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2025/04/21 18:48 |
【45番】海岸山・岩屋寺《放送内容》
今回のお参りは第四十五番札所、海岸山・岩屋寺です。

駐車場から境内までは、徒歩で20分前後。
歩き遍路も、バスや乗用車での参拝者も、ここでは区別なし
山登りの続く、お参りした方の記憶には後々まで残る、難所です。

こちらの札所、本堂の中に安置された仏像より、むしろ立地の山全体を、
御神体・御本尊と考えるべきお寺
です。

「じゃあ、御本尊の懐に入り込むような事は、もったいない!!」

・・・と、『登山』を中止する口実にしたい米裕さん(笑)

でも、御本尊に近づけるのは、それだけ有り難い事なのでは?

***********

こうゆうさんの元に、

「お参りの際は、地下足袋にした方がよいのですか?」

という質問が寄せられる事があるそうです。

答えは、その足袋が『履き慣れたもの』ならばOK

でも、普段から履き慣れていない人が、いきなり足袋で険しい道を歩くと
踵や指を痛めますので、決してお奨めは出来ません。

やはり、いつも使っている歩きやすい靴・・・
特に、濡れた石の上でも滑らないものが理想です。

***********

諸堂は、文字通りの断崖絶壁に建てられており、先人達の御苦労と共に、
信仰心の深さを窺い知る事が出来ます。

こうゆうさんお薦めのスポットは、参道途中のベンチの場所

その場所から本堂に向かうと、その山全体が御本尊・御神体だという事を
実感出来るそうです。

こちらのお寺、山号に『海岸』とつけられていますが、どこを向いても、
山奥のこの地には、それらしき場所がありません。

実は、修行中のお大師さまが、峠の場所から、下界に広がる雲海を見て、
名付けられたそうです。

***********

さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

怯えた様子のごんた、助けを呼びながら、必死に逃げ回っている様ですが
腰が抜けてしまいました。

どうやら、山の様に大きな岩が転がって来るのを見て、慌てていた様子。

でも、それは『山の様な岩』ではなく、『岩の様な山』。
岩屋寺さんの御本尊でした。

そんな山深い立地のこちらのお寺には、密教法具の『三鈷杵』と高野山、
『独鈷杵』と三十六番札所・青龍寺の関係と同様に、鈴にまつわるお話が
残っています。

修行でこの地を訪れたお大師さまは、かつて御自分の投じられた鈴の音を
耳にされました。

音に誘われて行くと、そこに現われたのが法華仙人
八百年も生きているという女性です。

仙人は、修行場としてこの地を差し出すと、お大師さまは有り難く頂き、
お礼として、仙人の望みに従い、お経を書いた巻物を投げ上げました。

巻物を受け取るために天高く飛び上がった法華仙人は、岩山を突き抜け、
真っ二つにして帰って来たそうですが、その場所が、逼割禅定です。

そんな凄い力を持つ仙人ですが、自身よりも力を持つお大師さまに接し、

「これで安心して、命を終える事が出来る。」

と言い残し、大往生を遂げたそうです。

素晴らしいみ教えに出会えず、後の事が心配でたまらなかった法華仙人。
死ぬに死ねなかった結果、八百歳まで生きていたのかもしれません。

***********

本堂の真下に、絶壁の岩をくり貫いた『穴禅定』があります。
今回、米裕さんと杉本さんが、その行場をレポートして下さいました

中は真っ暗闇で、頼りは手摺と、所々にある灯籠のみ。

ところが、その手摺も途切れ、唯一の目印である灯籠も二手に分かれて、
どうしようもなく闇を探っていると蝋燭立てがあり、そこに灯りを点すと
心の底から湧き上がる、安堵の気持ち。

///////////

密教では、『暗闇』を大切にするそうです。

出て来た時の感動・・・
この世に誕生した時の、赤ん坊の気持ち・・・

そんな苦難の時を経て、暗闇の中に明かりを頂く有り難さを、身をもって
体感出来るからかもしれません。

***********

冒頭で紹介の通り、駐車場からの道程がかなり厳しい、こちらのお寺。
でも、登り切った時の感動はひとしおです。

杉本さんは、郵便配達の男性に会ったそうですが、やはり参拝者と同じく
駐車場からは、徒歩で登らなければなりません


このような厳しい場所にも、日常の生活がある事を感じた一行でした。

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
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2009/02/22 12:14 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【44番】菅生山・大宝寺《放送内容》
今回のお参りは第四十四番札所、菅生山・大宝寺です。

