今回のお参りは第四十番札所、平城山・観自在寺です。
『発心の道場』(阿波)・『修行の道場』(土佐)を修め、
ここからいよいよ
『菩提の道場』、伊予の国です。
仏道を歩む気持ちを起こし、一歩踏み出す『発心』。
難行・苦行の長い道を、ひたすら突き進む『修行』。
・・・では、『菩提』とは?
通常、『修行』を終える事がゴール地点
修行が完成する事は、人間が本来生まれながらにして持っている菩提心、
即ち仏の心が完成する事をも意味します。
しかし、少し物事が出来始めた途端、人間には『慣れ』『慢心』といった
厄介なものが生じます
土佐の国まで修め、修行を完成させているのなら、その方は既に『仏』。
ならば以後は『人』ではなく、『仏』として歩むわけです。
仏が、仏としてもう一度修行に励み、更なる徳を積んで磨きをかける。
慣れや慢心に流れそうになるのを、もう一度引き締め直す道程です。
***********
平城天皇の頃、弘法大師・空海さまが開かれたこちらのお寺、御本尊は、
お大師さま自ら彫られたと言われる、薬師如来さまです。
平地の町中に位置するこちらは、歴史のあるお寺ながら、境内は近代的に
整備されています
山門両脇の石柱、右側の文字は『大師値遇』。
左には『随縁往来』と刻まれています。
お大師さまにお会いさせて頂くに値する魂。
仏道を進んで行く事を発心してこその歩み。
・・・そう感じながら、歩んで参りましょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
こちらの観自在寺は、一番札所の霊山寺から最も遠い札所である事から、
『裏関所』の異名がある、というたけやんの説明ですが・・・
そんな事より、ごんたにとっては、土佐で鰹のタタキ
を食べ損なった事が
大きな痛手のようです
(笑)
土佐といえば、かつては鯨料理も盛んでした。
そんな文化がある一方で行われたのが、『鯨供養』
捕獲され、人間のために役立ってくれた鯨。
無駄なく、全てを有効に使わせて頂く人間。
自然の恵みへの『感謝の心』があってこそ、『供養』という文化・風習が
生まれるのです
多くの国々が、『野蛮』とか『可哀想』といった理由で捕鯨国を非難し、
反対の態度をとっています
その反対国、かつては鯨を乱獲し、食肉を除く大量の部位を廃棄していて
資源を無駄に浪費していたのです。
現在の捕鯨国が、かつて自身が繰り返した愚行を、今も続けている・・・
反対国は、そう思い込んでいるのでしょう。
たけやん、捕鯨反対国の御都合主義に、大変御立腹でありました
。
***********
こちらには『弘法大師宝印御守』という、手拭いサイズの布があります。
この布には、お大師さまが、御本尊を彫った木の余りを版木に利用して、
『南無阿弥陀仏』と刻まれた文字がそのまま転写されています。
ここで、『南無阿弥陀仏』といえば浄土系の教えのもので、真言宗ならば
『南無大師遍昭金剛』という御宝号では?・・・と思ってしまいます。
でも、空海さまが御活躍の頃は『南無阿弥陀仏』を唱えていたのです。
実は『大師』号は、空海さまが御入定された後に天皇から賜ったもので、
御宝号は、後の世の人が、空海さまを慕って唱え始めたものなのです
***********
観自在寺の『観』は、観察の『観』
。
真実を、良き姿を、心に焼き付ける事です。
目が見えずとも、耳が聞こえずとも、焼き付けたその真実が、いつでも、
自在に具現化出来る・・・
そのレベルに達するべく、精進を続けるのが『菩提の道場』。
こちらのお寺、節目の札所として、しっかりとお参りしたいものです
。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
『発心の道場』(阿波)・『修行の道場』(土佐)を修め、
ここからいよいよ
『菩提の道場』、伊予の国です。
仏道を歩む気持ちを起こし、一歩踏み出す『発心』。
難行・苦行の長い道を、ひたすら突き進む『修行』。
・・・では、『菩提』とは?
通常、『修行』を終える事がゴール地点

修行が完成する事は、人間が本来生まれながらにして持っている菩提心、
即ち仏の心が完成する事をも意味します。
しかし、少し物事が出来始めた途端、人間には『慣れ』『慢心』といった
厄介なものが生じます

土佐の国まで修め、修行を完成させているのなら、その方は既に『仏』。
ならば以後は『人』ではなく、『仏』として歩むわけです。
仏が、仏としてもう一度修行に励み、更なる徳を積んで磨きをかける。
慣れや慢心に流れそうになるのを、もう一度引き締め直す道程です。
***********
平城天皇の頃、弘法大師・空海さまが開かれたこちらのお寺、御本尊は、
お大師さま自ら彫られたと言われる、薬師如来さまです。
平地の町中に位置するこちらは、歴史のあるお寺ながら、境内は近代的に
整備されています

