはこちらのお寺に宿泊された時の事。
夜、物音に気付き窓から外を見ると
、納経所で宿をとる、歩き遍路の方が
いらしたそうです(現在は不可)。
宿に招き入れるのは修行の妨げになると考えた米裕さん、御自身の毛布を
お遍路さんにお貸ししたそうです。
これぞまさしく『菩薩行』!!
・・・結果、米裕さんは風邪をひかれたそうですが
(笑)
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

周囲に雲が立ち込め

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山号の霊鷲山(りょうじゅさん)は、かつてお釈迦さまがよく説法された
天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)に形が似ている事に由来するそうです。
院号を『宝珠院』と証する事実から、御本尊は宝珠を持った仏さま、即ち
地蔵菩薩さまである事が分かります。
通常、お寺の山門には仁王さまがいらっしゃいますが、こちらのお寺では
その名前の通り、2羽の鶴が参拝者を出迎えてくれます。
お大師さまが修行中にこの地を訪れた際、杉の梢から光明が放たれており
見れば2羽の鶴が、金色に輝くお地蔵さまをお守りしていたとの事。
これを御覧になったお大師さまは、一刀三礼で地蔵菩薩像を彫り上げて、
金色のお地蔵さまを胎内に納めて、御本尊とされたそうです。
尚、本尊御降臨の杉の木は、本堂の裏に現存しているそうです。
***********
こちらのお寺には、お地蔵さまのお役目である『代受苦』を端的に示す、
一つの伝説が残されています。
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昔、一人の猟師が、


鶴林寺へと逃げ込み、本堂の前で姿を消しました。
猟師が周囲を捜しても、猪の姿はどこにもなく、代わりに見つけたのが、
胸に矢を受けて血を流す、御本尊のお地蔵さまでした。
自らの罪深さを深く懺悔したというその猟師のお墓は、『猟師塚』として
今も残っています。
-----------
見て分かる通り、お地蔵さまは『僧形』、即ちお坊さんのお姿です。
これは、我々により近い場所に降り立ち、衆生の苦しみを代りに受ける、
というお働きを表したものです。
野辺に多くおまつりされ、大勢の人々から信仰され、慕われているのも、
そのお役目を考えれば、納得出来ます。
猪の苦しみを除くと共に、猟師に信仰の目を開かせたお地蔵さまのお姿は
先に述べた通り僧形、つまり、厳しい戒律の下に身を置く立場です。
ですから、代りに苦しみを受けて頂く立場である我々も、自らの罪深さを
十分に自覚して、自身を戒める心構えが必要です。
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本堂の奥には、古い三重塔があります。
塔と言えば、その立派な外見に目を奪われがちですが、本当に重要なのは
建物によって守られている、中央の『芯柱』です。
これは『仏塔』であり、その高さが高いほど、仏さまのみ教え・御威光を
より遠くから感じる事が出来るものとされています。
その大きさから「どこにいても、仏さまが見守って下さっている」という
安心感を得る事が出来ます。
そんな三重塔を、ぜひ間近でじっくり鑑賞し、有り難い仏さまの御威光を
肌で感じて頂きたい、とおっしゃるこうゆうさん

***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
険しい山道を、ごんたとたけやんは、やっとの思いで上って来ました。
たけやん、お寺の名前になっている『鶴林』という言葉についての薀蓄を
ごんたに語って聞かせております。
-----------
お釈迦さまが入滅なさる時に身を横たえられた沙羅双樹は、供養する様に
お釈迦さまの上に花を舞い散らせ、木全体も真っ白な花を満開に咲かせて
その様は、あたかも白い鶴が羽を広げたかのようだった・・・
この様を指して、『鶴林』と言う。
-----------
「だから、鶴林寺の御本尊は、元々はお釈迦さまだったのでは?」
・・・というのが、たけやんの推測です。
現在の御本尊は、猟師の伊三太に信仰の目を開かせた『矢負地蔵』さま

御本尊自ら矢を受けられた理由は、傷を負った大猪を助けるためなのか、
伊三太が殺生禁断の掟を破った事を諌めるためか、それとも殺生自体か、
それまでの因縁を分からせるためか・・・。
一つ言えるのは、伊三太が仏道へ進むべき時が来ていた、という事です。
***********
さて、ここで杉本さんからの質問


