忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




2024/04/26 08:35 |
【54番】近見山・延命寺《放送内容》
今回のお参りは第五十四番札所、近見山・延命寺です。

町中からごく近い、ゆったりとした丘の上にあるこちらのお寺。
天平年間、行基菩薩さまにより開かれた後、衰退した時期がありましたが
時の天皇の勅願により、空海さまによって復興されました。

***********


こちら、院号を『宝鐘院』といいますが、かつては『不動院』でした。

その名の通り、御本尊は行基菩薩さま作のお不動さまだったわけですが、
院号が変わったという事は、その御本尊にも交代があったのかと言えば、
そうでもないようです。

お四国では敵役的な長曽我部氏ですが、こちらにもその軍勢が押し寄せ、
軍資金として梵鐘を略奪したものの、海に浮かべて運搬するその途中に、
運ばれるのを嫌がる梵鐘が、自ら海に飛び込んだという伝説があります。

その様な事から、院号が変更されたのでは?
・・・そんな推測も成り立つわけです。

***********

極彩色の仁王さまが立つ山門は、明治の廃藩置県に伴って、取り壊された
お城から移築されたもののようです。

奥にある釣り鐘は、自ら海に身を投げた、あの梵鐘か!?

・・・そんな期待もあって確認したところ、昭和五十二年に鋳造された、
新しいものでした。

しかし、試しに杉本さんが撞くと、その音色、そして余韻は素晴らしく、
鳴った瞬間に、小鳥達のさえずりも盛んになりました。

近年の釣り鐘の色に感動する事はないこうゆうさんも、この鐘の音色には
シビレた様子です

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

農作業に精を出す農民と、庄屋の孫兵衛さんが話をしています。

日照り続きで作物が採れないから、年貢の負担が重い事。
五年に一度の、用水池の修繕工事の当番の事。

農民達の苦しい生活を目の当たりにしている孫兵衛さん、工事の前の夜に
彼等のために宴を催すと共に、何やら一計を案じた様子で、

「明日の工事には、竹筒にお粥を入れて来るように。

・・・と、皆に言い伝えます。

明けて、工事の当日の、昼の休憩。
隣の地区の人夫たちは、固い握り飯を頬張っています。

一方、孫兵衛さんの家で御馳走になった農民たちは、不審に思いながらも
言いつけをきちんと守り、昼食に竹筒のお粥をすすっていました。

そんな様子を見た、代官所の役人。
フラフラの農民たちを見て、竹筒に入っているのは酒なのではないかと、
庄屋の孫兵衛さんを厳しく追及します。

そこで、孫兵衛さん。
日照り続きで作物も出来ず、お粥で空腹を紛らわせている事を告げます。

気の毒に思った役人。
その様子をお殿さまに報告したところ、その年の年貢を軽くするお達しが
あったそうです。

第五十四番札所、延命寺の境内には、享保の大飢饉から農民たちを救った
越智孫兵衛さんのお墓が、ひっそりと佇んでいます。

***********

お参りを修めて駐車場へ戻った一行は、そこでも、釣り鐘を目にします

1704年に鋳造されたという、有形文化財の釣り鐘。
年代から判断して、長曽我部軍が攻め入った後に造られたものですから、
やはりこれも、海に沈んだという、あの鐘とは別物のようです。

しかし第二次大戦中、軍部によって、全国の寺院に金属類を供出するよう
命令があったはずですが、お寺の縁起などが詳しく刻まれたこの梵鐘を、
危険を顧みず、守った人たちがいたわけです。

苦難の時代に、一番大事なものを守り通す、尊い姿勢。
言葉にするのは簡単ですが、実践となると、本当に困難な事でしょう。

そんな先人たちの御苦労や献身があったからこそ、現代に生きる我々が、
今ここで、その貴重な品々を味わう事が出来るのです。

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
PR



2009/07/05 21:01 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

トラックバック

トラックバックURL:

コメント

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<【54番】近見山・延命寺《きくへんアルバム》 | HOME | 【53番】須賀山・円明寺《きくへんアルバム》 >>
忍者ブログ[PR]