忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




2024/04/26 17:36 |
【51番】熊野山・石手寺《放送内容》
今回のお参りは第五十一番札所、熊野山・石手寺です。

町中にあるこちらのお寺。
行き交う車も多く、山門の周りにはたくさんの土産物屋さんがあります。

道後温泉が近い事もあって、参拝者のほか、湯治客も多く訪れるために、
いつも大変な賑わいです

***********

ここは、12番・焼山寺の回に触れた『衛門三郎伝説』がクラ
イマックスを迎える場所です。

12番の記事はコチラ → http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/47/

それまでに犯した悪行の数々を反省した衛門三郎、生まれ変わったならば
今度は国司として、人々のために働きたいとの望みを抱き、息絶えます。

最期を看取った空海さま、『衛門三郎再来』と書いた石をその手に握らせ
葬ります。

翌年、伊予の国の領主に男の子が生まれましたが、手を固く握ったまま、
開こうとしません。

そこで、お坊さんが祈願したところ、その子の手から出て来たのは・・・
『衛門三郎再来』の文字が記された、1つの石だったそうです。

石が納められたお寺は安養寺と称していましたが、その伝説に基づいて、
『石手寺』に改められました。

***********

近くに寄ると気付きにくいのですが、仁王さまが両脇を固めている山門は
かなりの大きさ。

この山門(仁王門)、国宝だそうですので、千社札も貼
られていませんし、
大草鞋も毎年作り替えられており、湿気でだらしなく垂れ下がるという、
見映えの悪さを防いでいます。

また、こちらは子授け・安産のお寺としても知られ、お守りの石を頂き、
願いが成就したなら、その石を納めるという風習があるそうです。


多くの人に愛され、信仰を集めるこちらのお寺。
あるガイドブックには、『香煙絶える事なし』と記されています。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

宝物館で、お寺の名前の由来である『衛門三郎再来』の石を見学して来た
ごんた。

たけやんから、現在は『石手寺』と呼ばれているこちらのお寺が、以前は
『安養寺』という名前だった、という事を聞いて、

「お大師さまの頃は『51番札所・安養寺』だったんか

・・・という質問。

勿論、お大師さまの時代には、お遍路の風習はまだありませんでしたし、
当然ながら、札所もありませんでした。

お遍路の始まりについては、諸説あります。

お大師さまの辿られた足跡や縁のある場所が、後世になって、札所として
定められた、と言う話もありますし、その一方で、お大師さまに会うため
衛門三郎の歩いた道程が起源、とも言われています。

そんな衛門三郎と共に葬られ、後にこの地の領主である河野家の嫡男が、
その手に握って生まれて来たという、『衛門三郎再来』と書かれた石。

大きさにして一寸八分・・・およそ5cm。
赤ん坊が握るにしては、少々大き過ぎるようにも感じます。

でも、その石にまつわる物語には、智慧や戒め、信仰の大切さなど・・・
仏教の大事な要素が、たくさん散りばめられています。


***********

石畳の参道の両脇には、たくさんの土産物屋さんが立ち並んでいます。
米裕さんと杉本さんは、石手名物『焼き餅』を買い求めました

餅が『魂』であるのに対し、中身の餡は『徳』を表わすそうです。
昔、小豆や砂糖は貴重品だったという事と関係がありそうです。

***********

石手寺宝物館へ入るには入館料が必要ですが、お参りとして訪れる方には
お接待として入れてもらえるそうです。

こちらのお寺は、純粋にお参りをする人と、観光目的の人が混じり合って
独特の雑多な雰囲気があります。

ただ、お遍路は修行ですので、その様な浮かれた空気に流される事なく、
自分のペースを乱さぬ様に心掛ける事が大切です

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
PR



2009/05/17 22:08 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

トラックバック

トラックバックURL:

コメント

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<【51番】熊野山・石手寺《きくへんアルバム》 | HOME | 【50番】東山・繁多寺《きくへんアルバム》 >>
忍者ブログ[PR]