「お寺の名前は、どのようにつけられるのですか?」
対する、こうゆうさんの回答





市町村の合併などで、土地の古い名前が次々に消えているという実情は、
本当に嘆かわしく、残念な事です

ですから、お寺の名前などから、その土地の歴史や伝承を勉強する事は、
これまで以上に大事なことになりそうです。
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番組の最後に、米裕さんが鶴林寺での思い出をお話し下さいました。
十年ほど前、米裕さんはこちらのお寺に宿泊された時の事。
夜、物音に気付き窓から外を見ると

いらしたそうです(現在は不可)。
宿に招き入れるのは修行の妨げになると考えた米裕さん、御自身の毛布を
お遍路さんにお貸ししたそうです。
これぞまさしく『菩薩行』!!
・・・結果、米裕さんは風邪をひかれたそうですが

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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今回のお参りは第十九番札所、橋池山・立江寺です。
山門前にある小さな太鼓橋が山号の由来かとも思われますが、詳しい事は
伝わっていません。
周囲には、生活感のある、小さな門前町が広がっています。
***********
さまざまな焼き色の瓦で、歴史を感じさせてくれる山門には、大わらじが
奉納されていますが、ここには特別な思い出があると言うこうゆうさん。
数年前、こうゆうさんは、ジャイアント馬場さんの奥様とこちらを訪れ、
亡くなった馬場さんの供養を兼ねてお参りをされたそうですが
、その時に
山門の大わらじを見た馬場さんの奥様が、号泣し始めたそうです
幼少期は、その体格ゆえに、色々と辛い思いをされた馬場さん。
特に昔は『大きい足』を嫌う傾向がありましたが、ある日、この立江寺へ
馬場さんの幸せと健康を祈るためお参りされたお母様が、大わらじを見て
「お前より大きい足の人がいて、良かったなあ・・・
」とおっしゃった、
とのこと。
大わらじを目にした奥様は、そんなエピソードを話してくれた亡き義母、
そして御主人を思い出し、懐かしさと寂しさがこみ上げて来たのでした
***********
静かな境内のそれぞれの建物は、立派な多宝塔を始めとして、古いながら
よく手入れが行き届いています。
お寺は、過ちを犯した者が懺悔のためにお参りするのみでなく、犯罪人が
追っ手から逃れるため
、僧侶の姿を借りて身を隠す、といったような事も
かつては行われたようです。
こちらのお寺は、そんな罪人を見つけ出すために、人相や出所を確認する
『四国総関所』の機能も果たしていた、こちらの立江寺。
そのせいか、山門をくぐると背筋が伸びる思いだった・・・
というのが、杉本さんの感想です
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
今回は、立江寺の『黒髪堂』にまつわるお話です。
寿命あるもの全てを救う、というお働きの地蔵菩薩さま。
魂が正しい方を向いていれば優しく微笑み
、間違っていれば、道を正して
下さいます
ここ立江寺の御本尊である地蔵大菩薩さまは、その昔、少々手荒い方法で
人を導いた事があるそうです。
大阪の芸子・お京
は、要助という男と夫婦となって、故郷の石州浜田へと
帰りますが
、やがて田舎の退屈な暮らしに飽きて、鍛冶屋長蔵という男と
深い仲になります
ある日、長蔵との仲を要助に知られたお京は、夫を殺めてしまいます
罪を逃れるため海を渡り
、お遍路として立江寺へやって来たお京と長蔵。
賽銭を失敬しようとした正にその時、次第に近づいて来る錫杖の音に驚き
身を隠そうとした所、打ち鳴らしの『鰐口』の緒にお京の黒髪が巻きつき
そのまま吊り上げられてしまいました。
苦痛にもがくお京と、狼狽する長蔵の元に来たのは、立江寺の住職。
お京の過去を見抜き、御本尊の「道が違う、改心させよ」というお言葉を
二人に伝えました。
お京が懺悔すると、黒髪は頭皮もろ共抜け、お京は地面へと落ちました。
以後二人は改心して庵を結び、要助の供養とお地蔵さまへの信仰の日々を
送ったそうです。
『肉付鐘の緒』は黒髪堂にまつられ、現在でも目にする事が出来ます。
***********
平日のお昼頃という事で、境内は非常に静かですが、仕事の合間の男性や
お婆さん、主婦など、地元の方のお参りを多く見かけます。
その地に根ざした、地蔵菩薩さまへの厚い信仰を窺い知る事が出来ます。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
山門前にある小さな太鼓橋が山号の由来かとも思われますが、詳しい事は
伝わっていません。
周囲には、生活感のある、小さな門前町が広がっています。
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さまざまな焼き色の瓦で、歴史を感じさせてくれる山門には、大わらじが
奉納されていますが、ここには特別な思い出があると言うこうゆうさん。
数年前、こうゆうさんは、ジャイアント馬場さんの奥様とこちらを訪れ、
亡くなった馬場さんの供養を兼ねてお参りをされたそうですが