この番組、インターネットでも発信している関係で、どんな時に聴いても
違和感のない様にとの配慮で、季節の話題は避けて制作されてきました。

・・・ただ今回は、そんな方針も消し飛んでしまう、壮絶な状況です。

舞台裏を明かしますと、収録されたのが平成21年1月。
この時期、倉敷は暖かい日が続いており、向かう先の南国・伊予の国は、
当然ながら更に過ごし易いだろう、と予測していた一行。

・・・一体誰が、スタッドレスタイヤさえ効かない、アイスバーンの続く
厳寒の雪国
を想像し得たでしょうか?


四国は、険しい山の続く土地。
峠を境に、気候がガラリと変わる事はよくあります。

八十八箇所中の四十四番目、記念すべき折り返し地点の、この雪景色
「緩めるなよ!」・・・という、お大師さまからの忠告かもしれません。

南国といえども、真冬です。
防寒と足元、しっかりとした装備でお参りしましょう。

***********

山門からはみ出す勢いの、立派な大わらじ
ツルツルの路面、「足元に気をつけよ」という暗示にも思えます。

釣り鐘が2つもある、珍しいこちらのお寺
元々は、百済からの渡来人が十一面観音像を奉納したのが始まりとの事。

後に空海さまが境内を整備され、天皇のお力で発展を遂げたそうですが、
山の中という厳しい立地のため、古くなった建物は建て替えるのでなく、
元のものを生かして、増築を重ねながら栄えて行ったようです。

現代のお遍路、各札所での『納め札』の納め方は、それ専用の箱があり、
そこに入れるのが通例ですが、こちらの大宝寺では、掲示板のような所に
貼り付ける方法で行われています。

札所にお参りする事を『打つ』と言います。

今の納め札は紙で出来ていますが、江戸時代以前は木の板だったそうで、
お参りの際にそれを『打ち付けて』納めていた、との事。

時代の変遷と共に習慣は姿を変え、表現だけが今に残っている訳ですが、
こちらのお寺は、昔の風習が現代も続いている、貴重な札所なのです。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。

今回、たけやんとごんたはお休み。
代わって登場したのが、少し懐かしい曲(笑)を口ずさみながらやって来た
狩人が2人。

肩に鉄砲を担いでいるものの、随分長い間、使っていない様子
どちらも一人者のようで、もしも女房がいたなら頑張って猟に精を出して
シシ鍋を御馳走するのに・・・と、己の腕のなさの言い訳でしょうか?

そんな2人の目の前に現れた、1頭の猪・・・ですが、様子が変です。
鉄砲を持つ猟師に向かって腹を見せ、無抵抗のポーズ。

遅れてやって来た山鳩と共に、2人を山の奥深くへ招く素振りですので、
そのままついて行くと、その先にいらしたのが、光り輝く観音さま。

「この様な素晴らしい方と引き合わせてくれた、こんな可愛い動物達を、
撃つ事など出来るかっ!!」


2人は狩人をやめ、お堂を建てて観音さまをお祀りしたそうです

***********

札所のお参りでは、十善戒に続き般若心経を唱えますが、こうゆうさんが
提案されたのが『指心経』という読み方。

これは、お経本を一字ずつ指で辿りながら、その通りに唱えて行くという
読経の方法で、高蔵寺の寺子屋でも行う事があるそうです。


今回、実際に行ってみた杉本さんの感想は、いつも唱えているスピードに
指がついてこない感じで、非常にやり辛い、との事

真言宗では三密行・・・身・口・意を一致させる事を非常に重視します。

指と、唱える速さが合わない。
・・・それは『身』と『口』が一致していない事を意味します。

その原因を探れば、気持ちが先走っているため
・・・してみると、『意』までもが一致していない事になります。

心を落ち着けて、指の速さに合わせて冷静に唱えて行くと、新たな発見も
多々あります。

「この音は、こういう字を書くのか・・・。」
「この箇所は、こういう意味だったのか・・・。」


分かった『つもり』だった今までの自分から一歩抜け出す事が出来るかも
しれません。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2009/02/07 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【43番】源光山・明石寺《放送内容》
今回のお参りは第四十三番札所、源光山・明石(めいせき) 寺です。