山門両脇の石柱、右側の文字は『大師値遇』。
左には『随縁往来』と刻まれています。
お大師さまにお会いさせて頂くに値する魂。
仏道を進んで行く事を発心してこその歩み。
・・・そう感じながら、歩んで参りましょう。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
こちらの観自在寺は、一番札所の霊山寺から最も遠い札所である事から、
『裏関所』の異名がある、というたけやんの説明ですが・・・
そんな事より、ごんたにとっては、土佐で鰹のタタキ


大きな痛手のようです

土佐といえば、かつては鯨料理も盛んでした。
そんな文化がある一方で行われたのが、『鯨供養』

捕獲され、人間のために役立ってくれた鯨。
無駄なく、全てを有効に使わせて頂く人間。
自然の恵みへの『感謝の心』があってこそ、『供養』という文化・風習が
生まれるのです

多くの国々が、『野蛮』とか『可哀想』といった理由で捕鯨国を非難し、
反対の態度をとっています

その反対国、かつては鯨を乱獲し、食肉を除く大量の部位を廃棄していて
資源を無駄に浪費していたのです。
現在の捕鯨国が、かつて自身が繰り返した愚行を、今も続けている・・・
反対国は、そう思い込んでいるのでしょう。
たけやん、捕鯨反対国の御都合主義に、大変御立腹でありました

***********
こちらには『弘法大師宝印御守』という、手拭いサイズの布があります。
この布には、お大師さまが、御本尊を彫った木の余りを版木に利用して、
『南無阿弥陀仏』と刻まれた文字がそのまま転写されています。
ここで、『南無阿弥陀仏』といえば浄土系の教えのもので、真言宗ならば
『南無大師遍昭金剛』という御宝号では?・・・と思ってしまいます。
でも、空海さまが御活躍の頃は『南無阿弥陀仏』を唱えていたのです。
実は『大師』号は、空海さまが御入定された後に天皇から賜ったもので、
御宝号は、後の世の人が、空海さまを慕って唱え始めたものなのです

***********
観自在寺の『観』は、観察の『観』

真実を、良き姿を、心に焼き付ける事です。
目が見えずとも、耳が聞こえずとも、焼き付けたその真実が、いつでも、
自在に具現化出来る・・・
そのレベルに達するべく、精進を続けるのが『菩提の道場』。
こちらのお寺、節目の札所として、しっかりとお参りしたいものです

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

PR
今回のお参りは第三十九番札所、赤亀山・延光寺です。
『修行の道場』土佐の国も、この札所が最後。
その名の通り、長く、そして厳しい道程でした。
***********
山あいの静かな盆地に整備されたこちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、
御本尊は薬師如来さまです。
仏教が日本に伝来した当時、『病気を治して下さる
』といったお働きが、
庶民にとって最も身近で分かり易かった事もあり、お薬師さまへの信仰が
一般民衆の間に広がりました。
ですから、お薬師さまが本尊のお寺は、歴史の古い所が多いのです。
***********
こちらのお寺には、『赤い亀が梵鐘を背負って海からやって来た
』という
言い伝えが残っています。
龍・鳳凰・麒麟と並んで、『亀』は吉祥の動物です。
「亀がやって来る土地」・・・
それは即ち、神仏の住まわれる、尊い場所である事を意味しています。
また『海からやって来た』
という伝説が意味するものは、未知の場所から
新しく尊いみ教えが伝来した、という事実です。
響き渡る、梵鐘の音
それは、「ここに仏の教えあり」という幸せ、安心感でもあります
***********
四国各地に、お大師さまと水にまつわる伝説が数多く残されていますが、
こちらにも、お大師さまが錫杖で突かれた場所から水が湧き出た、という
『目洗いの井戸
』が現存しています。
その名の通り、眼病に効能があるそうですが、仏教の根本に立ち返れば、
我々は『邪見を除く』・・・即ち、『心眼を開く』ことを目指さなければ
なりません。
五体満足な人間にとっては何の変哲もない、ただ『見える
』という事も、
目の不自由な人からすれば、大変に有り難く、尊い事だと分かります
我々も、邪見を除いた、汚れない素直な気持ちでこの世界に接したならば
日常の何気ない出来事に、感動と感謝の気持ちが湧き上がるはずです
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
大きな亀の像
に感動したごんた。
延光寺の亀と梵鐘の伝説は、浦島太郎と関係がある、と推測しています
竜宮城へ行った浦島太郎、帰り際に、お土産として梵鐘
を頂いたものの、
そんな重いものを持って陸へ上がる事は出来ないので、亀に運んでもらい
自らはイルカ
に乗って岸へと辿り着き、延光寺の住職になった・・・
なんとも、独創的な学説です(笑)
たけやんは、商売人の捕まえた亀をお金で買って、川へ放す・・・という
『放し亀』を思い出しました。
囚われの身である亀を助け、逃がす事で功徳を積む、という風習ですが、
亀、特に助けてもらえなかった者の立場からすれば、『功徳』どころか、
助けてくれなかった人間を恨んでいるかもしれません
誰からも認められる形で功徳を積む・・・本当に難しい事です。
***********
各札所にある納経所。
お参りの方への対応の仕方も、様々です。
にこやかに対応して下さる方
もあれば、怒る人
や、無表情な人
・・・
中には、納経所の方の、つっけんどんな対応に遭って、
「けしからん!!」
・・・と、立腹する参拝者もいます。
しかし我々は、お参りを『させて頂いている』立場。
決して、『お客様』ではないのです。
ひょっとしたら、自分に不足している部分を、仏さまが『戒め』として、
我々の眼前にお示し下さっているのかもしれません。
「教えて頂いている。」
「修行させて頂いている。」
・・・そう思って、我が身を省みる事が、本来の姿勢でしょう。
因みに、こうゆうさん思い出の納経所は、お婆ちゃんがテレビを観ながら
対応して下さる所だったそうですが、
そのお婆ちゃんが筆を動かすのが、
テレビドラマの合間のCMの時間だけだったそうです(笑)
さて、土佐の国での修行は、ここまで。
次からは、いよいよ『菩提の道場』、伊予の国です