山門の大わらじを見た馬場さんの奥様が、号泣し始めたそうです

幼少期は、その体格ゆえに、色々と辛い思いをされた馬場さん。
特に昔は『大きい足』を嫌う傾向がありましたが、ある日、この立江寺へ
馬場さんの幸せと健康を祈るためお参りされたお母様が、大わらじを見て
「お前より大きい足の人がいて、良かったなあ・・・

とのこと。
大わらじを目にした奥様は、そんなエピソードを話してくれた亡き義母、
そして御主人を思い出し、懐かしさと寂しさがこみ上げて来たのでした

***********
静かな境内のそれぞれの建物は、立派な多宝塔を始めとして、古いながら
よく手入れが行き届いています。
お寺は、過ちを犯した者が懺悔のためにお参りするのみでなく、犯罪人が
追っ手から逃れるため

かつては行われたようです。
こちらのお寺は、そんな罪人を見つけ出すために、人相や出所を確認する
『四国総関所』の機能も果たしていた、こちらの立江寺。
そのせいか、山門をくぐると背筋が伸びる思いだった・・・
というのが、杉本さんの感想です

***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
今回は、立江寺の『黒髪堂』にまつわるお話です。
寿命あるもの全てを救う、というお働きの地蔵菩薩さま。
魂が正しい方を向いていれば優しく微笑み

下さいます

ここ立江寺の御本尊である地蔵大菩薩さまは、その昔、少々手荒い方法で
人を導いた事があるそうです。
大阪の芸子・お京

帰りますが

深い仲になります

ある日、長蔵との仲を要助に知られたお京は、夫を殺めてしまいます

罪を逃れるため海を渡り

賽銭を失敬しようとした正にその時、次第に近づいて来る錫杖の音に驚き

身を隠そうとした所、打ち鳴らしの『鰐口』の緒にお京の黒髪が巻きつき
そのまま吊り上げられてしまいました。
苦痛にもがくお京と、狼狽する長蔵の元に来たのは、立江寺の住職。
お京の過去を見抜き、御本尊の「道が違う、改心させよ」というお言葉を
二人に伝えました。
お京が懺悔すると、黒髪は頭皮もろ共抜け、お京は地面へと落ちました。
以後二人は改心して庵を結び、要助の供養とお地蔵さまへの信仰の日々を
送ったそうです。
『肉付鐘の緒』は黒髪堂にまつられ、現在でも目にする事が出来ます。
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平日のお昼頃という事で、境内は非常に静かですが、仕事の合間の男性や
お婆さん、主婦など、地元の方のお参りを多く見かけます。
その地に根ざした、地蔵菩薩さまへの厚い信仰を窺い知る事が出来ます。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第十八番札所、母養山・恩山寺です。
行基菩薩が開かれたこちらのお寺、元は大日山・密厳寺と称し、かつては
女人禁制の修行場でした

