今回のお参りは第十五番札所、薬王山・国分寺です。
聖武天皇の勅願寺として、土地を守り、人民が健やかであるように
との思いを込めて、全国各地に建立された国分寺。
御本尊は、薬師如来さまです。
こちらの阿波国分寺、歴史の流れと共に縮小されてしまいましたが
建立当時の礎石を見れば、かつては大伽藍であった事が判ります。
**********
七重塔跡の中心には、中央が大きく窪んだ礎石が残っています。
塔といえば、我々はその外観に目を奪われがちですが、重要なのは
実は『芯柱』です。
これは、仏さまのお姿を表現したもので、大きければ大きいほど、
高ければ高いほど、多くの人が目にする事が出来る・・・
仏さまの御教えに触れる事が出来る、と考えられていました。
現在も残る礎石は、その窪みによって、芯柱がズレる事のない様に
支える、重要な役割を担っていたのです。
**********
さて、米裕さんの凸凹同行記。
ごんたとたけやん、昔に比べキレイになった札所のお便所について
話しています
お便所には、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、またの名前を
不浄金剛と言う仏さまがおられ、不浄のものを清めて下さいます。
かつて、大日如来さまが最高の悟りを開き、ブッダとなられた時、
世界中のありとあらゆる者たちが喜びの大集会に参加しましたが、
大自在天は「我こそが世界の中心」との慢心から、集まる事を拒み
やがて来るであろう使いの者を追い返すために、自らの城の周囲を
汚物で埋め尽くしました。
大日如来さまのお使いとしてやって来たのはお不動さまでしたが、
その有様を見て烏枢沙摩明王を呼び寄せ、不浄物を食べ尽くして、
大自在天を捕らえ、ブッダの元へ連れて行ったそうです。
ここで、不浄物と言えば糞尿を思い浮かべがちですが、五穀豊穣を
もたらすものでもある事から
、烏枢沙摩明王のお働きで『肥料』に
転じている、と考える事も出来ます。
してみれば、不浄物とは一体何を指すのか?
・・・貪る心・怒りの心・無知の『三毒』、即ち悟りの妨げとなる
『煩悩』です。
烏枢沙摩明王は、我々の心の内に巣食う悪しきものを食らい尽くし
清めて下さるのです。
お便所で煩悩まで出し尽くし、『次の方の事を考えて』掃除をし、
紙をつぎ足し、速やかに出て、履物を揃え、手を洗う・・・。
ここまでの心がけが出来て、初めて烏枢沙摩明王の御加護がある、
と言えるでしょう
**********
最後は、杉本さんの
てくてくインタビュー・ひとへんろ。
今回は、兵庫県の高砂からいらした女性。
今まで苦労の多かった人生をリセットすると共に、亡くなった方の
供養をするため、お遍路を始められたそうです。
お遍路の装束は一式全部、インターネット
で注文したそうですが、
山谷袋が大きすぎて、肩に負担がかかったそうです
荷物は最初7kgほどありましたが、歩いて行くうちに、不要なものも
多くある事が判明し、約半分の荷物を自宅へ送り返したとのこと

着替えについても、コインランドリーを上手く活用すれば、多くは
必要ない事が分かったそうです。
**********
決して広くはない境内でありながら、現在の大師堂が見つけにくい
こちらのお寺
『烏枢沙摩明王』を目印にして下さい。
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
聖武天皇の勅願寺として、土地を守り、人民が健やかであるように
との思いを込めて、全国各地に建立された国分寺。
御本尊は、薬師如来さまです。
こちらの阿波国分寺、歴史の流れと共に縮小されてしまいましたが
建立当時の礎石を見れば、かつては大伽藍であった事が判ります。
**********
七重塔跡の中心には、中央が大きく窪んだ礎石が残っています。
塔といえば、我々はその外観に目を奪われがちですが、重要なのは
実は『芯柱』です。
これは、仏さまのお姿を表現したもので、大きければ大きいほど、
高ければ高いほど、多くの人が目にする事が出来る・・・
仏さまの御教えに触れる事が出来る、と考えられていました。
現在も残る礎石は、その窪みによって、芯柱がズレる事のない様に
支える、重要な役割を担っていたのです。
**********
さて、米裕さんの凸凹同行記。
ごんたとたけやん、昔に比べキレイになった札所のお便所について
話しています

お便所には、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、またの名前を
不浄金剛と言う仏さまがおられ、不浄のものを清めて下さいます。
かつて、大日如来さまが最高の悟りを開き、ブッダとなられた時、
世界中のありとあらゆる者たちが喜びの大集会に参加しましたが、
大自在天は「我こそが世界の中心」との慢心から、集まる事を拒み
やがて来るであろう使いの者を追い返すために、自らの城の周囲を
汚物で埋め尽くしました。
大日如来さまのお使いとしてやって来たのはお不動さまでしたが、
その有様を見て烏枢沙摩明王を呼び寄せ、不浄物を食べ尽くして、
大自在天を捕らえ、ブッダの元へ連れて行ったそうです。
ここで、不浄物と言えば糞尿を思い浮かべがちですが、五穀豊穣を
もたらすものでもある事から


