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2024/04/27 08:26 |
【85番】 五剣山・八栗寺《放送内容》
今回のお参りは第八十五番札所、五剣山・八栗寺です。

こちらのお寺、山上の伽藍へは、一般の車の乗り入れが出来ません。
ケーブルカー、専用車両、徒歩のいずれかでお参りする事になります

因みに一行は、日常生活ではあまり乗る機会のないケーブルカーを利用。
米裕さんは、高野山へ上る時の事を思い出したようです

***********

参拝者の目を惹くのが、『聖天宮』の文字のある鳥居。

聖天とは、歓喜天とも呼ばれており、願い事は何でも叶えて下さるという
大変な力をお持ちの、天部の神さまの中のお一方です

『宮』というと、神社を想像しがちですが、この字が持つ元々の意味とは
『何かが宿る所』という事。

ですから『聖天宮』とは、『聖天さまをお祀りした場所』を指します。

この聖天さま、商売人には馴染み深い神さまですが、一度願い事をすると
その後一生休む事なく、時間を決めて供物を捧げ続けなければならない、
信仰するには覚悟の必要な神さまと言われています。

***********

空海さまが、不動明王の利剣五本を観じられた事で名付けられたという、
山号にもなっている『五剣山』

唐へ旅立つ前、焼き栗八つを埋めた空海さま
恵果さまより密教の全てを授かり帰国した後、お礼参りに訪れたところ、
それら八つの焼き栗は、立派な木に成長していたと伝えられています。

科学的には有り得ない話ですが、そんな有り得ない事が現実になるような
素晴らしい教えを求め、お大師さまは決死の覚悟で海を渡ったという事を
我々は心に留めておくべきでしょう。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

八栗寺の大きな菩提樹を見て、大喜びのごんた。
四国霊場が発心・修行・菩提・涅槃という四つの道場に例えられる事から
『菩提』という言葉に親しみを感じているようです。

ところで、『菩提』の意味は?

ごんた、そこまでは知らなかったようですが、たけやんによると、それは
『悟りの智慧』という事だそうです。

仏教には『三大霊樹』と呼ばれる樹木がありますが、菩提樹もその一つ。
お釈迦さまがその下で瞑想し、悟りを開かれた事に由来します。

もう一つが、無憂樹
お釈迦さまがお生まれになった時にあった木と言われており、インドでは
乙女の恋心を叶える、または出産・誕生・結婚に関わる幸せの木として、
人々に親しまれています。

三番目の霊樹が、沙羅双樹
お釈迦さまの臨終に際し花を咲かせ、供養するかの如く降り注いだ様子が
真っ白な鶴が羽を広げたようだった、と伝えられる木です。

尚、その光景を『鶴林』と表現するという事は、第二十番札所・鶴林寺で
たけやんが説明したのですが、ごんたはすっかり忘れているようです。
http://kikuhenro.blog.shinobi.jp/Entry/56/

お釈迦さまとの御縁を頂いたものは、人間だけでなく、野の植物でさえも
有り難い存在になる事に、ごんたは感動している様子。

そんなごんたを見て、たけやんが一言。
「ごんたも修行を積めば、いわれのある木が出来るかも。」

・・・・・・・・・・・

お釈迦さまのお弟子さんの中に、槃特という物覚えの悪い方がいました。

自分の名も覚えられない彼ですが、大きく名前を書いた木切れを背負って
日々の修行に励み、やがて悟りを開いたという、大変に偉い方でした。

槃特さんが遷化された後、お墓の周りに見知らぬ草が生え始めました。

『自身の名を荷なって修行された』という槃特さんのエピソードに因んで
その草は『茗荷』と名付けられました。

だから、『茗荷を食べると物忘れする』と、今も言われています。

・・・・・・・・・・・

この話を聞いたごんた。
道端に見つけた見知らぬ花を『記念の花』として、大喜びですが・・・

どうやらそれは、食虫植物のモウセンゴケだったようです。

***********

本堂とお大師堂の間に聖天さまがお祀りされていますが、高さを見ると、
本堂が一番高い場所で、次が聖天さま、そしてお大師堂という順番。

これは、仏・神・人『位』を表現しています。

冒頭でも述べた通り、聖天さまは大変なお力をお持ちである反面、我々が
信仰するには、相当の覚悟を要する神さまです。

それは『死ぬまで休まず』という面もさることながら、それを破った時は
『とんでもない罰が当るのではないか』という、恐怖が伴うからです。

ただ、裏を返せば、キッチリと密接なお付き合いをさせて頂けば、神仏は
我々の方を『振り返って下さる』という事実を示しているとも言えます。

天部の神さまは、それだけ単体でお祀りされる事はなく、こちらの様に、
御本尊さま、そしてお大師さまと共にいらっしゃいます。

なので、そういう『恐い』印象の強い天部の神さまに願い事をする場合は
まず、自身の不足をしっかり自覚し、その部分を御本尊に補って頂くよう
お力添えをお願いします。

その上で神さまに対面し、自分の名・数え年・住まい、そして願事を述べ
それが叶った時の(お礼参りも含めて)決意を表明します。

ですから神さまにお願いをするという事は、それだけの一大決心が必要で
お願いするだけの資格が自分にあるか、そして自分の願いの叶った暁には
それをどのようにして世の中に役立てるか
という所まで、お参りする前に
キチンと考えておく必要があります。