お大師さまがこちらのお寺で修行されていた当時、母君の玉依御前さまが
会いにおいでになり、お大師さまは秘法を修して
この地の女人禁制を解き
女性に開放されたそうですが、その理由は分かっていません。
こうゆうさんの推測ですが
、おそらくお母さまは、自らが出家することを
希望されたものの、修行の苦労をよく御存知であるお大師さまは、
母親に出来る限り辛く苦しいい思いをさせたくない、という思いやりの心
から、
自身が修行しているこの地の結界を解いたのではないか?とのことです。
それに対して、玉依御前さまが高野山のふもとで余生を過ごされた晩年、
お大師さまは高野山の女人禁制を解く事はせず、逆に自らが山を下りられ
月に九度、お母さまに会いに行かれたそうです。
(この故事から『九度山』という地名が生まれた、との事。)
親の恩を感じ、その身を案ずる…
お大師さまの優しさと、孝行を学ぶ事の出来る札所、と言えるでしょう。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
たけやんから、恩山寺がかつて女人禁制だった、という事を聞き、何故か
興奮するごんた
どうやら、『にょにん』という単語に反応したようです。
でも、冷静に考えれば、女人禁制とは『男ばかり』という事。
「イヤやがな、そんなん!
」…そら、そうでしょう。
『女人禁制』という側面のみを捉え、「仏教は女性差別の宗教だ」などと
安っぽい説を唱える学者もいます。
しかし、修行の目的の一つは『欲を絶つ事』。
性欲を絶つためには
、異性に接する事の出来ない環境を作り出すのが最も
合理的であり、これは『智慧』とも言えます。
仏教は女性を差別し、救う対象に入れていない
…そんな訳はありません。
お釈迦さまにも、お大師さまにも、大勢の女性のお弟子さんがいますし、
信心の厚い女性の信者さんが、お陰を頂いたという逸話は、各地に数多く
残っています。
因みに、女性が修行する場は『男子禁制』なのです。
「それやがな!
」…ごんたが憧れていたのは、コチラの環境のようです。
***********
こちらのお寺には、『摺り袈裟』という手作りのお守りがあります。
これは、お袈裟に織り込まれている梵字と同じ言葉を版木に起こし、紙に
印刷したものです。
こちらの御本尊がお薬師さまですので、病気治癒のほか、亡くなった方に
添えて差し上げれば、極楽往生出来る、と言われているそうです。
四国八十八箇所ではこの恩山寺でしか入手出来ないものだそうですので、
記念にぜひお求め下さい
***********
赤い欄干の『母養橋』を目印に旧参道へとやって来ますと、仁王門の傍に
『びらんじゅ』という常緑の巨木があります。
この木は、女人禁制を解いてお母さまをお迎えした記念に、お大師さまが
お手植えされた
、と伝えられています。
仁王像はかなりの大きさで、造形も優れており、かなりの迫力です
車で来るとつい見過ごしがちですが、ゆっくり歩きながら
、周囲の風情を
じっくりと味わうことも大事です

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
行基菩薩が開かれたこちらのお寺、元は大日山・密厳寺と称し、かつては
女人禁制の修行場でした


お大師さまがこちらのお寺で修行されていた当時、母君の玉依御前さまが
会いにおいでになり、お大師さまは秘法を修して

女性に開放されたそうですが、その理由は分かっていません。
こうゆうさんの推測ですが


希望されたものの、修行の苦労をよく御存知であるお大師さまは、
母親に出来る限り辛く苦しいい思いをさせたくない、という思いやりの心

自身が修行しているこの地の結界を解いたのではないか?とのことです。
それに対して、玉依御前さまが高野山のふもとで余生を過ごされた晩年、
お大師さまは高野山の女人禁制を解く事はせず、逆に自らが山を下りられ
月に九度、お母さまに会いに行かれたそうです。
(この故事から『九度山』という地名が生まれた、との事。)
親の恩を感じ、その身を案ずる…
お大師さまの優しさと、孝行を学ぶ事の出来る札所、と言えるでしょう。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
たけやんから、恩山寺がかつて女人禁制だった、という事を聞き、何故か
興奮するごんた

どうやら、『にょにん』という単語に反応したようです。
でも、冷静に考えれば、女人禁制とは『男ばかり』という事。
「イヤやがな、そんなん!

『女人禁制』という側面のみを捉え、「仏教は女性差別の宗教だ」などと
安っぽい説を唱える学者もいます。
しかし、修行の目的の一つは『欲を絶つ事』。
性欲を絶つためには

合理的であり、これは『智慧』とも言えます。
仏教は女性を差別し、救う対象に入れていない

お釈迦さまにも、お大師さまにも、大勢の女性のお弟子さんがいますし、
信心の厚い女性の信者さんが、お陰を頂いたという逸話は、各地に数多く
残っています。
因みに、女性が修行する場は『男子禁制』なのです。
「それやがな!