寺号の“いわれ”には諸説あるようです。

観音さまの化身である乙女が、石を抱きかかえて籠られた、という説。
女神が願掛けのために大きな石を積み上げていたところ、夜明けの
明るい光に驚き石を残して姿を隠した、という説。

特に第説。
『超人的な力で、一夜の内に』大変な事を成し遂げるという、四国
霊場各地に残る伝説に通じるお話ですが、こちらのお寺の元の名前を
『あげいしじ』と称した事を裏付けるものと言えるかもしれません。

このお寺、かつては山岳修行の拠点だったのを、役行者が修験道の
根本道場として整備したのが始まりだそうです。

ですから、今でこそ万人に開かれた札所となり、表面上は優しい雰
囲気であっても修験道の持つ厳しい空気は、今尚残されています。

山号の源光山、かつては『現光山』だったそうで、上記の伝説との
繋がりで言えばこちらの方が相応しく感じますが、境内に源頼朝の経塚がある事か
らも分かる通り源氏との関係が深かったという事情で、改められたようです。

***********

境内には伝説の通り、巨大な岩が、隙間なく見事に積み上げられています。
加工されたものと違って、自然の岩同士をキッチリ合わせるという
のは、さぞかし大変な作業だった事でしょう。

諸堂各所に配置される、伝説の動物を表現した細密な彫り物も素晴らしいのですが
先に述べた通り、本堂の持つ威圧的なその佇まいは、奈良の吉野あたりに今も残る
修験道の道場に通じるものがあります。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。

「半分来たなぁ。」・・・と、感慨深気なごんた。
でも、ここは43番ですから、本当は次の札所が中間点なのですが・・・。

暢気なごんた、明石寺の名前を『あかしでら』と思い込んで、『明
石焼』の蘊蓄を熱心に語っていますが、もちろん寺号は『めいせきじ』。

こちらのお寺は、お遍路さんのために、宿泊所を無料で提供していたそうですが、
かつて修験道の道場だっただけあり、掃除や食事、洗面、果てはトイレに至るまで
あれこれと厳しい決まりがあったそうです。

トイレなんて、ただ入って出すだけの事に、どうして決まりがあるのか?
・・・疑問に思うごんた。

でも、食事にせよトイレにせよ、日常生活の場面で『当たり前に出来ている』事は
見えない所で誰かが準備してくれて、そして陰で誰かが努力してくれたからこそ、
皆が『当たり前に』出来るのです。

何気ない普段の生活の中にも、誰かの配慮があって初めて成り立
つ、という事は、数多くあります。

ぼんやり生きていると忘れがちな、周囲への『感謝の心』
お寺の厳しい決まり事は、それを思い起こさせる事が目的なのでしょう。

***********

四国八十八ヶ所は、空海さまゆかりのお寺を札所と定めたものです。

弘法大師空海さまと言えば、真言宗の開祖。
ならば、四国八十八ヶ所の寺院が全て真言宗かと言えば、必ずしもそうではなく、
長い歴史の中で、他の宗派に変わった所もあり、この明石寺は天台宗のお寺です。