願をかけるには、自分の好きな事を我慢する=『身を慎む』という態度、
そして、世のため人のために役立つ様、身を捧げる決意が不可欠です。

こうして見ると、神さまへ『相談する』『お願いをする』といった行為は
相当な真剣さを要求される事であって、短い人生におそらく数度きりの、
本当に重大な局面に限って許される性格のものだろうと思います。

各地で人々の信仰を集めている神仏は多くいらっしゃいますが、中でも、
こちらの『八栗の聖天さま』の様に、それぞれの『土地の名』が冠された
神さま・仏さまは、その地域の人に支えられ、愛されて来た歴史があり、
それだけ功徳がある事、御利益を頂ける事の証でもあります。

***********

・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


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2010/10/18 11:31 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【84番】 南面山・屋島寺《きくへんアルバム》
第八十四番札所、南面山・屋島寺のアルバムです

101009_01.jpg
南面山屋島寺の山門です。
新しくて立派です

101009_02.jpg
山門前で収録中です。
とっても暑い日でした


101009_03.jpg
本堂も大きくて立派です!
左端でお三方がおまいり中です

101009_04.jpg
ひとつだけ願いを叶えるといわれる「一願不動尊」です

2010/10/09 17:30 | Comments(0) | TrackBack() | きくへんアルバム
【84番】 南面山・屋島寺《放送内容》
今回のお参りは第八十四番札所、南面山・屋島寺です。

まずは、広い駐車場と近代的な建物に目を惹かれるこちらのお寺。
一行は自動車でお参りのため、整備された有料道路でやって来ましたが、
元々あるへんろ道は、険しい登山道です

周囲を観光スポットに囲まれている関係で、白装束のお遍路さんよりも、
レジャーに訪れた道すがら、ちょっとお参りを…という、一般の参拝者を
むしろ多く見かけます

***********

お寺の歴史は古く、天平年間、あの鑑真和上が開基と伝えられています。

当時、世界の文化の中心であった唐の国から、幾多の苦難を乗り越えて、
遂には失明という憂き目に遭いながらも、東方の小国に過ぎない日本へと
命懸けで、正しい仏法(戒律)を伝えた鑑真和上

当時の中国における鑑真さまの地位といえば、時の皇帝の相談役
言わば最高権力者の右腕として、あの大国を動かす立場にあったのです。

国の宝とでも言うべき方が、周囲の慰留や、時には妨害に遭いながらも、
その様な地位を捨てて、何故に我が国へとやって来て下さったのか?

中国に限らず、当時の大陸に存在した各国は、日々権力闘争に明け暮れ、
安定した政権が長続きする事はありませんでした

そんな中、穏やかで争い事の少ない東方の島国の話を聞いた鑑真和上は、
日本人に、正しい仏法を伝承出来る可能性を見出したのかもしれません。

***********

山門をくぐり、境内に立つと、そこに流れるのは、南国的な雰囲気

土佐の各札所で感じた、開放的な空気に近いものがありますが、それは、
近くに海を臨み、山上のため空が近い事が原因でしょう。

諸堂は本格的な宮建築

京都の寺院のような繊細さではなく、主に奈良で見られる、素朴ながらも
力強さ溢れる造りが印象的です。

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

屋島寺の境内へとやって来たごんた、大きな狸の像に驚きますが、それは
佐渡の団三郎狸・淡路の芝右衛門狸と並び、『日本三名狸』の一匹として
崇められている、四国狸の総大将・太三郎狸です。

この太三郎狸、眷属が集まる大寒の時期に、自分が見た源平合戦の様子を
幻術を使って皆に披露して楽しませたり、道に迷っていたお大師さまを、
人間に化けて案内したりと、善行を積んだそうです。

夫婦の契り固く、家庭円満・縁結び・子宝、更には水商売の神様として、
全国に信者を持つ、屋島寺の守り神です

古くより、狐や狸は『人を化かす』と言われて来ましたが、言い換えれば
我々の先祖は、人智を超えた、人の力が及ばぬ存在がある事を感じ取り、
畏れ敬っていたという事でしょう。

科学万能の時代、万物の霊長を自認する人間。

しかし、そんな我々をも超える力がある事を感じ、素直に認めることで、
現代人が忘れがちな『謙虚さ』を取り戻す事が出来るでしょう。

***********

ダイナミックな奈良建築。
日差しの強い時は、大きな屋根が、優しく、有り難いものです

しかし、この屋島寺、夏は照り返しが強く、冬は寒風の吹きさらし。
山上のため、台風シーズンにはまともに強風を受ける、厳しい行場です

観光スポットという一面を有していながら、やはり律宗の祖・鑑真和上
修行の道場として開かれたお寺。

一般の観光客をすんなり受け入れて下さる『懐の深さ』を持ちながらも、
注意深く観察すれば、異なった空気が流れている事に気付くはずです

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

詳しくは、FMくらしきのOAと、Podcastでチェック!!


2010/10/03 18:55 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容
【83番】神毫山・一宮寺《きくへんアルバム》
第八十三番札所、神毫山・一宮寺のアルバムです

100925_01.jpg
飛鳥時代からの歴史のある
一宮寺の山門前で収録中です。

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真面目に質問する
杉本さんのどアップです

100925_03.jpg
お大師堂です。
少し混み合っています

100925_04.jpg
護摩堂前で収録
護摩といえばこうゆうさんです


2010/09/25 21:20 | Comments(0) | TrackBack() | きくへんアルバム
【83番】神毫山・一宮寺《放送内容》
今回のお参りは第八十三番札所、神毫山・一宮寺です。

高松市郊外の閑静な住宅街に位置する、こちらのお寺。
その歴史は古く、飛鳥時代にあたる大宝年間に創建され、後に行基さま
荒廃していた堂宇を復興されたと伝えられています。

創建当初は法相宗でしたが、空海さまが観音像を刻み御本尊とされてから
真言宗のお寺になりました。

この様に、年代を追ってお寺の成り立ちを『立体的』に勉強してみると、
その歴史の深さが見えてきます。

***********

山号の『神毫山』とは、『神さまのお印』という大変尊いお名前ですが、
『カミ』には二種類あって、『神』が天にいらっしゃる存在なのに対し、
地のカミサマは『祗』と表します。

そういうカミサマのお言葉を書き留めるのに使われたのが『紙』ですが、
かつては、紙は白ければ白いほど珍重されました。

その理由とは、墨で書き記された言葉や文字はカミサマそのものであり、
真っ黒な墨が最も映えるのは、真っ白な紙だからです。

先人達が、冬にのみ得られる澄んだ水を使って、身を切る様な寒さの中、
苦労して白い紙を漉いたのは、「最高の形でカミサマの言葉を残したい」
という気持ちからだったのでしょう

***********

さて、皆さんお待ちかね、米裕さんの創作小噺『凸凹同行記』。

昔、ある所に早離・即離という兄弟がいました。

幼くして母を亡くしてしまった彼等兄弟を不憫に思い、貿易商である父は
彼等の母親として、新しい妻を迎え入れます。

聞き分けがよく、いつも笑顔を絶やさない兄弟は、世間の人々から見れば
とても出来の良い子どもです

しかし、継母にとっては、兄弟の『子どもらしくない』部分が気に障り、
次第に重荷ともなって行きました。

そしてある日。

継母は、仕事で海外へ行っている父親が帰って来ると嘘をついて、兄弟を
離れ小島に置き去りにしたまま、姿を消してしまいました

やがて兄弟は、自分達が騙された事に気付きますが、継母を恨む訳でなく
全てを運命として受け入れ、静かに旅立ちました。

慈しみの心を忘れずに修行を積んだ、早離・即離の幼い兄弟。
どんな苦境でも、道を外す事なく歩んで来た彼等の姿を見守っていたのが
阿弥陀如来さまでした。

極楽浄土に生まれ変わった兄弟に、阿弥陀さまは頼み事をなさいました。
それは、悟りの世界へ辿り着いた者達に向かって、教えを説く事です。

しかし、早離・即離の兄弟は浄土に留まる事を断り、現世へと出向いて、
悲運に苦しむ人々を直接手助けしたいと申し出ました。

兄の早離は、慈しみの心で、他の悲しみを我がものとして全てを包み込み
和らげたい
、と。

弟の即離は、人々の心に笑いや安らぎを目覚めさせ、知らず知らずの内に
苦しみから遠ざかるよう導きたい
、と。

早離は、八十三番・一宮寺の御本尊でもある観音菩薩さまとして、そして
即離は勢至菩薩さまとして、この世で悲しみ、そして苦しむ者達のために
お働きになって下さっているのです。

***********

境内の中で目を惹くのが、平成十八年に建立された護摩堂
本堂と見違えるほどの規模で、しかも品の良さが漂っています

護摩を修する意味は、本堂で正式に仏さまをお迎えする前に魔を払うのと
汚れのある者は、事前にそれを払い落として清め、法要を守る事です。

「護摩の修法と普通の読経、どちらがより功徳があるのか?」

・・・現場では、そんな質問もあるそうです。

どちらでも功徳を授かる事は出来ますが、手に印を結び、観念を巡らせ、
様々な作法を同時進行で行うという事から、その密度に違いがあります。

準備、そして後片付けの大変さから、お寺で護摩を修さないお坊さんも、
残念ながらいらっしゃるそうです。

若き日のこうゆうさんは、お師匠さまから

「御本尊さまの元で、休まず百座を積みなさい。」

・・・と、指導されたそうです。
そうすれば初めて、御本尊さまが『振り向いて』下さるのだそうです。

護摩。
行者にとっては最も大事で、複雑で、覚悟を要するもの・・・との事。

その意味で、護摩堂があるお寺は、寺院としての理想型と言えそうです

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・・・という訳で、今回のダイジェストはこの辺で。

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2010/09/19 11:05 | Comments(0) | TrackBack() | 放送内容

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