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こちらのお寺には、『摺り袈裟』という手作りのお守りがあります。
これは、お袈裟に織り込まれている梵字と同じ言葉を版木に起こし、紙に
印刷したものです。
こちらの御本尊がお薬師さまですので、病気治癒のほか、亡くなった方に
添えて差し上げれば、極楽往生出来る、と言われているそうです。
四国八十八箇所ではこの恩山寺でしか入手出来ないものだそうですので、
記念にぜひお求め下さい

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赤い欄干の『母養橋』を目印に旧参道へとやって来ますと、仁王門の傍に
『びらんじゅ』という常緑の巨木があります。
この木は、女人禁制を解いてお母さまをお迎えした記念に、お大師さまが
お手植えされた

仁王像はかなりの大きさで、造形も優れており、かなりの迫力です

車で来るとつい見過ごしがちですが、ゆっくり歩きながら

じっくりと味わうことも大事です


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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第十七番札所、瑠璃山・井戸寺です。
元は『妙照寺』という寺号でしたが、お大師さまが一夜にして掘り当てた
井戸が有名となり、やがてそちらが、正式なお寺の名前となりました。
お大師さまに関わる伝説に度々登場する、『一夜』というキーワード。
一夜にして彫り上げた、作り上げた、描き上げた・・・。
それが意味するものは、願事を成就させるための、懸命な行い。
時空を超越し、一つの事に真剣に集中して打ち込む姿勢があって、初めて
願いがかなうのです。
***********
山号から分かる通り、御本尊は薬師瑠璃光如来さま。
七難を除けて福に変えて下さるという、七体のお薬師さまです。
朱塗りの古い山門には四国一とも言われる、5メートルはあろうかという
大草鞋が奉納されています。
仏足跡信仰、そして道中の健脚を願う気持ちを表したものでしょう
ここで、こうゆうさんからのアドバイス

お寺や家庭(仏壇)に仏さまをお迎えする際は、出来るだけ大きなお姿を
想定するのが良いそうです。
奈良の大仏も、仏の世界を表現しようとした当時の職人達が、人間の手で
どれだけ大きなお姿を作る事が出来るか、一目しただけの人々を、即座に
仏の世界へと導くにはどうすれば良いか・・・
悩んだ結果が、あのお姿として表現された、とも言われているそうです。
***********
さて、米裕さんの凸凹同行記。
今回、おなじみの二人連れは、ちょっとお休み

