今回のお参りは第三十番札所、百々山・善楽寺です。
院号を『東明院』というこちら、日の出を象徴するお名前で
、それは即ち
土佐の国の中で一番最初に開かれた土地、という事を意味していますが、
人間が開拓したという事実の他、神様が最初に降り立った土地という事も
表しています。
その事を裏付けるように、大きな門をくぐり、桜の古木
の並木道を歩くと
土佐一宮神社があります。
明治初めの廃仏毀釈によって、多くのお寺が廃寺や無住となりましたが、
特に被害が大きかったのが、大きな神社の傍にあるお寺でした。
強引な政策の結果、多くの寺宝や有り難い御本尊が紛失・行方不明となり
縁起が分からなくなってしまったお寺も多くありましたが、この善楽寺も
例外ではありませんでした。
多くの方々の努力の結果、近年になってようやく御本尊が戻りましたが、
過去の無謀な政策の影響で、今だに苦労が続いている地域は、残念ながら
まだ存在することも事実です
***********
開けた場所に位置するこちらのお寺、周りを木々に囲まれてはいますが、
日当りの良い立地です
御本尊の阿弥陀如来像が安置される本堂は、近代的な鉄筋造りの建物で、
対照的に、大師堂は小ぶりな木造建築です。
境内は色とりどりの花が植えられ、近隣の方々の手で整備された様子は、
『血の通ったお寺』という印象です
珍しいのは、水子地蔵、子安地蔵、そして梅見地蔵という、個性の異なる
お地蔵さまがいらしゃる事。
子安地蔵さまは、子供の成長を願うと共に、育児に不安を抱く母親たちに
安らぎを与えて下さいます
上を見上げるようなお姿の梅見地蔵さまは、首から上・・・精神の病や、
頭痛などの平癒に、お力を発揮して下さるそうです
更には、そこから転じて、学力アップや集中力の向上を願う方々
の信仰も
集めているそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
お寺の周辺には神社も多い事に気付いたごんた
「お寺に神社は『付き物』か?」
・・・そんな疑問を持ったごんたに、たけやんが説明しています。
元々、自然神を崇拝していた日本に、仏教が伝来しました。
争いを嫌う仏教は、日本の神様に礼儀を尽くし、お寺の土地を頂くお礼に
神様を大事にお祀りし、国の安泰に力を尽くす事を誓いました。
それを聞いた神様は、仏教のみ教えに感銘し、お寺の建立を許すと共に、
神様自身が仏教を守る事を約束したのでした。
そのような形で、共に認め合い、力を発揮してきた神社とお寺でしたが、
明治政府の発した神仏分離令により、全国各地で廃仏毀釈運動が広まり、
地域文化の中心だったお寺は、悉く破壊されてしまいました
庶民の心の拠り所を失くす事で、中央に目を向けさせ、国を一つにして、
海外の列強に対抗するという目的だった様ですが、馬鹿な政府に反抗して
大切な御本尊や経典を隠して、必死に守り通そうとした人々がいる一方、
つまらない方針を鵜呑みにして、寺宝を盗んだり、仏像を破壊したりする
罰当たりな輩が多くいたのも、また事実です
お寺にも、神社にも、建てられたのには理由があります。
それは、地域が、土地を、国を思い、世が平穏であれと願った歴史です
先人の、その気持ちに思いを馳せ、我々が、その思い受け継いでいる事を
有り難く感じなければなりません
***********
納経所には、色々な記念品・土産物が販売されています。
米裕さんは、光明真言の入ったTシャツを購入されたようです
こうゆうさんは、頼まれものの枕カバーを入手されました
これは、梅見地蔵さまのお姿が入ったもので、頭・耳・鼻・口など・・・
首から上の病に効能があるそうです
こういった、札所毎での買い物も、お遍路の楽しみの一つです

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
院号を『東明院』というこちら、日の出を象徴するお名前で

土佐の国の中で一番最初に開かれた土地、という事を意味していますが、
人間が開拓したという事実の他、神様が最初に降り立った土地という事も
表しています。
その事を裏付けるように、大きな門をくぐり、桜の古木

土佐一宮神社があります。
明治初めの廃仏毀釈によって、多くのお寺が廃寺や無住となりましたが、
特に被害が大きかったのが、大きな神社の傍にあるお寺でした。
強引な政策の結果、多くの寺宝や有り難い御本尊が紛失・行方不明となり
縁起が分からなくなってしまったお寺も多くありましたが、この善楽寺も
例外ではありませんでした。
多くの方々の努力の結果、近年になってようやく御本尊が戻りましたが、
過去の無謀な政策の影響で、今だに苦労が続いている地域は、残念ながら
まだ存在することも事実です

***********
開けた場所に位置するこちらのお寺、周りを木々に囲まれてはいますが、
日当りの良い立地です

御本尊の阿弥陀如来像が安置される本堂は、近代的な鉄筋造りの建物で、
対照的に、大師堂は小ぶりな木造建築です。
境内は色とりどりの花が植えられ、近隣の方々の手で整備された様子は、
『血の通ったお寺』という印象です

珍しいのは、水子地蔵、子安地蔵、そして梅見地蔵という、個性の異なる
お地蔵さまがいらしゃる事。
子安地蔵さまは、子供の成長を願うと共に、育児に不安を抱く母親たちに
安らぎを与えて下さいます