空海さまと、天台宗開祖の最澄さまとは、同時代に活躍された『ライバル』として
語られる事が多くあります。

しかし、お二人とも山岳修行をルーツとされており、類似した点も多くあります。

高野山には、空海さまを慕って、山に籠った天台宗の高僧が遺したという御詠歌が
伝わっています。

宗派の違いはあっても、教義の根底の部分では深く密接につながっているからこそ
このような感動的なエピソードもあるわけです。

表面だけを捉え、浅い部分で争うのは、残念な事です

***********

明石寺から四十四番の大宝寺への途中にあるのが、別格霊場の『十夜ヶ橋』。

ここは、巡錫中の空海さまが一夜の宿を求めたものの、村の誰も聞き入れてくれず
仕方なく橋の下で過ごされた場所です。

「修行した身でありながら、一夜が十夜の様に長く感じられた」というお言葉から
この名前となりましたが、ここから生まれたお遍路の作法があります。

それは、『橋の上では、杖を突かない』という事。

橋の下では、お大師さまがお休みかもしれない。
だから、うるさく音をたててはいけない。

根底にあるのは『周囲への配慮』という考えです。

***********

お遍路の作法を、もう一つ
時間や準備の関係で、お参りは笠をつけたまま行うのが一般的になっています。

しかし、考えてみれば、仏前では脱帽するのが自然な行動です。
これは、『仏さまのみ教えは頭(こうべ)に頂く』という考えからも、当然の事。

仏教の作法に『灌頂』というものがあって、これは頭の頂に水を注ぐ儀式ですが、
頭頂部をあけておかないのは、大変な無礼に当たります。

ですから、本義から言えば、参拝の際には笠をとるのが、正しい作法でしょう。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

2009/01/24 23:04 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【42番】一カ山・仏木寺《放送内容》
今回のお参りは第四十二番札所、一カ山・仏木寺です。
(一カ山の『カ』は、王偏に果)

平野部の、道路に近い場所に位置するこちらのお寺。
四国横断道が通る事で、現在の静けさも、やがて様変わりするでしょう。

***********

この地には、巡錫でお疲れのお大師さまのお姿を目に留めた土地の老人が
引いている牛に乗って頂くよう勧めた、という伝説が残っています。

牛の背に揺られていたお大師さま、光り輝く楠の大木を発見されました。
近付いてみると、自らが唐におられた時、「密教の聖地を示したまえ」
彼の地から投じられた宝珠がかかっているのを発見。

お大師さまは、楠で大日如来さまの像を刻まれて、その宝珠を白毫として
納められました。

***********

境内へと足を進めた一行に、ちょっとしたハプニング。

米裕さんが、九州は飯塚の知り合いの方とバッタリ!!

この方、自動車に家財道具一式を積んでお遍路をされているそうですが、
現在、何と179周目だとか。

ゆっくり、時間をかけてお参りする、きくへんろ一行。
ひょっとしたら、また道中でお会い出来るかもしれません。

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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記

「ケッタイなモノが建っている!!」・・・と、ごんた。

どうやら、仏木寺境内の『家畜慰霊塔』の事を言っているようです。

日本人は農耕民族。
かつて、牛や馬は、農地を耕作するための、重要な労働力でした。

ですから、人間同と共に暮らす家畜を、家族同様に大切に扱ってきたのが
我々の祖先です。

ですから、家族の一員である家畜が亡くなったなら、人間と全く同じ様に
供養したのです。

決して、『(牛や馬を)食べての供養』ではありません。

かつて、空海さまが牛に乗って来られたという伝説の残る、この地。
そんな御縁があって、家畜慰霊塔があるのかもしれません。

***********

他の団体など、周り大勢の参拝者がいると、お参りしていても、ついつい自分を見失いがちになります。

そんな時に備えての、こうゆうさんからのワンポイント・アドバイス。

『経は耳で読め』。

自分の声と、相手の声を合わせた音を耳に入れる様な感覚で読経すれば、
迷ったりする事も少なくなります。

***********

『草も木も 仏になれる仏木寺 なを頼もしき鬼畜人天』

仏木寺の御詠歌です。

草木さえも仏になる事が出来る。

ならば、地獄や餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、そして天界にある者は
尚更、仏の道に近いはずです。

志をしっかり持って、正しい道を進め!!

・・・そんな風に、我々を奮い立たせて下さる歌ではないでしょうか。

***********

最後は、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ

お接待にと蜜柑を持つ女性、大阪から団体でお参りされているそうです。

三十三箇所をお参りされた後、念願の初孫に恵まれた事が、お遍路を巡る
きっかけとなったとの事。

現在は、お礼の意味も含めて八十八箇所をお参りされているそうですが、
回っている時、手を合わせている時が一番幸せだそうです。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

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2009/01/11 22:51 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【41番】稲荷山・龍光寺《放送内容》
今回のお参りは第四十一番札所、稲荷山・龍光寺です。