代わって登場するのが、かつて井戸寺の門前にあったという二軒のお店、
大きな造り酒屋・丸徳と、醤油屋・しわいや
それぞれのお店の番頭さん達が、店先で何やら話し込んでいます。
丁稚の亀吉が
熱を出して寝込んだと聞き、店の事はすべて番頭に任せて、
看病に専念したという丸徳の檀那さん
井戸寺の日限大師堂に一週間お参りし、汲んで帰った井戸の水を与えて、
治ったら亀吉と共にお礼参り
井戸の水面に映る自分達の姿を見て、無病息災を確認してから店に帰ると
店の他の者達にも、お陰があるからと、井戸の水を勧めました。
使用人が働いてくれるからこそ、自分が不自由なく生活出来る。
丸徳の檀那さんは、常に使用人達への感謝と尊敬の念を忘れません。
一方、しわいやの檀那さん
使用人へ出す食事のおかずと言えば、目刺しの尾かしら付き・・・でなく
尾と頭『のみ』。身の部分は、家族が食するそうです。
目刺しの尾と頭だけでは、あまりにも寂しいという使用人達の不満に対し
「醤油を飲めば、食がすすむやろ」との言葉。
それを真に受けた丁稚の定吉が早速実行し、熱を出して寝込んだところ
、
「こんな阿呆はいらん
」と里に帰らせる始末。
そんな檀那さんも、孫のキン坊と共に日限大師堂にお参りしたそうです。
ところが、例の井戸を覗き込んだところ、キン坊が飴玉を落としてしまい
波紋が治まらず、いつまでも姿が映ることはなかったそうです。
そのためかどうかは分かりませんが、朝から騒がしい、今日のしわいや。
聞けば、醤油樽が全て、カビにやられてしまったそうです
檀那さんの日頃の行いが祟ったのでしょうか・・・?
やがて・・・
賞味期限の改ざん。
国産大豆使用を謳っていながら、実は伴天連の遺伝子組み換え大豆。
内部告発でお上の手入れを受けたしわいやは、姿を消したそうです。
***********
非常に珍しい、七体のお薬師さまが御本尊である、こちらのお寺。
六道輪廻から解脱した、七つ目の世界・・・それは、仏の世界。
なので、仏教的には、『七』は吉祥の数字です。
末広がりの『八』の一つ前という事で、世俗的にも『七』は縁起が良い、
とされています。
偶然にも、西洋でも『ラッキー7』と言いますね。
***********
濁った水しか出なかった、この地。
お大師さまが錫杖を突いた場所を掘って行くと、澄んだ浄水が湧き出て、
そこに映ったお姿を石に刻まれたそうです。
この『面影の井戸』、特に眼病に効果があると伝わっています
因みに、その石像は『日限大師』として安置されています。
***********
お寺の御詠歌は・・・
『おもかげをうつして見れば井戸の水むすべば胸の垢やおちなむ』
願いを立てる。
期限を定めて、日限大師にお参りする。
そして成満・・・それが『胸の垢が落ちる』という事です。
胸の垢が落ちる=清浄な目や耳が顕わになる。
自身が濁っていると、身の周りにある『お陰』に気付きません。
清らかな身になると、いつも日常的に存在している『お陰』に気付いて、
それを自分のものにする事・・・それが即ち『福』です。
因みに、こちらのお寺の院号は『真福院』。
『真』にそこにある『福』を得るためには、まずは自身が清浄でなくては
なりません
***********
尚、面影の井戸の水は、料金が百円必要ですが、持ち帰る事が出来ます。
お土産に、ぜひどうぞ
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
元は『妙照寺』という寺号でしたが、お大師さまが一夜にして掘り当てた
井戸が有名となり、やがてそちらが、正式なお寺の名前となりました。
お大師さまに関わる伝説に度々登場する、『一夜』というキーワード。
一夜にして彫り上げた、作り上げた、描き上げた・・・。
それが意味するものは、願事を成就させるための、懸命な行い。
時空を超越し、一つの事に真剣に集中して打ち込む姿勢があって、初めて
願いがかなうのです。
***********
山号から分かる通り、御本尊は薬師瑠璃光如来さま。
七難を除けて福に変えて下さるという、七体のお薬師さまです。
朱塗りの古い山門には四国一とも言われる、5メートルはあろうかという
大草鞋が奉納されています。
仏足跡信仰、そして道中の健脚を願う気持ちを表したものでしょう

ここで、こうゆうさんからのアドバイス


お寺や家庭(仏壇)に仏さまをお迎えする際は、出来るだけ大きなお姿を
想定するのが良いそうです。
奈良の大仏も、仏の世界を表現しようとした当時の職人達が、人間の手で
どれだけ大きなお姿を作る事が出来るか、一目しただけの人々を、即座に
仏の世界へと導くにはどうすれば良いか・・・
悩んだ結果が、あのお姿として表現された、とも言われているそうです。
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さて、米裕さんの凸凹同行記。
今回、おなじみの二人連れは、ちょっとお休み


代わって登場するのが、かつて井戸寺の門前にあったという二軒のお店、
大きな造り酒屋・丸徳と、醤油屋・しわいや

それぞれのお店の番頭さん達が、店先で何やら話し込んでいます。
丁稚の亀吉が

看病に専念したという丸徳の檀那さん

井戸寺の日限大師堂に一週間お参りし、汲んで帰った井戸の水を与えて、
治ったら亀吉と共にお礼参り

井戸の水面に映る自分達の姿を見て、無病息災を確認してから店に帰ると
店の他の者達にも、お陰があるからと、井戸の水を勧めました。
使用人が働いてくれるからこそ、自分が不自由なく生活出来る。
丸徳の檀那さんは、常に使用人達への感謝と尊敬の念を忘れません。
一方、しわいやの檀那さん

使用人へ出す食事のおかずと言えば、目刺しの尾かしら付き・・・でなく
尾と頭『のみ』。身の部分は、家族が食するそうです。
目刺しの尾と頭だけでは、あまりにも寂しいという使用人達の不満に対し
「醤油を飲めば、食がすすむやろ」との言葉。
それを真に受けた丁稚の定吉が早速実行し、熱を出して寝込んだところ