上を見上げるようなお姿の梅見地蔵さまは、首から上・・・精神の病や、
頭痛などの平癒に、お力を発揮して下さるそうです

更には、そこから転じて、学力アップや集中力の向上を願う方々

集めているそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
お寺の周辺には神社も多い事に気付いたごんた

「お寺に神社は『付き物』か?」
・・・そんな疑問を持ったごんたに、たけやんが説明しています。
元々、自然神を崇拝していた日本に、仏教が伝来しました。
争いを嫌う仏教は、日本の神様に礼儀を尽くし、お寺の土地を頂くお礼に
神様を大事にお祀りし、国の安泰に力を尽くす事を誓いました。
それを聞いた神様は、仏教のみ教えに感銘し、お寺の建立を許すと共に、
神様自身が仏教を守る事を約束したのでした。
そのような形で、共に認め合い、力を発揮してきた神社とお寺でしたが、
明治政府の発した神仏分離令により、全国各地で廃仏毀釈運動が広まり、
地域文化の中心だったお寺は、悉く破壊されてしまいました

庶民の心の拠り所を失くす事で、中央に目を向けさせ、国を一つにして、
海外の列強に対抗するという目的だった様ですが、馬鹿な政府に反抗して
大切な御本尊や経典を隠して、必死に守り通そうとした人々がいる一方、
つまらない方針を鵜呑みにして、寺宝を盗んだり、仏像を破壊したりする
罰当たりな輩が多くいたのも、また事実です

お寺にも、神社にも、建てられたのには理由があります。
それは、地域が、土地を、国を思い、世が平穏であれと願った歴史です

先人の、その気持ちに思いを馳せ、我々が、その思い受け継いでいる事を
有り難く感じなければなりません

***********
納経所には、色々な記念品・土産物が販売されています。
米裕さんは、光明真言の入ったTシャツを購入されたようです

こうゆうさんは、頼まれものの枕カバーを入手されました

これは、梅見地蔵さまのお姿が入ったもので、頭・耳・鼻・口など・・・
首から上の病に効能があるそうです

こういった、札所毎での買い物も、お遍路の楽しみの一つです


***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

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今回のお参りは第二十九番札所、摩尼山・国分寺です。
平野部に位置するお寺の門前には、二期作の行われている水田が広がり、
『米どころ』である事が実感できます
歴史ある大きな山門には、カッと目を見開いた、迫力満点の仁王さま。
また、お寺の周囲の垣も、かなりの樹齢と思われる古い椿などで構成され
こちらも歴史を感じさせてくれます。
***********
山門から見える本堂の屋根は、大変珍しい茅葺き。
維持が大変ですが、昔ながらの形が残された、貴重なものです。
(この件については、後ほど、重大な事実が発覚します・・・
。)
境内に一歩足を踏み入れると、涼やかで引き締まった空気に包まれます
。
お参りの作法は、まず本堂、続いて大師堂という順番が本来の形ですが、
先にお勤めをしている参拝者がいらっしゃるにも関らず、後から来た者が
被せるようにお参りするのは、無作法です
その様な場合、本来の順番とは異なりますが、お大師堂が空いているなら
そちらからお参りをされたとしても、思いやりの心から出た行動ですから、
間違いではありません

***********
さて、本堂に到着しますと・・・
冒頭で『茅葺き』と紹介した屋根が、実は『桧皮葺き』である事が判明
しかしこれは、年間に決められた量しか使えないといった、茅葺き以上に
貴重なもので、その重厚さ、迫力は圧巻です
***********
境内で一行の目を引いた『酒断地蔵』さま
お地蔵さまは、我々の身代わりに苦難を引き受けて下さる仏さまですが、
願掛けをする本人も、何かしらの目標・制限を自らに課すのが通例です。
酒を断つためにお参りをした方がいたのか・・・
願掛けに際し、酒を断つという誓いを自らに課した方がいたのか・・・
酒断地蔵さまのいわれは不明です。
ただ、『断』という字は、「たつ」・「ことわる」という読み方の他に、
「言い訳無用」という意味が含まれています。
後ろ向きの気持ちで、あれこれと失敗の理由や言い訳を探すのではなく、
きっちりとけじめをつけて、前へと進む姿勢
が重要でしょう
***********
杉本さんが境内で気になったのが、『開山堂』
これは文字通り、お寺を開山された方をお祀りするお堂で、禅宗の寺院に
よく見られるそうです。
因みに、国分寺の開祖は行基菩薩さま。
弘法大師空海さまよりも前の時代に活躍されたお坊さんで、恐らく日本で
最も多くのお寺を開かれた方です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
たけやんが、国分寺にまつわるエピソードを、ごんたに説明しています。
国の安泰を願い、聖武天皇の命で全国に建立された国分寺。
ここ、土佐国分寺の近くには、土佐の国庁があって、歌人としても有名な
紀貫之が赴任していましたが、任期を終えて、京の都へと帰る二ヶ月前、
お気の毒な事に、七歳になる娘さんを亡くしています。
その時の悲しみを歌に詠んでいる貫之ですが、帰り着いた京の我が家は、
荒れ放題。
この家で生まれた娘さんが既に亡いという事も相まって、この世の無常、
変わらぬものなど何一つない、という事を強く感じられたようです。
お大師さまも、やはり最愛の弟子・智泉さまを若くして亡くされており、
その時の悲しみを、切々と綴っておられます。
あまりにも悲痛なお大師さまの言葉に、ごんたは
「何があっても、生き抜かねば・・・」
という思いを強くしたようです。
愛する者を失えば、悲しみがあるのは当然の事です
でも、いつまでも悲しんでばかり、悔やんでばかりいては、残された者、
旅立った者双方にとって、良い事ではありません。
死に行くその日まで、悔いなく過ごす様、悲しみの淵に沈む者のために、
そして御自身のためにも、お大師さまは教えを説いておられるのです。
***********
行基菩薩さまは、社会事業・福祉に力を注がれた方で、弘法大師さまも、
行基さまに憧れて、全国各地を行脚されました
でも、その根幹には『信仰』という基本があって、まずは拝む姿があり
、
その場でなされた様々な助言が、社会事業として具体化したのです
。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
平野部に位置するお寺の門前には、二期作の行われている水田が広がり、
『米どころ』である事が実感できます