転じている、と考える事も出来ます。
してみれば、不浄物とは一体何を指すのか?
・・・貪る心・怒りの心・無知の『三毒』、即ち悟りの妨げとなる
『煩悩』です。
烏枢沙摩明王は、我々の心の内に巣食う悪しきものを食らい尽くし
清めて下さるのです。
お便所で煩悩まで出し尽くし、『次の方の事を考えて』掃除をし、
紙をつぎ足し、速やかに出て、履物を揃え、手を洗う・・・。
ここまでの心がけが出来て、初めて烏枢沙摩明王の御加護がある、
と言えるでしょう

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最後は、杉本さんの


今回は、兵庫県の高砂からいらした女性。
今まで苦労の多かった人生をリセットすると共に、亡くなった方の
供養をするため、お遍路を始められたそうです。
お遍路の装束は一式全部、インターネット

山谷袋が大きすぎて、肩に負担がかかったそうです

荷物は最初7kgほどありましたが、歩いて行くうちに、不要なものも
多くある事が判明し、約半分の荷物を自宅へ送り返したとのこと



必要ない事が分かったそうです。
**********
決して広くはない境内でありながら、現在の大師堂が見つけにくい
こちらのお寺

『烏枢沙摩明王』を目印にして下さい。
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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今回のお参りは第十四番札所、盛寿山・常楽寺です。
常楽寺の『楽』の字、ついつい『エンジョイ』と捉えがちですが、
『リラックス』と理解すれば、真の意味が見えてきます
。
力を抜く事で心の余裕が生まれ、物事を大きく捉える事が出来る。
『極楽』にも通じる解釈です。
**********
昭和十年に作られた入り口の石柱は、上部にランプ
が取り付けられ
見上げると、レトロでモダンな佇まい。
刻まれた文字は『日本三体・四国一仏・本尊弥勒菩薩安置』。
同じ時代に、同じ造形で作られた弥勒菩薩さま三体の内の一体が、
こちらの御本尊である事を表わしています。
参道の石垣は、平らな岩を、パイ生地の様に幾重にも重ねたように
見えますが、これは流水岩という、この周辺の地層です。
本堂前には、天然記念物の『アララギの木』が聳えています。
病に苦しむ老人に、お大師さまが木を煎じて
飲ませて差し上げた所
平癒した事から、その木を挿し木したものが現在まで残っていると
伝えられています。
先述の通り、この辺りの地層は岩盤です。
その様な場所に挿し木が根付き、巨大な姿で立ち続けている・・・
御本尊のお誓い・お働き、霊験を感じないわけにはゆきません。
このアララギの木、地上3m程の箇所が4~5つに分かれていて、
そこにお大師さまの石像(あららぎ大師)が安置されています。
**********
さて、米裕さんのの凸凹同行記。
たけやんが弥勒菩薩さまについて説明しています。
お釈迦さまが亡くなられて56億7千万年後、御教えが忘れられ、
乱れに乱れた、大変な『末法』の世に現れて、お釈迦さまと同様に
教えを説いて下さる方が、弥勒菩薩さま。
現在は、『その時』のために修行を続けられているそうです。
言い換えれば、現在はまだ、お釈迦さまの御教えは生きている訳で
ごんたの感じている「大変な状況」など、取るに足らぬものです。
ところで奥の院には、一つだけ願いを聞いて下さる生木地蔵さまが
いらっしゃると聞き、歩き疲れたごんたは早速、瓦けに願いを書き
お供えしました
その願い事とは・・・「少しだけ楽をしたい」。
すると・・・
タクシーの運転手さんが、お接待として次の札所まで乗せて下さる
との事。
早くも願いがかない大喜びのごんたですが、十五番札所へ着くなり
元の道を戻り始めるたけやん

お接待を断る事・・・
それはお接待を申し出た方のお心を無駄にする事になりますので、
お遍路の作法としては許されません。
ただ、歩き遍路で八十八箇所を巡ると誓いを立てた二人。
その誓いを貫き通すためには、こうするしかありません。
ごんたが瓦けに書いた願いは、我が身のためだけのもの。
それを『欲』と言います。
もっと多くの人のためになる事を考え、願おうではありませんか