民家と土産物屋、うどん屋などが軒を連ねた、車一台がようやく通れる
細い参道の先にある、盆地に位置するこちらのお寺。

石段の下から見ると、向かって右側に大師堂、左に本堂、そして正面には
赤い鳥居の奥に稲荷神社のお社がある、変わった造りになっています。

***********

空海さまが、唐の国から密教を持ち帰られた当時。

伝えようとされた新しいみ教えが、どんなに素晴らしいものであっても、
旧来の考え・風習を守る側にとっては、やはり抵抗があります

古い教えを否定するのではなく、その利点を十分に理解し、敬意を払って
尊重しつつ、新しい密教を導入する
事で、お互いを更に高め合える・・・

空海さまは、旧来の教えを否定するのではなく、共存共栄を念頭に置いて
苦労しながら、密教を広められましたが、この地を巡錫なさっていた時、
稲を背負った翁が現れ、み教えに感動して、

「仏法により、この地を守りたい

・・・と言った、と伝えられています。

これに類する説話は、各地に伝わっており、出会うのが、ある時は美女
またある時は大男だったりするのですが、それらの人物は、土地の神様
人の形を借りて現われた姿
だと考えられています。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。

柿のお接待に喜ぶごんたですが、二度と会う事のない自分に、どうして、
土地の人は親切にお接待してくれるのだろう?
・・・と、不思議な様子。

たけやんによれば、かつてお大師さまは、色々な姿で歩いておられたので
土地の人々は、お大師さまをお接待したい一心で、巡礼されている人々に
色々と施しをする内に、お接待それ自体の素晴らしさ・喜びに目覚めた
という事のようです。

だから、

「今後会う事のない人をお接待するのは『損』だ。」

・・・などといった、浅ましい考えはないわけです(笑)

四国は、罪を懺悔するために巡る、とも言われています。
懺悔し、心を美しく磨き上げて、功徳を積む。

『病は気から』という言葉もあるように、磨かれた美しい心を得る事は、
体と精神の安定をもたらします。

懺悔を『ふるまい・お接待』として表わすならば、お遍路を巡る側の人が
土地の人に施しながら歩くという事もあり得るわけで、事実、小豆島では
そのような形のお遍路が実在するそうです。

『施しながら歩く』という事に、ごんたは難色を示しているようですが、
施すのは、必ずしも『物』である必要はありません。

『心』・・・即ち、『皆の幸せを祈る気持ち』で良いのです。

功徳といえば、昔、施しをしながら遍路をしていた行者が、疲労のため、
お寺の境内で休んでいた時の事。

悪い龍が現れ、眠り込んでいるそのお遍路さんに襲いかかろうとした所、
腰の守り刀が勝手に抜けて、龍の目を刺し、退治しました。

何も知らないお遍路さん、足元に転がっている龍の目玉を洗ったところ、
突如として雨が降り始め、水を拭き取ると雨が止みます

不思議に思い、その目玉を奉納した先が、この龍光寺だそうです。

功徳を積んだお遍路さんには、悪魔さえも手出しが出来ないのです

***********

本堂とお大師堂でお参りを修めた一行は、稲荷神社へ向かいます。

鳥居というと、神社の『専売特許』といったイメージが強くありますが、
これは本来、『結界』とか『境界』を表わした印。

神道特有のものではありません。

神様へのお参りの作法、本州では廃れてしまっていますが、沖縄へ行くと
昔ながらのやり方が、キチンと残っています。

名前と住所、生年月日と干支をお伝えして、御挨拶申し上げる
仏教徒であれば、自分の宗派を述べるのも良いでしょう。

お参りさせて頂く我々の側からは、相対している神様が、どのような方か
分かっていますので、こちらの素性も明らかにするのが礼儀です。

時に「神前で般若心経を唱えてよいか?」といった事が論じられますが、
空海さまの著作『般若心経秘鍵』には、

「神社にお参りする際は、これをお唱えしなさい。」

・・・と、記されています。

***********

納経所で、お軸に御朱印を頂いた杉本さん

他の参拝者に気を遣い、慌てて出し入れする事が多いため、大切なお軸が
ねじれていたのを、納経所の女性がキチンと直して下さったそうです。

ほんのちょっとした心遣いに、思わず心温まる瞬間があります

何気ない対応で、他人を笑顔にする事が出来る。
・・・我が身を省みる、良い機会を頂いたようです。

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2008/12/21 17:20 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

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