歴史ある大きな山門には、カッと目を見開いた、迫力満点の仁王さま。
また、お寺の周囲の垣も、かなりの樹齢と思われる古い椿などで構成され
こちらも歴史を感じさせてくれます。
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山門から見える本堂の屋根は、大変珍しい茅葺き。
維持が大変ですが、昔ながらの形が残された、貴重なものです。
(この件については、後ほど、重大な事実が発覚します・・・

境内に一歩足を踏み入れると、涼やかで引き締まった空気に包まれます

お参りの作法は、まず本堂、続いて大師堂という順番が本来の形ですが、
先にお勤めをしている参拝者がいらっしゃるにも関らず、後から来た者が
被せるようにお参りするのは、無作法です

その様な場合、本来の順番とは異なりますが、お大師堂が空いているなら
そちらからお参りをされたとしても、思いやりの心から出た行動ですから、
間違いではありません


***********
さて、本堂に到着しますと・・・
冒頭で『茅葺き』と紹介した屋根が、実は『桧皮葺き』である事が判明

しかしこれは、年間に決められた量しか使えないといった、茅葺き以上に
貴重なもので、その重厚さ、迫力は圧巻です

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境内で一行の目を引いた『酒断地蔵』さま

お地蔵さまは、我々の身代わりに苦難を引き受けて下さる仏さまですが、
願掛けをする本人も、何かしらの目標・制限を自らに課すのが通例です。
酒を断つためにお参りをした方がいたのか・・・
願掛けに際し、酒を断つという誓いを自らに課した方がいたのか・・・
酒断地蔵さまのいわれは不明です。
ただ、『断』という字は、「たつ」・「ことわる」という読み方の他に、
「言い訳無用」という意味が含まれています。
後ろ向きの気持ちで、あれこれと失敗の理由や言い訳を探すのではなく、
きっちりとけじめをつけて、前へと進む姿勢


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杉本さんが境内で気になったのが、『開山堂』

これは文字通り、お寺を開山された方をお祀りするお堂で、禅宗の寺院に
よく見られるそうです。
因みに、国分寺の開祖は行基菩薩さま。
弘法大師空海さまよりも前の時代に活躍されたお坊さんで、恐らく日本で
最も多くのお寺を開かれた方です。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小咄、凸凹同行記。
たけやんが、国分寺にまつわるエピソードを、ごんたに説明しています。
国の安泰を願い、聖武天皇の命で全国に建立された国分寺。
ここ、土佐国分寺の近くには、土佐の国庁があって、歌人としても有名な
紀貫之が赴任していましたが、任期を終えて、京の都へと帰る二ヶ月前、
お気の毒な事に、七歳になる娘さんを亡くしています。
その時の悲しみを歌に詠んでいる貫之ですが、帰り着いた京の我が家は、
荒れ放題。
この家で生まれた娘さんが既に亡いという事も相まって、この世の無常、
変わらぬものなど何一つない、という事を強く感じられたようです。
お大師さまも、やはり最愛の弟子・智泉さまを若くして亡くされており、
その時の悲しみを、切々と綴っておられます。
あまりにも悲痛なお大師さまの言葉に、ごんたは
「何があっても、生き抜かねば・・・」
という思いを強くしたようです。
愛する者を失えば、悲しみがあるのは当然の事です

でも、いつまでも悲しんでばかり、悔やんでばかりいては、残された者、
旅立った者双方にとって、良い事ではありません。
死に行くその日まで、悔いなく過ごす様、悲しみの淵に沈む者のために、
そして御自身のためにも、お大師さまは教えを説いておられるのです。
***********
行基菩薩さまは、社会事業・福祉に力を注がれた方で、弘法大師さまも、
行基さまに憧れて、全国各地を行脚されました

