今回のお参りは第二十五番札所、宝珠山・津照寺です。
山の形が『宝珠』に似ている事からこの山号となった、こちらのお寺。
お大師さまが彫られた地蔵菩薩さまが御本尊です。
津照寺の『津』とは、拠所、または港を意味しますが、その名前の通り、
門前は漁師町

そんな土地柄もあり、大漁と海運の安全を司るとされる、こちらのお寺。
交通安全と言えば、現代では陸上ので往来
を思い浮かべますが、かつては
海上での無事
を祈願する事が主流でした。
こちらの御本尊は、
遭難しそうな船に僧形をもって現れ、進むべき航路を
あれこれ指示した後に姿を消された、という伝説から『楫取地蔵』として
信仰を集めています。
***********
さて、海上交通の安全に御利益があるお寺ですので、海を行く船から見て
目印
にならねばなりません。
朱塗りのシンプルな山門から覗くと、遥か上方へ急な石段が続いており、
彼方に見える鐘楼門から、更に上らなければならないようです。
様々な形の自然石で出来た石段は、雨の日
には特に注意が必要です
前方を見上げる様に息を切らせて上り、ふと振り返ってみると、眼下には
疲れを忘れさせてくれる絶景
が広がっています。
やっとの思いで辿り着いた本堂は、周囲を鉄筋コンクリートで覆われた、
完全密閉型の建物で、お灯明や線香を立てるのも屋内です。
海沿いの、風が強い場所ですので、この様な造りになったのでしょう。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
今回、ごんたとたけやんはお休み。
代わって登場は・・・津照寺のお地蔵さまと毘沙門天さま。
土佐藩主・山内一豊公の船
の進む先を、あれこれと細かく指示を出して、
遭難から救ったお坊さんがいらしたという話ですが、そのお坊さんこそ、
津照寺の御本尊であるお地蔵さま・・・
そんなワケで、毘沙門さまがお地蔵さまを冷やかしておりますと、何やら
毘沙門さまに踏みつけられた天邪鬼が、咳き込んでおります

どうやら、お堂の周りが火事
のようです。
これは一大事!!
お地蔵さまが、あわてて近所の人々を呼びに行きますが、毘沙門さまは、
素早い動きで、皆が到着する前に火を消し止めていました。
安心して、ヤレヤレと話し込んでいたところ・・・
近所の人が、その会話を全て聞いている事に気づいたお二方
「誰にも言わんといて・・・
」と、皆に懇願したお二方でしたが・・・
そんな、お地蔵さまと毘沙門さまの御活躍の様子は『今昔物語』巻十七の
第六話に収められているそうです。
***********
お参りを修めたところで、杉本さんからの質問

お寺が、お灯明を点けたり消したりするタイミングは何時ですか?
対する、こうゆうさんの回答

お灯明は『法灯』とも言い、智恵、即ち『物事を正しく見る』事の象徴で
御本尊へのお供えであると同時に、参拝者自身の心にも明かりを灯して、
全ての事を素直に見つめる、ということを表わしているますので、本来は
点けたり消したりするのではなく、『常に灯しておく』ものです。
また、お香についても、時間の経過を計る
役目の他に、お経を唱えるのと
同じ功徳があると言われる事から、『常香』が本来の姿です。
・・・ただ、近頃は安全上の問題から、難しくなっているようです。
***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ

ベンチで休憩する、北海道からの歩き遍路の女性。
3kmを1時間ほどのペースで歩けるようになったそうですが、足の状
態で
3ヶ寺お参り出来る時もあれば、2ヶ寺の場合もあるそうです。
一番札所から順に、2ヶ月の目途で歩いているそうですが、
北海道と比べ
高知はやはり暖かく、目にする花の色も濃く感じるとか
中々、他のお遍路さんの様に速くは歩けないそうですが、自身のペースで
着実に進まれているようです
***********
旅の楽しみの一つが、地元特産品のお買い物
米裕さん、土産物屋さんで、焼き芋が売られているのを見つけました

鳴門金時でも、室戸金時でもない、大きな焼き芋のようですが・・・
米裕さん、美味しかったですか?(笑)
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
山の形が『宝珠』に似ている事からこの山号となった、こちらのお寺。
お大師さまが彫られた地蔵菩薩さまが御本尊です。
津照寺の『津』とは、拠所、または港を意味しますが、その名前の通り、
門前は漁師町