**********
我々の時間を過去・現在・未来の三世に分けると、弥勒菩薩さまは
未来を保障し、救う事を約束して下さった仏さまです。
こちらの札所が、こんな岩盤だらけの難所に建立されたという事と
やがてやって来る、とんでもなく乱れた世をお救い下さるという、
御本尊の尊いお誓いとは、決して無関係ではないでしょう。
『過去の供養』ばかりが、御仏の教えではありません。
**********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
常楽寺の『楽』の字、ついつい『エンジョイ』と捉えがちですが、
『リラックス』と理解すれば、真の意味が見えてきます

力を抜く事で心の余裕が生まれ、物事を大きく捉える事が出来る。
『極楽』にも通じる解釈です。
**********
昭和十年に作られた入り口の石柱は、上部にランプ

見上げると、レトロでモダンな佇まい。
刻まれた文字は『日本三体・四国一仏・本尊弥勒菩薩安置』。
同じ時代に、同じ造形で作られた弥勒菩薩さま三体の内の一体が、
こちらの御本尊である事を表わしています。
参道の石垣は、平らな岩を、パイ生地の様に幾重にも重ねたように
見えますが、これは流水岩という、この周辺の地層です。
本堂前には、天然記念物の『アララギの木』が聳えています。
病に苦しむ老人に、お大師さまが木を煎じて

平癒した事から、その木を挿し木したものが現在まで残っていると
伝えられています。
先述の通り、この辺りの地層は岩盤です。
その様な場所に挿し木が根付き、巨大な姿で立ち続けている・・・
御本尊のお誓い・お働き、霊験を感じないわけにはゆきません。
このアララギの木、地上3m程の箇所が4~5つに分かれていて、
そこにお大師さまの石像(あららぎ大師)が安置されています。
**********
さて、米裕さんのの凸凹同行記。
たけやんが弥勒菩薩さまについて説明しています。
お釈迦さまが亡くなられて56億7千万年後、御教えが忘れられ、
乱れに乱れた、大変な『末法』の世に現れて、お釈迦さまと同様に
教えを説いて下さる方が、弥勒菩薩さま。
現在は、『その時』のために修行を続けられているそうです。
言い換えれば、現在はまだ、お釈迦さまの御教えは生きている訳で
ごんたの感じている「大変な状況」など、取るに足らぬものです。
ところで奥の院には、一つだけ願いを聞いて下さる生木地蔵さまが
いらっしゃると聞き、歩き疲れたごんたは早速、瓦けに願いを書き
お供えしました

その願い事とは・・・「少しだけ楽をしたい」。
すると・・・

との事。
早くも願いがかない大喜びのごんたですが、十五番札所へ着くなり
元の道を戻り始めるたけやん


お接待を断る事・・・
それはお接待を申し出た方のお心を無駄にする事になりますので、
お遍路の作法としては許されません。
ただ、歩き遍路で八十八箇所を巡ると誓いを立てた二人。
その誓いを貫き通すためには、こうするしかありません。
ごんたが瓦けに書いた願いは、我が身のためだけのもの。
それを『欲』と言います。
もっと多くの人のためになる事を考え、願おうではありませんか


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我々の時間を過去・現在・未来の三世に分けると、弥勒菩薩さまは
未来を保障し、救う事を約束して下さった仏さまです。
こちらの札所が、こんな岩盤だらけの難所に建立されたという事と
やがてやって来る、とんでもなく乱れた世をお救い下さるという、
御本尊の尊いお誓いとは、決して無関係ではないでしょう。
『過去の供養』ばかりが、御仏の教えではありません。
**********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは、第十三番札所、大栗山・大日寺です。
交通量の多い国道を通って山門をくぐると、いかにも町中のお寺…
という、コンパクトな印象。
ところが、左右には立派なお社が…。
創建当時は大きな寺領で、阿波一宮(神社)の統括を任せられた、
大変に勢力のあるお寺だったそうです。
「何故、お寺が神社を管理したのか?」
…奇異に感じるかもしれません。
しかし、元々、神社とお寺は密接な関係にありました。
天地・自然を司る地神という考えが古来から伝えられていた日本に
中国から仏教が伝来し、互いに補い合いながら、共に人々の信仰を
支えてきたのです。
『地鎮祭』といえば、神道の専売特許の様なイメージがありますが
真言宗にもその作法は伝わっており、現場でも行われています。
また、神道行事に欠かせない『雅楽』も、仏教伝来と共に中国から
伝えられたものです。
そのような神道と仏教の親しい関係は、明治時代の神仏分離令で、
強引に変えられてしまいました。
**********
『大日寺』…
そのお名前から、大日如来さまを連想しますが、こちらの御本尊は
十一面観世音菩薩さま。
そして、お大師さま自ら刻まれた大日如来さまの像は、脇仏として
納められています。
・・・・・・・・・・
以下は、米裕さんの推測です
名前の通り、元々は大日如来さまが御本尊だったこちらのお寺。
廃仏毀釈で処分の憂き目に遭う所、お大師さまが刻まれた仏さまを
捨ててしまうのは忍びない…という事で、一宮神社に祀られていた
十一面観世音菩薩さまを御本尊とするのと引き換えに、脇仏として
生き延び、今日に至っている…。
・・・・・・・・・・
しっかり見極めてお参りすれば、本来の日本の姿が見えてきます。
皆が信仰してきたものが残り、現代にまで受け継がれている事実を
誇りに感じ、互いに良き影響を与え合い、それぞれが力を発揮する
バランスのとれた方向を目指すべきでしょう。
**********
米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
足が痛くて、動けなくなったごんた
ふくろはぎ…ではなく、ふくらはぎを痛めた模様。
脚半を外したため、ふくらはぎが振動し、肉離れになった様です。
十三番札所に到着したら、足回りを整えるよう提案したところで、
大日寺に伝わる不思議なお話を思い出したたけやん
お参りしている事を誇示しながら歩くのではなく、
「周りに迷惑がかかっていないか?」
…そう考えながらお遍路を巡るのも、立派な修行です。
**********
最後に、お遍路初心者・杉本さんからの質問