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
『修行の道場』土佐の国も、この札所が最後。
その名の通り、長く、そして厳しい道程でした。
***********
山あいの静かな盆地に整備されたこちらのお寺、開基は行基菩薩さまで、
御本尊は薬師如来さまです。
仏教が日本に伝来した当時、『病気を治して下さる

庶民にとって最も身近で分かり易かった事もあり、お薬師さまへの信仰が
一般民衆の間に広がりました。
ですから、お薬師さまが本尊のお寺は、歴史の古い所が多いのです。
***********
こちらのお寺には、『赤い亀が梵鐘を背負って海からやって来た

言い伝えが残っています。
龍・鳳凰・麒麟と並んで、『亀』は吉祥の動物です。
「亀がやって来る土地」・・・
それは即ち、神仏の住まわれる、尊い場所である事を意味しています。
また『海からやって来た』

新しく尊いみ教えが伝来した、という事実です。
響き渡る、梵鐘の音

それは、「ここに仏の教えあり」という幸せ、安心感でもあります

***********
四国各地に、お大師さまと水にまつわる伝説が数多く残されていますが、
こちらにも、お大師さまが錫杖で突かれた場所から水が湧き出た、という
『目洗いの井戸

その名の通り、眼病に効能があるそうですが、仏教の根本に立ち返れば、
我々は『邪見を除く』・・・即ち、『心眼を開く』ことを目指さなければ
なりません。
五体満足な人間にとっては何の変哲もない、ただ『見える

目の不自由な人からすれば、大変に有り難く、尊い事だと分かります

我々も、邪見を除いた、汚れない素直な気持ちでこの世界に接したならば
日常の何気ない出来事に、感動と感謝の気持ちが湧き上がるはずです

***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
大きな亀の像

延光寺の亀と梵鐘の伝説は、浦島太郎と関係がある、と推測しています

竜宮城へ行った浦島太郎、帰り際に、お土産として梵鐘

そんな重いものを持って陸へ上がる事は出来ないので、亀に運んでもらい

自らはイルカ

なんとも、独創的な学説です(笑)

たけやんは、商売人の捕まえた亀をお金で買って、川へ放す・・・という
『放し亀』を思い出しました。
囚われの身である亀を助け、逃がす事で功徳を積む、という風習ですが、
亀、特に助けてもらえなかった者の立場からすれば、『功徳』どころか、
助けてくれなかった人間を恨んでいるかもしれません

誰からも認められる形で功徳を積む・・・本当に難しい事です。
***********
各札所にある納経所。
お参りの方への対応の仕方も、様々です。
にこやかに対応して下さる方



中には、納経所の方の、つっけんどんな対応に遭って、
「けしからん!!」
・・・と、立腹する参拝者もいます。
しかし我々は、お参りを『させて頂いている』立場。
決して、『お客様』ではないのです。
ひょっとしたら、自分に不足している部分を、仏さまが『戒め』として、
我々の眼前にお示し下さっているのかもしれません。
「教えて頂いている。」
「修行させて頂いている。」
・・・そう思って、我が身を省みる事が、本来の姿勢でしょう。
因みに、こうゆうさん思い出の納経所は、お婆ちゃんがテレビを観ながら
対応して下さる所だったそうですが、


さて、土佐の国での修行は、ここまで。
次からは、いよいよ『菩提の道場』、伊予の国です


***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第三十八番札所、蹉跎山・金剛福寺です。
四国最南端の足摺岬を臨むこちらのお寺、境内に配されている岩といい、
周りを囲む蘇鉄などの木々といい、南国ムード満点