そんな土地柄もあり、大漁と海運の安全を司るとされる、こちらのお寺。
交通安全と言えば、現代では陸上ので往来

海上での無事

こちらの御本尊は、

あれこれ指示した後に姿を消された、という伝説から『楫取地蔵』として
信仰を集めています。
***********
さて、海上交通の安全に御利益があるお寺ですので、海を行く船から見て
目印

朱塗りのシンプルな山門から覗くと、遥か上方へ急な石段が続いており、
彼方に見える鐘楼門から、更に上らなければならないようです。
様々な形の自然石で出来た石段は、雨の日


前方を見上げる様に息を切らせて上り、ふと振り返ってみると、眼下には
疲れを忘れさせてくれる絶景

やっとの思いで辿り着いた本堂は、周囲を鉄筋コンクリートで覆われた、
完全密閉型の建物で、お灯明や線香を立てるのも屋内です。
海沿いの、風が強い場所ですので、この様な造りになったのでしょう。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
今回、ごんたとたけやんはお休み。
代わって登場は・・・津照寺のお地蔵さまと毘沙門天さま。
土佐藩主・山内一豊公の船

遭難から救ったお坊さんがいらしたという話ですが、そのお坊さんこそ、
津照寺の御本尊であるお地蔵さま・・・
そんなワケで、毘沙門さまがお地蔵さまを冷やかしておりますと、何やら
毘沙門さまに踏みつけられた天邪鬼が、咳き込んでおります


どうやら、お堂の周りが火事

これは一大事!!
お地蔵さまが、あわてて近所の人々を呼びに行きますが、毘沙門さまは、
素早い動きで、皆が到着する前に火を消し止めていました。
安心して、ヤレヤレと話し込んでいたところ・・・
近所の人が、その会話を全て聞いている事に気づいたお二方

「誰にも言わんといて・・・

そんな、お地蔵さまと毘沙門さまの御活躍の様子は『今昔物語』巻十七の
第六話に収められているそうです。
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お参りを修めたところで、杉本さんからの質問



対する、こうゆうさんの回答


お灯明は『法灯』とも言い、智恵、即ち『物事を正しく見る』事の象徴で
御本尊へのお供えであると同時に、参拝者自身の心にも明かりを灯して、
全ての事を素直に見つめる、ということを表わしているますので、本来は
点けたり消したりするのではなく、『常に灯しておく』ものです。
また、お香についても、時間の経過を計る

同じ功徳があると言われる事から、『常香』が本来の姿です。
・・・ただ、近頃は安全上の問題から、難しくなっているようです。
***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ


ベンチで休憩する、北海道からの歩き遍路の女性。
3kmを1時間ほどのペースで歩けるようになったそうですが、足の状
態で
3ヶ寺お参り出来る時もあれば、2ヶ寺の場合もあるそうです。
一番札所から順に、2ヶ月の目途で歩いているそうですが、

高知はやはり暖かく、目にする花の色も濃く感じるとか

中々、他のお遍路さんの様に速くは歩けないそうですが、自身のペースで
着実に進まれているようです

***********
旅の楽しみの一つが、地元特産品のお買い物

米裕さん、土産物屋さんで、焼き芋が売られているのを見つけました


鳴門金時でも、室戸金時でもない、大きな焼き芋のようですが・・・

米裕さん、美味しかったですか?(笑)
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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これまで歩いてきた阿波の国は『発心の道場』。
仏心に目覚めたものの、まだお遍路の意味も、作法も分からぬ状態。
ですから、初歩をしっかり学び、身につける、という段階でした
これから向かう土佐の国は『修行の道場』。
阿波一国を巡り終え、お遍路の何たるかを理解した立場として、いよいよ
実践に移る段階です。
厳しい自然の中、難所続きの道のりとなります。
継続する事の難しさを心の底から感じつつ歩む道中は、正に修行です。
尚、その先の伊予の国は『菩提の道場』、讃岐の国は『涅槃の道場』。
この4つの呼び名は、修行の段階を表しているそうです。
仏心に目覚めたものの、まだお遍路の意味も、作法も分からぬ状態。
ですから、初歩をしっかり学び、身につける、という段階でした