仏さまには、菩薩や如来という肩書きがありますが、その違いは?
対する、こうゆうさんの回答

**********
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

という、コンパクトな印象。
ところが、左右には立派なお社が…。
創建当時は大きな寺領で、阿波一宮(神社)の統括を任せられた、
大変に勢力のあるお寺だったそうです。
「何故、お寺が神社を管理したのか?」
…奇異に感じるかもしれません。
しかし、元々、神社とお寺は密接な関係にありました。
天地・自然を司る地神という考えが古来から伝えられていた日本に
中国から仏教が伝来し、互いに補い合いながら、共に人々の信仰を
支えてきたのです。
『地鎮祭』といえば、神道の専売特許の様なイメージがありますが
真言宗にもその作法は伝わっており、現場でも行われています。
また、神道行事に欠かせない『雅楽』も、仏教伝来と共に中国から
伝えられたものです。
そのような神道と仏教の親しい関係は、明治時代の神仏分離令で、
強引に変えられてしまいました。
**********
『大日寺』…
そのお名前から、大日如来さまを連想しますが、こちらの御本尊は
十一面観世音菩薩さま。
そして、お大師さま自ら刻まれた大日如来さまの像は、脇仏として
納められています。
・・・・・・・・・・
以下は、米裕さんの推測です

名前の通り、元々は大日如来さまが御本尊だったこちらのお寺。
廃仏毀釈で処分の憂き目に遭う所、お大師さまが刻まれた仏さまを
捨ててしまうのは忍びない…という事で、一宮神社に祀られていた
十一面観世音菩薩さまを御本尊とするのと引き換えに、脇仏として
生き延び、今日に至っている…。
・・・・・・・・・・
しっかり見極めてお参りすれば、本来の日本の姿が見えてきます。
皆が信仰してきたものが残り、現代にまで受け継がれている事実を
誇りに感じ、互いに良き影響を与え合い、それぞれが力を発揮する
バランスのとれた方向を目指すべきでしょう。
**********
米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
足が痛くて、動けなくなったごんた

ふくろはぎ…ではなく、ふくらはぎを痛めた模様。
脚半を外したため、ふくらはぎが振動し、肉離れになった様です。
十三番札所に到着したら、足回りを整えるよう提案したところで、
大日寺に伝わる不思議なお話を思い出したたけやん

お大師さまの有難さと、謙虚に暮らす事の素晴らしさ。昔、足の不自由なトメ吉というお遍路さんがいました。
全身を引きずらねば動けない不自由な身、他人に迷惑をかけぬ様、
人出の少ない冬場にお遍路に出る、という気の遣いよう。
小雪舞う冬のある日、大日寺を訪れたトメ吉。
雪隠(便所)を借りると、オンボロの建物が倒れてしまいました。
ガラガラと雪隠の崩れる音と、トメ吉の叫び声を聞きつけた住職、
慌てて駆けつけると、そこで目にしたものは…
崩れた木々の上に渡された細い金剛杖の上に、不自由なはずの足で
しっかりと立つ、トメ吉の姿。
お参りしている事を誇示しながら歩くのではなく、
「周りに迷惑がかかっていないか?」
…そう考えながらお遍路を巡るのも、立派な修行です。
**********
最後に、お遍路初心者・杉本さんからの質問