でも、その根幹には『信仰』という基本があって、まずは拝む姿があり

その場でなされた様々な助言が、社会事業として具体化したのです

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第二十八番札所、法界山・大日寺です。
小高い山にあるこちらのお寺で、ぜひ味わって頂きたいのが、山門。
そこから見上げると、さまざまな大きさの自然石で組まれた石段の先に、
本堂の屋根が少しだけ見えており、
「登った先には、どの様な空間が広がっているのだろう?」
と、心が湧き立つ
ような感覚が味わえるそうです。
***********
前回の神峯寺と同様、こちらのお寺も『関所寺』の役目があったそうで、
お遍路に紛れて、犯した罪から逃れようとする者をチェックする
という、
重要な役割を果たしていました。
一方、現代のお遍路も、重大な問題をはらんでいます。
経済的な裕福さに反し、人間関係などによる精神的な問題を抱える人々が
お遍路を『現実逃避の場』として考える事が多くなりました。
歩く先々で触れ合う人々の暖かさ、人情
それを味わうため、お遍路を『ゴール地点
』と考える人が増えています。
しかし、お遍路はあくまでも『修行の場』です。
各地を巡る中で学んだことを、現実の生活に戻った場面で活かしてこそ、
修行は完結し、そこで初めて、お遍路が意義あるものになるのです。
***********
白い砂が敷き詰められた境内は、昔の雰囲気を残す、素晴らしい造り。
それぞれの建物を見ても、あらゆる建築様式を味わう事が出来ます。
こちらの建物、縁の柱と基礎の間に、石が挟まれています。
実は、基礎のコンクリートと木は相性が悪いため、柱の腐食を防ぐ目的で
こういった工法が取り入れられているのだそうです。
建物の下には空間があり、猫等が入らぬ様
、格子がはめ込まれています。
これは、地面と建物を離し、風通しをよくする事によって、建物の寿命を
伸ばすための工夫です。
***********
古来、お寺のお参りとは、上まで登って行くのではなく、下からそっと、
奥ゆかしく、お参りさせて頂くものでした。
古の空気が、そのまま流れているかのようなこちらのお寺へやって来ると
「上がらせて頂くのは、勿体無い。」
・・・と、こうゆうさんは思われるそうです。
***********
さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
二十八番札所・大日寺の奥の院には、お大師さまが爪で彫られたという、
『爪彫り薬師』が祀られています。
行く先々で、お大師さま自ら彫られたり、刻まれた仏像が残っている事に
感心するごんた
すると、お大師さまに限らず、出家したお坊さんは本来、仏画や彫刻など
多くの仏さまを作られるのがお役目で、事実、現代からごく近い時代にも
全国を行脚して、たくさんの仏像を残されたお坊さんがいらっしゃる事を
ごんたに教えるたけやん。
そこでごんた、どうして、そんなに多くの仏さまを残す必要があるのか
・・・という疑問が湧いて来ました。
すると逆に、ごんたに質問するたけやん。
「お前は何故、爪彫り薬師を見たいと思うんや?」
「そら、有り難いからや。」・・・というごんた。
それがつまり、多くの仏像がつくられる答えなのでした
人を助け、救いがある事を知らしめる場所であるお寺。
そのような『有り難い場所』が数多く存在すれば、それだけ多くの人々が
救われるのです。
***********
寺院建築の見所に、屋根の、芸術的なまでの『反り』が挙げられますが、
一般住宅の屋根に当然の様に備わっている『ある物』が、寺院の屋根には
ありません。
その『ある物』とは・・・『雨樋』
実は、雨樋という物は、随分と時代が下ってから登場したものなのです。
また、一般住宅に比べて、寺院の屋根は面積が広いため、少々の雨樋では
雨を受けきる事が出来ないだけでなく、溢れた大量の雨水が跳ね返って、
建物の木材を傷める恐れがあるのです。
では、お寺の屋根に降った雨水
は、どの様に処理されているのでしょう
昔ながらの建築様式に則ったお寺の建物には、屋根の端の真下の地面に、
砂利を敷き詰めた、俗に『雨走り』と呼ばれる幅50cm程度の
溝があって、
雨水は、屋根からこの雨走りに直接落ちる仕組みになっています。
雨の朝、お堂に入らせて頂く時に、雨走りに落ちる『シャァーッ』という
心を落ち着かせてくれる音色
を味わう事が出来るのは、住職の特権・・・
とおっしゃるのは、こうゆうさんです
***********
奥の院には、首から上の病気に効能があるとされる『爪彫り地蔵』さまが
祀られており、その横には、絶え間なく霊水が湧き出ています
穴の開いた自然石に、願事の書かれたものが数多く奉納されていますが、
この『穴の開いた』という事実は、『通ずる』という意味でもあるため、
仏教では重んじられます。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
小高い山にあるこちらのお寺で、ぜひ味わって頂きたいのが、山門。
そこから見上げると、さまざまな大きさの自然石で組まれた石段の先に、
本堂の屋根が少しだけ見えており、
「登った先には、どの様な空間が広がっているのだろう?」
と、心が湧き立つ