前の札所からは約100km、歩けば2日以上を要する距離です

そんな厳しい道中ですが、途中には休憩場所も、食料を調達出来る
店舗もほとんどありません。
そんな、文字通り『足を摺る』ような思いで行かねばならないこの道を、
こうゆうさんはつい最近、歩かれたそうです。
近頃は車での参拝が増えた事もあり、
バスなど大型車両が通行出来る
様に立派な道路が整備され、歩き遍路の方にとっても、そういった道は
快適で楽に思われがちですが
、
大型の車両に合わせて設計された道路ですから、カーブの関係などから、
旧道に比べかなり大回りとなります
一方、昔からの遍路道は、最近の道路に比べれば、距離こそ短いものの、
高低差の激しい、金剛杖なしには進めないような急峻な箇所も多くあり、
『どちらが楽か
』という単純比較は出来ません。
***********
境内は、自然の岩をうまく利用した『立体曼荼羅』という趣き。
古くからの建物が多く残っている一方、本来の正しい様式を再現すべく、
新築されている途中の建物も見られ、現在は整備中
の段階のようです。
広い境内ですので、時間をかけてゆっくり散策されるのもよいでしょう
***********
ところで、冒頭でも触れた足摺の行ですが、こうゆうさんが歩かれた時は


暴風雨で、大変な思いをされたようです
雨がしみた地下足袋が足を締め付け、痙攣が発生する

雨合羽を着用すると、蒸れて脱水症状となるため、雨具は使うことなしに
ズブ濡れで歩き通した
、との事。
『足摺』という名称の由来は、こちらに古来からいらっしゃった神々が、
この地に降り立たれた仏さまの説法を聞きたくて、足をする様にしながら
地団駄を踏んだ・・・という説もあるそうですが、行者の立場からすると
足をすりながら歩かねばならない、厳しい道程・・・

こちらの方が、実感が湧くそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
今回は、『足摺』の語源とされる、もう一つの説のご紹介です。
ある地位の高い、傲慢なお坊さんが、観音さまに会うためにと宣言して、
この地を訪れましたが、
本心は、自らの地位と名誉のみを考えての行動で
本当に観音さまにお会いしようなどとは、毛頭思っていませんでした
一方、同行していたお弟子さんは真面目で優しく、とても慈悲深い方で
宿を乞うて、師匠に冷たく門前払いにされる修行僧たちに、自身の食料を
分け与えていたのでした
そんなお弟子さんの姿を見ていらした、観音さま。
美しい僧侶の姿をとって二人の前に現れ、お弟子さんだけをお招きになり
補陀洛浄土へと向かわれました
師匠は、足をするように足踏みして、自分もお浄土へ同行させてほしいと
懇願したものの
、かなわなかった、との事。
この様な説話は、『発心集』や『とはずがたり』という鎌倉時代の書物に
収録されているそうです。
***********
『お接待』には、金品や食べ物・宿・車など、様々な方法がありますが、
施す側、受ける側、それぞれに修行が必要です
足摺の地に来る度に、こうゆうさんが必ず思い出す、先輩に教えて頂いた
エピソードがあるそうです。
///////////
バスでお四国を巡っている、おばちゃんの一団がいました
彼女達は、道中で『車接待』の楽しさに目覚めて、歩き遍路の人を見ては
自分達のバスに『お接待』として乗せて差し上げて
、色々お話をしながら
共にお参りし
、最後に感謝の言葉を頂く事に快感をおぼえていました
歩き遍路の青年僧
を見つけた一団、いつも通り『お接待』を申し出ますが
彼は全行程を徒歩で巡ると決心していたので、お断りしたそうです。
しかし、多勢に無勢、押し切られる形でバスに乗り込む事となりました
そしてこの札所に到着し、礼を述べると、皆と一緒にお参りをする事なく
元来た道を、歩いて戻り始める青年僧
おばちゃん達が理由を尋ねると、彼は
「全て徒歩で巡り修行すると決心した身、乗せて頂いた所まで戻ります」
・・・と述べて、去って行ったそうです
///////////
親切も『押しつけ』になってしまうと、自らの徳を下げる事となります。
施すには、『陰ながら』という謙虚な気持ちが大事です。
***********
同じ土佐清水市内といっても、中心市街地からは
山を越えて十数km。
そのため、この足摺周辺だけで、一つの町が形作られています。
宿や温泉
、美味しい食事・・・
すった足を十分に労るためにも、ゆっくり時間をとってお参り下さい
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
四国最南端の足摺岬を臨むこちらのお寺、境内に配されている岩といい、
周りを囲む蘇鉄などの木々といい、南国ムード満点


前の札所からは約100km、歩けば2日以上を要する距離です


そんな厳しい道中ですが、途中には休憩場所も、食料を調達出来る
店舗もほとんどありません。
そんな、文字通り『足を摺る』ような思いで行かねばならないこの道を、
こうゆうさんはつい最近、歩かれたそうです。
近頃は車での参拝が増えた事もあり、