これから向かう土佐の国は『修行の道場』。
阿波一国を巡り終え、お遍路の何たるかを理解した立場として、いよいよ
実践に移る段階です。
厳しい自然の中、難所続きの道のりとなります。
継続する事の難しさを心の底から感じつつ歩む道中は、正に修行です。
尚、その先の伊予の国は『菩提の道場』、讃岐の国は『涅槃の道場』。
この4つの呼び名は、修行の段階を表しているそうです。
今回のお参りは第二十四番札所、室戸山・最御崎寺です。
今でこそ海岸沿いの平坦な道を通って参拝する事が出来ますが、かつては
険しい山道しかなく、かなりの難所だったようです。
目の前に広がる、雄大で迫力のある太平洋から吹きつけて来る風は強く、

遮るものがないため、日差しも強く感じます

この地で、お大師さまは御自身を、初めて『空海』と名乗ったそうです。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
遠い道程をボヤくごんたですが、高知と言えば『かつおのタタキ』

美味しい名産品を思い描いて、急に元気になります

そのくせ、大事な事は全く頭に入らないごんたを見かねて、たけやんは、
虚空蔵菩薩さまの御真言を百万回唱える修行を紹介。
この行を修めると、記憶力が増し、書物等を一度目にしたならば

意味が理解出来て、決して忘れる事がないそうです

「そんなん、無理や」・・・『百万回』という気の遠くなる数字を聞いて
ごんたは実行を諦めてしまいます

「ならばこれから45回、般若心経を唱えてみよ」・・・と、たけやん。
ごんた、コレも無理と思っているようですが・・・。
これまでお参りした札所が23箇寺。
それぞれのお寺でお勤めする場所は、本堂と大師堂の2箇所ずつ。
と、言う事は、既に46回、般若心経を唱えている計算になります

「数に惑わされて、いきなり最初から『無理

目の前の事をキチンと修めて行けば、知らぬ内に完成している・・・。」
コレが即ち『修行』。
***********
続いては杉本さんの、てくてくインタビュー・ひとへんろ。


足取りの重い男性を発見

3年前「今しかチャンスはない」と発心、まずは番外霊場から巡り始め、
現在は番外と八十八箇所を同時に廻っているそうです。
歩き始めた当初は「何故、来てしまったのだろう?

今はゴールに向かって一歩ずつ、着実に進んでおられるようです

***********
お参りを修めた一行は、巨岩だらけの岬

吹く風は、菅笠が飛んで行きそうなくらいに強烈です。
眼前には、何にも遮られることなく広がる、空と海

お大師さまは、この地の御厨人窟(みくろど)で、虚空蔵求聞持法という
荒行を修められました。
日本国内でも屈指の雄大さを味わう事の出来る、こちらの札所。
海岸沿いの道が存在しなかった頃は、ゴロゴロと転がる大きな岩の間を、
ロッククライミングの如く越えて行く