「こんな阿呆はいらん

そんな檀那さんも、孫のキン坊と共に日限大師堂にお参りしたそうです。
ところが、例の井戸を覗き込んだところ、キン坊が飴玉を落としてしまい

波紋が治まらず、いつまでも姿が映ることはなかったそうです。
そのためかどうかは分かりませんが、朝から騒がしい、今日のしわいや。
聞けば、醤油樽が全て、カビにやられてしまったそうです

檀那さんの日頃の行いが祟ったのでしょうか・・・?
やがて・・・
賞味期限の改ざん。
国産大豆使用を謳っていながら、実は伴天連の遺伝子組み換え大豆。
内部告発でお上の手入れを受けたしわいやは、姿を消したそうです。
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非常に珍しい、七体のお薬師さまが御本尊である、こちらのお寺。
六道輪廻から解脱した、七つ目の世界・・・それは、仏の世界。
なので、仏教的には、『七』は吉祥の数字です。
末広がりの『八』の一つ前という事で、世俗的にも『七』は縁起が良い、
とされています。
偶然にも、西洋でも『ラッキー7』と言いますね。
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濁った水しか出なかった、この地。
お大師さまが錫杖を突いた場所を掘って行くと、澄んだ浄水が湧き出て、
そこに映ったお姿を石に刻まれたそうです。
この『面影の井戸』、特に眼病に効果があると伝わっています

因みに、その石像は『日限大師』として安置されています。
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お寺の御詠歌は・・・
『おもかげをうつして見れば井戸の水むすべば胸の垢やおちなむ』
願いを立てる。
期限を定めて、日限大師にお参りする。
そして成満・・・それが『胸の垢が落ちる』という事です。
胸の垢が落ちる=清浄な目や耳が顕わになる。
自身が濁っていると、身の周りにある『お陰』に気付きません。
清らかな身になると、いつも日常的に存在している『お陰』に気付いて、
それを自分のものにする事・・・それが即ち『福』です。
因みに、こちらのお寺の院号は『真福院』。
『真』にそこにある『福』を得るためには、まずは自身が清浄でなくては
なりません

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尚、面影の井戸の水は、料金が百円必要ですが、持ち帰る事が出来ます。
お土産に、ぜひどうぞ

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第十六番札所、光耀山・観音寺です。
『千手院』という院号から分かる通り、御本尊は千手観音さまです。
街中に位置するこちらのお寺、周囲には民家も多く、目の前を生活道路が
通っており、
車の往来が激しいので、参拝の際は十分な注意が必要です
立派な山門も、風情を味わいながら眺める事は、そのような事情のため、
今回は残念ながら出来ませんでした。
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前回の国分寺が、朝廷により『国家統治』の目的で建立されたのに対し、
この観音寺は、古くから庶民の信仰によって栄えたお寺です。
それを裏付けるものの一つに、境内の『お百度石』があります。
40cm角で、高さが1.6mほどの石柱ですが、天辺には窪みがあって、ここに
お参りの回数を数える石を入れるそうです。
もう一つは、夜泣き封じのお地蔵さま。
苔むした石室の中におられるお地蔵さまは、参拝者にお顔をなでられて、
今では表面が磨り減り、卵のように
ツルツルになっています
こうゆうさんは、今回のお参りに際して、三男・蓮太郎君
の夜泣き封じを
御家族からお願いされたそうです。
更に、このお寺に明治時代から伝わっている逸話。
姑さんを縛り付け、火のついた薪を使って折檻していたというお嫁さんが
お遍路でこちらにお参りをしたところ、大火傷を負ったとのこと
「これは、お大師さまの戒めに違いない。」
そう受け取って、そのお嫁さんは改心されたそうです。
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さて皆さんお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
観音寺境内にある『庚申(こうしん)堂』の前に立ったごんた、彫り物の
『みざる
・いわざる
・きかざる
』を見て、幼い頃にオカンから受けた躾を
思い出しています。
三体の猿の上におられるのは、猿の親玉ではなくて、『青面金剛』という
神様です。
中国の道教では、人間の頭と腹と足には『三尸(さんし)の虫』が棲み、
常にその人の悪事を観察している、という教えがあるそうです
その虫は、庚申(かのえさる)の日の夜、人間の寝ている間に天に登り、
天帝に告げ口して、その人を早死にさせようとするとのこと。
そこで、三尸の虫が天に登らないように、寝ないで夜通し酒盛りを行う
『庚申講』という行事が生まれました。
この行事はやがて日本にも伝わり、各地で行われるようになりましたが、
天帝に仕える神様と、仏教の帝釈天のお手伝いをされる神様が、どちらも
青面金剛であった事から、庚申堂にこの神様のお姿が刻まれたのです。
悪事をはたらくから、バチが当たって早死にする・・・。
ならば、悪い事をしないように、自らを戒めれば良いのです。
現在、日本で行われている庚申講は、自らのこれまでの行いを反省して、
以後は正しい行いをする、という誓いの場に姿を変えています。
この国の風俗・風習に合う方向に発展した、とも言えるでしょう
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こちらのお寺には、お大師さま御筆と言われる、光明真言の梵字を刻んだ
印版が現存しており、納経所でお願いすれば、専門の担当スタッフの方が
白衣の襟の下に刷り込んで下さいます。
道中のお守りともなる、このお印。
有料ですが、八十八箇所唯一の貴重なものです。
お参りの際には、ぜひどうぞ。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
『千手院』という院号から分かる通り、御本尊は千手観音さまです。
街中に位置するこちらのお寺、周囲には民家も多く、目の前を生活道路が
通っており、