対する、こうゆうさんの回答


ピラミッドをイメージしてもらうと、頂点が如来。
その下に菩薩がいらして、明王、天…といった構造になります。
ただこれは、頂点が偉くて下層は劣る…という身分の上下ではなく
お釈迦さまの修行の段階を示しています。
ヤンチャながら、仏さまを慕う気持ちのある段階=天
ガムシャラに修行を進める段階=明王
悟りを開き、微笑むだけで全てが成就する境地=如来
でも、如来の境地からの導き、我々のレベルではピンと来ないため
気付かない事もあるかもしれません。
そこで、一旦は如来の境地に達していながら、姿・形や香りなどの
煌びやかさを用いて、我々が気付きやすい方法で導いて下さるのが
菩薩です。
ただ、煌びやかさ・優しさのみで、全ての者を導く事が出来るとは
限りません。
母親が子供に躾を行う如く、時には厳しさも必要です。
愛情のこもった厳しさ…それが、明王。
元はただ一つの姿ですが、それぞれの場合に応じ、八万四千という
ありとあらゆる姿をもって現れるのが、仏さまです。
(その様子を図式化したものが『曼荼羅』)
**********
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

到着早々、思わずこうゆうさんの口から出た「お疲れ様」の一言
前回の藤井寺から、曲がりくねった細い山道を、車で2時間。
地図上のキロ数以上の厳しさに苦しみながら…
特に杉本さん
は車酔いに苦しみながら、ようやく辿り着いた、
第十二番札所、摩盧山・焼山寺。
周囲を杉の巨木に囲まれ、本当に山の奥深くへとやって来た…
そんな実感がヒシヒシ湧いてくる、美しい風景を眺めつつ、山門へ
歩を進める一行。
**********
山越えの度に災厄が降りかかり、人々は足止めを余儀なくされた、
阿波一番の難所であるこの地。
お大師さまが麓で身を清め、足を踏み入れられた当時は、山全体が
炎に包まれていたそうです
。
この炎、山に棲む大蛇
が口から放っていたもので、お大師さまは、
虚空蔵菩薩さまのお力を借りて、大蛇を退治されたそうです。
**********
山全体を御神体としていたお大師さまの時代、そこに近づくには、
様々な障碍があった事は想像に難くありませんが、それらの困難が
『大蛇』として表現されているのでしょう。
一方、車に揺られて、実際にこの地へとやって来たこうゆうさんは
ここまで辿り着くため登って来た、くねくねと続く山道そのものが
大蛇だ、と思ったそうです。
札所へ向かう道の厳しさを、大蛇に例えているとも考えられます。
**********
ところで、今回の札所である焼山寺。
お大師さまが遭遇した災厄が、そのままお寺の名前となっており、
何とも縁起が悪い…そんな印象を受けます。
しかし、山号を見ると、『摩盧山』。
『摩』は、仏さまのお力を表します。
そして『盧』とは、水とか、力を与える液体のこと。
水と火、全体を見ると、うまくバランスのとれたお名前なのです。
そして、かつて人々を苦しめた大蛇が、お大師さまのお力によって
良き方に転じ、今は皆にお陰を下さる事を表しているのでしょう。
**********
米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』、たけやんとごんたの二人は、
八十八箇所でも有数の難所、藤井寺から焼山寺へ続く険しい山道、
通称『遍路ころがし』を進んでいます。
二人が休憩した柳水庵は、かつてここを通りがかったお大師さまが
行き倒れの旅人を救うために柳の枝を地に刺すと、水が湧き出た…
という伝説があり、今でも水は枯れずに湧き続けています。
これから二人の向かう焼山寺は、山を七巻き半するほどの大蛇が、
人々を寄せ付けなかったという伝説がありますが、これはこの地で
苦行の日々を送っていた修験者が、神聖な行場である山へ、人々が
立ち入る事を拒んでいた、という事実を表現しているそうです。
因みに焼山寺は、役行者小角(えんのぎょうじゃおづの)の開創。
この人、孔雀明王の呪法を身につけ、自由自在に空を飛べたとか。
…そんな話をたけやんから聞いたごんた。
孔雀となって空を飛ぼうとしますが、「コケコッコー!!
」って…。
**********
焼山寺の大師堂は、取材当時は立派な木造の建物に立替中でした。
本堂の屋根は銅葺きですが、これは落ち葉の掃除や、除雪の都合を
考えての事。
屋根の形状や材質で、その土地の気候や立地を知る事が出来ます。
こちらの御本尊は、大蛇退治に活躍された虚空蔵菩薩さま。
仏教ではよく『空』とは何ぞや?という話題になりますが、これは
入れもの・器(うつわ)…『全てを包み込むもの』の事です。
人間のスケールを、よく『器が大きい・小さい』と表現しますが、
これが正に『包み込む力=包容力』の事を表しています。
また、読みを『そら』に転じれば、大自然を包み込む空の事です。
『虚空』とは、無限に広げた『空(くう=器)』の事。
『蔵』とは、たくさんの宝物が納められる場所。
仏さまの智慧という、この上ない宝物を、限りなく多く包み込んで
お持ちの方、それが虚空蔵菩薩さまです。
因みに御真言は…
『のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそわか』。
数ある御真言の中にあって、未だにその意味が解明されていない、
謎の多い御真言だそうです。
**********
焼山寺でのお参りを納めた一行は、3キロほど下った場所にある、
『杖杉庵』を訪れました。
歴史上、お遍路を初めて行った『衛門三郎』が亡くなった場所が、
この杖杉庵です。
伊予の極悪非道な豪族・衛門三郎が、一夜の宿を請うお大師さまを
門前払いにし、托鉢用の鉄鉢を叩き割ったところ、ほどなくして、
8人の我が子を次々に亡くしてしまいます。
自らの罪業を深く反省した衛門三郎、お大師さまの足跡を辿って、
巡礼の旅に…これが『お遍路』の始まりです。
お四国21周目にして、この地でようやくお大師さまに巡り合い、
自らの行いを懺悔すると、お大師さまから罪業の消えた事を聞き、
衛門三郎は息絶えます。
お大師さまは、衛門三郎の杖を墓標として埋葬しました。
この杖がやがて根付いて杉の大木となり、現在に至っています。
この『墓標にもなる杖』、すなわち『金剛杖』のルーツです。
尚、お大師さまは衛門三郎を埋葬するに当たり、『衛門三郎再来』
と記した小石を握らせたのですが…このお話は、また今度。
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