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
発心の道場・阿波の国も、今回がいよいよ最後・・・
第二十三番札所、医王山・薬王寺です。
厄除けの祈願所として全国的に有名なこちらのお寺ですが、『厄年』には
色々な解釈があります。
第1説
男性の42歳、女性の33歳といえば『脂の乗り切った』年齢。
つい頑張り過ぎて
、肉体にも精神にも、負担がかかる事が多くなります。
疲れを溜めぬよう、今少しブレーキをかけよ・・・
という考えで、先人の知恵から設定された、という説。
第2説
『厄』=『役』。
役員・役職といったものは、働き盛りの者に当たります
。
大事な時期、丁寧に慎み深く行動すべし・・・
そんな戒め、という説。
第3説
『厄』の字は、脱皮したばかりの蛇
の姿を表す、と言われています。
脱皮を繰り返して蛇は成長しますが、脱皮したばかりの皮膚は柔らかく、
鳥など、敵からの攻撃にはあまりにも無力です。
伸び盛り、周囲に注意せよ・・・
そんな忠告、という説。
十干と十二支の組み合わせは、全部で60通り。
これが一回りして、生年と同じ組み合わせにもどるのが『還暦』
です。
この還暦も『厄』でありながら、お祝い
の対象となります。
それは、前の三説を見れば分かる通り、我々が考える『不吉』な意味は、
本来含まれていないからです。
暦が一巡して、生まれた年に戻った。
ここからは、『赤子』のような気持ちで、また一から頑張る・・・
そんな意味から、『赤』のちゃんちゃんこが贈られるのだそうです。
厄年を憂う必要はありません。
むしろ、自分が今後、いかに生きてゆくべきかを考える、良い契機です。
***********
33段の女坂、42段の男坂、そして還暦の厄坂がある薬王寺。
これらを乗り越える事で、厄落としを体感できる仕組みです。
石段を上り、眼下の海を見渡すと、自らを大海に漕ぎ出す船に重ね合わせ
「さあ、本当の修行が始まるぞ」
という気持ちが湧き上がって来るという
こうゆうさん。
苦難を乗り越えてお参りを修め、振り返ると広がる絶景
。
「視野を広げ、懐の深い人生を送れ」と語りかけて来るように感じます。
***********
かつて、石段一段一段の両端に、書写した経文を置き、厄を落とすという
風習がありましたが、現在は経文に代わり一円玉がお供えされています。
これは、自分がこれまで積み重ねて来た徳分を置いてゆく善行によって、
厄を落とす、という事を意味しています。
ですから、良い行いをした者でなければ、厄を落とす事は出来ません。
***********
1188年、大火
に遭ったこちらのお寺。
その際、御本尊のお薬師さまは、山へと避難された、と言われています。
焼失した建物の再建も終わって、新しい御本尊さまをお迎えしたところ、
避難したと言われた古い御本尊が、ひょっこり帰っていらしたそうです。
現在も、新しい御本尊と背中合わせでお立ちになっている、古い御本尊は
『後ろ向き薬師』さまと呼ばれています。
本堂裏に湧く
、ラジウムを含む霊水は『肺大師』と呼ばれ、その名の通り
肺病に効果があるとされています
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
絶景に感動して話しかけてくるたけやんの言葉にも、上の空のごんた。
見れば、石段にしゃがみ込んで、一円玉を拾うのに夢中です
お供えだから元に戻すようにと、ごんたを嗜めるたけやん
お供えがあるから、掃除も行き届き、お香や御本尊への供物も得られる。
お供えとは、皆が幸せになるための、お手伝いの方法。
そんな善行を積むからこそ、厄を落とす事が出来るのです。
ごんたの様に、自分の懐に全て収めてしまうと、落とされた厄を、一人で
全て背負う事になってしまいます
損得を離れ、皆が喜ぶ事を一心に考えて修行を積めば
、その人本来の姿が
明らかになる・・・と言うたけやん。
さて、ごんたの本来の姿は、いつ見る事が出来るのか?
「今、見せたろか?
」
・・・そう言うと、またもや石段にしゃがみ込むごんたでした
(笑)
***********
上る時には大変だった石段も、お参りを修めて、下って来ると、そこには
なんとも言えない爽快感が広がります。
どんな苦難でも、乗り越えて、それを克服した暁には、よい思い出として
心に残るものです
古の人々は、そんな事を身近に体感出来るようにと、程よい高さの場所に
お寺を建立し、お参り出来るように考えて配置したのかもしれません。
***********
本堂に向かって右へ、還暦の石段を上ると、そこには全国的にも珍しい、
朱色の『瑜祇塔』がそびえています。
ある意味、多宝塔よりも珍しい、特徴的な姿の瑜祇塔。
薬王寺へお参りする際は、忘れずに訪れたいものです
さあ、阿波の国の札所は、これで全て修めました。
次回からは、修行の道場・土佐の国です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
第二十三番札所、医王山・薬王寺です。
厄除けの祈願所として全国的に有名なこちらのお寺ですが、『厄年』には
色々な解釈があります。


男性の42歳、女性の33歳といえば『脂の乗り切った』年齢。
つい頑張り過ぎて

疲れを溜めぬよう、今少しブレーキをかけよ・・・

という考えで、先人の知恵から設定された、という説。


『厄』=『役』。
役員・役職といったものは、働き盛りの者に当たります

大事な時期、丁寧に慎み深く行動すべし・・・
そんな戒め、という説。


『厄』の字は、脱皮したばかりの蛇

脱皮を繰り返して蛇は成長しますが、脱皮したばかりの皮膚は柔らかく、
鳥など、敵からの攻撃にはあまりにも無力です。
伸び盛り、周囲に注意せよ・・・
そんな忠告、という説。
十干と十二支の組み合わせは、全部で60通り。
これが一回りして、生年と同じ組み合わせにもどるのが『還暦』