様に立派な道路が整備され、歩き遍路の方にとっても、そういった道は
快適で楽に思われがちですが

大型の車両に合わせて設計された道路ですから、カーブの関係などから、
旧道に比べかなり大回りとなります

一方、昔からの遍路道は、最近の道路に比べれば、距離こそ短いものの、
高低差の激しい、金剛杖なしには進めないような急峻な箇所も多くあり、
『どちらが楽か

***********
境内は、自然の岩をうまく利用した『立体曼荼羅』という趣き。
古くからの建物が多く残っている一方、本来の正しい様式を再現すべく、
新築されている途中の建物も見られ、現在は整備中

広い境内ですので、時間をかけてゆっくり散策されるのもよいでしょう

***********
ところで、冒頭でも触れた足摺の行ですが、こうゆうさんが歩かれた時は




雨がしみた地下足袋が足を締め付け、痙攣が発生する


雨合羽を着用すると、蒸れて脱水症状となるため、雨具は使うことなしに
ズブ濡れで歩き通した

『足摺』という名称の由来は、こちらに古来からいらっしゃった神々が、
この地に降り立たれた仏さまの説法を聞きたくて、足をする様にしながら
地団駄を踏んだ・・・という説もあるそうですが、行者の立場からすると
足をすりながら歩かねばならない、厳しい道程・・・


こちらの方が、実感が湧くそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
今回は、『足摺』の語源とされる、もう一つの説のご紹介です。
ある地位の高い、傲慢なお坊さんが、観音さまに会うためにと宣言して、
この地を訪れましたが、
本心は、自らの地位と名誉のみを考えての行動で

本当に観音さまにお会いしようなどとは、毛頭思っていませんでした

一方、同行していたお弟子さんは真面目で優しく、とても慈悲深い方で

宿を乞うて、師匠に冷たく門前払いにされる修行僧たちに、自身の食料を
分け与えていたのでした

そんなお弟子さんの姿を見ていらした、観音さま。
美しい僧侶の姿をとって二人の前に現れ、お弟子さんだけをお招きになり
補陀洛浄土へと向かわれました

師匠は、足をするように足踏みして、自分もお浄土へ同行させてほしいと
懇願したものの

この様な説話は、『発心集』や『とはずがたり』という鎌倉時代の書物に
収録されているそうです。
***********
『お接待』には、金品や食べ物・宿・車など、様々な方法がありますが、
施す側、受ける側、それぞれに修行が必要です

足摺の地に来る度に、こうゆうさんが必ず思い出す、先輩に教えて頂いた
エピソードがあるそうです。
///////////
バスでお四国を巡っている、おばちゃんの一団がいました

彼女達は、道中で『車接待』の楽しさに目覚めて、歩き遍路の人を見ては
自分達のバスに『お接待』として乗せて差し上げて

共にお参りし


歩き遍路の青年僧

彼は全行程を徒歩で巡ると決心していたので、お断りしたそうです。
しかし、多勢に無勢、押し切られる形でバスに乗り込む事となりました

そしてこの札所に到着し、礼を述べると、皆と一緒にお参りをする事なく
元来た道を、歩いて戻り始める青年僧

おばちゃん達が理由を尋ねると、彼は
「全て徒歩で巡り修行すると決心した身、乗せて頂いた所まで戻ります」
・・・と述べて、去って行ったそうです

///////////
親切も『押しつけ』になってしまうと、自らの徳を下げる事となります。
施すには、『陰ながら』という謙虚な気持ちが大事です。
***********
同じ土佐清水市内といっても、中心市街地からは

そのため、この足摺周辺だけで、一つの町が形作られています。
宿や温泉


すった足を十分に労るためにも、ゆっくり時間をとってお参り下さい

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第三十七番札所、藤井山・岩本寺です。
落ち着いた雰囲気のこちらのお寺、かつては大変に栄えた場所だそうで、
門前の町並みに、かつての面影が残っています。
院号は『五智院』といい、御本尊がお不動さま・観音さま・阿弥陀さま・
お薬師さま・お地蔵さまの五尊という、大変に珍しいお寺です
***********
天平時代、行基さまが開かれた当時は『福円満寺』と称したそうですが、
お大師さまの時代に五社・五カ寺を建立し、町全体を曼荼羅と見立てての
配置をされたようです。
仏教には、人の運命を司ると言われる北斗七星を拝む作法がありますが
、
特に、真冬の節分には『星供養』と言う、一年間生命をつなぎ、輝かせる
非常に重要な行があります