前回の藤井寺から、曲がりくねった細い山道を、車で2時間。
地図上のキロ数以上の厳しさに苦しみながら…
特に杉本さん

第十二番札所、摩盧山・焼山寺。
周囲を杉の巨木に囲まれ、本当に山の奥深くへとやって来た…
そんな実感がヒシヒシ湧いてくる、美しい風景を眺めつつ、山門へ
歩を進める一行。
**********
山越えの度に災厄が降りかかり、人々は足止めを余儀なくされた、
阿波一番の難所であるこの地。
お大師さまが麓で身を清め、足を踏み入れられた当時は、山全体が
炎に包まれていたそうです

この炎、山に棲む大蛇

虚空蔵菩薩さまのお力を借りて、大蛇を退治されたそうです。
**********
山全体を御神体としていたお大師さまの時代、そこに近づくには、
様々な障碍があった事は想像に難くありませんが、それらの困難が
『大蛇』として表現されているのでしょう。
一方、車に揺られて、実際にこの地へとやって来たこうゆうさんは
ここまで辿り着くため登って来た、くねくねと続く山道そのものが
大蛇だ、と思ったそうです。
札所へ向かう道の厳しさを、大蛇に例えているとも考えられます。
**********
ところで、今回の札所である焼山寺。
お大師さまが遭遇した災厄が、そのままお寺の名前となっており、
何とも縁起が悪い…そんな印象を受けます。
しかし、山号を見ると、『摩盧山』。
『摩』は、仏さまのお力を表します。
そして『盧』とは、水とか、力を与える液体のこと。
水と火、全体を見ると、うまくバランスのとれたお名前なのです。
そして、かつて人々を苦しめた大蛇が、お大師さまのお力によって
良き方に転じ、今は皆にお陰を下さる事を表しているのでしょう。
**********
米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』、たけやんとごんたの二人は、
八十八箇所でも有数の難所、藤井寺から焼山寺へ続く険しい山道、
通称『遍路ころがし』を進んでいます。
二人が休憩した柳水庵は、かつてここを通りがかったお大師さまが
行き倒れの旅人を救うために柳の枝を地に刺すと、水が湧き出た…
という伝説があり、今でも水は枯れずに湧き続けています。
これから二人の向かう焼山寺は、山を七巻き半するほどの大蛇が、
人々を寄せ付けなかったという伝説がありますが、これはこの地で
苦行の日々を送っていた修験者が、神聖な行場である山へ、人々が
立ち入る事を拒んでいた、という事実を表現しているそうです。
因みに焼山寺は、役行者小角(えんのぎょうじゃおづの)の開創。
この人、孔雀明王の呪法を身につけ、自由自在に空を飛べたとか。
…そんな話をたけやんから聞いたごんた。
孔雀となって空を飛ぼうとしますが、「コケコッコー!!