この還暦も『厄』でありながら、お祝い

それは、前の三説を見れば分かる通り、我々が考える『不吉』な意味は、
本来含まれていないからです。
暦が一巡して、生まれた年に戻った。
ここからは、『赤子』のような気持ちで、また一から頑張る・・・
そんな意味から、『赤』のちゃんちゃんこが贈られるのだそうです。
厄年を憂う必要はありません。
むしろ、自分が今後、いかに生きてゆくべきかを考える、良い契機です。
***********
33段の女坂、42段の男坂、そして還暦の厄坂がある薬王寺。
これらを乗り越える事で、厄落としを体感できる仕組みです。
石段を上り、眼下の海を見渡すと、自らを大海に漕ぎ出す船に重ね合わせ

「さあ、本当の修行が始まるぞ」

こうゆうさん。
苦難を乗り越えてお参りを修め、振り返ると広がる絶景

「視野を広げ、懐の深い人生を送れ」と語りかけて来るように感じます。
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かつて、石段一段一段の両端に、書写した経文を置き、厄を落とすという
風習がありましたが、現在は経文に代わり一円玉がお供えされています。
これは、自分がこれまで積み重ねて来た徳分を置いてゆく善行によって、
厄を落とす、という事を意味しています。
ですから、良い行いをした者でなければ、厄を落とす事は出来ません。
***********
1188年、大火

その際、御本尊のお薬師さまは、山へと避難された、と言われています。
焼失した建物の再建も終わって、新しい御本尊さまをお迎えしたところ、
避難したと言われた古い御本尊が、ひょっこり帰っていらしたそうです。
現在も、新しい御本尊と背中合わせでお立ちになっている、古い御本尊は
『後ろ向き薬師』さまと呼ばれています。
本堂裏に湧く

肺病に効果があるとされています

***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
絶景に感動して話しかけてくるたけやんの言葉にも、上の空のごんた。
見れば、石段にしゃがみ込んで、一円玉を拾うのに夢中です

お供えだから元に戻すようにと、ごんたを嗜めるたけやん

お供えがあるから、掃除も行き届き、お香や御本尊への供物も得られる。
お供えとは、皆が幸せになるための、お手伝いの方法。
そんな善行を積むからこそ、厄を落とす事が出来るのです。
ごんたの様に、自分の懐に全て収めてしまうと、落とされた厄を、一人で
全て背負う事になってしまいます

損得を離れ、皆が喜ぶ事を一心に考えて修行を積めば

明らかになる・・・と言うたけやん。
さて、ごんたの本来の姿は、いつ見る事が出来るのか?
「今、見せたろか?

・・・そう言うと、またもや石段にしゃがみ込むごんたでした

***********
上る時には大変だった石段も、お参りを修めて、下って来ると、そこには
なんとも言えない爽快感が広がります。
どんな苦難でも、乗り越えて、それを克服した暁には、よい思い出として
心に残るものです

古の人々は、そんな事を身近に体感出来るようにと、程よい高さの場所に
お寺を建立し、お参り出来るように考えて配置したのかもしれません。
***********
本堂に向かって右へ、還暦の石段を上ると、そこには全国的にも珍しい、
朱色の『瑜祇塔』がそびえています。
ある意味、多宝塔よりも珍しい、特徴的な姿の瑜祇塔。
薬王寺へお参りする際は、忘れずに訪れたいものです

さあ、阿波の国の札所は、これで全て修めました。
次回からは、修行の道場・土佐の国です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第二十二番札所、白水山・平等寺です。
仏教で大事にされている『五色』・・・白・黄・赤・青・黒という五色が
最も似合う山門、というのが、こうゆうさんの印象。
お大師さまがこの地で修行なさっていた当時、空にたなびく五色の雲に
、
金色の梵字
が浮かび上がり、それが薬師如来のお姿に変じたそうです。
***********
寺号に含まれている『平等』という言葉。
我々は『全てが同列・同質』という意味に捉えがちです。
しかし仏教的には、それぞれ個性の異なるものが、互いを重んじながら、
高め合う、という事だそうです。
お寺に掲げられた『五色』の幕が、その象徴。
本堂の向こうに広がる風景を見ると、自然に生育した様々な種類の木が
、
全体としては見事に統一され、素晴らしい眺めとなっています。
***********
山門から階段を50メートルほど上った所に、『弘法の霊水』と呼ばれる
井戸があります。
修行に際し、お大師さまが清らかな水
を求められて錫杖で地面を掘ると、
乳白色の水が湧き出た、との事。
『白水山』という山号は、この故事によるものと思われます。
(別の説もあるようですが・・・詳しくは『凸凹同行記』にて。)
功徳があり、体に良いお水を頂いたお大師さまは、百日の行を修められ、
御本尊の薬師如来像を彫り上げたそうです。
***********
さてここで、こうゆうさんの一口メモ