星供養に使われる『星供曼荼羅』を、この地上に表現した最初の場所が、
この札所だと言われています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
岩本寺には七不思議が伝わっている、とたけやんから聞かされたごんた、
『トイレの花子さん』のような怪談
を連想して、震え上がっていますが
、
それは恐い話ではなく、お大師さまにまつわる伝説のようです
///////////
子安桜
手水場で産気づき、苦しむ女性がいる所に通りがかったお大師さま。
柄杓の底を抜いて「底が抜けた。遮るものは何もない。早く出てこい。」
そうおっしゃると、女性は苦しむ事なく、子供を出産したとの事
。
以後、安産祈願として底を抜いた柄杓が、周囲のお寺に奉納されるように
なったそうです。
三度栗
ある子供が、通りがかったお大師さまに栗をお接待した時の事。
お大師さまがその子供に、何か願いがないかとお尋ねになったところ、
「年に何度も栗が採れたら、みんな喜ぶのに。
」と答えました。
すると次の年から、年に三度、栗が収穫出来るようになったそうです
口なし蛭
田植え時期、蛭に血を吸われて困っている農民を見たお大師さま。
蛭の口封じのお加持をなさいました。
するとその土地の蛭は、人に吸い付かなくなったそうです
桜貝
桜の時期
既に花が散ってしまったのを残念がったお大師さまが歌を詠んだところ、
浜辺の貝殻が花びらに姿を変え、お大師さまを慰めたそうです
筆草
お大師さまが使い古した筆を土に埋めたら、そこから草が生えました
抜いてみると、根が筆の形をしていたそうです。
尻なし貝
伊尾木川を渡られたお大師さま、巻貝の先で足に怪我をされました
そこで尖った貝の先端を丸くされたところ、それ以後、足を怪我する人は
いなくなったそうです。
戸たてずの庄屋
人を泊めると、気配で屋敷に泥棒が入り困っている庄屋さんがいました
それを聞いたお大師さまは、一晩泊めてもらったお礼にと、泥棒に入ると
手足が痺れる祈祷を行いました。
すると、以後は戸をたてなくても泥棒が入らなくなったそうです。
///////////
お大師さまは庶民の味方。
「お大師さまなら、なんとかして下さる。」
・・・そんな願いの込められた伝説です。
***********
本堂内部は、いわゆる『町のお寺さん』といった雰囲気。
お花と、お供えと、椅子や座布団、そして扇風機・・・
人々の命を伸ばし、磨くという役割を負った、地域の人々の信仰を集める
『道場』としてのリアルさが伝わってきます。
色紙大のカラフルな天井板が、格子で区切られた『格(ゴウ)天井』。
木は、打ち付けるのでなく、組み合わせる事で、強度が増すそうです
更に、
風や地震などについては、その揺れを逃がす事が出来ます。
この格天井は、神仏をお祀りする場所に採用されている建築様式ですが、
仏と神、人、物・・・この世、そしてあの世が全て繋がり
、包まれる形を
格子や障子、建具、果ては畳の目といった、細い木や、線の交わる様子で
表現しているそうです
***********
境内には、新旧の建物が混在していますが、手水場にある見事な彫り物や
かつての繁栄を偲ばせる巨大な鐘楼堂など、多くの見所があります。
中でも目を引くのが、歓喜天さまをお祀りした円堂。
筒に屋根がついた造形ですが、建物表面は木材の曲面をそのまま生かした
とても珍しいものです。
他にも、境内すぐ脇の林を列車
が走ったりと、鉄道マニアにもお薦め(笑)
じっくり、時間をかけてお参りしたいお寺です
***********
土佐の国は、修行の道場。
次の札所、三十八番・金剛福寺まで、車で94km、2時間30分の距離
歩きでは
、86~90km、所要時間は・・・何と、28時間
ひたすら歩く、足摺の行です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
落ち着いた雰囲気のこちらのお寺、かつては大変に栄えた場所だそうで、
門前の町並みに、かつての面影が残っています。
院号は『五智院』といい、御本尊がお不動さま・観音さま・阿弥陀さま・
お薬師さま・お地蔵さまの五尊という、大変に珍しいお寺です

***********
天平時代、行基さまが開かれた当時は『福円満寺』と称したそうですが、
お大師さまの時代に五社・五カ寺を建立し、町全体を曼荼羅と見立てての
配置をされたようです。
仏教には、人の運命を司ると言われる北斗七星を拝む作法がありますが

特に、真冬の節分には『星供養』と言う、一年間生命をつなぎ、輝かせる
非常に重要な行があります


星供養に使われる『星供曼荼羅』を、この地上に表現した最初の場所が、
この札所だと言われています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
岩本寺には七不思議が伝わっている、とたけやんから聞かされたごんた、
『トイレの花子さん』のような怪談


それは恐い話ではなく、お大師さまにまつわる伝説のようです

///////////

手水場で産気づき、苦しむ女性がいる所に通りがかったお大師さま。
柄杓の底を抜いて「底が抜けた。遮るものは何もない。早く出てこい。」
そうおっしゃると、女性は苦しむ事なく、子供を出産したとの事

以後、安産祈願として底を抜いた柄杓が、周囲のお寺に奉納されるように
なったそうです。

ある子供が、通りがかったお大師さまに栗をお接待した時の事。
お大師さまがその子供に、何か願いがないかとお尋ねになったところ、
「年に何度も栗が採れたら、みんな喜ぶのに。