***********
前回の神峯寺と同様、こちらのお寺も『関所寺』の役目があったそうで、
お遍路に紛れて、犯した罪から逃れようとする者をチェックする


重要な役割を果たしていました。
一方、現代のお遍路も、重大な問題をはらんでいます。
経済的な裕福さに反し、人間関係などによる精神的な問題を抱える人々が

お遍路を『現実逃避の場』として考える事が多くなりました。
歩く先々で触れ合う人々の暖かさ、人情

それを味わうため、お遍路を『ゴール地点

しかし、お遍路はあくまでも『修行の場』です。
各地を巡る中で学んだことを、現実の生活に戻った場面で活かしてこそ、
修行は完結し、そこで初めて、お遍路が意義あるものになるのです。
***********
白い砂が敷き詰められた境内は、昔の雰囲気を残す、素晴らしい造り。
それぞれの建物を見ても、あらゆる建築様式を味わう事が出来ます。
こちらの建物、縁の柱と基礎の間に、石が挟まれています。
実は、基礎のコンクリートと木は相性が悪いため、柱の腐食を防ぐ目的で
こういった工法が取り入れられているのだそうです。
建物の下には空間があり、猫等が入らぬ様

これは、地面と建物を離し、風通しをよくする事によって、建物の寿命を
伸ばすための工夫です。
***********
古来、お寺のお参りとは、上まで登って行くのではなく、下からそっと、
奥ゆかしく、お参りさせて頂くものでした。
古の空気が、そのまま流れているかのようなこちらのお寺へやって来ると
「上がらせて頂くのは、勿体無い。」
・・・と、こうゆうさんは思われるそうです。
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さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺、凸凹同行記。
二十八番札所・大日寺の奥の院には、お大師さまが爪で彫られたという、
『爪彫り薬師』が祀られています。
行く先々で、お大師さま自ら彫られたり、刻まれた仏像が残っている事に
感心するごんた

すると、お大師さまに限らず、出家したお坊さんは本来、仏画や彫刻など
多くの仏さまを作られるのがお役目で、事実、現代からごく近い時代にも
全国を行脚して、たくさんの仏像を残されたお坊さんがいらっしゃる事を
ごんたに教えるたけやん。
そこでごんた、どうして、そんなに多くの仏さまを残す必要があるのか

・・・という疑問が湧いて来ました。
すると逆に、ごんたに質問するたけやん。
「お前は何故、爪彫り薬師を見たいと思うんや?」
「そら、有り難いからや。」・・・というごんた。
それがつまり、多くの仏像がつくられる答えなのでした

人を助け、救いがある事を知らしめる場所であるお寺。
そのような『有り難い場所』が数多く存在すれば、それだけ多くの人々が
救われるのです。
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寺院建築の見所に、屋根の、芸術的なまでの『反り』が挙げられますが、
一般住宅の屋根に当然の様に備わっている『ある物』が、寺院の屋根には
ありません。
その『ある物』とは・・・『雨樋』

実は、雨樋という物は、随分と時代が下ってから登場したものなのです。
また、一般住宅に比べて、寺院の屋根は面積が広いため、少々の雨樋では
雨を受けきる事が出来ないだけでなく、溢れた大量の雨水が跳ね返って、

建物の木材を傷める恐れがあるのです。
では、お寺の屋根に降った雨水


昔ながらの建築様式に則ったお寺の建物には、屋根の端の真下の地面に、
砂利を敷き詰めた、俗に『雨走り』と呼ばれる幅50cm程度の
溝があって、
雨水は、屋根からこの雨走りに直接落ちる仕組みになっています。
雨の朝、お堂に入らせて頂く時に、雨走りに落ちる『シャァーッ』という
心を落ち着かせてくれる音色

とおっしゃるのは、こうゆうさんです

***********
奥の院には、首から上の病気に効能があるとされる『爪彫り地蔵』さまが
祀られており、その横には、絶え間なく霊水が湧き出ています

穴の開いた自然石に、願事の書かれたものが数多く奉納されていますが、
この『穴の開いた』という事実は、『通ずる』という意味でもあるため、
仏教では重んじられます。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第二十七番札所、竹林山・神峯寺です。
お寺の名前が示す通り、かつて神が降り立ったという伝説のあるこの地。
そんな、神への信仰が盛んだったこの場所に、行基さまが十一面観音像を
祀られたのが、こちらのお寺の始まりです。
***********
海岸沿いから、山へと分け入って行くルートの参道は非常に細く、バスは
通る事が出来ないため
、地元のタクシーにお世話になる必要があります
その様な難所とも言える山道を登ると、ひんやりと気持ちのよい空気と、
絶景の太平洋を望む事が出来ます
時代を感じさせる山門に対し、近年修復されたばかりの仁王像は、大変に
鮮やかです。
***********
ここで、こうゆうさんの一口メモ


仁王さまの背後の衣が、縦に立っているのは何故か?
実は、お寺の山門で拝見できる仁王さまのお姿は、天から飛び降りて来た
正にその瞬間を表現している、との事。
『立っている』と見える衣、本当は『たなびいている』状態なのです
仏像は勿論、静止しています。
でも実際の仏さまは様々なお役目を持ち、常にお働きになっている・・・
そんな風に思いを馳せる事が大事だと思います。
***********
こちらの神峯寺は、土佐の国の『関所寺』として、お参りする一人一人を
チェックするという重要な機能がありましたですが、もう一つ大事なのは
心のチェックポイントとしての札所、と言う事。
それまでの行動や心持ちを改めて、しっかりと心の底から懺悔した後に
、
次の修行へと向かうことが大事でしょう。
***********
鐘楼堂の奥に湧く霊水は、土佐の名水としても知られる『神峯の水』。
口当たりの柔かい、功徳のあるお水です
夢の中でお大師さまに導かれ、ここに辿り着いた女性が霊水を口にすると
重い病が治った
、という言い伝えがあるそうです。
各札所には、いわれのある湧き水などが多くありますので、お遍路の際は
『お水』をテーマに巡るのも良いかもしれません。
御家族へのお土産に持ち帰っても、喜ばれることでしょう
***********
さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『真っ縦』と呼ばれる、傾斜角45度の急な山道を登り終えた!!
・・・と思ったら、更に上へと続く、155段の石段