井戸の定義とは?
1.きれいな水が湧き出ている事。
2.たくさん湧き出ている事。
3.常に湧き出ている事。
蛇口をひねれば、きれいな水を好きなだけ使える生活
に慣れている身では
あまり意識しませんが、人々が『利用』し、役割を果たすに足りる井戸は
これらの条件を満たしていなければなりません。
してみれば、井戸の貴重さが理解出来るかと思います。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
平等寺の門前で鳴門金時を頬張りながら、
薩摩芋についての細かい知識を
重箱の隅をつつくが如く披露するごんたに、少々呆れ顔のたけやん
お返しに(?)山号の『白水山』という呼び名の由来を聞かせます。
お大師さまが掘り当てた井戸の水が、白く濁っていた、という話ですが、
三百年ほど前の記録では、清らかに澄んだ泉が湧き出ていた
、との事。
この『泉』という文字を分解して山号の『白水』とした・・・という説。
使う人の心が清らであれば
、澄んだ水が湧き出て、汚れた人が使うなら、
白く濁った水が・・・
「お大師さまの掘り当てた白い水の話は、汚れた人のデッチ上げか?」
ヒネクレて、偏った考えのごんたに、ウンザリのたけやん。
その事を指摘されたごんた、スネて、一人でお寺へと向かいます
・・・が、閣魔堂の十王に睨まれて、泣きながら帰ってきてしまいます
実は、先ほどの鳴門金時
の料金を、一本分ごまかしていたごんた
そのような悪事を働いたなら、閻魔さまに見抜かれて餓鬼道に落とされ、
始終腹を空かせていなければならない
と聞き、お店へ戻って行きますが、
キチンとお代を払うのかと思いきや・・・
「餓鬼道へ落ちた時のため、今の内に鳴門金時を食いだめしておく
」
・・・という事だそうです。
***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ

干し柿や鮎など、季節毎の食べ物を、車で移動販売をしているお母さん
年中無休でお店を開き、全国からの様々な参拝者と出会ったそうですが、
印象に残ったお遍路さんは、三味線を弾く東北地方の方
、との事。
商売をしていると、色々な出会いがあるのが楽しみだそうです
***********
お薬師さまは、
病気平癒がお役目ですが、それぞれのお寺の御本尊により
眼病やのど、肺、等々・・・『得意分野』が異なるそうです。
因みに平等寺では『足腰に効くお守り
』が扱われていますので、御本尊の
得意とされる方面は、そちら・・・という事になります。
実際、霊水を頂いて足が治り、その後のお参りを無事修めたというお話も
伝わっており、その事を裏付けるように、『お駕籠』など、現代で言えば
車椅子
に当る道具などが数多く奉納されています。
次の二十三番札所を修めれば、阿波の国ともお別れ。
遂に修行の道場、土佐の国へと向かいますが、その前にこちらの平等寺で
足腰を手入れし、体を整えて、いざ出発!!
各札所を独立した『点』で見るのではなく、この様に四国全体を見渡し、
ストーリー立てて理解すれば、お遍路をより深く理解出来ます
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
仏教で大事にされている『五色』・・・白・黄・赤・青・黒という五色が
最も似合う山門、というのが、こうゆうさんの印象。
お大師さまがこの地で修行なさっていた当時、空にたなびく五色の雲に



***********
寺号に含まれている『平等』という言葉。
我々は『全てが同列・同質』という意味に捉えがちです。
しかし仏教的には、それぞれ個性の異なるものが、互いを重んじながら、
高め合う、という事だそうです。
お寺に掲げられた『五色』の幕が、その象徴。
本堂の向こうに広がる風景を見ると、自然に生育した様々な種類の木が


全体としては見事に統一され、素晴らしい眺めとなっています。
***********
山門から階段を50メートルほど上った所に、『弘法の霊水』と呼ばれる
井戸があります。
修行に際し、お大師さまが清らかな水

乳白色の水が湧き出た、との事。
『白水山』という山号は、この故事によるものと思われます。
(別の説もあるようですが・・・詳しくは『凸凹同行記』にて。)
功徳があり、体に良いお水を頂いたお大師さまは、百日の行を修められ、
御本尊の薬師如来像を彫り上げたそうです。
***********
さてここで、こうゆうさんの一口メモ