すると次の年から、年に三度、栗が収穫出来るようになったそうです


田植え時期、蛭に血を吸われて困っている農民を見たお大師さま。
蛭の口封じのお加持をなさいました。
するとその土地の蛭は、人に吸い付かなくなったそうです


桜の時期

既に花が散ってしまったのを残念がったお大師さまが歌を詠んだところ、



お大師さまが使い古した筆を土に埋めたら、そこから草が生えました

抜いてみると、根が筆の形をしていたそうです。

伊尾木川を渡られたお大師さま、巻貝の先で足に怪我をされました

そこで尖った貝の先端を丸くされたところ、それ以後、足を怪我する人は
いなくなったそうです。

人を泊めると、気配で屋敷に泥棒が入り困っている庄屋さんがいました

それを聞いたお大師さまは、一晩泊めてもらったお礼にと、泥棒に入ると
手足が痺れる祈祷を行いました。
すると、以後は戸をたてなくても泥棒が入らなくなったそうです。
///////////
お大師さまは庶民の味方。
「お大師さまなら、なんとかして下さる。」
・・・そんな願いの込められた伝説です。
***********
本堂内部は、いわゆる『町のお寺さん』といった雰囲気。
お花と、お供えと、椅子や座布団、そして扇風機・・・
人々の命を伸ばし、磨くという役割を負った、地域の人々の信仰を集める
『道場』としてのリアルさが伝わってきます。
色紙大のカラフルな天井板が、格子で区切られた『格(ゴウ)天井』。
木は、打ち付けるのでなく、組み合わせる事で、強度が増すそうです

更に、

この格天井は、神仏をお祀りする場所に採用されている建築様式ですが、
仏と神、人、物・・・この世、そしてあの世が全て繋がり

格子や障子、建具、果ては畳の目といった、細い木や、線の交わる様子で
表現しているそうです

***********
境内には、新旧の建物が混在していますが、手水場にある見事な彫り物や
かつての繁栄を偲ばせる巨大な鐘楼堂など、多くの見所があります。
中でも目を引くのが、歓喜天さまをお祀りした円堂。
筒に屋根がついた造形ですが、建物表面は木材の曲面をそのまま生かした
とても珍しいものです。
他にも、境内すぐ脇の林を列車


じっくり、時間をかけてお参りしたいお寺です

***********
土佐の国は、修行の道場。
次の札所、三十八番・金剛福寺まで、車で94km、2時間30分の距離

歩きでは


ひたすら歩く、足摺の行です。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第三十六番札所、独鈷山・青龍寺です。
海を眺めながらの、快適な道中でしたが、かつては渡し船を利用するしか
参拝の手段がなかった、こちらのお寺
空海さまがこの地を巡錫されていた当時、八人の船頭が御案内した事から
代々、その子孫のみが、渡し守となる事を許されていたそうです。
***********
山号は、密教法具の『独鈷杵』に由来するお名前です。
これは古代インドの武器ですが、そこから転じて、魔を払うものとして、
密教に取り入れられました。
空海さまが、日本に密教を広めるのに、相応しい場所を探すに当たって、
法具にその役目を託され、投げ上げられた三鈷杵が落ちた地が、高野山。
そして、独鈷杵が落ちたのが、この場所だったと伝えられています。
また寺号は、若きお大師さまに密教の全てをお授け下さった、師匠である
唐の恵果和尚を偲んで、そのお師匠さまのお寺の名前である『青龍寺』を
頂いたそうです。
***********
二百段の石段を上って行くと、左手には、小振りながらも立派な三重塔が
見えて来ます。
迫力ある仁王門を入ると、境内には滝などの水行場があり
、山の中という
立地も相俟って、高野山に似た雰囲気です。
御本尊は、波切不動明王さま。
荒れた海を切り裂き、航海の安全を守護する仏さまです
お大師さまが唐へ渡られた当時、旅、特に航海は、命懸けのものでした

苦労の末に授けて頂いた尊いみ教えを日本に伝えるには、生きて還らねば
なりません。
お大師さまは航海の安全
を祈念し、自ら波切不動明王さまの像を刻むと、
船の先端にお祀りされたそうです
一説には、その像がそのまま御本尊として安置されているとの事ですが、
航海の安全をお守り下さるというお役目から、海の玄関口という事もあり
古くから地元の方々に親しまれ、信仰を集めています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
『青龍寺』という寺号を見て、何やらしたり顔のごんた
これまでのお参りで、たくさんのお寺の『いわれ』を聞かせて頂いたので
名前を見れば、そのお寺の縁起がわかる・・・と、自信満々。
では、ごんたの語る『青龍寺縁起』、聞かせて頂きましょう。
///////////
昔、このお寺の裏の山には巨大な龍
が棲んでいて、食べ物や酒ばかりか、
生け贄として娘を供えさせるなど、横暴の限りを尽くしていました。
村を救うには、娘を差し出すしか・・・
でも、我が娘を人身御供とするなど、お父っつぁんには耐えられません。
そんな村人達の話を聞いていたのが、股旅者の・・・
いや、スーパーヒーロー
、我らがお大師さま!!
高らかな笑い声と共に登場して、見事に悪者の龍を征伐し・・・

///////////
残念ながら、たけやんが教えてくれた事実では、悪者の龍も、若い娘も、
スーパーヒーローも、無関係みたいです(笑)
***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。

いい色に日焼けした、東京からの歩き遍路の男性。
大きなリュックを背負っての旅のようですが、お参りに際し、
『これは必ず必要
』
というものは必ずしもなくて、
『無いなら無いで、何とかなる
』
・・・との事。
人によって、それぞれ巡り方も違うので、スタイルは異なるそうです。
共に働いていた後輩が亡くなった事が、お遍路のきっかけだそうですが、
実際に巡って感じるのは、日常でも味わう事の出来る、親切の有り難さや
人の暖かみに、より長い時間に渡って触れていられる事だそうです
***********
境内でひと際目を引くのが、近年再建された、お大師堂。
宮建築の粋を極めた建物は、複雑な木組みの、装飾の美しさは勿論の事、
地震や風水害