しかも、あまり整備されていない階段なので、歩きにくい。
思わず愚痴の出るごんた
に対し、歩きにくい石段の意味を説くたけやん。
人間には『慣れ』というものがあります。
整備された、規則正しい石段に慣れると、無意識ですいすい登れます
でも、ついさっきまで、急な坂道を歩いてきた足には、気付かないうちに
かなりの疲労が溜まっています。
そんな中で『慣れ』に任せ、ヒョイヒョイと何も考えずに登っていると、
疲れで足をもつれさせたり、石段を踏み外した挙句に転げ落ちて大怪我、
運が悪ければ、命まで
・・・と言う様な事にもなりかねません。
「歩きにくい」と感じたなら、注意を払いながら登るのが人間です
せっかくのお参り、悲しい事故が起こる事のない様に、との心遣いから、
『敢えて』歩きにくい石段にしてあるのです。
真意を汲み取る事なく、少しの事に不平ばかり並べ立てる人がいますが、
そこに『信仰』はありません。
***********
お寺の石柱に『真言宗・豊山(ぶざん)派』の文字を目に留めた杉本さん
真言宗には古義・新義という二つの大きな流派があります。
かつて高野山が乱れた時代、真言宗を立て直すために改革を行ったのが、
覚鑁(かくばん)さま。
この教えの流れを汲む流派をまとめて『新義派』と呼んでおり、その中に
豊山派・智山派などが含まれます。
一方の『古義派』には高野山真言宗や東寺真言宗、御室派等がありますが
教義自体は、どちらも同じです。
***********
最後は、出演者お三方そろっての、手ぬぐい談義
お遍路に出ると、お参りの前など、手を洗う事が多くなります
杉本さんは、幼稚園の子供
が、安全ピンでハンカチを服に留めている事の
機能性・実用性を再認識したようです。
お坊さんは
、腰を絞る縄に、手ぬぐいを引っ掛けておくスタイル。
これだと、手をすぐに拭く事が出来ますし、ポケットに入れるのに比べて
乾きが圧倒的に早い・・・という、一石二鳥
名前の由来である『手を拭う』という役目は勿論の事、ものを包んだり、
防寒(頬被り)といった優れた機能も持つ、我らの日本手ぬぐい。
特に女性の場合は、手ぬぐいで顔を隠す事で、男性に邪な心が起こるのを
防ぐ役目も果たしていたようです
暑くて紫外線の強い季節は、日焼け防止
にも活躍する『日本てぬぐい』。
古来からの伝統を見直すと共に、時代に合った使い方を考えてみるのも、
意義深い事かもしれません。
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!
お寺の名前が示す通り、かつて神が降り立ったという伝説のあるこの地。
そんな、神への信仰が盛んだったこの場所に、行基さまが十一面観音像を
祀られたのが、こちらのお寺の始まりです。
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海岸沿いから、山へと分け入って行くルートの参道は非常に細く、バスは
通る事が出来ないため



その様な難所とも言える山道を登ると、ひんやりと気持ちのよい空気と、
絶景の太平洋を望む事が出来ます

時代を感じさせる山門に対し、近年修復されたばかりの仁王像は、大変に
鮮やかです。
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ここで、こうゆうさんの一口メモ




実は、お寺の山門で拝見できる仁王さまのお姿は、天から飛び降りて来た
正にその瞬間を表現している、との事。
『立っている』と見える衣、本当は『たなびいている』状態なのです

仏像は勿論、静止しています。
でも実際の仏さまは様々なお役目を持ち、常にお働きになっている・・・
そんな風に思いを馳せる事が大事だと思います。
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こちらの神峯寺は、土佐の国の『関所寺』として、お参りする一人一人を
チェックするという重要な機能がありましたですが、もう一つ大事なのは
心のチェックポイントとしての札所、と言う事。
それまでの行動や心持ちを改めて、しっかりと心の底から懺悔した後に

次の修行へと向かうことが大事でしょう。
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鐘楼堂の奥に湧く霊水は、土佐の名水としても知られる『神峯の水』。
口当たりの柔かい、功徳のあるお水です

夢の中でお大師さまに導かれ、ここに辿り着いた女性が霊水を口にすると
重い病が治った

各札所には、いわれのある湧き水などが多くありますので、お遍路の際は
『お水』をテーマに巡るのも良いかもしれません。
御家族へのお土産に持ち帰っても、喜ばれることでしょう

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さて皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
『真っ縦』と呼ばれる、傾斜角45度の急な山道を登り終えた!!
・・・と思ったら、更に上へと続く、155段の石段