立派な山門も、風情を味わいながら眺める事は、そのような事情のため、
今回は残念ながら出来ませんでした。
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前回の国分寺が、朝廷により『国家統治』の目的で建立されたのに対し、
この観音寺は、古くから庶民の信仰によって栄えたお寺です。
それを裏付けるものの一つに、境内の『お百度石』があります。
40cm角で、高さが1.6mほどの石柱ですが、天辺には窪みがあって、ここに
お参りの回数を数える石を入れるそうです。
もう一つは、夜泣き封じのお地蔵さま。
苔むした石室の中におられるお地蔵さまは、参拝者にお顔をなでられて、
今では表面が磨り減り、卵のように


こうゆうさんは、今回のお参りに際して、三男・蓮太郎君

御家族からお願いされたそうです。
更に、このお寺に明治時代から伝わっている逸話。
姑さんを縛り付け、火のついた薪を使って折檻していたというお嫁さんが
お遍路でこちらにお参りをしたところ、大火傷を負ったとのこと

「これは、お大師さまの戒めに違いない。」
そう受け取って、そのお嫁さんは改心されたそうです。
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さて皆さんお待ちかね、米裕さんの凸凹同行記。
観音寺境内にある『庚申(こうしん)堂』の前に立ったごんた、彫り物の
『みざる



思い出しています。
三体の猿の上におられるのは、猿の親玉ではなくて、『青面金剛』という
神様です。
中国の道教では、人間の頭と腹と足には『三尸(さんし)の虫』が棲み、
常にその人の悪事を観察している、という教えがあるそうです

その虫は、庚申(かのえさる)の日の夜、人間の寝ている間に天に登り、
天帝に告げ口して、その人を早死にさせようとするとのこと。
そこで、三尸の虫が天に登らないように、寝ないで夜通し酒盛りを行う

『庚申講』という行事が生まれました。
この行事はやがて日本にも伝わり、各地で行われるようになりましたが、
天帝に仕える神様と、仏教の帝釈天のお手伝いをされる神様が、どちらも
青面金剛であった事から、庚申堂にこの神様のお姿が刻まれたのです。
悪事をはたらくから、バチが当たって早死にする・・・。
ならば、悪い事をしないように、自らを戒めれば良いのです。
現在、日本で行われている庚申講は、自らのこれまでの行いを反省して、
以後は正しい行いをする、という誓いの場に姿を変えています。
この国の風俗・風習に合う方向に発展した、とも言えるでしょう

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こちらのお寺には、お大師さま御筆と言われる、光明真言の梵字を刻んだ
印版が現存しており、納経所でお願いすれば、専門の担当スタッフの方が
白衣の襟の下に刷り込んで下さいます。
道中のお守りともなる、このお印。
有料ですが、八十八箇所唯一の貴重なものです。
お参りの際には、ぜひどうぞ。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