**********
焼山寺の大師堂は、取材当時は立派な木造の建物に立替中でした。
本堂の屋根は銅葺きですが、これは落ち葉の掃除や、除雪の都合を
考えての事。
屋根の形状や材質で、その土地の気候や立地を知る事が出来ます。
こちらの御本尊は、大蛇退治に活躍された虚空蔵菩薩さま。
仏教ではよく『空』とは何ぞや?という話題になりますが、これは
入れもの・器(うつわ)…『全てを包み込むもの』の事です。
人間のスケールを、よく『器が大きい・小さい』と表現しますが、
これが正に『包み込む力=包容力』の事を表しています。
また、読みを『そら』に転じれば、大自然を包み込む空の事です。
『虚空』とは、無限に広げた『空(くう=器)』の事。
『蔵』とは、たくさんの宝物が納められる場所。
仏さまの智慧という、この上ない宝物を、限りなく多く包み込んで
お持ちの方、それが虚空蔵菩薩さまです。
因みに御真言は…
『のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそわか』。
数ある御真言の中にあって、未だにその意味が解明されていない、
謎の多い御真言だそうです。
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焼山寺でのお参りを納めた一行は、3キロほど下った場所にある、
『杖杉庵』を訪れました。
歴史上、お遍路を初めて行った『衛門三郎』が亡くなった場所が、
この杖杉庵です。
伊予の極悪非道な豪族・衛門三郎が、一夜の宿を請うお大師さまを
門前払いにし、托鉢用の鉄鉢を叩き割ったところ、ほどなくして、
8人の我が子を次々に亡くしてしまいます。
自らの罪業を深く反省した衛門三郎、お大師さまの足跡を辿って、
巡礼の旅に…これが『お遍路』の始まりです。
お四国21周目にして、この地でようやくお大師さまに巡り合い、
自らの行いを懺悔すると、お大師さまから罪業の消えた事を聞き、
衛門三郎は息絶えます。
お大師さまは、衛門三郎の杖を墓標として埋葬しました。
この杖がやがて根付いて杉の大木となり、現在に至っています。
この『墓標にもなる杖』、すなわち『金剛杖』のルーツです。
尚、お大師さまは衛門三郎を埋葬するに当たり、『衛門三郎再来』
と記した小石を握らせたのですが…このお話は、また今度。
…という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは、第11番札所、金剛山・藤井寺です。
吉野川を渡り、徐々に山中へと進んで行くお遍路コース。
「さあ、いよいよ!
」と、改めて心が引き締まります。
**********
お寺の山門には『仁王さま』が定番ですが、こちらの藤井寺では、
超巨大な『わらじ』が迎えて下さいます。
これから先、厳しさと険しさを増してゆく遍路道。
その道中の安全を願っての奉納。
そして、以前にもお話のあった『仏足跡信仰』の表れでしょう。
**********
山門を入ると、まず目を引くのが、立派な藤棚。
お寺の名前の内、『藤』のルーツです。
この藤、弘法大師・空海さまお手植えの伝説が残っている一方で、
水が豊かで、野生の藤が群生していた場所にお寺を建立した・・・
諸説あるようです。
古代より、水には苦労の多かったお四国。
だからこそ「お大師さまが杖で地面を一突きすると水が湧き出た」
といったお話が各地に残っていますが、こちらのお寺に関しては、
白竜弁天さまが祀られている事からも分かる通り、清らかなお水が
豊富に流れていた場所なのでしょう。
お寺の名前の内、『井』のルーツです。
**********
こじんまりとしていながら、引き締まった、爽やかな空気の境内。
お四国では度々耳にする、長曽我部軍による焼き討ち。
そして、江戸時代に入ってからは天保の大火災。
度重なる大火で、全てが焼け落ちてしまったこちらのお寺ですが、
お大師さま自ら刻まれたという、御本尊の薬師如来像は、奇跡的に
当時のお姿のまま残っており、現在は国宝に指定されています。
一説には、四国霊場最古と言われる御本尊。
そこから、お四国に霊場を開かれたきっかけが、この地では・・・
とも言われています。
豊かな緑と、豊かな水。
大自然の持つパワーを増幅する、修行の場であるお寺の場所として
ピッタリの土地なのでしょう。
**********
さて、米裕さんの創作小噺『凸凹道中記』。
たけやんが、御本尊の逸話と、お寺への弾圧という愚行について、
ごんたに解説しています。
安土桃山時代の兵火と、天保の大火
二度の大火事を逃れられ、現在に至るまでその姿を留められている
藤井寺の御本尊。
そんな事実から、庶民から『厄除けのお薬師さま』として崇められ
親しまれているそうです。
ところで兵火、すなわち長曽我部軍による焼き討ちですが、これは
武力を恐れないお坊さんの力を削ぎ、敵の武将の菩提寺を滅ぼして
自らの力を誇示する事が目的だったのでしょう。
しかし、武力しか信じるもののなかった長曽我部家は、皮肉な事に
武力によって制圧され、やがて滅びてしまいました。
修羅道に堕ちた者の末路は、哀れなものです。
他に、寺院への弾圧は織田信長によるものが有名ですが、歴史上、
最も厳しい宗教弾圧は、明治の『廃仏毀釈』でした。
これは、寺院の他、天孫系を除く神社に対しても行われましたが、
国家統一のためには、土着信仰は妨げになるとして、伝統・文化を
悉く否定するという、初代首相の執った政策でした。
結果、その初代首相の身に何が起こったか・・・
その流れを汲む現代社会が、どんな状況に陥っているか・・・
超辛口のたけやんでありました。
**********
藤井寺から次の札所へ続く道は、行程16キロの『焼山寺みち』、
別名『遍路ころがし』という、遍路みち最難関の山道です。
無数の石仏と、一歩踏み間違えれば真逆さま、という険しい崖
かつては、ここで命を落とされた方も多かったのでしょう。
学生時代のこうゆうさんは、6時間かけて踏破されたそうですが、
通常、成人男性は8時間、女性で9時間ほどを要するそうです。
試しに少しだけ歩いてみたきょんきょん
。
杖の重要さが身にしみて理解できたそうです。
**********
お参りを修めて、山門前の小さな土産物屋さん
に入った一行。
お店のおばちゃんが、楽しい会話で旅の疲れを癒してくれます
。
お接待の鳴門金時、とても美味でした。
おばちゃん、有難う
!!
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
吉野川を渡り、徐々に山中へと進んで行くお遍路コース。
「さあ、いよいよ!