しかも、あまり整備されていない階段なので、歩きにくい。
思わず愚痴の出るごんた

人間には『慣れ』というものがあります。
整備された、規則正しい石段に慣れると、無意識ですいすい登れます

でも、ついさっきまで、急な坂道を歩いてきた足には、気付かないうちに
かなりの疲労が溜まっています。
そんな中で『慣れ』に任せ、ヒョイヒョイと何も考えずに登っていると、
疲れで足をもつれさせたり、石段を踏み外した挙句に転げ落ちて大怪我、
運が悪ければ、命まで

「歩きにくい」と感じたなら、注意を払いながら登るのが人間です

せっかくのお参り、悲しい事故が起こる事のない様に、との心遣いから、
『敢えて』歩きにくい石段にしてあるのです。
真意を汲み取る事なく、少しの事に不平ばかり並べ立てる人がいますが、
そこに『信仰』はありません。
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お寺の石柱に『真言宗・豊山(ぶざん)派』の文字を目に留めた杉本さん

真言宗には古義・新義という二つの大きな流派があります。
かつて高野山が乱れた時代、真言宗を立て直すために改革を行ったのが、
覚鑁(かくばん)さま。
この教えの流れを汲む流派をまとめて『新義派』と呼んでおり、その中に
豊山派・智山派などが含まれます。
一方の『古義派』には高野山真言宗や東寺真言宗、御室派等がありますが
教義自体は、どちらも同じです。
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最後は、出演者お三方そろっての、手ぬぐい談義

お遍路に出ると、お参りの前など、手を洗う事が多くなります

杉本さんは、幼稚園の子供

機能性・実用性を再認識したようです。
お坊さんは

これだと、手をすぐに拭く事が出来ますし、ポケットに入れるのに比べて
乾きが圧倒的に早い・・・という、一石二鳥

名前の由来である『手を拭う』という役目は勿論の事、ものを包んだり、
防寒(頬被り)といった優れた機能も持つ、我らの日本手ぬぐい。
特に女性の場合は、手ぬぐいで顔を隠す事で、男性に邪な心が起こるのを
防ぐ役目も果たしていたようです

暑くて紫外線の強い季節は、日焼け防止

古来からの伝統を見直すと共に、時代に合った使い方を考えてみるのも、
意義深い事かもしれません。
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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!

今回のお参りは第二十六番札所、龍頭山・金剛頂寺です。
眼下に海
の広がるこちらのお寺は、沖合いを航行する船舶
の目印となって
灯台の役目を果たしていたそうです。
嵯峨天皇の命によって、鎮護国家のために開山されたこちらの御本尊は、
お大師さまが一刀三礼で彫り上げられた、薬師如来さま。
この御本尊、完成すると御自身で動かれ、現在の場所に鎮座されたという
伝説が残っています。
仏像は彫り上げられた後に、開眼供養でお性根を入れるのが通常ですが、
樹木として森林に在る時から、既に仏さまとしてのお役目を担っていて、
仏像としての完成と同時に、すぐさまお働きを始められたのが、こちらの
お薬師さまでしょう。
***********
大草鞋が奉納され、素彫りの仁王さまがお守りになる山門から少し上ると
重厚な造りの本堂・・・瑠璃光殿に到着します。
お薬師さまの正式なお名前は『薬師瑠璃光如来』。
瑠璃色とは、夜明け前の、深く美しい青空の色
です。
境内には、米裕さんを髣髴とさせる、少しふくよかな『修行大師像』。
「休むな。さあ、行こう!!」
そんな風に励まされている・・・と、こうゆうさんは感じるそうです
***********
食糧難だった、お大師さまの時代。
苦しむ民衆を救おうと祈念すると、一つの米粒がフツフツと増えた
という
『一粒万倍の釜』。
その様な言い伝えのある、直径1メートル程の、錆びた古い大きな釜が、
今も残っています。
他にも『旅壇具』という、出かけた先で使用する、簡易型の護摩壇など、
お大師さまが、実際にこの地で活動されていた頃に使われていた品々が、
こちらに色々と残されています。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
今回も、ごんたとたけやんはお休み。
かつて、天狗に支配されていたこの地に、お大師さまが修行で訪れた際の
お話です。
!)!)!)!)!)!)!)!)!)!)!)
昔、大天狗様を崇める天狗宗という教えが、この地を支配していました。
自分達と異なった考えの者には戦いを挑み、力でねじ伏せ、命まで奪う
大天狗様へのお供えとして、生贄を強要する
暴力と恐怖のため、妄信へと陥った土地の者は、鼻の高い天狗の様な姿に
変貌を遂げていました
ある日、修行でこの地へいらしたお大師さまに、生贄となるよう強要する
土地の天狗達