に耐えるための強度も考えられての造りです。
気候の厳しい土地故に、鉄筋コンクリートなどに建て替えたくなる所を、
敢えて古来の様式に則った方法での再建には、本当に頭が下がります。
唐の恵果和尚から密教のすべてを授かり、日本へと帰国した空海さま
その後間もなく唐の国は滅亡、彼の地の密教も途絶えてしまいましたが、
弘法大師空海さまの手によって、この日本の地で、密教は完成しました。
恵果和尚さま、そして若き日の空海さまを偲びながら、独鈷杵に示された
この地で、苦難の末に無事帰り着いた、求道の旅を味わいたいものです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
海を眺めながらの、快適な道中でしたが、かつては渡し船を利用するしか
参拝の手段がなかった、こちらのお寺

空海さまがこの地を巡錫されていた当時、八人の船頭が御案内した事から
代々、その子孫のみが、渡し守となる事を許されていたそうです。
***********
山号は、密教法具の『独鈷杵』に由来するお名前です。
これは古代インドの武器ですが、そこから転じて、魔を払うものとして、
密教に取り入れられました。
空海さまが、日本に密教を広めるのに、相応しい場所を探すに当たって、
法具にその役目を託され、投げ上げられた三鈷杵が落ちた地が、高野山。
そして、独鈷杵が落ちたのが、この場所だったと伝えられています。
また寺号は、若きお大師さまに密教の全てをお授け下さった、師匠である
唐の恵果和尚を偲んで、そのお師匠さまのお寺の名前である『青龍寺』を
頂いたそうです。
***********
二百段の石段を上って行くと、左手には、小振りながらも立派な三重塔が
見えて来ます。
迫力ある仁王門を入ると、境内には滝などの水行場があり

立地も相俟って、高野山に似た雰囲気です。
御本尊は、波切不動明王さま。
荒れた海を切り裂き、航海の安全を守護する仏さまです

お大師さまが唐へ渡られた当時、旅、特に航海は、命懸けのものでした


苦労の末に授けて頂いた尊いみ教えを日本に伝えるには、生きて還らねば
なりません。
お大師さまは航海の安全

船の先端にお祀りされたそうです

一説には、その像がそのまま御本尊として安置されているとの事ですが、
航海の安全をお守り下さるというお役目から、海の玄関口という事もあり
古くから地元の方々に親しまれ、信仰を集めています。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
『青龍寺』という寺号を見て、何やらしたり顔のごんた

これまでのお参りで、たくさんのお寺の『いわれ』を聞かせて頂いたので
名前を見れば、そのお寺の縁起がわかる・・・と、自信満々。
では、ごんたの語る『青龍寺縁起』、聞かせて頂きましょう。
///////////
昔、このお寺の裏の山には巨大な龍

生け贄として娘を供えさせるなど、横暴の限りを尽くしていました。
村を救うには、娘を差し出すしか・・・

でも、我が娘を人身御供とするなど、お父っつぁんには耐えられません。
そんな村人達の話を聞いていたのが、股旅者の・・・
いや、スーパーヒーロー

高らかな笑い声と共に登場して、見事に悪者の龍を征伐し・・・


///////////
残念ながら、たけやんが教えてくれた事実では、悪者の龍も、若い娘も、
スーパーヒーローも、無関係みたいです(笑)

***********
続いては、杉本さんのてくてくインタビュー・ひとへんろ。


いい色に日焼けした、東京からの歩き遍路の男性。

大きなリュックを背負っての旅のようですが、お参りに際し、
『これは必ず必要

というものは必ずしもなくて、
『無いなら無いで、何とかなる

・・・との事。
人によって、それぞれ巡り方も違うので、スタイルは異なるそうです。
共に働いていた後輩が亡くなった事が、お遍路のきっかけだそうですが、
実際に巡って感じるのは、日常でも味わう事の出来る、親切の有り難さや
人の暖かみに、より長い時間に渡って触れていられる事だそうです

***********
境内でひと際目を引くのが、近年再建された、お大師堂。
宮建築の粋を極めた建物は、複雑な木組みの、装飾の美しさは勿論の事、
地震や風水害



気候の厳しい土地故に、鉄筋コンクリートなどに建て替えたくなる所を、
敢えて古来の様式に則った方法での再建には、本当に頭が下がります。
唐の恵果和尚から密教のすべてを授かり、日本へと帰国した空海さま

その後間もなく唐の国は滅亡、彼の地の密教も途絶えてしまいましたが、
弘法大師空海さまの手によって、この日本の地で、密教は完成しました。
恵果和尚さま、そして若き日の空海さまを偲びながら、独鈷杵に示された
この地で、苦難の末に無事帰り着いた、求道の旅を味わいたいものです。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
