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2024/03/19 19:57 |
【43番】源光山・明石寺《放送内容》
今回のお参りは第四十三番札所、源光山・明石(めいせき) 寺です。

寺号の“いわれ”には諸説あるようです。

観音さまの化身である乙女が、石を抱きかかえて籠られた、という説。
女神が願掛けのために大きな石を積み上げていたところ、夜明けの
明るい光に驚き石を残して姿を隠した、という説。

特に第説。
『超人的な力で、一夜の内に』大変な事を成し遂げるという、四国
霊場各地に残る伝説に通じるお話ですが、こちらのお寺の元の名前を
『あげいしじ』と称した事を裏付けるものと言えるかもしれません。

このお寺、かつては山岳修行の拠点だったのを、役行者が修験道の
根本道場として整備したのが始まりだそうです。

ですから、今でこそ万人に開かれた札所となり、表面上は優しい雰
囲気であっても修験道の持つ厳しい空気は、今尚残されています。

山号の源光山、かつては『現光山』だったそうで、上記の伝説との
繋がりで言えばこちらの方が相応しく感じますが、境内に源頼朝の経塚がある事か
らも分かる通り源氏との関係が深かったという事情で、改められたようです。

***********

境内には伝説の通り、巨大な岩が、隙間なく見事に積み上げられています。
加工されたものと違って、自然の岩同士をキッチリ合わせるという
のは、さぞかし大変な作業だった事でしょう。

諸堂各所に配置される、伝説の動物を表現した細密な彫り物も素晴らしいのですが
先に述べた通り、本堂の持つ威圧的なその佇まいは、奈良の吉野あたりに今も残る
修験道の道場に通じるものがあります。

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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。

「半分来たなぁ。」・・・と、感慨深気なごんた。
でも、ここは43番ですから、本当は次の札所が中間点なのですが・・・。

暢気なごんた、明石寺の名前を『あかしでら』と思い込んで、『明
石焼』の蘊蓄を熱心に語っていますが、もちろん寺号は『めいせきじ』。

こちらのお寺は、お遍路さんのために、宿泊所を無料で提供していたそうですが、
かつて修験道の道場だっただけあり、掃除や食事、洗面、果てはトイレに至るまで
あれこれと厳しい決まりがあったそうです。

トイレなんて、ただ入って出すだけの事に、どうして決まりがあるのか?
・・・疑問に思うごんた。

でも、食事にせよトイレにせよ、日常生活の場面で『当たり前に出来ている』事は
見えない所で誰かが準備してくれて、そして陰で誰かが努力してくれたからこそ、
皆が『当たり前に』出来るのです。

何気ない普段の生活の中にも、誰かの配慮があって初めて成り立
つ、という事は、数多くあります。

ぼんやり生きていると忘れがちな、周囲への『感謝の心』
お寺の厳しい決まり事は、それを思い起こさせる事が目的なのでしょう。

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四国八十八ヶ所は、空海さまゆかりのお寺を札所と定めたものです。

弘法大師空海さまと言えば、真言宗の開祖。
ならば、四国八十八ヶ所の寺院が全て真言宗かと言えば、必ずしもそうではなく、
長い歴史の中で、他の宗派に変わった所もあり、この明石寺は天台宗のお寺です。

空海さまと、天台宗開祖の最澄さまとは、同時代に活躍された『ライバル』として
語られる事が多くあります。

しかし、お二人とも山岳修行をルーツとされており、類似した点も多くあります。

高野山には、空海さまを慕って、山に籠った天台宗の高僧が遺したという御詠歌が
伝わっています。

宗派の違いはあっても、教義の根底の部分では深く密接につながっているからこそ
このような感動的なエピソードもあるわけです。

表面だけを捉え、浅い部分で争うのは、残念な事です

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明石寺から四十四番の大宝寺への途中にあるのが、別格霊場の『十夜ヶ橋』。

ここは、巡錫中の空海さまが一夜の宿を求めたものの、村の誰も聞き入れてくれず
仕方なく橋の下で過ごされた場所です。

「修行した身でありながら、一夜が十夜の様に長く感じられた」というお言葉から
この名前となりましたが、ここから生まれたお遍路の作法があります。

それは、『橋の上では、杖を突かない』という事。

橋の下では、お大師さまがお休みかもしれない。
だから、うるさく音をたててはいけない。

根底にあるのは『周囲への配慮』という考えです。

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お遍路の作法を、もう一つ
時間や準備の関係で、お参りは笠をつけたまま行うのが一般的になっています。

しかし、考えてみれば、仏前では脱帽するのが自然な行動です。
これは、『仏さまのみ教えは頭(こうべ)に頂く』という考えからも、当然の事。

仏教の作法に『灌頂』というものがあって、これは頭の頂に水を注ぐ儀式ですが、
頭頂部をあけておかないのは、大変な無礼に当たります。

ですから、本義から言えば、参拝の際には笠をとるのが、正しい作法でしょう。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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2009/01/24 23:04 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

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