『生きとし生けるもの全ての安泰を祈念して修行する身』という理由で、
要求を拒否すると、捕らえられ、生贄の座に就かされてしまいました。
お大師さまは覚悟を決め、瞑想に入られたところ、一天にわかにかき曇り
大嵐が襲来し
山上の大天狗の像は、落雷
で燃え尽きてしまいました
恐れおののいた天狗達が振り返ると、お大師さまは光の球の中で、静かに
瞑想を続けられていたそうです。
平伏して待つ天狗達に向かって、お大師さまは語りかけます
「人を殺し、財を盗むのは、悪い行為です。従わぬ者を殺める様な神は、
邪神です。草に降りた露の様に儚い、この世の命。そんな身でありながら
何故に、あの世で無限に続く苦しみの種をつくるのか?」
改心した民衆の、伸びていた鼻は元通りになり、憑き物が落ちたように、
晴れやかな表情が戻ってきました
・・・そして本物の天狗は、足摺岬の方角へと飛び去ったそうです。
***********
境内には、『天狗問答』の様子を記したレリーフがあります。
かつて、開けていない土地では、修行を妨げるものが多くありました。
この地を開こうと努力するお大師さまの前に、夜な夜な天狗がやって来て
邪魔をしたそうです
天狗は、妖怪の中でも『知恵のあるもの』とされています。
だから天狗には、天狗なりの考えや、主義・主張があるのです。
古いしきたりや、昔から伝わる教えの下でそれまで生活して来た人々が、
新しい考えを受け入れず、拒否するという事は、よくある話です
お大師さまが伝えられた仏教も、当時の未開地の民衆の立場からすると、
見た事も、聞いた事もない、全く未知の教えでした。
その様な場面で『征伐し、はじき返し、屈服させる』という力技でなく、
『問答』によって諭し、味方につけ、良き方向へと導く・・・
「いかにもお大師さまらしい」というのが、こうゆうさんの感想です
***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック
眼下に海


灯台の役目を果たしていたそうです。
嵯峨天皇の命によって、鎮護国家のために開山されたこちらの御本尊は、
お大師さまが一刀三礼で彫り上げられた、薬師如来さま。
この御本尊、完成すると御自身で動かれ、現在の場所に鎮座されたという
伝説が残っています。
仏像は彫り上げられた後に、開眼供養でお性根を入れるのが通常ですが、
樹木として森林に在る時から、既に仏さまとしてのお役目を担っていて、
仏像としての完成と同時に、すぐさまお働きを始められたのが、こちらの
お薬師さまでしょう。
***********
大草鞋が奉納され、素彫りの仁王さまがお守りになる山門から少し上ると
重厚な造りの本堂・・・瑠璃光殿に到着します。
お薬師さまの正式なお名前は『薬師瑠璃光如来』。
瑠璃色とは、夜明け前の、深く美しい青空の色

境内には、米裕さんを髣髴とさせる、少しふくよかな『修行大師像』。
「休むな。さあ、行こう!!」
そんな風に励まされている・・・と、こうゆうさんは感じるそうです

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食糧難だった、お大師さまの時代。
苦しむ民衆を救おうと祈念すると、一つの米粒がフツフツと増えた

『一粒万倍の釜』。
その様な言い伝えのある、直径1メートル程の、錆びた古い大きな釜が、
今も残っています。
他にも『旅壇具』という、出かけた先で使用する、簡易型の護摩壇など、
お大師さまが、実際にこの地で活動されていた頃に使われていた品々が、
こちらに色々と残されています。
***********
さてお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。
今回も、ごんたとたけやんはお休み。
かつて、天狗に支配されていたこの地に、お大師さまが修行で訪れた際の
お話です。
!)!)!)!)!)!)!)!)!)!)!)
昔、大天狗様を崇める天狗宗という教えが、この地を支配していました。
自分達と異なった考えの者には戦いを挑み、力でねじ伏せ、命まで奪う

大天狗様へのお供えとして、生贄を強要する

暴力と恐怖のため、妄信へと陥った土地の者は、鼻の高い天狗の様な姿に
変貌を遂げていました

ある日、修行でこの地へいらしたお大師さまに、生贄となるよう強要する
土地の天狗達



『生きとし生けるもの全ての安泰を祈念して修行する身』という理由で、
要求を拒否すると、捕らえられ、生贄の座に就かされてしまいました。
お大師さまは覚悟を決め、瞑想に入られたところ、一天にわかにかき曇り
大嵐が襲来し




恐れおののいた天狗達が振り返ると、お大師さまは光の球の中で、静かに
瞑想を続けられていたそうです。
平伏して待つ天狗達に向かって、お大師さまは語りかけます

「人を殺し、財を盗むのは、悪い行為です。従わぬ者を殺める様な神は、
邪神です。草に降りた露の様に儚い、この世の命。そんな身でありながら
何故に、あの世で無限に続く苦しみの種をつくるのか?」
改心した民衆の、伸びていた鼻は元通りになり、憑き物が落ちたように、
晴れやかな表情が戻ってきました

・・・そして本物の天狗は、足摺岬の方角へと飛び去ったそうです。
***********
境内には、『天狗問答』の様子を記したレリーフがあります。
かつて、開けていない土地では、修行を妨げるものが多くありました。
この地を開こうと努力するお大師さまの前に、夜な夜な天狗がやって来て
邪魔をしたそうです

天狗は、妖怪の中でも『知恵のあるもの』とされています。
だから天狗には、天狗なりの考えや、主義・主張があるのです。
古いしきたりや、昔から伝わる教えの下でそれまで生活して来た人々が、
新しい考えを受け入れず、拒否するという事は、よくある話です

お大師さまが伝えられた仏教も、当時の未開地の民衆の立場からすると、
見た事も、聞いた事もない、全く未知の教えでした。
その様な場面で『征伐し、はじき返し、屈服させる』という力技でなく、
『問答』によって諭し、味方につけ、良き方向へと導く・・・
「いかにもお大師さまらしい」というのが、こうゆうさんの感想です

***********
・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。
詳しくは、、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック