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お寺の山門には『仁王さま』が定番ですが、こちらの藤井寺では、
超巨大な『わらじ』が迎えて下さいます。
これから先、厳しさと険しさを増してゆく遍路道。
その道中の安全を願っての奉納。
そして、以前にもお話のあった『仏足跡信仰』の表れでしょう。
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山門を入ると、まず目を引くのが、立派な藤棚。
お寺の名前の内、『藤』のルーツです。
この藤、弘法大師・空海さまお手植えの伝説が残っている一方で、
水が豊かで、野生の藤が群生していた場所にお寺を建立した・・・
諸説あるようです。
古代より、水には苦労の多かったお四国。
だからこそ「お大師さまが杖で地面を一突きすると水が湧き出た」
といったお話が各地に残っていますが、こちらのお寺に関しては、
白竜弁天さまが祀られている事からも分かる通り、清らかなお水が
豊富に流れていた場所なのでしょう。
お寺の名前の内、『井』のルーツです。
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こじんまりとしていながら、引き締まった、爽やかな空気の境内。
お四国では度々耳にする、長曽我部軍による焼き討ち。
そして、江戸時代に入ってからは天保の大火災。
度重なる大火で、全てが焼け落ちてしまったこちらのお寺ですが、
お大師さま自ら刻まれたという、御本尊の薬師如来像は、奇跡的に
当時のお姿のまま残っており、現在は国宝に指定されています。
一説には、四国霊場最古と言われる御本尊。
そこから、お四国に霊場を開かれたきっかけが、この地では・・・
とも言われています。
豊かな緑と、豊かな水。
大自然の持つパワーを増幅する、修行の場であるお寺の場所として
ピッタリの土地なのでしょう。
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さて、米裕さんの創作小噺『凸凹道中記』。
たけやんが、御本尊の逸話と、お寺への弾圧という愚行について、
ごんたに解説しています。
安土桃山時代の兵火と、天保の大火

二度の大火事を逃れられ、現在に至るまでその姿を留められている
藤井寺の御本尊。
そんな事実から、庶民から『厄除けのお薬師さま』として崇められ
親しまれているそうです。
ところで兵火、すなわち長曽我部軍による焼き討ちですが、これは
武力を恐れないお坊さんの力を削ぎ、敵の武将の菩提寺を滅ぼして
自らの力を誇示する事が目的だったのでしょう。
しかし、武力しか信じるもののなかった長曽我部家は、皮肉な事に
武力によって制圧され、やがて滅びてしまいました。
修羅道に堕ちた者の末路は、哀れなものです。
他に、寺院への弾圧は織田信長によるものが有名ですが、歴史上、
最も厳しい宗教弾圧は、明治の『廃仏毀釈』でした。
これは、寺院の他、天孫系を除く神社に対しても行われましたが、
国家統一のためには、土着信仰は妨げになるとして、伝統・文化を
悉く否定するという、初代首相の執った政策でした。
結果、その初代首相の身に何が起こったか・・・
その流れを汲む現代社会が、どんな状況に陥っているか・・・
超辛口のたけやんでありました。
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藤井寺から次の札所へ続く道は、行程16キロの『焼山寺みち』、
別名『遍路ころがし』という、遍路みち最難関の山道です。
無数の石仏と、一歩踏み間違えれば真逆さま、という険しい崖

かつては、ここで命を落とされた方も多かったのでしょう。
学生時代のこうゆうさんは、6時間かけて踏破されたそうですが、
通常、成人男性は8時間、女性で9時間ほどを要するそうです。
試しに少しだけ歩いてみたきょんきょん

杖の重要さが身にしみて理解できたそうです。
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お参りを修めて、山門前の小さな土産物屋さん

お店のおばちゃんが、楽しい会話で旅の疲れを癒してくれます

お接待の鳴門金時、とても美味でした。
おばちゃん、有難う

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