蛇口をひねれば、きれいな水を好きなだけ使える生活

あまり意識しませんが、人々が『利用』し、役割を果たすに足りる井戸は
これらの条件を満たしていなければなりません。
してみれば、井戸の貴重さが理解出来るかと思います。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
平等寺の門前で鳴門金時を頬張りながら、

重箱の隅をつつくが如く披露するごんたに、少々呆れ顔のたけやん

お返しに(?)山号の『白水山』という呼び名の由来を聞かせます。
お大師さまが掘り当てた井戸の水が、白く濁っていた、という話ですが、
三百年ほど前の記録では、清らかに澄んだ泉が湧き出ていた

この『泉』という文字を分解して山号の『白水』とした・・・という説。
使う人の心が清らであれば

白く濁った水が・・・

「お大師さまの掘り当てた白い水の話は、汚れた人のデッチ上げか?」
ヒネクレて、偏った考えのごんたに、ウンザリのたけやん。
その事を指摘されたごんた、スネて、一人でお寺へと向かいます

・・・が、閣魔堂の十王に睨まれて、泣きながら帰ってきてしまいます

実は、先ほどの鳴門金時

そのような悪事を働いたなら、閻魔さまに見抜かれて餓鬼道に落とされ、
始終腹を空かせていなければならない

キチンとお代を払うのかと思いきや・・・
「餓鬼道へ落ちた時のため、今の内に鳴門金時を食いだめしておく


・・・という事だそうです。
***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ


干し柿や鮎など、季節毎の食べ物を、車で移動販売をしているお母さん

年中無休でお店を開き、全国からの様々な参拝者と出会ったそうですが、
印象に残ったお遍路さんは、三味線を弾く東北地方の方

商売をしていると、色々な出会いがあるのが楽しみだそうです

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お薬師さまは、

眼病やのど、肺、等々・・・『得意分野』が異なるそうです。
因みに平等寺では『足腰に効くお守り

得意とされる方面は、そちら・・・という事になります。
実際、霊水を頂いて足が治り、その後のお参りを無事修めたというお話も
伝わっており、その事を裏付けるように、『お駕籠』など、現代で言えば
車椅子

次の二十三番札所を修めれば、阿波の国ともお別れ。
遂に修行の道場、土佐の国へと向かいますが、その前にこちらの平等寺で
足腰を手入れし、体を整えて、いざ出発!!

各札所を独立した『点』で見るのではなく、この様に四国全体を見渡し、
ストーリー立てて理解すれば、お遍路をより深く理解出来ます

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

よく整備された駐車場に到着した一行ですが・・・
遠足気分の杉本さん
に対し、こうゆうさんの声は、何故か沈みがち
今回は、焼山寺・鶴林寺と共に『阿波の三難所』と呼ばれる内の一箇寺、
第二十一番札所、舎心山・太龍寺へのお参りです。
現在は、ロープウェーで簡単に登る事が出来るのですが・・・
実はこうゆうさん、高所恐怖症なのだそうです

そんな訳で、大はしゃぎの米裕さん
と杉本さん
に対し、10分間の行程で
こうゆうさんの口から漏れるのは、低い呻き声のみでした
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こちらの御本尊は虚空蔵菩薩さまですが、成就すれば記憶力が向上する、
『虚空蔵求聞持法』という行があります。
若きお大師さまは、この地で、虚空蔵菩薩の御真言を百万回唱えるという
その行を修法され、そこから超人的な御活躍が始まりました。
実際に修法した方のお話によると、五感が冴え渡り、感受性が高まるのを
実感出来るそうです。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
険しい参道に嫌気がさして、何だか自暴自棄のごんた。
これから向かう太龍寺の院号は『常住院』。
その険しい山々の風景や、厳しい道中が、心に印象深く留まることから、
このお名前になったのでは・・・というのが、たけやんの説です。
山号の『舎心山』は『捨身』に通づる言葉です。
19歳という若さで、身を捨てる覚悟で修行に明け暮れたお大師さまが、
龍を封じ込めた
と言われる洞窟・・・龍王の窟屋と不動の窟屋。
由緒ある、この神秘的な洞窟は、戦後のドサクサで乱開発の犠牲となり、
姿を消してしまった、との事。
・・・嘆かわしい話です
太龍寺の御本尊は、虚空蔵菩薩さま。
『虚空(=宇宙)』という無限の蔵に溢れる、幸せ・真実という宝物を、
それぞれの心の清らかさに応じて、分け与えて下さる仏さまです。
毎日、明けの明星が輝く頃・・・
望みのある人が、至心に21回、御真言をお唱えすれば、願いがかなう。
愛されたい人が、35回、声を上げてお唱えすれば、想いが伝わる。
病の人が、100回お唱えすれば、病苦は消え去る。
「ところでお大師さまは、何回コースやったん
」
無邪気に尋ねたごんた、たけやんの答えを聞いて・・・(笑)
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『西の高野山』とも呼ばれる太龍寺。
その名が表わす通り、お大師堂の周囲は、建物だけでなく木立の姿までが
高野山の奥の院周辺の風景と瓜二つだそうです。
瞼の裏に焼きついた、遠い祖山の光景。
先人達は、大変な努力の末に、その再現を成し遂げたのでしょう。
こうゆうさん・米裕さんを始めとする、高野山で修行されたお坊さん達は
この地を訪れると、懐かしさを感じる一方で、初心に帰らねば・・・と、
身も心も引き締まるそうです。
標高の高い場所に位置するため、雷の害に悩まされ続けるこちらのお寺
過去、
火災に遭ったという記録も多くあり、現存している建物の中には、
比較的新しい時代のものもありますが、焼失前の様式で再建されており、
よく整備されていながら、古い趣がそのまま残っています
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
遠足気分の杉本さん



今回は、焼山寺・鶴林寺と共に『阿波の三難所』と呼ばれる内の一箇寺、
第二十一番札所、舎心山・太龍寺へのお参りです。
現在は、ロープウェーで簡単に登る事が出来るのですが・・・
実はこうゆうさん、高所恐怖症なのだそうです


そんな訳で、大はしゃぎの米裕さん


こうゆうさんの口から漏れるのは、低い呻き声のみでした

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こちらの御本尊は虚空蔵菩薩さまですが、成就すれば記憶力が向上する、
『虚空蔵求聞持法』という行があります。
若きお大師さまは、この地で、虚空蔵菩薩の御真言を百万回唱えるという
その行を修法され、そこから超人的な御活躍が始まりました。
実際に修法した方のお話によると、五感が冴え渡り、感受性が高まるのを
実感出来るそうです。
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さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
険しい参道に嫌気がさして、何だか自暴自棄のごんた。
これから向かう太龍寺の院号は『常住院』。
その険しい山々の風景や、厳しい道中が、心に印象深く留まることから、
このお名前になったのでは・・・というのが、たけやんの説です。
山号の『舎心山』は『捨身』に通づる言葉です。
19歳という若さで、身を捨てる覚悟で修行に明け暮れたお大師さまが、
龍を封じ込めた

由緒ある、この神秘的な洞窟は、戦後のドサクサで乱開発の犠牲となり、
姿を消してしまった、との事。
・・・嘆かわしい話です

太龍寺の御本尊は、虚空蔵菩薩さま。
『虚空(=宇宙)』という無限の蔵に溢れる、幸せ・真実という宝物を、
それぞれの心の清らかさに応じて、分け与えて下さる仏さまです。
毎日、明けの明星が輝く頃・・・

望みのある人が、至心に21回、御真言をお唱えすれば、願いがかなう。
愛されたい人が、35回、声を上げてお唱えすれば、想いが伝わる。
病の人が、100回お唱えすれば、病苦は消え去る。
「ところでお大師さまは、何回コースやったん

無邪気に尋ねたごんた、たけやんの答えを聞いて・・・(笑)
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『西の高野山』とも呼ばれる太龍寺。
その名が表わす通り、お大師堂の周囲は、建物だけでなく木立の姿までが
高野山の奥の院周辺の風景と瓜二つだそうです。
瞼の裏に焼きついた、遠い祖山の光景。
先人達は、大変な努力の末に、その再現を成し遂げたのでしょう。
こうゆうさん・米裕さんを始めとする、高野山で修行されたお坊さん達は
この地を訪れると、懐かしさを感じる一方で、初心に帰らねば・・・と、
身も心も引き締まるそうです。
標高の高い場所に位置するため、雷の害に悩まされ続けるこちらのお寺

過去、

比較的新しい時代のものもありますが、焼失前の様式で再建されており、
よく整備されていながら、古い趣がそのまま残っています

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
